2.気がついたらそこは異世界でした
「……ん」
ふと瞼ごしに光を感じて目を覚ました。まだ、重い瞼をゆっくりと開ける。
窓からさす光が眩しい。思わず目を潜めながら額に手を当て、天井をぼうっと見つめた。
――あれっ?私お風呂に入ったあとどうしたんだっけ?無意識にベッドに入ったのかな?それにしては違和感が…
ふと、覚醒してはっきりした視界に映ったものを見て私は息をのんだ。白とは言い難い、汚れでくすんでいるぼろぼろの天井。いくら掃除ができていなかったとはいえ、一晩でここまで劣化するとは思えない。明らかに自分の家の天井ではなかった。
驚いた私は慌てて起き上がり辺りを見回す。そして、目の前の光景に言葉を失った。
石でできた白い壁。ひどく汚れていて色はくすんでいる。しかも、所々ひびが入っていてぼろぼろだ。四畳ほどの狭い空間に置かれているのは、古い木製のタンスと木製のベッド、それから木製の小さな椅子のみ。ベッドは身動きをとるたびにミシミシときしんだ音をたてる。
「…夢?」
私はこれが夢であることを願いながら自分の頬をつねった。
「…痛い」
夢じゃなかった。力を入れすぎてじんじんと痛む頬をさすりながら、私はため息をついた。
……一体ここはどこなんだろう
よくわからない状況に不安を感じながら、ふと視界に映った自分の手をみて私は驚愕した。
「え、…なにこれ…」
小さい。手が小さい。いや、もともとそんなに大きい方じゃなかったけどそんなんじゃなくて。
……明らかにまだ未発達の子供の手だ。慌てて両手を天にかざし見る。大人にはないハリとツヤ。そして、極めつけはこのぷにぷにとした柔らかい肉つき!これはまさに子どもの手である。
それから手を下ろして、全身に視線を移し――絶望した。
「ち、小さくなってるぅぅぅぅ!」
頭を抱えながらそう叫んだ私の声が部屋にこだまする。
「え、何?どうなってんのこれ?!」
目覚めたら体が縮んでいたとか、そんな某アニメみたいな展開ありえないでしょとか思っていたけど…え、何、ありえちゃうの?
自分の身体をペタペタと触りながら私は頭を巡らせる。
えーと、こういう時ってどうすればいいんだっけ…。
「……はっ!そうだ!深呼吸!」
すぅはぁぁぁぁすぅぅはぁぁぁぁ
「よし」
状況を整理してみよう。私は昨日、いつも通りに出社をして社畜を極めていた。しかし、上司ともめ、会社を首になり無職になった。そして、疲れた体を引きずってビール片手にコンビニ弁当を食べて、そのままお風呂に入って…
「……寝た」
そうだ。お風呂に入って、気持ちよくて、ものすごい眠気に襲われて、そのまま――
「え!じゃあ、もしかして……し、死んだ?」
お風呂で寝てそこから記憶ないって、そういうことだよね。私一人暮らしだし、起こしてくれる相手いないし……。よくある溺死ってことでしょ。って、ちょっとまって。それって――
「ひぃぃぃっ!」
てことは、もしかして私はお風呂の中で水死体として浮かんでるってこと!?やばいよー。やばいよ、やばいよ!
両親も親せきもいないのに、誰が見つけてくれるんだろう。賃貸請求に来る大家さんとか?
いや、社畜極めているだけあって貯金めちゃくちゃあるし、家賃そこまで高くないし、大家さん請求くるのかなり後だよな…。
じゃあ、あれか。腐敗臭で近隣住民から通報されて、警察に見つかって報道されるやつだ。
「……最悪だ」
うわぁぁぁ。じゃあ、ブクブクに水を吸収して腐敗した裸姿を赤の他人に見せた挙句、身寄りがないがゆえに色々な方に死後の後片付けを任せることになるのか。
「……なんと迷惑な」
ああ…。私もうお嫁にいけない。……いや、行く前に死んでるんだけど。
あまりの現実に私は頭を抱え身悶えた。ふと、扉の外からこちらに向かってくる足音に気が付く。私は我に返り身構えた。だんだんその音が近づいてくる。そして、扉の前で止まった。
キィィ
音をたてながら、扉が開かれ入って来たのは小さな男の子だった。黒い髪に、青い瞳、目は切れ長で、鼻が高い。どこかクールな印象がある西洋風の整った顔立ちだった。外国人とのハーフの子だろうか。どこかからか運んできたのか、片手には水差しと木のコップを乗せたトレーを持っている。
男の子は私を見ると一瞬驚いたように目を見開いた後、嬉々とした表情を浮かべた。そして、こちらに向かって歩いてくる。私は困惑しながらその様子を見た。
「リフィール!……よかった。目がさめたんだな」
男の子はそういうと私がいるベッドに近づいてきてトレーを端においた。そして、私の顔色を伺うように覗き込んでくる。
「…体調はどうだ?まだ、熱があるか?」
そう私に尋ねながら私の額に手を伸ばしてくる男の子。私は驚き硬直する。……どうやら熱を測ってくれているらしい。
しかし、今この子、私のことをリフィールと呼んだか?しかも、その言い方によると私は熱を出して倒れていたということになる。身に覚えのない場所といい、状況といい、もはやこれは自分が別人になったとしか考えられない。
状況が掴めず、悶々と考え込む私に、様子がおかしいと感じたのか男の子は不安そうに私を見た。
「熱はひいたみたいだが……どうした?どこか具合がわるいのか?」
男の子の言葉に、思考にふけっていた私は我に返り、慌てて首を横に振った。それを見てますます男の子は不安そうに眉を寄せる。
「……やっぱりようすが変だな。どうしたんだ?顔色がわるいぞ」
私は少し悩んだ後、静かに口を開いた。
「え、えっと、ここは…」
私の言葉に男の子は顔をしかめる。
「……なにを言っているんだ?ここはお前のへやだ。……リフィール、お前、もしかしてきおくないのか?」
その言葉に私は無言で頷く。やはり、リフィールというのが今の私の名前らしい。男の子には申し訳ないが、ここは記憶を無くしたふりをして色々と情報を聞き出すしかない。
男の子は私が頷いたのを見て、複雑そうな表情を浮かべた。そして、少し間を置いた後、静かに口を開いた。
「……そうか。……お前は頭を打ってたおれたんだ。一週間前、セジュアがきぞくを連れて孤児院にやってきた。だがテレスがそそうをして、そのきぞくを怒らせてしまった。それできぞくが帰ってしまったんだ。それに怒ったセジュアがテレスをなぐろうとしてな、お前はそれをかばった。それでお前はテーブルに頭を打ってたおれたんだ」
そこで男の子は一旦、言葉を止めた。彼は悔しそうな顔を浮かべながら唇をかんだ。私は聞きなれない言葉に首を傾ける。
「せじゅあ?」
男の子はああそっかというような表情をすると、私に説明してくれた。
「しんでんの一番えらいひとのことだ。しんでんちょうと呼ばれることもある。あいつは頭から血をながしてたおれたお前を見て、舌打ちをしながら帰っていった。急いでかけつけた俺が、何度かお前の名をよんだが、お前はピクリとも反応しなかった。とりあえず、頭にほうたいをまいて、止血をして、ベッドにねかせた。でもお前はよくなるどころか、高熱をだして一週間もねこんでいたんだ」
そこまで語って、男の子は私に近づくと私に手を伸ばし、私を抱きしめた。
「よかった。目をさましてくれて。……また失うかと思った。お前まで失ったらおれはどうしたらいいのか、わからなくなる」
耳元でそうささやかれる声。その声は涙ぐんでいて、彼がどれだけ不安だったのかが伝わってきた。私は思わず、小刻みに震えるその体に手をまわし、背中を優しくあやすようにさすった。
しばらくして、落ち着いたのか男の子はそっと体を離し、私をそっと見た。
「……リフィール、どこまでおぼえている?おれのことはわかるか?それからお前のことは?」
私は静かに目を閉じ、首を横に振った。申し訳なさに心がきゅっと締め付けられた。
「……ごめんなさい」
絞り出すような声でそういう私。男の子は私の言葉に衝撃を受けた顔をしたあと、悲しそうな表情を浮かべた。
「……そうか。そこまできおくがないんだな……。おれはヴィクタル。この孤児院でくらす孤児で、年齢はお前とおなじ八歳だ。この孤児院にいるこどものなかで、おなじ年齢なのはおれとお前だけでおれたちが一番上だ」
そこまで言った後、ヴィクタルという男の子は私の肩に手を置いて視線を合わせた。私もじっと彼の目を見つめる。透き通った青い瞳は宝石のようでとても綺麗だった。
「そして、お前のなまえはリフィール。おれとおなじ孤児だ。生まれてすぐこの孤児院でほごされたらしい。……わるいが、そのしょうさいは知らない。孤児院で一番先輩でおれたち孤児をまとめるリーダー的存在だった…どうだ思いだせそうか?」
そう言ってヴィクタルは気づかわしげに私をみる。時折大人びた言葉を使うのに、言い方がたどたどしく、あどけなさが残る不思議な子だ。そんなことを思いながら、私はここまでの話を整理して、どうやら自分がリフィールという子供に成り代わったということを理解した。
試しに彼女の記憶を探ろうとする、しかし、その瞬間に激しい頭痛に襲われた。どうやら、あまりの出来事にアドレナリンが出ていて気付かなかったが、私はかなり深い怪我を頭にしていたようだ。傷口がずきずきと痛みだす。思わず頭に手を添え、体を丸く縮める。手に包帯の感触がした。
「っ!リフィール!?大丈夫か!?」
突然痛みに悶えだした私をヴィクタルは心配そうに見つめる。私はあまりの痛みに何も答えられなかった。
「…っ!そうだ!まほう!リフィール、まほうを使うんだ。お前はちゆまほうが使えるはずだ」
ま、まほう?そんなものが存在するのか、この世界には。いや、今はそんなことどうでもいい。とりあえず、この痛みをなんとかしたい。
でも、魔法なんてどうやれば…
そんな私の思考を読み取ったのかヴィクタルは私に説明してくれた。
「…むかし、リフィールがおれに言っていたのは、そのまほうをイメージするそうだ。火をあつかうときは火を、水をあつかうときは水を。どれをどういう風に使いたいのか、それをイメージしていると言っていた」
なるほど、イメージか。私は頭に手をかざした。今感じているのは頭がロープで絞めつけられるような痛み。痛みを和らげるにはこの締め付けているロープをゆっくりと解けばいい。
私はそうイメージすると、手に力を込めた。すると、手が温かくなり光を放った。その瞬間、痛みが消えた。
私はホッと息を吐く。そして、次に傷を治すことを考えた。開いている傷は閉じればいい。こう接着剤みたいに魔法で閉じれば…
そうイメージしてもう一度力をこめると再び光が放たれた。
「……ヴィクタル、傷を確認してもらえる?」
「ああ」
ヴィクタルは私の言葉に頷き、私の頭に巻かれた包帯をほどいて傷口を確認してくれた。
「……やっぱ、お前のまほうはすごいな。完全にきずがふさがってる」
関心したようにそういうヴィクタルに、私は安堵の息を漏らした。
「そう。…それならよかった」
あれから、もう一度記憶を探ることに挑戦してみたが、どうやら記憶を探るのは難しそうだ。ぼやがかかっていて全く分からない。私は目の前の人物に協力を仰ぐことにした。
「ヴィクタル。私はどうやら記憶を失ってしまったみたいなの。自分のことすら何も思い出せない。……お願い、私にこの世界のこと色々教えてほしい」
それを聞いたヴィクタルは真剣な表情で深く頷いた。
「わかった。……もしかしたら、いつも通りの生活を送っていれば、きおくが戻るかもしれないしな。リフィールがきおくを取り戻せるように、おれがてだすけしてやる」
「ありがとう」
私が微笑みながらお礼を言うと、ヴィクタルも微笑んでくれた。
あ、可愛い。
そんなことを思いながら私は目の前の男の子を観察した。
これが私とヴィクタルの初めての出会いだった。