血みどろの足枷
血まみれの襤褸を床に引きずった人影が、たいまつの火をかかげ、暗闇の続くつめたい石の廊下を、よろめきながら奥へ奥へと向かっていた。
人影はひとりの男で、足には重い枷がはめられていて、かれが罪を犯した者であることを示していた。じゃらじゃらと、ちぎれた鎖を引きずる音が、まるでかれの居どころを知らせるかのように、石の壁に反響しながらかれの歩いてきた暗闇の向こうへ尾をひいては消えていった。
かれは追われる身だった。かれが今いる建物は、石壁によって囲まれた大きな建造物の一部で、歩いている石の廊下は、そのもっとも奥にあるとされる、礼拝堂の古い木のとびらへ続いているはずだった。
かれのはだしの足もとの床には、絶えずどす黒い血がしたたっていた。襤褸からのぞく腕や足には、殴打され、切り裂かれ、焼きつぶされた跡が生々しく残っていて、おなじく血にまみれ焼けただれた顔には、らんらんとぎらつく目だけが、それと分かるかたちで残されていた。
かれは石壁に手をついて、うしろを振り返った。そのまっすぐにのびた石の廊下は、かれの手にしたもののほかには、何も照らすことのないたいまつの燃えさしがいくつも続くばかりの、真っ暗でうつろな洞穴だった。
耳をすますと、かれをさがして洞穴のなかに呼びかけ合う声が、しだいに大きくなってきていて、ゆっくりとだが確かに追っ手たちがかれのもとに迫りつつあることがわかった。
しかし、かれの目には、それを恐れるような色は、なにも浮かんでいなかった。
ふたたび、行く手に目を戻したかれは、それまでと変わらない足取りで、これまでよりもいっそう深くわだかまる闇の奥へ向かってゆっくりとすすんでいった。
やがて、かれのかかげるたいまつの火は、目の前にひとつの木のとびらを浮かび上がらせた。
そのとびらの木肌はほとんど朽ち果てようとしていて、板をつなぐ金具もさびついてぼろぼろになっており、そのとびらが誰に開けられることもなく、またなにも手入れをされることなく、ながい年月をすごしてきたことを示していた。
「ウラブよ……」
かれの口から、かすれた、低いつぶやきがもれた。
かれは、手にしたたいまつを傍らに置いて、まさぐるように、その両手を古い木のとびらに這わせた。
かれは、そのまましばらくじっとしていたが、それは、かれがはじめて見せるためらいの仕草だった。
やがて、かれは、みずからの額を木のとびらにこすりつけて涙を流し、血反吐の混じったよだれを口から垂らしながら、とびらの前にずるずると身を屈めていった。
そうして、そのまま石の床に膝をついたかれは、両手で顔をおおって涙をかくすと、なにかに深く感じいったように、ゆっくりと首を横に振りつづけた。
「……いや、問いかけまい。……決して、問いかけまい。このとびらを開けた先に待っていること、この先でわたしの身に起こることのすべては、ウラブの証なのだから……」
かれはうずくまったまま、ふたたび木のとびらの取っ手に血まみれの手を添えた。
「……問いかけまい。……そして、求めまい。わたしは、ただ、預言の示す道にしたがって歩くだけだ……」
かれは、おさなかったある日に自分におとずれたウラブからの預言を、いまいちど、心のなかに思い起こした。あのきよらかで、おごそかで、なつかしい響きをともなった、妙なる声によって語られたことば。
そのことばに、かれはおのれのすべてを捧げて生きてきた。思い起こせばいつでも心にうち響く、その声のみちびきのままに、ここまで歩いてきたのだった。
(そうだ、何もおそれることなどありはしない。すべてははじめから証されていたことなのだから)
かれは、血のしたたる顔を上げて木のとびらを見据えた。
そして、骨が砕け、肉が崩れてぼろぼろになった手に力をこめて、その古い、いまにも朽ち果てようとする木のとびらの取っ手をゆっくりと押した。