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鶴が舞う ―蒲生三代記―  作者: 藤瀬慶久
第七章 蒲生賢秀編 本能寺の変
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第98話 中野城の戦い

主要登場人物別名


左馬助… 明智秀満 明智家臣


将監… 町野繁仍 蒲生家臣

藤右衛門… 岡貞政 蒲生家臣


三七… 織田信孝 信長の三男

 

「進めー! 蒲生の備えは薄い! 一息に中野城を攻め落とすのだ!」


 明智秀満の声と共に明智軍が中野城下の大通りを進む。

 普段は市で賑わう東西の大通りは閑散としており、明智勢の他には人の姿は無い。前方に遮る物も無く、大通りを進む兵の視線の先には蒲生の本拠地である中野城の威容だけが目に入った。


 ―――妙だな


 後方で指揮を執る明智秀満の胸に不安がよぎる。城下まで進軍しているというのに、蒲生の抵抗が一切ないのが気がかりだった。

 無論町の建物に人の気配は無い。賢秀が既に住民を避難させたのであろうことは容易に想像がつく。

 だが、籠城の構えを取っているにしてもここまで無抵抗で進軍できたことが不自然と言えば不自然だった。


 通常の城攻めであれば、ここで町に火を放って城方を挑発するとともに進軍しやすいように建物を破壊しておくのが定石だ。だが、主君光秀から一気呵成に攻め落とせと厳命されていたこともあり、尚且つ中野城下の大通りは人が八人は横に並べるほどの幅があり、町を焼く必要性は薄い。まして、町を焼けば鎮火するまで軍を進めることが出来ない。

 それゆえ、秀満も今回は焼き働きをせずに真っすぐに軍を進めている。


 だが、建物が残っているということは反面で視界が遮られるということでもある。

 町中に伏兵が潜んでいれば明智勢は混乱させられるだろう。静かすぎる町の様子に、秀満は初手から伏兵を警戒していた。


「左馬助様! 町中に伏兵の姿は認められません」

「そうか……」


 物見に出していた兵が次々に戻っては同様の報告をする。馬上から伸び上がって見ても、町中に伏兵を置いている気配は無い。


 ―――気にしすぎなのかもしれん


 秀満は賢秀の『臆病者』という評判を思い出していた。

 光秀にケンカを売ったはいいものの、いざ軍勢を迎えると恐ろしくなって城に閉じこもっているのかもしれない。そうであれば、軍勢をどんどん前に進めるべきだ。


「先陣の多賀勢、中野城の城門に取りつきました! 只今より槌を持って城門を破ります!」

「城方の抵抗はいかほどか」

「それが……多少の矢が射込まれていますが、抵抗らしい抵抗はほとんど……」

「何?」


 ―――やはり臆病者というのは真であったか


 多賀からの伝令で勝利を確信した秀満は、城攻めを始めさせるとともに軍勢を積極的に前に出し始めた。

 こうなれば、今日中にケリをつけて安土城に戻ろうという気持ちも出てきている。


 いかに攻めにくい地形とはいえ、中野城はそれほど大きな城郭ではない。今はまだ夜が明けたばかりだし、城方の抵抗が弱ければ今日中に終わらせることも不可能ではないだろう。


「よし! 全軍進め! 今日中に中野城を攻め潰すぞ!」

「オオー!」


 勝利を確信した秀満は、本陣を前に進めた。こうなれば城の攻め口を自分の目で見て指示した方が早く片が付くという読みがあった。


 だが、秀満の本陣が大聖寺を越えた辺りで異変があった。

 突然中野城の本丸から太鼓の音が鳴り響き、少し遅れて銃撃音が一斉に鳴り始めた。


 ―――しまった!


 後悔した時には既に遅かった。

 明智勢は既に中野城前に広く展開し、城門を破壊するために槌を用意している。そのため、城方にその身を晒している者が多かった。

 最初の銃撃で破城槌の担ぎ手が次々に倒されると、次に先ほどとは比べ物にならないほどの矢が秀満の本陣近くまで一斉に降り注いだ。


「くそ! 慌てるな! 落ち着け!」


 混乱する兵を鎮めながら、飛来する矢を槍で払いのける。

 幸いにして秀満に当たった矢は無かったが、周囲には肩や胸に矢を受けて倒れ込む者も出ていた。


「蒲生を侮り過ぎたか」


 独り()ちてギリギリと歯を噛みしめたが、それで城方からの銃撃が止むわけでは無い。今も響く銃撃音に先陣の多賀勢はすっかり意気消沈し、前線からは続々と兵が逃げ出している。


 ―――後悔するのは後だ


 我に返った秀満は、本陣を下げて中野城と距離を取った。同時に前線から逃げ出してくる兵を収容し、態勢の立て直しを始めた。

 こうなれば長期戦もやむを得ないと思い定め、秀満は城からの攻撃を警戒しつつ攻囲陣を築き始めた。




 ※   ※   ※




 明け方に鳥居平城を出陣した忠三郎賦秀は、尾根伝いに鳥居平を抜けて大谷まで軍を進めていた。

 中野城方面からはけたたましい銃撃音と共に太鼓の音が響いてくる。間もなく明智勢が軍勢をまとめる為に一旦下がるはずだ。大谷に陣取る賦秀から見れば、明智勢は背を晒している状態になる。


 ―――我が父ながら


 賢秀の恐るべき軍略に舌を巻く思いだった。何もかもが賢秀の言った通りに推移している。

 中野城に攻めかかって来た明智勢は一旦下がって態勢を整える。その隙を狙うために賢秀は賦秀を二百の兵と共に鳥居平城に籠らせていた。

 今も賢秀の言う通りに夜明けとともに大谷城へと軍を進めたが、谷の向こうには明智の旗指物が大挙して下がって来るのが見える。


 傍らの町野繁仍に視線を送ると、町野も力強く頷き返して来た。

 昼に近くなった日に照らされて賦秀の纏う漆黒の具足は照り輝いている。賦秀は馬上からマントを翻すと、後ろに続く兵に向き直って声を上げた。


「よいか! これより我らは明智勢の背後を突く! 退き際は中野城の父上より合図がある。決して聞き漏らすな!」

「オオー!」


 二百の兵の鬨の声は、中野城から響く銃撃音と明智勢が逃げまどう音にかき消されて敵の耳には届かない。完全に奇襲の形を取っていた。


「続け!」

「若殿に続けー!」


 賦秀が馬腹を蹴って駆けだすと、その後ろから兵達が疾走を始める。谷を抜けた先には明智勢が陣のような物を構築し始めている所だった。


「かかれー!」


 叫びながら手近な兵を槍で一突き。続いて町野が持ち槍を繰り出すと、もう一人敵兵が倒れる。その後は二百の軍勢がなだれ込んでの乱戦となった。

 悲惨を極めたのは不意を突かれた明智勢だ。城からの銃撃から身をかわして何とか安全地帯に逃げ込んだと思ったら、突如伏兵が後ろから現れたのだから無理もない。”敵襲”と叫ぶ声が次々に明智の陣地にこだまし、やがて明智の兵は我先に逃げ出し始めた。


 賦秀が手持ちの槍で向かって来る敵を次々に討ち取っていると、やがて奥の方で必死に叫び声をあげる騎馬武者が目に入った。

 茶色の南蛮胴具足に日輪の立物を付け、兜には兎の耳をかたどった飾りがあしらってある。賦秀にはその出で立ちに聞き覚えがあった。


「明智左馬助殿とお見受け致す! 蒲生忠三郎賦秀、参る!」


 名乗りを上げると、賦秀は一目散に秀満に向かって馬を駆けだした。賦秀の率いる蒲生の別動隊もすぐに後ろを固める。

 ようやく気付いた秀満は、賦秀の姿を認めると慌てて槍を構えた。


 大きく振りかぶって真横に薙いだ賦秀の槍は、堅い感触と共に秀満の構えた槍にぶつかった。

 しばしお互いの視線がぶつかる。だが、秀満からは予想された反撃は出てこない。その代わり、ヒラリと馬首を返すと一目散に駆け出した。


「退け! 退けぇ!」


 周囲に喚き散らしながら秀満が西に向かって駆け出す。もはや態勢を立て直すことを諦めた秀満はどうやら逃走に移ったと見えた。


「追撃を!」

「待て将監!」


 思わず秀満の後を追おうとした町野を賦秀は制止した。

 中野城からは撤退を知らせる太鼓が鳴り響いている。賢秀が追撃を中止して中野城に帰還せよと言っていた。


「こちらも退くぞ! 手勢をまとめて中野城まで帰還する」

「ハッ!」




 ※   ※   ※




 賢秀は物見櫓に立って中野城下を見つめていた。

 視線の先では明智勢の背後を突いた賦秀の手勢が意気揚々と引き上げて来る。一方の明智勢は既に大きく後退し、城門に取りついていた敵兵も逃げ出している。

 蒲生勢の勝利だった。


「お見事です。伯父上」


 隣に立つ小倉作左衛門行春が尊敬の眼差しを向けて来るのは少しこそばゆかった。作左衛門は亡き末弟小倉実隆の子であり、父の代わりに佐久良城主として賢秀に仕えている。

 内紛を繰り返していた小倉家は、今や完全に蒲生の一門衆となっていた。


「油断は出来ん。ある程度の損害は与えただろうが、日野攻めを諦めるほどではあるまい。いずれまた来るはずだ」


 欄干を掴みながら賢秀は厳しい顔を崩さずにいる。

 賢秀の言う通り、いかに不意を突いたとはいえ明智勢に与えた損害は百に満たない。明智があくまでも日野を攻め潰すつもりならば、間違いなく兵を整えて再び進軍して来るだろう。


「殿!こちらにおいででしたか」


 岡貞政が平服姿で物見櫓に上って来た。賢秀の初陣の時から付き従って来た貞政も既に頭は白くなり、戦働きは難しくなっている。そのため賢秀は貞政に別の使命を与えていた。


「藤右衛門か。首尾はどうであった?」

「ハッ! 岸和田の三七様、丹羽様は折悪しく軍勢を別の場所に駐屯させていた為、上様の変事を知って軍勢が離散してしまったとのこと」

「そうか……明智を西から圧迫することは出来ぬか……。柴田殿も北陸から兵を向けるには今少し時が掛かろう……」


 思わず深くため息を吐く。

 賢秀にとって頼りは岸和田で四国攻めの準備をしている織田信孝と丹羽長秀だった。それゆえ、股肱の臣である貞政を真っ先に向かわせた。

 もっとも、向かわせた先は伊賀だ。伊賀には信長の次男である織田信雄が居残っていたが、手持ちの兵は四国攻めに援軍として送り出しており、今動かせる兵は少ない。

 だが、信雄と岸和田の信孝が協力して丹羽長秀と共に伊賀を越えて甲賀から近江へ進出してくれれば、少なくとも近江国内で孤立するという事態だけは防げる。

 そう思っていたが、貞政の言によれば既に頼りの四国攻めの軍勢は離散してしまったという。賢秀の落胆は相当な物だった。


「ですが、聞き及びます所では羽柴様が中国より大返しに兵を戻し、既に姫路城に入っておられると」

「何!? それはまことか!」

「下間頼廉殿より聞いて参った故、間違いないかと」


 信長には内緒にしてあったが、日野には一向宗寺院である正崇寺と興敬寺を残してあった。無論、一揆など起こさぬという条件を飲ませたうえでだ。

 岡貞政はその伝手を使って本願寺坊官の下間頼廉と繋ぎを取っていた。


 織田家と本願寺の和睦以後、顕如は未だ抵抗を続ける各地の門徒衆の元へ腹心の坊官を派遣して蜂起を止めるように説得に当たらせていたが、下間頼廉は伊賀の門徒衆の説得に当たっていた。

 貞政は信雄や信孝の状況を調べる一方で一向宗のネットワークの力を借りて各地の情勢を集めて来ていた。

 それによれば、毛利に当たっていた羽柴秀吉が既に姫路城に戻り、数日の内には畿内へと兵を進める見込みだという。

 これには賢秀も喜びを露わにした。


 ―――これで孤立することは避けられる


 明智光秀も羽柴を放って日野にかかることは出来ないはずだ。上手くすれば羽柴と連携して明智を東西から挟み撃ちにも出来る。


「頼廉殿は蒲生が日野で孤立していることを顕如殿に報せ、以後の情勢をこちらへ知らせるように手配りをして下さると申されておりました」

「そうか! 本願寺ならば西国の情勢は手に取るように分かるな!」


 日野で孤立することを覚悟していた賢秀だったが、思いのほか近くに味方がいることを知った。

 これならば、日野に籠るだけでなくこちらから安土へ討って出ることも出来るかもしれない。そう思い始めた所に伏兵を指揮していた賦秀が勝達な足取りで物見櫓を駆けあがって来る音が聞こえた。


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