第93話 関東方面軍司令
「左近。まことに上臈塚砦はこちらに降ったのだな?」
「ハッ! 上臈塚砦に籠る中西新八郎と宮脇平四郎の両将は、荒木摂津守が将兵を見捨てて逃亡したことを大層憤っておりました。『不利を承知で必死に籠城戦を戦う者達を愚弄している』と。
この上は上臈塚砦を開き、我が方を招き入れる用意を整えるとのことにございます」
有岡城攻めの軍議の席上で滝川一益が自信たっぷりに宣言する。上座では信長ではなく嫡男の織田信忠が頼もし気に頷いている。
安土城に戻った信長に代わり、有岡城攻めの総大将は信忠が務めていた。
一益の言葉に末席の賦秀も喜びを露わにした。
―――これでようやく戦が進む
それが賦秀が真っ先に考えたことだった。
天正六年の七月から始まった有岡城包囲戦だが、一年以上に渡って戦局が動いていなかった。年が明けて天正七年も既に年の瀬が近い十月に入っている。いかに後から着陣したとはいえ、賦秀もいい加減うんざりして来ていた。
周りを見渡せば、明智光秀は波多野秀治を降してようやく丹波攻略に目途をつけ、羽柴秀吉は未だ三木城を包囲している最中とは言え淡河城を落として三木城の補給線を完全に遮断している。また北陸の柴田勝家は上杉謙信の急死によって加賀への侵攻準備を始めており、ここも戦果が上がるのは遠い先のことでは無さそうに見える。
そんな中にあって、畿内の有岡城と本願寺を担当する両軍だけがいたずらに膠着状態を続けていては織田軍全体の士気にも関わる。
事実、安土の信長は畿内の情勢がなかなか進まないことに苛立ちを覚えていると父の賢秀から文も来ていた。
賦秀も焦っていたが、なによりも総大将たる信忠が一番焦っていただろう。上座の信忠の顔にはあからさまな安堵の表情が浮かんでいた。
「さすがは音に聞こえた滝川左近将監だ。この戦、滝川の功比類無しと言わねばなるまい」
「ありがたき幸せにございます」
「上臈塚砦が降ったとなれば、もはや有岡城の守りは半ば以上破れたと言っていい。直ぐに総攻めに入るぞ」
「ハハッ!」
信忠の声に続いて副将格の丹羽長秀から総攻めの配置が発表された。次々に諸将の名前が呼ばれる中、蒲生の名は後陣の中ほどにある。
そのことだけが賦秀は不満だった。
―――叶うならば先陣を
そう思っていた。
そもそも有岡城攻めに入ってから、ほとんど睨み合いばかりでまともに戦をしていない。父の賢秀ならば『損失が少なくて良い』と言うだろうが、若い賦秀にしてみればとても物足りない。
「先陣は左近将監に任せる。此度の有岡城攻めの総仕上げだ。存分に働け」
「ハッ!」
最後に発表された先陣の任は、大方の予想通り滝川一益に与えられた。上臈塚砦の調略の功は一益にあるのだから、先陣の栄誉が与えられるのは当然と言えば当然だ。
賦秀は多少残念な顔をしたが、先陣が滝川一益であればやむを得ないと納得した。
「攻撃開始は今夜亥の刻(午後十時頃)とする。滝川勢が上臈塚砦に入城したことを合図に、各方面から一斉に攻撃を開始せよ」
「ハハッ!」
一座の諸将が一斉に頭を下げて軍議は解散となった。
※ ※ ※
軍議が終わり諸将が退出していく間、本陣には人の話し声や具足のこすれ合う音などの雑多な音が響き渡っている。そんな中、滝川一益は本陣を出て行こうとする賦秀の後姿を目で追いかけていた。
―――親父殿と違って……
蒲生の倅はどうやら猪武者のようだと見た。そのことにある種の安堵を覚えていた。
賢秀は一益の目から見ても思慮深く、調略などにも手腕を発揮できそうに見える。そもそも先代の定秀は六角家中でそういった仕事を引き受けていたのだから、蒲生家は元来そういった搦め手を苦手としているわけではない。にも関わらず、軍議中の賦秀は一益の武功を純粋に喜び、そういった働きが出来なかった自分を責めている様子は見受けられない。
これが逆の立場だったら一益は心中穏やかでは無かっただろう。ただでさえ明智や羽柴といった新参者が次々に方面軍の軍団長に抜擢されている。このままでは織田家中の出世競争で彼らの後塵を拝することになる。
それ故に、一益としてはこの有岡城攻めで抜群の功績を立てる必要があった。
西国や北陸方面はある程度体制が固まったが、今後信長としては関東や四国方面にも軍勢を派遣する必要性が出て来るはずだ。それらの機会に軍団長の任を与えられなければ、このまま遊軍として各地に派遣されるだけで終わる。
今回の調略の功は恐らく信忠を通じて信長にも伝えられるだろう。次の軍団長の座が近づいてきたという実感があった。
―――もはや
蒲生を意識することもあるまいと思った。
一益は賢秀を評価していたが、いかんせん欲が無さすぎるのが珠に瑕だ。何としても戦場に出て意地でも武功を立てようという貪欲さが見受けられない。信長の信頼が厚いのはいいが、今も唯々諾々として安土城の留守居役などを務めている。
そして、陣代として実際に戦場に出る賦秀はただただ前線で戦いたいと願うだけの小僧っ子だ。賢秀が安土を動けないならば、現場に居る賦秀が何としても武功を立てなければならないのだが、その手段がただただ前線で戦うということに終始していては話にならない。
実際に兵を用いて戦う前から戦は始まっているのだ。そのことを理解していない賦秀は、恐れるに足りずとしか見えない。
信長からは婿として可愛がってもらっているかもしれないが、それだけで出世できるほど織田家は甘い家ではないのだ。
粗方の諸将が退出して本陣の喧噪も少し収まって来た頃、一益は一つ息を吐いて床几を立った。
これから兵に飯を食わせ、早めに休ませなければならない。まだ日は中天にも達していないが、総攻めを開始すれば恐らく二~三日は徹夜になる。休息をとるのは今のうちしかなかった。
天正七年(1579年)十一月
有岡城は陥落し、畿内で完全に孤立した本願寺は翌天正八年の四月に降伏する。
畿内はようやく織田軍の圧する所となった。
※ ※ ※
「左近。お主に東国の申次を命じる」
「ハッ!ありがたき幸せ」
安土城の広間で諸将の居並ぶ中、一益は正式に東国の申次を命じられた。
申次とは外交の担当窓口のことだが、織田家において申次を務めるということはその家を攻めることになった場合は軍団長として任命されるという不文律があった。
事実、柴田勝家は上杉との申次を担当していたために北陸攻めの軍団長として軍団を任されているし、秀吉も西国攻めが始まる前は毛利との申次を務めていた。東国――即ち北条との申次を務めるということは、東国を攻める際の軍団は滝川一益に任されると言下に宣言したことになる。
―――ようやく
申次の任を掴み取ったという感慨が一益にはあった。
有岡城攻めの武功は抜群であったが、それでも待望の申次の任は中々与えられなかった。当初東国の申次は佐久間信盛が任じられていたためだ。
四国は明智光秀が長曾我部との申次を任されており、もはや軍団長は夢と消えるかと一時は覚悟もした。
だが、ここで一益に僥倖が起こった。
東国の申次に任じられていた佐久間信盛が信長の勘気を被って追放された為、思いがけず一益にその御鉢が回って来たのだ。
信長による佐久間信盛の追放は積年の鬱憤によるものだった。
元々佐久間信盛は信長が尾張統一戦を戦っていた頃からの筆頭家老であり、格で言えば柴田勝家よりも上だ。その為に畿内制圧軍の軍団長という重責を任された。
だが、その畿内制圧戦における佐久間の働きが信長には不満だった。
そもそも佐久間は本願寺に対しての工作が不足しており、本願寺が矢尽き刀折れて降伏を申し出るまでひたすらに包囲していただけだ。
実際には佐久間信盛とて各地の合戦に援軍を出し、また自らも本願寺を包囲しながら各地の合戦に従軍している。そして、一向衆は鉄の結束を誇っており、早々簡単に調略などが出来る相手ではなかった。
だが、信長はそれを佐久間の努力不足と見た。佐久間の工夫が足りなかったから畿内制圧に手間取ったのだと考えた。
悪いことに、佐久間は新たな知行を与えられても家臣を増強しようとせずに直轄領を増やすだけに終始していた。佐久間の立場からすれば、これ以上無用に兵を増やしても本願寺攻めに資することは無く、むしろ兵糧などの出費が増えるだけで軍団を強化することの利が無い。その為に兵糧や銭を蓄えて長期戦に備えていたのだが、信長はそんな佐久間の態度を自らの資産を増やそうとする態度だと受け取ってしまった。
一度そう思うと次々に疑わしいことが出て来る。信長も最初は佐久間の努力不足を指摘するだけのつもりだったのだろうが、意見書を書いているうちに次々と言いたいことが募り、それに応じてどんどん文面も檄してきて気が付けば十九条に渡る折檻状となってしまった。
家中では佐久間に同情する声も高かったが、一益は気の毒には思っても同情する気にはならなかった。一益が有岡城攻めで示したような武功が無かったのは事実だし、それに佐久間信盛が追放された為に一益にお鉢が回って来たことを思えば、一益としては僥倖と言う他無い。
―――悪く思うな
それが一益の本音だった。
「差し当って、北条と交渉して武田攻めの準備を進めておけ」
「承知いたしました」
長篠の戦いで敗れた武田勝頼は、この頃北条・上杉と和睦して体制の建て直しを図っていたが、上杉謙信の後継者争いに対して上杉景勝に味方したために北条とは手切れとなっていた。上杉家の家督を巡って上杉景勝と争った上杉景虎は北条氏政の弟であり、当然ながら北条家は上杉景虎を支援していた為だ。
武田と手切れとなった北条氏政は織田信長と同盟して武田との戦いを有利に進めようと画策し、それに対抗するように武田勝頼は佐竹義重を通じて織田信長との和睦を模索していた。
だが、畿内の制圧を完了した信長は次に甲州征伐を決意しており、今更武田と同盟しようという気は最初から無かった。
―――これも因縁だな
軍団長として最初の仕事は天下最強とまで謳われた武田家を滅ぼす戦いとなる。
長篠で鉄砲隊を率いて武田勝頼を打ち破った自分が、その武田家を滅ぼす先兵となると思うと、一益の胸にも感慨深さがあった。