第90話 出世競争
滝川一益は志摩の波切城近くの浜に立ち、海上にそびえる鉄の城を見上げていた。隣に立つのは九鬼嘉隆。織田水軍の棟梁として織田家の海洋政策を一手に引き受ける男だ。
二人の視線の先には完成したばかりの『鉄甲船』がその雄姿を誇っている。
「こうして見ると何とも雄大な姿だな」
「ああ。鉄を纏った船だ。掛かっている費えも雄大だぞ」
「ははは。いくら費えが掛かっても構わぬという上様直々のお下知だ。その代わり、今度こそ何があっても敗れる訳にはいかんぞ」
「無論だ。今度こそ村上水軍の焙烙を破ってくれる」
九鬼嘉隆は滝川一益が見出した男だった。
九鬼氏は元々志摩の国衆だったが、永禄の初め頃に周囲の国衆から攻められて本拠地を奪われるという事態に陥っていた。九鬼嘉隆と旧知の間柄であった滝川一益は信長に九鬼嘉隆を紹介し、以降九鬼嘉隆は織田信長に仕えて志摩の海賊衆を次々と打ち破って傘下に収めた。
その後、嘉隆は永禄五年の北畠侵攻において北畠側の大淀城を陥落させるなど活躍し、さらに伊勢長島一向一揆攻めにおいては滝川の鉄砲隊を船に乗せて洋上から長島砦を銃撃したりもしている。
伊勢と志摩という隣国を任されている縁もあり、滝川一益と九鬼嘉隆はお互いに旧友のような気安さを持っていた。
「あと何隻作れる?」
「土台となる船は十隻分出来上がっている。鉄の塊が海に浮くことは実証できたから、あとは鉄砲や焙烙への防御が充分ならばすぐにでも鉄の装甲を張る作業に移る」
「分かった。こちらも鉄砲隊を配置に着かせよう。それと、焙烙玉も用意させた」
「済まん。恩に着る」
九鬼嘉隆の合図と共に波切城から合図の旗が振られると、滝川鉄砲隊を乗せる為に十艘の船が志摩の海岸へと舳先を向ける。
船は小型の小早だったが、晴天に吹く潮風を満帆に受けた姿は素晴らしく絵になる。一益はこのまま船に乗ってどこか遠くへ行ってみたい衝動に駆られた。
今の滝川一益は遊軍として各地の合戦に出張している。どこか決まった受け持ちがあるという訳ではない。例えば、柴田勝家であれば北陸方面を切り取ることが役目であるし、佐久間信盛であれば摂津の本願寺を攻略して畿内を制圧するという明確な目標がある。
だが、この時期の滝川一益は文字通り合戦があれば信長の命令で前線に派遣される立場であり、与えられている領国は長島城周辺のままだ。
織田家の旗の元で戦うことが決して不本意なわけではないが、若き頃に京の戦場を離脱して堺までふらりと歩いた日々をつい思い出してしまう時がある。何物にも縛られず、心の赴くままに各地を歩いた日々だ。宮仕えから解放された気楽さから各地で酒や博打にうつつを抜かしたこともある。若気の至りと言えばそれまでだが、あれはあれで充実した楽しい日々だったと思う。
―――それもこれも
新参である羽柴秀吉や明智光秀らの台頭を面白く思わない気持ちが原因であることは分かっていた。
柴田や佐久間が軍団の統括を任されるのは分かる。織田家譜代の重臣であるし、自分が信長に仕えた時には既に信長の周囲を固める宿老として活躍していた。
だが、明智は織田家に仕えてからまだ五年ほどしか経っていない。羽柴に関しては元々小者として信長に仕えた者だ。それらの者に対し、自分の武功が劣っているとはとても思えない。
無論、一般的に見れば一益とて充分に信長から厚遇されている。譜代の家臣でもない新参の自分に対し、伊勢五郡を与えてくれているのだから他家では望めない破格の扱いと言っていい。
そんなことは分かっている。分かった上で、なお自分と対等に出世の階段を上っている二人を面白く思わない気持ちがある。長篠で鉄砲隊の総指揮を任された時は、自分こそが織田家の出世頭だと自負した物だが、気付けば後輩たちが自分の背中にピタリと追いついて来ている。
―――所詮は……
男の見苦しい嫉妬に過ぎない。それも自分で分かっていた。
海風を体に感じながら、一益は安土城で出会った蒲生賢秀の茫洋たる顔を思い出していた。信長から絶大な信頼を寄せられているとはいえ、賢秀は安土城の一留守居役に過ぎない。武功などあって無きが如しだし、何か手落ちがあれば叱責される。誰にでも務まる役目ではないが、それでも合戦で活躍することに比べれば地味な役柄だ。
しかし、賢秀にはそれに頓着したようなところが一切なかった。紀州征伐の帰りに安土城に寄った時も、一益を出迎える賢秀の顔には妬みや嫉みといった暗い感情は一切感じなかった。逆の立場であれば、自分にはあれほどの笑顔で賢秀を出迎える自信がない。感心するやら呆れるやら……。
とはいえ、出世競争という面では賢秀よりは勝っているという自信があった。
―――ま、蒲生には勝っているな
そう思って軽く口元に笑みを浮かべていると、隣の九鬼嘉隆が不審そうな顔で自分を見ていることに気が付いた。
「どうした?難しい顔をしていたかと思えば急にニヤニヤして」
「い、いや、何でもない」
「ふうん……」
九鬼嘉隆はなおも不審そうな顔を向けて来たが、まさか出世競争で蒲生に勝っているからニヤニヤしているとは言えない。
軽く笑って誤魔化している間に小早が岸に到着したことが告げられた。
「さて、耐久試験といこうか」
全てを誤魔化すように一益がスタスタと歩き出す。その後ろをなおも不審な顔をした九鬼嘉隆がついて来ていた。
天正四年(1576年)七月
一向一揆を石山本願寺まで後退させた織田信長は、引き続き木津川口を九鬼水軍に封鎖させて本願寺への補給を阻止する作戦に出た。伊勢長島の干殺しと同じ戦法を取った形だ。だが、毛利の擁する村上水軍が木津川口を包囲する九鬼水軍に襲い掛かった。
安宅船を主力とした九鬼水軍の重厚な陣立てを村上水軍は小早・関船と言った小型船の機動力で翻弄し、焙烙火矢を使った攻撃で九鬼水軍を徹底的に撃破した。
織田水軍の完膚なきまでの敗北だった。
この敗戦によって本願寺は毛利から補給を受けて勢力を建て直し、再び織田家に反抗する姿勢を鮮明にしている。
翌天正五年には本願寺に協力した雑賀衆を討つために信長自身が軍勢を率いて紀州征伐に出陣したが、ここでも雑賀を完全に制圧するには至らずに軍を退いていた。
天正五年の織田家は上杉・毛利も参加した信長包囲網を打破しようと各地に軍勢を送るが、そのどれもが充分な成果を上げたとは言えず、織田家としても停滞の時期だった。
そんな中、天正五年の閏七月には能登の長続連から織田信長に対し救援要請が入る。上杉謙信が能登に侵攻し、七尾城が落城の危機にあるという。
信長は北陸方面を統括する柴田勝家を総大将として七尾城の援軍を出発させた。軍団には滝川一益を始め、羽柴秀吉、丹羽長秀、前田利家、安藤守就などの各将を編成した。
※ ※ ※
「あの禿ネズミが!」
信長の手元にあった扇子がボキリという音を立ててへし折れる。
普段はそれほど怒りを露わにしない信長だったが、この時ばかりは感情のままに怒り狂っていた。
「上様、そう興奮されずに」
「やかましい! 余の下知も無く勝手に戦線を離れるとは言語道断だ!」
信長が折れた扇子を部屋の壁に投げつけると、派手な音がして扇子が床に落ちた。
賢秀はこういう時の対処法を心得ていたいたので敢えて何もせずにそのままにしていたが、新参の小姓が落ちた扇子を片付けようとして拾い上げ、”誰の許しを得て拾っている”と八つ当たりを受けている。
―――やれやれ
こういう時の信長に対しては、嵐が過ぎゆくのをやり過ごすように一時の怒りの発散をただじっと耐えれば良い。下手に何かをしようものなら無駄な八つ当たりを食らうことになる。
今はただただ信長の怒りが収まるのを待つしかないのだ。
やがて怒り飽きた信長がドカッと上座に座りなおすと、乱暴に白湯の椀を取り上げてグイッと口に含む。怒りを発散して白湯を口にしたことでようやく冷静さが戻って来たようだ。
元来信長はそれほど恐ろしい人間ではない。一時の感情で怒りもするが、本来的には家臣に優しい男だ。その信長がこれほどに怒っているのには訳があった。
七尾城を救援すべく出陣した織田軍だったが、柴田勝家と羽柴秀吉が作戦の方針を巡ってケンカしてしまった。軍議の席上で取っ組み合いになるほどの激しいケンカだったという。
秀吉の進言する作戦を頑として聞き入れようとしない勝家に対し、秀吉も怒り心頭に達して信長の許しも得ずに勝手に陣を払って長浜へ戻ってしまった。
それが信長が怒っている原因だ。
織田家においては軍令違反は重い罰則を与えられる。まして勝手に戦を止めて帰ったとなると、これは謀叛を企んでいると取られても仕方のない事態だ。悪いことに直後の上杉謙信との合戦で柴田勝家の軍勢は大敗を喫し、尻尾を巻いて逃げ戻っている。秀吉の軍勢が抜けたから負けたのだという名分を与えてしまった格好だ。
「ともあれ、羽柴殿は先ごろ長浜城に到着し、現在は上様のお沙汰を待っておるとのことです」
「腹を切るくらいなら余と一戦するとでも申しておるのか」
「いいえ、日夜酒宴に明け暮れ、陽気に過ごされているとか」
「何?」
今度は信長が一瞬呆けた顔になり、次いで思わず苦笑してしまった。
冗談交じりに言っていたが、普通なら腹を切れと言うほどの重罪だ。どうせ死ぬるのならば敵わぬまでも信長と一戦して散ろうと考えたとしても不思議ではない。
だが、当の本人は毎日毎日酒宴を開いてどんちゃん騒ぎをしているという。その様子からは一戦して腹を切るという悲壮感は一切無いものと思える。そして秀吉がまさにそう言いたいのだということも信長は敏感に察した。
『織田家を裏切るつもりは毛頭ない。だが柴田の下知では戦えぬ。だから配置を変えてくれ』
秀吉はそう言いたいのだ。
「笑ってしまっては、上様の負けでございますな」
「ふん。あの禿ネズミめ」
途端に機嫌を直した信長を見て、賢秀も思わずニコリと笑った。
―――まるで聞かん坊のようだな
それが賢秀の観た信長という人物だった。
信長は幼い頃から実母に裏切られ、弟に裏切られ、家臣に裏切られて生きていた。それが為に裏切られることに一種諦めのような気持ちがある。
今回の秀吉の戦線離脱を聞いた時、真っ先に思ったことは『お前も裏切るのか』ということだっただろう。だからこそ怒りを露わにしたし、だからこそ裏切るつもりが無いと分かれば途端に機嫌が直った。
定秀から聞くところでは六角定頼も子供っぽいところがあったそうだが、信長も充分に子供っぽい所が見える。まるで世の母親のように、自分を絶対に裏切らない存在を求めて続けているのが信長という男なのだろう。
その後、上杉謙信に呼応して大和の松永久秀が信長に反旗を翻したと報せがあり、秀吉は信長の嫡男信忠の旗下として畿内制圧軍の一翼に加えられた。