第73話 金ヶ崎の戦い
主要登場人物別名
左兵衛大夫… 蒲生賢秀 蒲生家当主 織田家臣
忠三郎… 蒲生賦秀 賢秀の嫡男 織田信長の婿になる
下野守… 蒲生定秀 賢秀の父 蒲生家前当主
弾正忠… 織田信長 織田家当主
修理亮… 柴田勝家 織田家の家老
備前守… 浅井長政 浅井家当主 信長の義弟
佐助… 三雲賢春 三雲賢持の長男
敦賀の地に陣太鼓が鳴り響き、兵たちの鬨の声が響く。
出陣中に改元があり、永禄十三年から元亀元年となったこの年の四月。賢秀は信長に従って越前攻めに出陣していた。目的は越前の朝倉を降すことだ。
蒲生家は織田家の家老柴田勝家の寄騎として配下に付けられていたが、柴田は先陣を蒲生に任せずに後詰の位置に置いている。今まで数多の戦で『六角の盾』として先陣を務めて来た蒲生にしてみれば、味方の後ろで戦を見るというのが妙に居心地の悪い物に思えた。
「慣れねばいかんのだが、なかなか慣れんものだな」
「以前は我らがあの位置でしたからな」
隣に控える家臣の種村伝左衛門も手筒山城を見上げながら頷く。
敦賀の金ヶ崎城を攻めるにあたり、信長はまず支城の手筒山城攻略に掛かっていた。手筒山は敦賀の平野部から木ノ芽峠に差し掛かる場所に位置する山城で、平地側からは険峻な山を攻め上らねばならず、非常な難儀が予想される。
実際、今も目の前で味方の部隊が続々と山を登っては、高所から矢弾や投石に射すくめられて攻めあぐねるということを繰り返している。
無論、賢秀には信長や勝家の下知を無視して勝手に前線に出るつもりはない。
織田家は急激に膨張したために各軍の意識統一がまだ十分ではない。ある家臣の軍では槍隊・騎馬隊・弓隊などの役割と指揮系統が明確化しているかと思えば、ある家臣の軍では一人の大将が長柄も騎馬も弓もすべての者を指揮するといったことが起こっている。その為、兵たちの意識も同じ軍とは思えないほどバラバラになっている。
信長はこの状態を是正するため、特に軍法を定めて陣中掟を厳しく守らせた。
軍法の中には『指揮官以外は私語をするな』といったマナーのようなものから、『大将の下知には何があっても従え』といった心構えに関するものもある。逆に言えば、わざわざ陣中掟で禁じなければならないほど私語や軍令違反が多かったということでもあるだろう。
賢秀にも信長の定めた軍法を破って咎めを受けるような馬鹿な真似をするつもりはない。だが、前線で味方が血を流しているのをただ見つめているだけというのはどうにも落ち着かなかった。
隣では息子の賦秀が、こちらもそわそわと落ち着かない様子で槍を握ったり放したりしている。
「忠三郎、少し落ち着け」
「は、はい!」
声を掛けられて賦秀の声が思わず裏返る。だが、すぐに再びそわそわと落ち着きを失くす息子に、賢秀は苦笑した。
思えば伊勢の大河内城を攻めた時は、初陣とは言えまともに戦をする機会は無かった。賦秀にとっては、己の命を懸けて敵と競り合う合戦は今回が初めてなのだ。緊張するなと言う方が無茶かもしれない。
―――儂も柄にもなく緊張していたのか
少し笑ったことで賢秀自身も体が軽くなったように感じる。それだけ、慣れない位置での合戦に緊張していたことに今更ながらに気付いた。
―――これでは忠三郎を笑えんな
自嘲気味に笑いながら、改めて賢秀も槍を握りなおす。父定秀が使っていた赤樫の大槍ほど太くはないが、その代わり穂先の根本から刃が三叉に分かれている。いわゆる十文字槍だ。
大身槍の重量を活かして叩きつけるような打撃を繰り出す定秀と違い、賢秀は十字槍による刺突や左右の鎌刃に敵を引っかけて引き倒すといった戦い方を得意としていた。
「忠三郎。敵と行き会った際には……」
「伝令ー!」
賢秀が何か言いかけた言葉を遮るように、柴田勝家からの使番が賢秀の前に駆け込んできた。
「申し上げます!」
「うむ!」
「寄せ手を入れ替えて一気呵成に手筒山城を攻めよとの御屋形様のお下知にございます!修理亮様より蒲生様にも出陣せよとの由」
「相分かった!只今より前線へと陣を進める!戻って修理亮様にそう申し伝えよ!」
「ハッ!」
使番が柴田陣へ駆け戻っていくのを見送った後、賢秀は再び手筒山城を見上げた。信長の言う通り、寄せ手の兵達に疲れが見える。それを受けて、柴田勝家だけでなく木下秀吉、池田恒興の陣からも続々と新手が手筒山に攻め上っている。
「忠三郎!儂から離れるな! 続け!」
「は、はい!」
賢秀の一声で蒲生勢一千が手筒山城に攻めかかった。空は青く晴れ渡っていたが、鉄砲の出す黒煙と軍勢の巻き上げる土煙がもうもうと空へ立ち込めていた。
※ ※ ※
「浅井が裏切っただと!?」
「ハッ! 御屋形様はすでに陣を払い、京に向かって戻っておられるとの由」
「浅井が……」
金ヶ崎城を攻略した織田軍に衝撃が走った。
北近江を領する信長の義弟、浅井長政が信長を裏切って攻めかかって来たという。このままでは織田軍は敦賀で包囲殲滅される恐れがあった。
信長は木下秀吉や明智光秀、池田勝正などを殿に残し、既に金ヶ崎城から京へ向かって進発したという。
賢秀も陣中で柴田勝家からの報せを受け、すぐさま撤退を始めた。
「父上、戦はまだ……」
「馬鹿者!今はそれどころではない! 御屋形様も既に撤退なされている」
賦秀の言葉に思わず賢秀の口調もきつくなる。賦秀は賢秀と共に敵方に当たり、兜首を三つ取る武功を挙げていた。と言っても、賢秀が十文字槍で引き倒した相手の止めを刺しただけに過ぎないが、それでも自分で相手の首を取って挙げた堂々たる武功だった。
岳父の信長からもその功を褒められ、賦秀はようやく戦に慣れ始めたところだった。それだけにまだ戦いたいという気持ちがあったのかもしれない。
「すぐに準備を始めよ。我らも即座に日野に戻る」
「ハッ!」
撤退途中で朽木谷を通過した折、朽木元綱が道案内に立って若狭街道へと誘導してくれた。
祖父の稙綱存命中は足利将軍を匿うなどの功を挙げた元綱だったが、四年前の永禄九年には浅井から高島郡を攻められて存亡の危機に立たされていた。その際は母親を人質に出して所領を安堵され、永禄十一年には改めて浅井長政と起請文を交わし、今は浅井に属する外様家臣の一人に収まっている。
当初は浅井の動きに合わせて撤退中の信長を討つべく軍を構えていたが、信長の撤退を助ける松永久秀の説得によって信長に協力することを決め、今も織田軍の撤退を援助していた。
「朽木殿、かたじけない」
道案内に馬を並べて来た朽木元綱に賢秀は轡を外して頭を下げた。
以前に足利義輝を朽木谷に送り届けた時はまだ生まれたばかりで顔を見ることも無かったが、今目の前に居る元綱は二十二歳の立派な青年武将だ。
若くして戦国の有為転変を切り抜けて来た元綱は、賢秀に対しても丁寧な態度を崩さなかった。朽木家は本来ならば佐々木庶流として蒲生よりも上位に位置する家格だが、乱世の中では家の格など何の意味も無いということをこの二十年で嫌と言うほど学んだのだろう。
「蒲生殿もご無事でなにより。お父上はつつがなくお過ごしですか?」
「今はすっかり年寄って日がな一日将棋を指しております」
「ふふ。うらやましい。某も早く隠居して日がな一日将棋を指して過ごしたいものですな」
「まだまだ、これから存分に御働きにならねばなりますまい」
―――朽木殿か。なかなか良い武士になられた
緊急の脱出行の途上でなければゆっくりと語り合いたいと思った。賢秀にとっても定頼死後の近江は随分と様変わりしてしまったという感慨がある。それに、共に近江の名門武家として長くここまで生き残って来たという仲間意識のようなものもある。
だが、今はそれどころではなかった。
「道案内かたじけない。この礼は改めて」
「お気遣いはご無用に。では、某は後続を案内に戻ります。御免」
朽木谷の端まで来ると、そう言って元綱は踵を返して戻っていった。
若狭街道を堅田まで下った賢秀は、京へは入らずにそのまま日野に戻った。いずれは信長も岐阜に戻って態勢を立て直すことになるだろう。その為に、日野周辺を安定させておかなければならない。
賢秀はどこまでも信長に従うと決めていた。
※ ※ ※
賢秀が朽木谷を経由して日野へ撤退している最中、日野中野城の蒲生定秀の元には三雲賢持の嫡男、三雲賢春が訪ねて来ていた。
「下野守殿、浅井の功によって織田弾正忠は今や窮地に立たされております。御屋形様もご隠居様もこの好機をとらえて近江を奪還すべく兵を集めて居り申す。
蒲生殿にもぜひご協力頂きたい」
「残念ながら、今の蒲生の当主は倅にござる。某は今やただの隠居。兵を動かすことも出来申さぬ」
賢春は俯いて一つ息を吐いた後、改めて顔を上げると定秀の目を見据えた。いかに隠居の身とは言え、長く蒲生家を率いてきた定秀ならば蒲生家を動かせぬはずはない。
「既に心は六角と共にはあらず。そういうことですか?」
「……いかように受け取られても申し開きは致さぬ。されど、これだけは御屋形様とご隠居様にお伝え願いたい」
「……どのようなことを?」
「くれぐれも、御身お大切になされなせ、と」
賢春も思わず失笑してしまった。六角の御身が大事ならば欣然と協力を申し出るのが筋だろう。それだけの恩義を被ってもいるはずだ。
しかし、兵は出さぬのに忠節がましいことを言うのはいかにも日和った軟弱者の言葉に聞こえた。
「それほどまでに六角が大事と思し召しならば、何故蒲生は六角の元に馳せ参じませぬ」
「……今起ったとして、何になりましょう」
「どういう意味です?」
定秀がつと視線を外に向ける。庭先からは日野の町の賑わいに加え、田植えを終えたばかりの田が空の青を映して輝いている。
「六角が観音寺城に戻り、再び近江を回復する。その為には家臣団が欠かせぬ。しかし、以前六角家を支えた家臣団は今や織田家の寄騎として編成されておる。今更六角家が復帰したからと言って、昔のように一致団結などは夢にござろう。
せいぜい、七年前に戻るだけにござる」
賢春の顔も少し苦みを帯びて来る。観音寺騒動から七年。既に六角旧家臣団は織田家の寄騎衆としてそれぞれに領地を安堵されている。以前よりも領地を減らされた者も居るが、その所領に応じて兵数なども規定され、以前のように軍事費の増大に悩まされる者は居なくなっている。
そこに六角が復活して織田と戦うことになれば、再び身の丈を超えた軍勢を用意する必要に迫られる。今や六角家は南近江国人衆にとってようやく安定し始めた生活を脅かす存在になりつつあるのが現実だ。
そこを押して六角が戻ったとしても、今度は家臣団同士で所領の奪い合いが再燃するのは火を見るよりも明らかだ。支出を削る方法が無いとすれば、何としても収入を増やすしかない。北近江の浅井が味方になるとはいえ、それで国人衆の収入が増えるわけでもない。
要するに、今の南近江国人衆は限られた収入の中で無理のない支出をする生活こそが大切なのだ。
「しかし、浅井も合力して……」
「浅井備前守も己の意志で織田を裏切ったわけではない」
「……どういうことです?」
「浅井は所詮、江雲寺殿には成れません。北近江国人衆は己の利益の為に織田を切り捨てただけにございましょう。浅井備前守は家臣達に無理やり裏切らされただけと見るべきです」
それが定秀の見るところだった。
浅井長政はどこまで行っても国人衆の旗頭であり、六角定頼のように北近江の支配者にはなれなかった。
浅井長政が織田信長を裏切ったのも、北近江国人衆に押し切られたに過ぎない。
元来北近江は敦賀からの荷を京に回すことで成り立つ経済だ。その経済構造を転換しようと六角義賢は浅井長政を北近江に送り込んだが、結局は長政も経済構造の転換に失敗して国人衆に担がれる存在に変わっている。
織田と浅井の同盟が実現したのも、織田が美濃を抑えれば岐阜からの物流を扱う選択肢が増えることが北近江の利益になるからこそ歓迎されたのだ。
しかし、織田が敦賀を抑えてしまえば事情は変わる。北近江の物流網はその源流を完全に織田家に抑えられてしまうことになる。織田家が敦賀と岐阜からの荷を止めれば、北近江はたちまち干上がってしまうことになるだろう。
浅井が六角に反抗したのも、元はと言えば琵琶湖の物流を封じて経済的に六角家に従属させようとしたことが根底にある。織田の越前攻めは、北近江の経済的自立を根底から骨抜きにする効果をも孕んでいた。
いわば対等の同盟だと思っていたものが、気が付けば従属せざるを得ない状況に追い込まれることになる。古くから近江の支配者であった佐々木氏の嫡流である六角家にすら刃向かった北近江国人衆が、他国者である織田信長のこの行動を容認できるはずはなかった。
「では、下野守様はどうされるおつもりですか?」
「申し上げた通りにござる。御身をお守りし、御命を永らえて頂くことだけが某の願い。くれぐれも、短慮に起たれることの無いよう佐助殿から申し上げて頂きたい」
かたくなに兵を出そうとしない定秀に対し、賢春はこれ以上の問答は無用として中野城を辞した。
定秀はもう一度中野城の城下に目を向ける。皮肉なことだが、状況は蒲生とて同じだった。
織田が伊勢を抑えたことで南近江経済の中核であった伊勢との通商は既に握られている。六角が再び以前の繁栄を取り戻すには、観音寺城だけでは駄目だ。北伊勢を奪還し、太平洋側の通商路を確保しなければならない。
しかし、それが今の六角家にとっては果てしなく困難な道であることは自明の理だ。
―――せめて、弾正忠が死ねばまだわからんかったがな
信長が生きている限りは伊勢の奪還は覚束ない。浅井が背くなら、長政自ら出陣して何としても敦賀で信長を討ち取ってしまわねばならなかったのだ。しかし、肝心の浅井長政は小谷城でのんびりと情勢を見守っている。
定秀には空前の好機をみすみす逃した長政が、織田に勝てるとはとても思えなかった。