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鶴が舞う ―蒲生三代記―  作者: 藤瀬慶久
第五章 蒲生定秀編 観音寺騒動
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第65話 怒れる対い鶴

主要登場人物別名


下野守… 蒲生定秀 六角家臣 蒲生家当主

三河守・左近… 小倉実隆 小倉宗家当主 蒲生定秀の三男


右近大夫… 小倉賢治 小倉西家当主 六角家に反旗を翻す

儀大夫… 滝川益氏 滝川家臣 滝川一益の従弟


佐助… 三雲賢春 六角家臣 三雲賢持の嫡男


 

 甲賀衆の小頭を務める仁助は、従っていた馬上の小倉実隆が銃撃を受けて吹き飛ばされたことを目の当たりにして咄嗟に実隆の元に走り寄った。


「三河守殿!ご無事か!」

「う……うう」


 ―――今すぐに息絶えるほどではない


 仁助はすぐに配下の甲賀衆に撤退を伝えると、自身は小倉実隆を背に担いで小倉宗家の本陣へと撤退を始めた。

 敵方の足軽や物頭が手柄首を求めて周囲に集まりつつあったが、四十名の甲賀衆はひとかたまりになって一方を突破し、寺倉吉六が指揮する本陣内へと駆け込んだ。


「と、殿!仁助殿、これは……」

「鉄砲に当たり申した。まだ息はあります」


 本陣の後方に運び込まれた実隆は、苦しそうに呻いているがまだ意識ははっきりしていた。


「吉六。儂のことなら大事ない。それよりも右近大夫を……」

「しかし、殿がこのような有様ではこれ以上の戦は」

「父上と約したのだ。必ずや右近大夫を六角に従わせると。今ここで儂が負ければ、次は蒲生の日野が右近大夫に狙われる。例え命に代えても退くわけにはいかん」


 自分の身よりも戦の勝敗を心配する実隆に対し、吉六は一瞬の逡巡の後に仁助に向き直った。


「殿を長寸城へとお願い申す。某はここで小倉右近大夫を食い止めます」

「承知した!」


 即座に判断を受け入れた仁助は、配下の者三十名を吉六に預けて小倉実隆を担いで後方に撤退を始めた。もともと仁助は甲賀の山中で育った生え抜きの甲賀衆で、平野にあっては誰よりも早く駆け、山中にあっては木々の間を飛び移る猿飛の技を得意としている。

 大柄な体に似合わぬ俊敏さこそが仁助の持ち味だった。



 長寸城へと運びこまれた実隆は、その場で金創医による手当を受けた。悪いことに腹に当たった弾はそのまま腹の中に留まり、傷口からは未だ血が流れ出ている。一刻の猶予も無かった。

 実隆を金創医に引き渡した仁助は、甲賀衆の監督役として長寸城に出張っていた三雲賢春の元へと急いだ。


「仁助。戦はどうなった」

「まだわかりません。三河守様の両家老は戦場に留まり、小倉右近大夫を抑え込もうとしておられます。三河守様は鉄砲に当たられた為に某が担いでこちらまで戻りました」

「ふむ……」


 まだ十三歳の少年である三雲賢春はどうすればいいかと聞きたそうな顔を仁助に向けてくる。仁助は賢春の祖父である定持の頃から三雲家の小頭として働いていた歴戦の者で、幼き頃の賢春に猿飛の技を教えた師匠でもあった。


「佐助様。ここはお父上に経過を報告されるべきです。蒲生下野守様も御子息の事ゆえ気にかけられましょう。戦の趨勢はともかく、三河守様が深手を負ったというご一報はされるべきかと」

「わかった。仁助はこのまま三雲城へと走ってくれるか」

「承知しました」


 三雲賢春の指示を受け、仁助は長寸城を後にした。




 ※   ※   ※




 ―――当たったのは腹か……


 若い頃の名を久助と言った滝川一益は、天文十九年の中尾城の戦いの後に鉄砲一丁を手土産に戦線から離れ、河内の鉄砲放ちに色々と鉄砲の技を教わった後、尾張に流れて織田信長に仕官していた。

 一益は中尾城や河内で学んだ鉄砲の技を元に鉄砲隊の運用を信長に具申し、信長もそれを容れて本格的な鉄砲隊の運用を始めていた。


 手元にある鉄砲はまだ微かに煙をたなびかせているが、一益は特に気にした様子もなく今撃った弾の行方を見据えている。視線の先では敵方の小倉実隆が銃弾を受けて落馬し、周囲の足軽が騒然となっているところだ。


「お見事でございます」

「儀大夫。当たったのは腹だ。あれでは死なんかもしれん」

「左様ですか」


 滝川一益は織田信長から小倉賢治に貸し与えられた鉄砲兵五十を率いる役目を与えられている。

 北伊勢から南近江に通じる八風街道が小倉賢治の勢力下になれば、織田としても尾張から北伊勢を通じて南近江に進軍することが可能になる。織田の同盟相手である浅井が六角家と敵対しているならば、なおさら小倉賢治を没落させるわけにはいかなかった。


 だが、織田信長としても表立って小倉賢治に援軍を送ることは難しい。そうなれば、織田と六角の外交問題に発展する。それだけでなく、六角との交渉がこじれれば浅井や斎藤、さらには朝倉や三好にまで話が拡大する恐れもある。尾張を統一した信長としても小倉家の内紛に迂闊に介入することは出来なかった。

 そのため、選りすぐりの鉄砲兵五十を密かに援軍として小倉賢治の元に送り込むこととした。


 ―――これで小倉宗家は勢いを失うだろう


 一益は元々六角一門衆の大原家に仕えていた関係で南近江の情勢に明るい。そもそも小倉賢治が信長と交友を持ったのは一益の働きによるところが大きかった。一益は六角定頼の事績を逆用し、北伊勢を抑えることで南近江を扼することが出来ると信長に進言している。


 ―――問題はやはり蒲生だ。


 千草氏と小倉氏を抑え、伊勢から近江に続く街道の終点を抑える日野蒲生家はやはり厄介な存在だ。蒲生家さえ取り込めれば、六角の喉元に短刀を突き付けた形勢を作れる。だが、その蒲生家の当主は六角家の忠臣として今回の観音寺騒動の収拾に尽力していると聞く。

 今回の小倉賢治への援軍には蒲生家の勢力を少しでも削いでおこうという狙いもあった。


 やがて鉄砲に撃たれた若武者が周囲の足軽に守られながら撤退すると、変わって小倉実隆の本軍が大きく前線を押し上げてくる。

 元々先ほどの若武者の活躍で小倉西家の前線も乱れており、いち早く前線を立て直した小倉宗家は槍戦を有利に展開し始めていた。


「儀大夫。小倉右近殿に伝令を出せ」

「退きまするか?」

「うむ。これから先は乱戦になろう。貴重な鉄砲兵を他所の戦で死なせるわけにはいかん」

「ハッ!」


 益氏が伝令に指示を出していると、突然東側から大きな喚声が上がる。何事かと目を細めて見ると、阿南川を迂回して長寸城へ進軍しようとしていた小倉次兵衛隊の旗が和南山で大きく揺れているのが見える。


「どうやら小倉宗家も和南山から攻め上っていたようだな。さすがは蒲生の倅、やることにソツがない」


 その実隆を狙撃したのが一益だったが、当の一益はまさか最前線で槍を振るう若武者が敵の総大将であるとは夢にも思っていない。

 そうと知っていれば小倉賢治に総攻撃を掛けさせていただろう。だが、肝心の小倉実隆の具足や兜の特徴を一益は知らなかった。


「殿、撤退の準備が整いましたが……山上城に我らも加勢致しますか?」


 和南山の戦況は旗指物の動きを見るに明らかに分が悪い。このままでは小倉賢治は山上城まで押し込まれ、小倉実隆によって包囲されるだろう。籠城戦となれば鉄砲隊は無類の強さを発揮する。


「……いや、やめておこう。仮に籠城が長引けば織田家が関与していることが明るみにならんとも限らん。我らはこのまま蟹江城に戻るぞ」

「ハッ!」


 滝川益氏が撤退の指示を出す中、一益は長寸山城を仰ぎ見た。

 長寸山の向こうには小倉宗家の佐久良城があり、さらにその向こうには蒲生の日野中野城がある。六角の主力として堂々たる先陣を務めていた蒲生は、長く六角の陪臣として日の目を見なかった滝川氏にとってははるか格上の存在だった。

 だが、一益は自らを見出し、武功を立てる機会をくれる主君を得た。はるか上空を飛んでいると思っていた鶴は、気が付けば手が届く場所に立っている。戦国の世の奇妙な縁という物を感ぜずにはいられなかった。


 その一益にしても、後年その蒲生家との因縁を背負い込むことになろうとは知る由も無かった。




 ※   ※   ※




「左近が……死んだ?」


 三雲賢春に戦の状況を知らされた定秀は、衝撃のあまり声が出なかった。先日の戦では小倉宗家が優勢に戦を展開したが、山上城の小倉賢治を攻め切ることなく兵を退いた。小倉賢治は腹いせとばかりに永安寺・興源寺・退蔵寺の三カ寺に火を放っている。


 定秀も実隆らしくない中途半端な対応だといぶかっていたが、当の実隆は当日に受けた鉄砲傷により手当の甲斐もなくそのまま亡くなったとのことだった。


「下野守様、心中御察し申します」

「佐助殿。それは真のことですか?倅は……倅はそんなにもあっけなく……」

「あっけなくはございません。開戦当初は敵の鉄砲に前線を崩され、苦戦していたそうにございます。そこを機転によって建て直し、戦を勝利に導いたのは紛れもなく三河守殿のご采配であったと仁助は申しておりました」


 定秀は思わず袴の腿の部分を鷲掴みにした。

 三雲賢春は息子を敗勢を建て直した若獅子だったと褒め称えてくれるが、父としては例え負けても無事に帰って来てほしいという気持ちがある。


 定秀にもその覚悟が無かったわけではない。もともと小倉家へ養子に出すにあたり、こういった事態もあり得ると思ってはいた。だが、現実に実隆が討ち死にしたと聞かされれば、やはり定秀の心には強い衝撃があった。


「お心遣い、痛み入ります」


 何よりも真っ先に報せてくれた三雲賢春に頭を下げながら、定秀は心中深く覚悟を固めた。


 ―――息子の仇を討つ


 今はまだ定秀は動けない。観音寺騒動によって去って行った六角家臣も次々に観音寺城に戻り、焼けた屋敷の再建に掛かっている。今この時に何か火種が起きれば再び六角家は空中分解してしまうことになる。定秀が観音寺城を離れるわけにはいかなかった。



 だが、それもいつまでも堪えられる物ではない。年が明けても定秀は辛抱強く六角家中の周旋を続けたが、その間にも小倉賢治は永源寺・含空院・曹源寺などに次々と放火し、六角家の安堵した寺領を次々に横領していく。

 佐久良城の小倉宗家は再び小倉家中から養子を迎えて再建に掛かっていたが、すでに小倉宗家は蒲生家の庇護が無ければ存続が難しい状態にまで追い詰められていた。

 嫡男の賢秀はたびたび中野城から佐久良城への援軍に向かうが、蒲生が出てくると小倉賢治は兵を退き、蒲生が中野城に戻ると再び永源寺領に狼藉を繰り返すという小賢しさを見せている。



 永禄八年(1565年) 五月

 業を煮やした定秀は、六角家中の調整役を三雲賢持に依頼し、自身は二千の軍勢を率いて日野中野城を出陣、実隆が討ち死にした市原野に再び陣を構えた。今回の戦陣は定秀を総大将とし、賢秀や次男の青地茂綱も参陣して蒲生家の総力を結集している。

 定秀は度重なる狼藉を重ねる小倉賢治を討ち取り、今度こそ小倉西家を殲滅する腹を決めていた。


 京への出陣を最後に二度と戦陣に立つまいと決めていた定秀だったが、その禁を破るほどに小倉賢治に対して怒り心頭に達していた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 小倉家の内訌に織田家の介入があったというのは面白いですね。
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