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鶴が舞う ―蒲生三代記―  作者: 藤瀬慶久
第四章 蒲生定秀編 三好長慶の乱
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第42話 晴元の焦り

主要登場人物別名


少弼… 六角定頼 六角家当主 弾正少弼

新助… 進藤貞治 六角家臣


右京大夫… 細川晴元 管領 細川京兆家当主

右馬頭… 細川元常 細川和泉上家当主 和泉半国守護


宗三… 三好政長 細川家臣 阿波三好家傍流

右衛門大輔… 三好政勝 三好政長の嫡男


菊幢丸… 足利義輝 足利義晴の嫡男


 

 天文十三年(1544)年二月


 細川晴元は三好長慶と共に摂津榎並城を訪れていた。

 堺を追われた細川氏綱は和泉山間部に逃れてゲリラ戦を展開し、それに連動するように各地で反晴元を掲げる旧高国派の残党が挙兵している。

 いずれも小規模な叛乱ばかりですぐに鎮圧しているとはいえ、摂津・河内の情勢は不安定さを増していた。


 ここに至り、細川晴元は長年の懸案である三好長慶と三好政長の間を調停し、自らの陣営の結束を喧伝しようとしていた。



 ―――馬鹿々々しい限りだな


 長慶は内心を押し隠して上機嫌を装って酒を飲んでいた。既に主君晴元はすっかり酔いも回っているようで、しきりに政長と言葉を交わしては声を上げて笑っている。

 主君からの誘いだから断るわけにもいかなかったが、正直酒を飲んでも旨いと感じられる気分ではない。

 長慶がちびちびと杯を舐めながら愛想笑いをしていると、おもむろに上座の晴元が杯を置いて声を張った。


「宗三。わしから一つお主に提案がある」


 いやに重々しい言葉に長慶も杯を口元に運ぶ手を止めて晴元に顔を向けた。


「お主も間もなく四十になろう。そろそろ息子の右衛門大輔に家督を譲ってはどうだ?」


 しばし広間に沈黙が落ちる。

 長慶も思わず杯を下ろして事の成り行きを見守った。

 やがて三好政長も杯を置くと、上座に向かって両拳を突いて頭を下げる。


「他ならぬ右京大夫様のお勧めとあらば、仰るように致しましょう。某は退き、家督を息子に譲りまする」


 ―――ほう。てっきり固辞すると思ったが……


 長慶には政長の返答が意外だった。今や細川晴元の重臣として権勢をほしいままにしていると言っていい三好政長が、こうもあっさりと隠居を受け入れるとは思っていなかった。

 意外に思ったのは長慶だけではなく、居並ぶ群臣もどこか呆けたような顔で二人のやり取りを見守っている。


「うむ。そろそろ若い者達に道を譲る時が来たということだ」


 細川晴元が再び上機嫌な顔で杯をあおる。

 ぬか喜びはするまいと思いつつも、長慶の内心にも期待があった。


 ―――これを機に、河内十七箇所の一部でも返還されるかもしれない


 今は三好政長が当主であるために河内十七箇所は全て政長の知行となっている。

 しかし、そもそもの目的は陣営の結束を固めるための酒宴だ。

 その席で『若者に道を譲れ』と言ったということは、若い自分の力を必要とし始めているということかと思わずにはいられない。

 長い冬がようやく終わるかもしれないという予感に、長慶の心にも浮き立つものがあった。




 ※   ※   ※




「孫とはやはり可愛いものだな」


 定頼は上機嫌で産まれたばかりの亀寿丸を愛でていた。


 昨年の病からも回復して今は政務に復帰しているが、大事を取って上洛などは出来るだけ慎み、近江国内の文書発給などに専念していた。

 ”年をお考えなされ”という進藤からの遠慮のない進言もあり、病で少々気持ちが弱ったこともあって定頼も対外的には大人しく過ごしていた。

 今は半年前に産まれた初孫の顔を見るのが日課になっている。


「御父上様。そろそろ乳母が参ります故……」

「うむ。また明日も会いに参るが、良いかな?」

「喜んでお待ちしております」


 義賢の妻の(はる)は嫌な顔一つせずに頭を下げる。

 義賢は畠山義総の娘の椿を妻としていたが、嫁いで来てすぐに亡くなってしまったために椿の妹の春を継室として娶っていた。

 この年に産まれた定頼の初孫が、後に戦国大名としての六角家最後の当主となる六角義治である。



 一刻後


 観音寺城を下って城下の隠居邸に引っ込んだ定頼の元へ進藤貞治と蒲生定秀が訪ねていた。


「新助。何か厄介事か?」

「ハッ。実は公方様がまたわがままを申されていると……」


 定頼は眉間に指を当てた。

 細川晴元も大概だったが、足利義晴にも随分振り回されている。


「今度は何を言い出した?」

「右京大夫様を廃し、右馬頭殿を管領に迎えると……」


 定頼がため息を吐く。

 元々足利義晴と細川晴元は決して仲が良くは無い。足利義晴も細川晴元に負けず劣らず奇行が目立ち、七年前には産まれたばかりの菊幢丸に将軍位を譲ると言い出したりもしている。

 その時は将軍側衆の必死の説得で譲位を引っ込めたが、産まれたばかりの赤子を将軍にするというのはいかにも常軌を逸している。


「一体何が気に食わんのだ」

「摂津や河内の騒乱をいつまでも抑えきれず、京を留守にしてばかりの右京大夫様に愛想を尽かしたと」


 進藤貞治がじっと定頼の目を見つめる。


「……わしが行かねばならんか?」

「今回ばかりは……」


 進藤の顔にも深い皺がある。できれば定頼に上洛などはさせたくない。

 だが、義晴が一度言い出したら中々聞き分けないことも承知している。

 唯一定頼の言うことにだけは義晴も大人しく従うことが多かった。こればかりは義賢にも任せることが出来ない。


「やむを得ん。では、上洛の支度を整えよ」

「ハッ!」




 ※   ※   ※




 天文十三年(1544年)七月

 上洛した定頼は婿の細川晴元を伴って義晴の座す室町第に伺候していた。


「少弼。此度右京大夫を伴って来たというのはどういう訳だ?」


 上座の義晴が直言する。儀礼として貴人は直接言葉をかけず、御側の者が代わりに発言をするのが通常ではあったが、義晴をそれを無視して直接定頼に話しかけた。


「公方様におかれてはこちらの右京大夫様を廃するご意向をお持ちとのこと。一体いかなる理由(わけ)かと慌てて近江より参った次第でございます」


 定頼の後ろには厳しい顔をした―――というよりも拗ねた顔の晴元が座っている。

 義晴の目線は定頼の後ろに注がれていたが、そのうちに義晴の顔が歪んでいく。


「フン。管領の職にありながら、京を離れて摂津の居城に戻ったっきりの者など管領に相応しからずと言っただけだ。

 幕府は管領がおらずとも内談衆で充分に回っている。不必要な管領職など廃してしまおうと思っただけだ」


 ―――ふむ。道理ではある


 従来は管領は京にあって諸々の幕府の政務を裁いていたが、今は内談衆と呼ばれる将軍側近衆によって裁可を行い、重要事項については定頼の同意を取り付けるという仕組みで運用されている。

 幕府運営に当たって管領が不要と言えば不要だった。


「某は公方様御為に逆徒共を討ち平らげに参っておるのです。京に居らぬのは本意ではない。

 世の乱れに手をこまねいていることこそ管領たる者に相応しくない振る舞いでありましょう」


 晴元がもっともらしく反論するが、実際に討ち平らげているのは三好長慶であり遊佐長教であり細川元常だ。

 晴元が陣頭に立っていない以上、討伐軍に晴元は必要不可欠ではない。京に居ない理由は単純に義晴の側に居たくないという子供っぽい理屈だけだった。


「逆徒共というが、奴らはそなたに対して兵を挙げておる。余に対してではないわ」

「それでは、某のやっていることは何だと申されるのです」


 定頼を間に挟んで子供のケンカが始まる。間に挟まれた定頼こそいい迷惑だった。


「それまで。お二方ともそれまでに願いましょう」

「しかし義父上!」

「少弼!口を挟むな!」


「いい加減に召されい」


 二人に言い聞かせる定頼の声音が殺気を帯びた物に変わる。進藤と違って声が大きくはないが、睨まれるだけで背筋にヒヤリと冷たい物が走る。

 歴戦の武将である六角定頼の迫力に対しては二人とも人生経験が違い過ぎた。


「某はお二方の間を取り持つ為に上洛いたしました。が、これ以上仲違いを続けるというのならばお好きになされよ。某は近江に戻り、以後二度とお二方とは関わり申さぬ」


 言い捨てて立ち上がろうとした定頼に前後から同時に声が掛かる。


「待て!少弼!」

「義父上!お待ちください!」


 定頼が見やると二人とも慌てた様子で顔を蒼白にしている。

 細川晴元にせよ足利義晴にせよ、背後に六角定頼が居るということがその存在感に重みを増している。

 今定頼に陣営を離れられれば再び京で戦乱が起こるということもあり得た。


 結局、細川晴元と足利義晴は定頼の仲介で和睦する。

 七月十二日には定頼によって猿楽が催され、二十二日には晴元・定頼が共に足利義晴に招かれて饗応を受けた。

 この二十二日の饗応によって正式に足利義晴と細川晴元が和睦し、京洛の騒ぎは収まった。

 定頼から見ればただの子供のケンカでも、京洛の民衆から見ればすわ合戦かと思うような騒ぎになっていた。


 和睦を見届けた後、定頼は八月十一日に帰国する。

 久しぶりの在京で再び体調を崩し、観音寺城に帰るとそのまま寝込んでしまった。

 実際には七月中から体調は崩しており、病を押しての上洛だった。それほどまでに京の騒ぎを深刻に考えていた。




 ※   ※   ※




「何?和田が鋸引(おがび)きの刑に処されただと?」

「ハッ!右京大夫様のお裁きとのことにございます!」


 松永久秀の言葉に三好長慶が驚いて立ち上がる。

 三好長慶は各地の反乱軍討伐のために山城から摂津各地を転戦していたが、その陣中に松永久秀と内藤宗勝の兄弟も従軍していた。

 松永久秀は元々祐筆として三好長慶に仕えていたが、この頃から武将として軍事行動にも随行するようになる。長慶の腹心と言える立場にあった。


「一体どういう訳で和田が鋸引きなど……」

「和田殿は菊幢丸様の侍女と密通したとのこと。六角様の仲介で公方様と和議を為された直後ということで時期が悪かったとは思いますが、それにしても苛烈な御沙汰にて」


 松永久秀が言い終えて頭を下げる。

 和田は三好長慶の家臣で、三好の京屋敷に勤めていた。


 菊幢丸の侍女との密通は純粋に和田の失態であり死罪は免れないのは理解ができる。だが、久秀の言う通り刑が苛烈に過ぎると長慶も思った。


 密かにとはいかずとも、公衆の面前ではなく屋敷で腹を切らせればよいことだ。わざわざ天下に罪状を公表すれば主君である長慶の面目も潰れることになる。

 だが、細川晴元は長慶の面子には配慮せず、和田を一条戻橋で鋸引きの刑に処して侍女は市中引き回しの上で六条河原で斬首にした。

 和田の主君である三好長慶は京童の好奇の目に晒され、面目を失った。通常であればこれを恨みとして反旗を翻してもおかしくない程の事件だ。


 ―――俺は本当にこの主君に仕えていて良いのだろうか……


 今までにも何度も頭をよぎった想念が再び長慶の頭をよぎる。

 一部でも返還されるかと期待した河内十七箇所も結局は政長の嫡男の三好政勝がまるまる相続している。

 それに加えて、隠居してもなお政長は晴元の横に侍り続けている。

 この頃には、隠居などとただの名目に過ぎないと天下が知るところになっていた。


 しかし、長慶はそれでも尚晴元の配下として各地に転戦を繰り返した。今叛旗を翻しても亡き父の旧領は返って来ない。

 各地で叛乱が頻発しているとはいえ、まだまだ情勢は細川晴元に優位だった。



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