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鶴が舞う ―蒲生三代記―  作者: 藤瀬慶久
第三章 蒲生定秀編 木沢長政の乱
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第40話 勘合貿易

主要登場人物別名


新助… 進藤貞治 六角家臣

藤十郎… 蒲生定秀 六角家臣


右京大夫… 細川晴元 細川京兆家当主



 

 木沢長政が太平寺の露と消えた頃、近江観音寺城下の六角屋敷では六角定頼が京からの文を前に難しい顔をしていた。

 北伊勢征伐を終えた後、定頼は息子の義賢に観音寺城を譲り、自身は観音寺城下の六角屋敷を新築して移り住んでいた。

 象徴としての御屋形の立場を譲り、息子の領国支配を円滑にしていくための布石だった。


「失礼いたします」

「おお、新助。わざわざ済まんな」

「いえ、大内の勘合について細川右京大夫様から注文が入ったとか……」

「うむ。ロクに自分のケツも拭けんくせに、言うことだけは一人前に言ってきおる。真に困った婿だ」


 定頼が思わずため息を吐く。進藤は今もって河内十七箇所を巡る争いの中で覚えた細川晴元への嫌悪感を持ち続けていた。


「申し上げたくはありませんが、右京大夫様は童子と同じです。このまま婿舅の縁を結び続けるのも……」

「わしも本心からそうしたいが、三条の顔を潰すこともできん。つくづく、猶子としての縁を持ったことが身の不明であったわ」


 壮年の二人が揃ってため息を吐く。これだけの大人にため息を出させるのだから、ある意味細川晴元も周囲を振り回す大物ではあった。


「して、右京大夫様からは何と?」

「うむ。今年の正月に幕府から大内に勘合の許可を出したらしいのだが、右京大夫が堺から唐船を仕立てようとしたところ大内に渡してしまって勘合がもう無いそうだ。

 そこで、大内の勘合を取り上げて自分に寄越せと言ってきおった」

「なんと……それで、大内は何と?」

「まだ大内には何も知らせておらん。こんな話、恥ずかしくて言い出せるか」


 ―――確かに、御屋形様の言う通りだ


 進藤も心中でため息を吐く。

 まるで童子が他人のおもちゃを欲しがるように、大内に出した勘合許可を自分に寄越せとは勘違いも甚だしいと言わざるを得ない。


 室町幕府は明との勘合貿易を取り仕切ることで富を得ており、勘合船の発着基地として栄えたのが堺の湊だった。とはいえ、この頃日本が所有する勘合符(割符)は幕府所有を含めて三通しかない。

 一通は対馬の宗氏が所持し、もう一通は大友氏が所持している。今回残った一枚を大内氏に下す決定をしていた。つまり、細川晴元に渡す勘合符は無い。


 その為、細川晴元は大内に回す分の勘合符を自分に寄越せと幕府にねだり、定頼に対しても口添えをしてくれと泣きついてきたということだ。


「大内は古くから博多の津から朝鮮との交渉を行っているし、今回の幕府からの許可も正当なものだ。今更自分に寄越せとは勘違いも甚だしい」

「しかし、このまま無視すれば右京大夫様は周りの守護や国人衆を巻き込み始めるでしょう。木沢の反乱鎮圧がようやく大詰めを迎えている今、余計なことをして新たな火種を起こしたりすれば……」

「わかっておる。右京大夫には今回は大内に理があることを解らせねばならん。そこでだ……」


 定頼がチラリと進藤を上目遣いで見る。呼ばれた用件を察して進藤の顔がだんだんと苦みを帯びて来る。


「某にそのことを右京大夫様に伝えよ。と?」

「さすが新助。察しがいいな」


 進藤にもう一つ大きなため息が出る。


「主命とあらば参りますが、あのお方は童子と同じでございます。某が行って聞き分けるかどうかは……」

「お主ならわしよりも上手く話せるだろう。一つ頼まれてくれい」

「……はいはい。主命とあらば」

「そのように堅苦しいことを言うな。わしとお主の仲ではないか」


 ―――まったく、御屋形様も我らに対しては右京大夫様と変わらんな


 進藤は心の中で呆れた。厄介ごとを押し付けるという意味では定頼も細川晴元と変わらない。

 定頼は外に向けても子供のような態度をとるような馬鹿ではないが、その分身内と思っている家臣に対しては遠慮が無かった。


 進藤も既に四十六歳。子供のお守を押し付けられる年齢でもないと言いたかったが、結局定頼に押し切られて面倒事を引き受けてしまうのもいつものことだった。


 ―――せっかくだから藤十郎も連れて行こう。年のせいか、儂も最近は遠出が辛くなってきた


 息子の進藤賢盛はまだ十七歳だ。家督を譲って楽隠居というには後継者が若すぎる。

 もうひと頑張りしなければいけない我が身を恨めしく思った。


 ―――そう言えば藤十郎は側室にも和子が産まれたのだったな


 蒲生定秀はこの年の正月に側室に迎えた雪にも男児を授かり、益々の男盛りを迎えている。

 進藤はそろそろ定秀にも面倒事を押し付けて行こうかと心中密かに計画していた。

 面倒事は上から下に降りて来るというのはいつの時代も変わらない真理だった。




 ※   ※   ※




 芥川城の広間では仏頂面の細川晴元が座している。


 ―――本当に子供そのものではないか


 二十八歳になるというのに、未だに全てが自分の思い通りになると思っているところが表情から見て取れる。

 定秀には元々細川晴元に対する嫌悪感があったが、今回の交渉でますます嫌悪感が強くなった。


「ですから、大内の勘合は我が主も認めておると申し上げているのです。今になってやはり無かったことになどできませんぞ」


「しかし、それでは儂が渡唐船を出すことが出来ぬではないか。既に船も仕立ててあるし、堺の商人たちからは銭も受け取っている。

 今更やっぱり出せぬとは言えんのだ。舅殿にはそのあたりをご理解頂きたい」


「それでは、大内はどうなります?幕府や我が主は大内に嘘を吐いたことになりまする。これは右京大夫様にとっても不名誉なことではありませんか?」


 先ほどから進藤の説得にも一向に耳を貸そうとしない。頑なな細川晴元に態度に、進藤も定秀も思わずため息が漏れた。

 子供のわがままが可愛いのは子供だからだ。二十八歳の立派な大人がわがままを言っていても見苦しいだけだ。


「大内が何だというのだ。儂は管領であるぞ」


 細川晴元の言葉に定秀の苛立ちも頂点に近くなった時、前方に座る進藤から大きく息を吸い込む音が聞こえた。


 ―――やれやれ、本気で怒られたか


「いい加減になされよ!」


 広間を圧する大音声に思わず細川晴元がのけ反る。いつもの穏やかな雰囲気からは想像も付かないが、進藤貞治は紛れもなく前線で戦う武将であり、戦場にあっては周囲の喧騒を圧する大音声で軍勢を指揮している。

 怒鳴り方の迫力が違った。


「そもそも、七年前には大内と大友は我が主の仲裁によって和を結んだのをお忘れか!一つの信義を破れば、すべての信義が崩れ去ることを理解されよ!

 いつまで子供のつもりでおる!甘ったれるな!」


 上座の細川晴元は口をパクパクさせるだけで言葉が出ない。左右に並ぶ細川家の家臣達も同様だった。


「よろしいか!これ以上駄々をこねるなら細川家は六角弾正を軽んじておると主に報告致す!

 六角を敵に回したいというのなら、幕府にでもなんでも言い募るがよろしかろう!」


 言い捨てると進藤が一礼して下がろとする。慌てて定秀も進藤に倣って頭を下げて退出した。

 進藤と定秀が退出してもなお、広間には沈黙だけがあった。




 ※   ※   ※




「よろしいのですか?あのように啖呵まで切って……」


 芥川城よりの帰り、定秀もさすがに心配になって進藤の顔を伺う。

 進藤貞治の顔にはなおも根強い怒りがあった。


「かまわん!舅の面目を潰すような婿など敵と変わらんわ!」


 定秀にも進藤の気持ちは良くわかる。

 天文三年には将軍義晴からの御内書で大内と大友の和睦を周旋しているが、この御内書には定頼が副状(そえじょう)を出している。

 つまり、将軍だけの言葉ではなく事実上幕府を差配する定頼からの意向でもあると伝えている。

 さらには昨年の天文十年には毛利元就に対し、大内義隆と共に尼子晴久を撃退したことを称える文を送っている。大内義隆の周辺を安定させようと様々な心配りを行っていた。

 大内氏は以前に上洛して京の将軍を補佐したこともあり、定頼としても気を使わねばならない相手だった。


 その大内に対して細川晴元の態度は度を超している。定頼の面目を潰す気かと脅した進藤の気持ちもよく理解できた。



 結局、この勘合符の件はそれ以上細川晴元から何かを言ってくることは無かった。

 これは進藤の恫喝が効いただけではなく、この年の暮になると細川晴元も渡唐船どころでは無くなったこともあった。


 天文十一年(1542年)十二月

 細川尹賢の遺児である細川氏綱が和泉堺で挙兵する。細川氏綱は亡き細川高国の養子となっていた男で、細川高国の跡目を称して細川晴元に反旗を翻した。

 細川晴元にすれば、不倶戴天の敵である細川高国の怨霊が蘇ったような衝撃があった。


 細川氏綱は細川高国や木沢長政の残党に加え、紀州根来寺門徒らを糾合して堺の槙尾寺に籠った。

 今まで細川晴元陣営に滅ぼされてきた者達の亡霊が形を為したのが細川氏綱だった。


 木沢長政滅亡後の大和を安定させるべく大和国に進駐していた三好長慶にも非常招集が掛かり、細川晴元は全力を挙げて細川氏綱と対峙する。


 木沢長政の乱はまだ終わってはいなかった。



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