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鶴が舞う ―蒲生三代記―  作者: 藤瀬慶久
第三章 蒲生定秀編 木沢長政の乱
34/111

第34話 河内十七箇所

主要登場人物別名


弾正… 六角定頼 六角家当主 細川晴元の義理の舅

山城守… 進藤貞治 六角家臣 定頼の副将格を務める


伊賀守… 三好長慶 細川家臣 三好家当主 

大和守… 篠原長政 三好家臣


右京大夫… 細川晴元 細川京兆家当主

宗三… 三好政長 細川家臣 三好長慶の祖父から別れた分家筋に当たる

讃岐守… 細川持隆 阿波細川家当主 晴元の弟

左京亮… 木沢長政 畠山家臣 細川晴元に気に入られて南山城守護代に就く


公方… 足利義晴 十二代足利将軍


 

 天文八年(1539年)正月

 三好長慶は主君の細川晴元を酒宴に招いていた。この直前に晴元から鷹を下されており、名目上はその御礼の酒宴ということになっている。

 だが、長慶にはこの場でどうしても認めてもらいことがあった。


「右京大夫様。何卒某に河内十七箇所の代官職をお認め下さいませ」


 長慶の声に、酒宴に列席していた三好政長が険しい顔で眉根を寄せる。現在は三好政長が河内十七箇所の代官を務めている為、遠回しに代官職を返せと言われているに等しいからだ。


「ならん」

「何故でございます。元々河内十七箇所は我が父が任じられていたもの。父の跡を継いだ某が河内の代官を務めるのが筋でございましょう」

「ならんと言えばならん。その方はまだ若い。そのような大任は今少し風格を備えてからだ」

「……弾正様からは某が河内の代官に就任するが相当であるとのお言葉を頂いておりますが?」


 六角定頼の名を出されて途端に細川晴元が不機嫌そうに頭を掻く。

 気持ちよく酔っている時に聞きたい話題ではないという風情だ。


「舅殿にも困ったものだ。舅の弾正はあくまで近江の守護。河内のことにまで口を出す謂れはない。

 河内のことは儂が差配している。儂がならんと言ったらならんのだ」


「左様で……」


 ―――都合の良い時だけは弾正の名を使って好き放題しているだろうに


 長慶は今更ながらに主君晴元の顔を仰ぎ見た。

 嫌な眼つきだと思う。酔っているとはいえ、眼が据わっていて険がある。おそらく三好政長から河内の代官職を返したくないとねだられているのだろう。


 ―――右京大夫にこれ以上言っても無駄だ。やはり頭を越えて要請するしかないか……


 長慶はこの場で河内十七箇所の代官職を認めてもらえれば、全てを水に流して細川晴元の忠臣として働く決意を固めていた。

 長慶にとって、父である三好元長の勢力を回復するのは宿願と言ってもいい。


 この宴席では話が進まないと思い定めた長慶は、阿波に居る細川持隆に事の次第を知らせつつ直接幕府にこの要請を出願した。

 僭越の沙汰は承知の上だったが、六角定頼の寵臣・進藤貞治の書状を添えたことで幕府も無視できなくなると睨んでいた。




 ※   ※   ※




「やはり、宗三は河内の代官を譲らぬか……」

「そのようですな」


 摂津中嶋城では、長慶と篠原長政が今後のことを打ち合わせていた。

 長慶の顔には深い落胆がある。

 長慶は足利義晴に対し、河内十七箇所の代官職を自薦していた。義晴も長慶の要請を正当と認め、長慶を河内の代官にするように細川晴元に御内書を発行していたが、それにも関わらず晴元は三好政長を河内の代官から外さなかった。


「公方様の御内書をも無視するとは……つくづく右京大夫は宗三が可愛いと見える」

「若、この上はやはり……」

「ああ、宗三を討つ。既に讃岐守様には賛意を頂いている。奴が生きている限り、右京大夫は俺を河内代官にはしないだろう」

「承知いたしました。某も倅を阿波から呼び寄せます」

「頼む」


 三好元長を最後まで擁護した細川持隆は、その子である三好長慶へも好意を持っており、今回の河内十七箇所の代官職も長慶を据えるべきと細川晴元に進言していた。

 周囲が長慶を推せば推す程に細川晴元は意固地になり、意地でも河内の代官職は継がせぬと言い放っていた。

 ここに至って長慶もついに兵を挙げることを決意する。


 十八歳の長慶には、これ以上の交渉は全て無駄に思えた。



 天文八年(1539年)六月

 阿波、摂津国人衆を率いた長慶は、三好政長を排除すると号して二千五百の精兵を率いて摂津芥川城に入り、武力を持って上洛することを匂わせる。

 京の細川晴元は洛中を離れて高雄(現京都市右京区)に移って兵を集め、京洛中はすわ合戦かと大騒ぎになった。天文法華の乱から三年。ようやく静けさを取り戻した京からは、再び逃げ出す者が続出した。




 ※   ※   ※




 日野中野城では、上機嫌で上洛の支度を整える蒲生定秀を妻の辰が不審な目で眺めている。

 定秀はここの所自室で黙考していることが多かったが、上洛すると決まったら何故か機嫌が良くなった。


「殿。いやにご機嫌がよろしいですね」

「ん?そうか?まあ、御屋形様に色々とご相談したいこともあるから、此度の上洛のお供は今後のことをご相談するのにちょうど良い機会だからな」


 妙に慌てた様子で定秀がもっともらしいことを言う。


 ―――怪しい……


 近頃ではめっきり夫婦生活が少なくなっている。定秀が何度も伊勢へ出かけていて忙しかったのもあるが、辰も次男の重千代を昨年産んだばかりで忙しく、そのことをあまり意識していなかった。

 だが、こうして嬉々として上洛しようとしている夫を見ると何やら胸がざわつく。


 ―――まさか……


 京に女でも居るのかと疑いたくもなる。

 何故と言われればはっきりとは辰にもわからない。夫の様子を見ていての勘としか言いようがなかった。


「殿。一応もう一度お伺いいたしますが、お側女はお迎えにならないのですか?」

「な……何を藪から棒に。俺は側室を持つ気はないと言っているだろう」


 ―――やはり考えすぎなのだろうか


 辰にもはっきりと確信があるわけではない。それに、側室を持つつもりがあるならば既に迎えているはずだ。日野蒲生家の当主ともなれば、側室の一人や二人は居てもおかしくはない。

 そのことを見ても、定秀が外に女を作っているというのは考え過ぎなのかもしれない。妻の身として夫の言葉を信じないというのも罪悪感が残る。


「お前は妙なことを気にせず、鶴千代と重千代をしっかりと育ててくれ」

「そのことですが、鶴千代ももう六歳になります。そろそろ傅役(もりやく)を付けてはどうかと。武家の作法なども教えていかなければなりませんし……」

「もう傅役を付けるのか?あと三年は自由に遊ばせても良いのではないか?」

「ですが、今でも腕白で侍女の手に余ることもあります。やはり意見をしてくれる殿方が居らしたほうがよいのではないでしょうか?」

「ふむ……わかった。考えておこう」


 ―――やはり考え過ぎなのでしょう。鶴千代を心配する殿はいつもの殿だわ



 天文八年(1539年)閏六月

 六角定頼は突然の三好長慶の反乱に驚き、長慶と細川晴元の調停を斡旋するべく進藤貞治を遣わしていた。

 突然のことに驚いた足利義晴は、妻の慶寿院と嫡男の菊幢丸を八瀬清光院に避難させた。義晴自身も避難するつもりであったが、定頼が『将軍たるものが簡単に逃げるな』と一喝したために渋々一人洛中に残った。

 定頼自身もそこまで言ったからには事を収めねばなるまいと坂本まで出向き、両者の間を周旋する。もはやこの事態を収められるのは定頼しかいないというのは、世間全般の共通認識だった。




 ※   ※   ※




「大和守殿、なんとか伊賀守殿を説得して下さらんか」

「……難しゅうございます。何よりも此度は公方様、弾正様、讃岐守様からも伊賀守の主張は正当とお認め頂いた物でございましょう。聞き分けぬのは右京大夫様でございます」

「それはそうなのだが……」


 三好長慶の上洛拠点となっている摂津芥川城を訪れた進藤貞治は、篠原長政を相手に講和交渉を行っていた。

 もちろん、交渉は易々とまとまる気配はない。なによりも、三好長慶の主張は明らかに世論を味方につけている。我がままを言っているのは細川晴元であるのは明白ではあった。


「そこを曲げてお願い申し上げる。右京大夫殿は我が主が必ずや説得いたします。それゆえ、此度だけは退いて下さらんか。この通りだ」

「……」


 頭を下げる進藤に対し、篠原も中々返答は出来ない。今ここで退いてしまっては、益々三好政長が増長することになる。

 三好長慶が腹を立てているのは細川晴元本人ではなく、晴元の寵を良いことに父の所領を返そうとしない三好政長に対してだった。



 この時代の権利関係は後の安土・桃山時代よりもかなり複雑になっている。

 盗品は市庭神に捧げてそれまでの縁を切らない限りは元々の所有者に所有権があり、例え盗品と知らずに買い求めた第三者であっても元の所有者から返還の請求があれば返すのが当然とされた。

 知行権や土地の所有権も同じで、例え主君が別の者に知行を与えたとしても、元々知行していた者の権利が完全に消滅するわけではない。さらには知行権も相続によって子に引き継がれると解釈されるのが一般的だった。


 戦に負けても土地の支配権を失わない理由はそこにあり、例え戦に負けて土地を追われたとしても変わらずに所有権や知行権は元の所有者や知行者が持っている。

 浅井亮政のように援軍を得て旧領を回復できるのも、その知行権が戦に負けたことでは消滅せずに、再び権利を主張することが正当と世間的に認められるからだった。


 定頼や幕府が長慶の知行権の主張を正当と認める理由もそこにあり、三好元長が持っていた河内の知行権は相続によって長慶に引き継がれたと考えられていた。その観点で言えば、三好政長は本来長慶にあるべき知行権を預かっているだけであり、長慶から返還の要求があったのなら返すのが筋だ。


 しかし、一旦手に入れた収入を手放すのが惜しくなるのは人の常だ。

 その為、政長としては力づくで支配権を維持するという方法を取らざるを得ない。守護から国人衆に至るまで、旧領を巡って争いが頻発するのもそういった権利関係を整理する方法が限られていることが原因にある。父親が持っていた権利はその子に相続されるのだから、旧領を実効支配する者と家督や土地を巡って争いが起こるのも当然と言えば当然であり、その土地を巡る争いを裁くことが守護や幕府の主な役目でもあった。


 もう一つそれまでの権利関係を消滅させる方法があるにはあるが、河内十七箇所はそれを実行する条件が整っていない。その為、当事者同士や幕府の仲介によって解決しない場合は武力闘争で決着を付けるしかなかった。



「右京大夫殿へは木沢左京亮殿が説得に当たっている。復興しつつある京をまたぞろ戦に巻き込むことは、伊賀守殿の声望を落としこそすれ決して良き目は出ますまい。

 なんとか伊賀守殿には我が主が話し合いで解決させるまで軍を退いて頂くようにお願い申す」

「例え山城守殿の御言葉でも、それだけは聞けません。ここで我が軍が退いては宗三殿は決して首を縦に振らぬでしょう」

「では、どうしても戦をすると申されるか」

「……今しばし摂津に留まるように我が主には申し上げます。既に山城で小競り合いは起きていますが、軍勢を引き上げてここ芥川城に留まるようにいたしましょう。

 某にできるのは、それが精一杯でございます。山城守殿の御力で、何とか右京大夫殿からも譲歩を引き出して頂きたい」


「……相分かった。某ももう一度右京大夫殿の元へ参りましょう」

「よろしくお願い申します」



 天文八年(1539年)七月

 六角定頼の意を受けた進藤貞治の奔走で、三好長慶と細川晴元の正面衝突だけはひとまず避けることが出来た。

 だが、両軍共に矛を完全に収めたわけではなく、交渉が行き詰まったり決裂すればすぐさま戦になることは避けられない。

 この新たな戦乱を避けられるかどうかは、六角定頼と進藤貞治の双肩にかかっていると言っても過言ではなかった。




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