第15話 甲賀衆
主要登場人物別名
藤十郎… 蒲生定秀 六角家臣 蒲生家当主
新九郎… 三雲資胤 六角家臣 三雲家当主
三郎左衛門… 三雲定持 六角家臣 三雲資胤の嫡男
新助… 進藤貞治 六角家臣
藤右衛門… 岡貞政 蒲生家臣
左京亮… 木沢長政 細川晴元家臣 河内飯盛山城主
定秀は鎌刃城から坂本へ移動する途中、領国の日野へ立ち寄った。
兵糧などの物資も補給が必要だし、替え馬なども手配しなければならない。北河又五郎との度重なる戦で軍事物資をだいぶ消費していた。
二日だけ中野城に滞在すると決めた定秀は、配下の者を一旦家に帰らせた後、中野城の一室で寛いでいた。
と、廊下から声がかかり、障子を開いて妻の辰が室内に入って来た。
「おかえりなさいませ」
「ああ、だがまたすぐに京へ参らねばならん」
「そうですか…」
辰が残念そうに顔を曇らせる。
十八歳になる辰は馬淵重綱の娘で、定秀が家督を継ぐのと同時に輿入れしていた。
もっとも、祝言を上げた後に慌ただしく上洛し、その後は北近江で釘付けになっていた為に少し言葉を交わしたくらいでほぼ他人と変わらなかった。
改めて定秀は辰の顔を見た。
後ろで束ねた黒髪は艶やかに光り、まだ幼さの残る顔立ちにも関わらず大人びた雰囲気を醸し出している。瞳の大きい目は小動物を思わせる可憐さがあり、戦場で男同士馬鹿笑いをする事しか知らぬ定秀にはどう接していいかわからなかった。
「あ~…… その… 留守中困った事はなかったか?」
我ながら何を言っているのか判然としないが、何か話さねばと妙に気が急いていた。
「いいえ。藤右衛門様もよく心を配って下さいますし、皆さまに良くして頂いております」
辰がニッコリとほほ笑むと定秀は余計に何を話していいかわからず、顔を赤くして俯いてしまった。
辰の生家である馬淵氏は六角家中でも最古参の家柄だ。
元来六角家の最古参は伊庭氏だったが、伊庭氏が背いたために今では馬淵氏が最古参の家柄となっている。
武家の妻女として厳しく躾けられた辰は、挙動不審な定秀を前にしてもあくまで控えめに定秀の言葉をニコニコと待っている。
―――こういう時、御屋形様なら上手に話されるのだろうな…
以前に志野を玄関先で笑わせていた定頼を思い出し、定秀も同じように辰に接してみようと決心した。
「実は、そなたに会いたくて戻って来た」
「…………?」
―――俺は何を言っているんだ…
かける言葉を間違ったと思い、カッと顔が熱くなる。唐突な言葉に辰もキョトンと定秀を見ていた。
首を傾けて目を大きく見開いた辰はより一層可愛らしかった。
「……うれしゅうございます」
ようやく定秀の言った意味を理解した辰が頬を染めて俯く。定頼の真似をしたはいいが、この後どうしていいのか定秀にはさっぱりわからない。
合戦や外交ならばよく回る頭も、こと男女の事になるとさっぱり冴えなかった。
そうこうしていると城家老の岡貞政が廊下から遠慮がちに声を掛けて来る。
「殿、少しよろしゅうございますか」
「あ、では私はこれで…」
そう言って立ち上がる辰を見送ると、入れ替わりに貞政が入って来る。目の前の顔が十八歳の乙女から四十がらみのむさ苦しい髭面に変わったが、定秀にはむしろ居心地が良かった。
「日野市で商人間の押し取りがあり、こちらに争論の裁定を求めております」
「どの郷の商人だ?」
「保内衆の荷を横関衆が押し取ったと… 横関衆は昔から日野は横関の縄張りだと申しております」
「しかし、保内衆は御屋形様から諸市での商売を認められておる。蒲生家としても六角家に臣従を誓った以上、御屋形様の決定に異を唱えるわけにはいかん」
「はっ。ですが、横関衆は古くから塩を日野に運ぶ商いをしており、日野の領民にとっても無くてはならぬ存在です」
「それはわかるが、自ら押し取ったというのはまずい。要望は観音寺城へ取り次ぐ故、一旦荷は返すように申し伝えよ」
「かしこまりました」
―――やれやれ、城から市が離れすぎているのも問題だな
日野の市は蒲生氏の旧居城だった音羽城の南にあり、今の中野城からは山一つ向こう側になる。
どうしても中野城からは目が届きにくかった。
「……いっそ市を中野の城下に移すか」
「左様ですな。そうすれば、押し取りなども防げます」
「合わせて町割りもしよう。観音寺城のように城下に町を作り、各郷の職方をそこに集めるようにしようか。一度検討してくれ」
「良き御思案かと存じます。早速城下を測らせまする」
そう言うと、岡貞政は退出していった。
そそくさと退出していく貞政を見ると定秀は無性に可笑しかった。
―――あんな髭ダルマが領内を上手くまとめるのだから、人は見かけによらんものだ
岡貞政は見た目は筋肉質の体に逞しい髭を蓄え、どこぞの豪傑かと思うような出で立ちだが、戦よりも内政に手腕を発揮した。
戦場で定秀を支えているのはむしろ細身の町野将監の方だった。
束の間の休息を得た蒲生勢は、物資の補給も完了して坂本へ向けて出立した。
※ ※ ※
三雲勢と坂本で合流した定秀は、そのまま坂本に陣を張って後続軍の到着を待った。
今回の上洛軍の総大将は進藤貞治が務める。定頼は北近江に睨みを利かせるために観音寺城に留まっていた。
もっとも、北近江の事が無かったとしても定頼が出陣したかどうかは疑わしい。いや、きっと何のかんのと理由を付けて出陣を拒否していたはずだと定秀は思った。
「藤十郎殿、そちらの首尾はいかがですか?」
「上々ですよ。こちらが合図をすれば飯盛山城は内応して城を占拠する手はずになっております」
「ははは。さすがは藤十郎殿ですな」
「三郎左衛門殿の方はいかがですかな?」
「こちらも準備は万端です。逢坂山と東山各地にはすでに甲賀衆の拠点をいくつも作っております。
左京亮殿が攻めかかって来ても容易には抜けますまい」
「新助殿が来る前に仕込みが終わってしまいましたな」
「まことに」
定秀は三雲資胤の嫡男三雲定持と坂本の陣中で笑いあった。
保内衆の弥二郎からの報せで、定秀は京の守備隊として河内飯盛山城主の木沢長政が派遣されるという情報を掴んでいた。
相手がわかれば調略を仕掛けるのは定秀と保内衆にはお手の物だ。
木沢長政は以前は細川高国の被官だったが、先年の上洛戦の和睦不成立を受けて細川晴元に鞍替えした男だ。
元々同じ陣営だった為に木沢家中には顔を見知った者も多く、六角の庇護と引き換えに内応を取り付けるのは造作も無かった。
また、三雲勢は甲賀忍者で有名な甲賀の郷士を率いていた。
甲賀衆は日野よりもさらに険しい山岳地帯の出身者が多く、白兵戦よりもさらに過酷な山岳戦を得意としている。山岳戦とは、今日で言うゲリラ戦術に近い。
仮に木沢長政が機先を制して坂本に進軍してきたとして、東山と逢坂山で甲賀衆に足止めされた挙句に居城の飯盛山城は占領され、さらに反撃してきた六角本隊から痛撃を受ける破目になる。
戦う前から木沢の勝てる見込みは無かった。
「お父上の新九郎殿はまた京へ?」
「ええ、お公家衆に贈り物を届けております」
「そちらの仕込みも万全のようですな」
―――相変わらず、顔の広いお方だ
定秀は三雲資胤の人脈の広さに感心するばかりだった。
元々三雲家は蒲生家と同じく、幕府の直臣として近江に盤踞する勢力の一つだった。
独自に明との勘合貿易にも参加するなど、その勢力と財力は近江国内でも一目置かれていた。
だが、当代の新九郎資胤は、蒲生高郷と同じく六角定頼の器量に感じ入り、六角家に臣従を誓っていた。
もっとも、甲賀衆自体は三雲家の家臣という訳ではなく、甲賀五十三家と呼ばれる郷士の合議制で運営されている。
今は三雲氏をその代表者として六角家に協力しているに過ぎなかった。
ちなみに、保内衆を束ねる伴庄衛門も甲賀五十三家の一つである甲賀伴谷の伴氏の出身だ。
そのために保内衆と甲賀衆の交流も盛んであり、お互いに不足するところを補い合う関係だった。
保内衆が敵国で商売をする際には甲賀衆を護衛として雇い、甲賀衆は生活物資と合議を行う為の諸国の情報を保内衆から受け取る。
六角氏と同じように、甲賀衆にとっても保内衆は大切な商人衆だった。
享禄三年(1530年)十一月
進藤貞治率いる六角上洛軍はほとんど大した戦闘も行わずに上洛し、再び東福寺に陣取った。
※ ※ ※
「殿!敵勢が鴨川を渡ろうとしております!」
外池弥七の言葉に定秀が洛中に視線を向ける。
蒲生勢は東福寺の門前で本陣の守備に当たっていた。
「落ち着け弥七。敵は小勢だ」
視線の先では洛中に屯する木沢勢が南北から東福寺を挟み込む動きを見せていた。
と言っても、動いている旗印の数からみて敵はせいぜい百程だろう。
「弥七は兵五十を率いて南の敵を叩け!彦七は俺に続け!」
「ハッ!」
「おう!」
定秀の合図で弥七が南側の敵勢に向かう。南の渡河部隊はおおよそ二十ほどだった。
主力と見える北側には定秀が兵百五十を率いて向かう。
―――川を渡った所で討てばいい。拠点を作らせなければ大したことはない
慌てずに軍勢をひたひたと進め、敵の渡河地点が目前に迫った。
まさに敵が川を渡り終えようとするその瞬間、突然音も無く矢の雨が敵勢に降り注いだ。
「止まれ!」
軍勢に停止を命じる。矢の飛来した方を振り返れば、三十名ほどが屋根の上から次々に矢を放っている。
見れば鎧兜ではなく腹巻に鉢巻という軽装だった。
―――甲賀衆か… いつの間に登ったのだ
甲賀衆の体術は人並み外れていた。
高い大屋根や塀の上にも軽々と登って矢を射かけ、慌てて敵勢が応射する頃には既に姿を消している。
市街戦でもその機動力は存分に生かされていた。
「相手が怯んだぞ!一気に追い払え!」
定秀の号令で蒲生勢が一斉に川の中に入る。
水しぶきが上がるのと同時に矢の雨は止んでいた。相変わらず見事な連携だ。
「オォルアァァァァ!」
気合と共に馬上から突き出した槍が敵足軽の胸板を貫く。赤樫で出来た槍は狂いが少なく、定秀の狙い通りの場所に穂先を運んでくれる。
次々と足軽の胸や首を貫きながら、敵の足軽頭らしき兜首を目指して敵勢をかき分けていく。
父の高郷ほどではないにせよ、定秀も人並み以上に戦闘力に優れた勇将だった。
「殿に遅れるな!」
彦七の言葉に、付いて来た兵達も太刀を振りかざしながら敵を斬り裂き、あるいは槍で叩き伏せる。
初動で動きを制限された木沢勢には既に成す術が無かった。
「ええい!退け!退け!」
木沢勢が算を乱して逃げ出す。前線で戦う蒲生勢には怪我を負った者すら居なかった。
「よし!東福寺まで下がるぞ!」
敵を追い払った蒲生勢は、それ以上深追いする事無く鴨川の東を確保するに留まっていた。
「殿、あれほどの小勢で我らを抜けると思ったのでしょうか?」
彦七が轡を並べながら木沢勢を馬鹿にしたように言い捨てる。少なくとも同数の兵力であれば木沢勢は蒲生勢の敵ではなかった。
「ふふっ。内藤彦七殿が北白川に出張っているからな。そちらにも兵を割かねばならんのだろう」
四年前に六角勢が陣を置いていた北白川の瓜生山には高国方の丹波国守護代である内藤国貞が入り、六角勢の築いた防備施設を改修して将軍山城として整備していた。
今も内藤貞国は将軍山城に籠り、六角軍と呼応して洛中を伺う気配を見せている。
木沢長政としても迂闊に洛中を留守にできず、と言って六角軍を押し返さなければ正面から押し込まれ兼ねない状況となっていた。
享禄四年(1531年)三月
進退窮まった木沢長政は京を捨てて飯盛山城に帰還する。
細川晴元は摂津の細川高国の進撃に困り果て、再三の懇願により三好元長が再び阿波から戦線に復帰する事となった。
陣営を離れたとはいえ、一度は主君と仰いだ細川晴元を見捨てる事は三好元長には出来なかったのだろう。