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鶴が舞う ―蒲生三代記―  作者: 藤瀬慶久
第一章 蒲生定秀編 両細川の乱
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第14話 稙綱と定頼

主要登場人物別名


霜台・弾正… 六角定頼 六角家当主 霜台は弾正の唐名

藤十郎… 蒲生定秀 六角家臣

加賀守… 平井高安 六角家臣

源左衛門… 香庄貞信 六角家臣


弥五郎… 朽木稙綱 朽木家当主


京極長門守… 京極高吉 兄の京極高延と家督を争う


公方… 足利義晴 第十二代足利将軍

道永… 細川高国 管領 細川京兆家当主

阿州六郎… 細川晴元 高国と権勢を争う

平島公方… 足利義維 細川晴元が担ぎ上げた足利一族 堺公方とも


 

 蒲生勢が鎌刃城に退却を完了したころには夕陽も山陰に隠れ、辺りは人の顔も判別し辛い薄闇に包まれていた。

 定秀はかがり火を頼りに平井高安を訪ねると、退却援護の礼を述べた。


「加賀守殿、弓隊の援護かたじけない。おかげで撤退の損害を少なく出来申した」

「いや、間に合ってよかった。我らも栗太郡から急いで駆けつけて来たのだが、見れば蒲生勢が敵に釘付けにされておったのでな」

 そういって平井高安は豪快に笑った。今年四十八歳になる平井高安は定秀の父高郷より一つ年上で、定秀は父のように慕っていた。

 弓隊の運用に優れた手腕を発揮するほか、高安自身も優れた弓の使い手だった。


「しかし、浅井の将も中々の戦上手だったの。あれほど騎馬を巧みに使われてはたまらぬ」

「まことに。あれほどの者がまだ居たのかと驚き入るばかりです」

「しばし先陣は藤十郎にまかせるかの。年寄は後ろで矢でも射っておるのがお似合いだろう」

 そう言ってまた笑う平井に定秀も苦笑するしかなかった。


 言われるまでも無く、今後の前線では蒲生勢が先陣を務めるつもりだ。

 騎馬の機動力に対して平井の弓隊は相性が悪い。蒲生勢が壁の役目を果たしてこそ、平井の力を充分に使ってもらえる。

 高安は謙遜しているが、平井勢の矢の破壊力は驚異的だった。




 ※   ※   ※




 蒲生・平井の軍勢が京極長門守の退却を助けている頃、大永八年は改元されて享禄元年となった。

 享禄元年の十一月には永源寺に逃れていた細川高国が大和へ下向する事になり、六角定頼は細川高国へ暇乞いを行った。

 高国と運命を共にする気はないと明言した格好だ。


 明けて享禄二年(1529年)六月

 朽木谷に将軍義晴を迎えた朽木稙綱は、六角からの使者として香庄貞信を朽木谷館に迎えていた。



「源左衛門殿。此度は一体どのような用向きで?」

「はあ…… 用向きについてはこちらから」

 そう言って香庄が傍らで頭を下げる従者を振り返った。

 上座に座る朽木稙綱は従者に不審な顔を向ける。


 ―――こちらからと言っても、源左衛門殿が使者ではないのか?


 そう思って見ていると、従者がおもむろに顔をあげる。その顔を見て稙綱は愕然とした。

「そっ…霜台殿!?」

 従者に扮して使者に紛れていたのは六角定頼その人だった。


「やあ、弥五郎殿」

 いたずらが成功した事に上機嫌な定頼は、ニコニコと笑いながら香庄と席を代わった。

 稙綱を始め、朽木家臣一同もあまりの事に呆気に取られている。一人苦笑しているのは香庄だけだった。


「ちと直接話したい事があってな。少し、良いだろうか?」

 そういって定頼が周囲を見回す。呆然自失から立ち直った稙綱は、他人に聞かれたくない話なのだと察して家臣達に下がるように命じた。



「さて、話というのは公方様の事だ」

 香庄も下がらせ、稙綱と二人きりになった定頼はおもむろに切り出した。


「ご存知かどうかわからぬが、今道永殿は越前に滞在されている。と言っても、朝倉から門前払いをくらわされているようだがな」

 ククッと可笑しそうに定頼が笑う。

 細川高国は近江から大和に下った後、伊勢を経由して次は越前へと放浪していた。上洛の支援を頼む為だが、意地でも六角の世話にはなりたくないという態度だった。

 しかし、望みを託した越前では今庄に関を設けて高国の入国自体を拒み、けんもほろろの扱いをされていた。


「道永殿は今船を集めて西国へ下る事を企図しているようだが、船の徴発もなかなか進まんと聞く」

「……左様ですか」

 稙綱は驚きを隠せなかった。

 定頼が見限った高国の動向をここまで掴んでいるとは思いも寄らなかった。

「なに、商人達から色々と面白い話を聞かせてもらっておるからな。

 ああ、そうそう。昨年の高島商人達の件ではお骨折り頂いて申し訳なかったな」

「いえ、あれぐらいは何ほどの事も…」


 享禄元年の十二月には保内商人と高島商人の仲裁を行っていた。

 もっとも、仲裁と言っても保内商人の内池甚太郎から押し取った荷を返すようにという判決となり、さらには九里半街道に関しても保内商人の通行を認めるとされ、保内商人の完全勝訴と言える内容だった。


 高島商人は朽木家を通じて反論を試みたが、事前に話を聞いていた稙綱は定頼の判決に従うようにと諭すだけだった。


 稙綱にとってはたかが商人の争いに定頼がそこまで口出しする事が不可解だったが、九里半街道を通じて保内衆は越前に行商の手を伸ばしている。

 高国の越前での動向も保内衆からもたらされた情報だった。



「で、ここからが本題だが…」

 定頼の言葉に稙綱も身を乗り出す。将軍義晴がらみとなれば稙綱としても聞かないわけにはいかなかった。


「追い詰められた道永殿は公方様を奉じて西国に下る事も考えられる。あるいは、西国と息を揃えて京へ攻め上るように要請するかもしれん。

 それを許せば、朽木も巻き込まれる事になる。朽木谷に番兵を置いて人の出入りを警戒するのが良いだろう。仮に弥五郎殿が上洛に協力したとして、阿州六郎殿を打ち払う事が出来なければ朽木としても面目を失う事になる。

 まして、明確に六郎殿に敵対して征伐を受ける事になれば、某もそれに参加せざるを得なくなるやもしれん」

「それは… 」


 稙綱はまたしても驚きに言葉を失った。

 将軍義晴滞在はその費用負担も馬鹿にならず、高国が迎えに来るというのならさっさと引き渡してしまいたいとすら思っていた。

 だが、考えてみればそうして朽木が高国に協力したという実績を作ってしまえば、細川晴元からは敵視される事になる。

 北近江の京極高延は明確に晴元方となっているし、そうなれば京極に朽木谷を攻められる事にもなった。


「ご助言(かたじけな)い」

「いや、それだけではない」

「と、言うと?」

「公方様のお側の方々にも数名、考えのある者が居るようだ」

「考えのある者…?」

「つまり、公方様を奉じて京へ攻め上ろうと企む者達が居る」


 定頼の真剣な顔に稙綱は気圧された。義晴の周囲にも気を配れと定頼に言われて、これは容易ならざる事に巻き込まれたとようやく理解した。


 室内はしばしの静寂に包まれた。朽木の山々からウグイスの鳴き声が響いて、室内の静寂をより一層際立たせる。

 やがて一つ息を吐いた稙綱は、定頼をまっすぐに見て問うた。


「霜台殿。どうか教えて下さらんか。道永殿が仮に朽木谷に来られたら、某はどのように致すべきか…」

「左様… 幾ばくかの兵糧を援助し、そのまま追い払うのが上策であろうな。

 弥五郎殿にはご負担かと思うが、足りない分は言って下されば保内衆に持ち込ませましょう」

「重ね重ね、(かたじけな)い」

 稙綱が深々と頭を下げる。

 将軍直属の奉公衆でありながら、将軍を取り巻く情勢をまったく理解していなかったことに恥じ入るばかりだった。


「なんの。海老名・進士の両名は信頼できる者でござる。困った事があれば両名にご相談されると良い。

 某の書状をお渡ししておきます故、これを見せれば両名は弥五郎殿に胸襟を開いて相談に乗ってくれましょう」

 そう言って定頼は直筆の書状を稙綱に渡した。

 今話した内容をそのまま書いた書状で、確かにそれを見せれば稙綱が定頼と同じ考えを持って行動していると一目で理解できた。


 ―――道永殿の意地に公方様や弥五郎殿を巻き込むわけにはいかん


 定頼の意図は、明確に高国と将軍義晴を切り離す事だった。




 ※   ※   ※




「くそっ!あの者共は六郎様の意を迎える事しか考えておらぬ!」

 三好元長は京の宿舎に戻ると、苛立ちを抱えて鬱々(うつうつ)としていた。

 傍らでは家臣の篠原長政が心配そうに主君を見ている。


 高国方を京から追い払った功によって細川晴元から山城守護代に任じられた三好元長だったが、細川晴元は新参である柳本賢治と松井宗信らの言を重用し、元長の言う事を聞こうとしなかった。

 晴元の頭には管領と細川京兆家の家督を継ぐ事しか頭になかった。


「殿、弾正様の言われるとおりにされればいかがですかな?」

「弾正めに負けを認めよと申すか!」

 やや憤然として元長が篠原に強い口調で反論する。定頼の言う通りにするのは定頼に負けたことを認めるようで気に食わなかった。


「弾正様は領国の民の事を第一に考えよと申されました。それは我ら家臣一同の願いでもあります」

 思わず元長は篠原の顔を見た。

 元長も頭では定頼の言う事が道理だとはわかっている。だが、どうしても負けを認めたくなかった。


「近頃の殿は以前とは違って笑われる事が少なくなり申した。もう充分ではございませんか?

 六郎様の事は弾正様にお任せして、我らは我らの為すべきことをして参りましょう」

「………」

「平島公方については、阿波にお迎えして大切にさせて頂きましょう。そうすれば、少なくとも三好の名は裏切りの汚名からは逃れられましょう」


 しばらく篠原と見つめ合っていた元長は、一つ大きく息を吐いた。

 大人しく負けを認め、全てを定頼に任せてしまえば元長も家臣達も楽になる。

 その事を諭され、元長もようやく肚が決まった。


「そう……だな。阿波へ帰ろうか」

「はい!帰りましょう!」

 久々に明るく笑う元長に、篠原も心から嬉しそうに笑った。

 これほど明るく笑う主君を見るのは久しぶりの事だった。



 享禄二年(1529年)八月

 三好元長は細川晴元の陣営を離れて阿波へと帰国する。京の主導権は柳本賢治が握る事となった。




 ※   ※   ※




「何?蒲生が鎌刃城から移動しているだと?」

 北河又五郎は物見の報告に驚きの声を上げた。


 京極高吉が鎌刃城に逃げ込んでから何度か鳥居本の北で小競り合いを繰り返していたが、何度やっても蒲生の防陣を崩すことが出来なかった。

 弓隊との連携の前に鬼左兵はおろか、馬廻衆すら引きずり出せずに終わっている。


 もっとも、六角軍でも前線で暴れまわる北河勢は厄介な相手と認識されており、又五郎の槍にかかって討死した者も数知れなかった。

 とは言え、お互いに本腰を入れての戦ではない為に決定的な戦果を得る事は出来ていない。

 そうこうしている間に定秀率いる蒲生勢は京方面への進出が命じられた。



 享禄三年(1530年)七月

 尼子氏を頼って西国に下向した細川高国は、高国を迎え撃つために播磨に出陣していた柳本賢治を陣中で暗殺する事に成功する。

 これで勢いを得た高国は浦上(うらがみ)村宗(むらむね)を味方に付けて播磨の別所氏を撃破し、八月には摂津の攻略にかかった。


 細川晴元は摂津の各城に国人衆を配置してこれに対応させるが、戦局は高国が優勢だった。

 三好元長不在の晴元方は苦戦を強いられ、これに気を良くした足利義晴側近の大舘(おおだて)尚氏(ひさうじ)が細川高国と呼応して上洛を企図する。

 定頼は義晴の上洛を押し止め、代わりに六角軍を上洛させると言って大舘尚氏を黙らせた。


 享禄三年(1530年)八月

 手始めに定頼は蒲生勢・三雲勢を坂本に配置し、それを受けて細川晴元方の畠山家臣木沢長政が河内国から急遽上洛し、軍勢を整え始めた。




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