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鶴が舞う ―蒲生三代記―  作者: 藤瀬慶久
第九章 蒲生氏郷編 小牧・長久手の戦い
110/111

第110話 木造具政の意地

主要登場人物別名


飛騨守… 蒲生賦秀 蒲生家当主 後の氏郷


筑前守… 羽柴秀吉

三介… 織田信雄

左近将監… 滝川一益

 

「かかれぇー!」


 賦秀の号令と共に蒲生勢が戸木城の正面から攻めかかる。賦秀も前に出て槍を振るった。相変わらず最前線に立って兵の士気を鼓舞するのが賦秀の戦法だ。

 先鋒の足軽隊が楯を構えながら進むが、戸木城からは矢や鉄砲玉が絶え間なく降り注ぐ。秀吉方の万を超える軍勢に対し、木造具政の方は僅か六百と少しだ。当然まともに相手をしては勝ち目はない。

 賦秀も峯城・松ヶ島城を攻略した余勢を駆って一気に戸木城を攻略するつもりだった。


 足軽と共に楯の後ろに隠れながら、賦秀は特徴的な燕尾形の兜の庇を上げた。早朝から始めた城攻めは、昼近くなっても一向に進展しない。先ほどから足軽隊を中心に突撃をかけているが、悉く木造具政の反撃にやられていた。


 ――こりゃあ、堅いな


 前線に立った賦秀はそう実感した。そもそも戸木城の防御施設がよく練られている。一見するとびょうたる小城にしか見えないが、いざ攻めかかってみるとそこには木造具政の創意工夫が溢れていた。

 虎口から城門前までは複雑に折れ曲がって見通しが効かない。その上城門前へ至る階段が狭く、一度に攻めかかれるのは三名ほどだ。これならば小勢でも守備は容易だろう。

 何度か足軽が城門前に突撃したが、誰一人として帰っては来なかった。そうこうしている間に虎口周辺の塀の上にも弓・鉄砲が並び、後方部隊にも散々に撃ちかけて来る。


 ――だが、すぐに威勢が落ちる


 先日の滝川一益との会話を思い出していた。

 昨年の長島城の戦の折、滝川一益は物資――特に弾薬を緒戦で空費したことが後々響いたと言っていた。今も見える限りの兵が次々に鉄砲を撃ちかけている。この緒戦で弾薬を相当に使わせれば、遠からず戸木城は落とせるという読みがあった。


「怯むな!敵は小勢ぞ!」


 左右の塀に向けて竹束を掲げつつ、賦秀は足軽衆と共にじりじりと前進する。賦秀の周囲を固める小姓たちもいつ銃弾が飛んでくるか気が気ではない様子だ。


 と、その時固い金属音と共に賦秀の頭に衝撃が走る。


「殿ぉ!」


 小姓が駆け寄ると、賦秀は心配するなとばかりに立ち上がった。漆黒の燕尾形の兜には大きなひずみが出来ており、そのひずみから薄く煙が出ている。

 聞くまでも無く兜に銃弾を受けたのだ。


「殿! ここは危険です! お下がりください!」

「いや、まだだ! ここで儂が後方に下がっていて、何で兵に戦えと言える!」

「お下がりくださいませ! 殿が討たれれば、我ら揃って腹を切らねばなりません!」


 小姓の一人が強硬に主張すると、賦秀も言葉に詰まった。

 小姓とは普段は主君の小間使いだが、戦場では己の体を盾にして主君を守るのが役目だ。戦場で賦秀が銃弾に倒れたとなれば、小姓たちは揃って腹を切らねばならない。


「……分かった。一旦下がる! 足軽達も下がらせろ!」


 賦秀もとうとう折れ、昼を待たずして軍勢を引き上げさせた。

 当初の見込みではあと一刻ほど敵に弾薬を使わせたかったが、兜に銃弾を受けたとあれば次はその身に銃弾が届いても不思議ではない。

 いかに賦秀が命知らずとは言え、普段から自分によく仕えてくれる小姓たちを無為に死なせるわけにはいかなかった。




 ※   ※   ※




「確かか! 確かに燕尾形の兜の男が倒れたのだな!」

「ハッ! ですが、すぐに起き上がるとそのまま兵を引き上げさせてゆきました」

「むぅ……」


 戸木城の本丸で木造具政は床几にかけ、鞭を片手に持って反対の手にパシッパシッと叩きつけていた。


「敵味方の損害は?」

「お味方の被害はほとんどありません。敵は愚直に城門を目指して進撃するのみで……。対して敵方は矢・弾に倒れた者およそ二十」

「少ない……せめて飛騨守に手傷を負わせられていたら……」


 具政はあからさまに不満げな顔をした。

 実のところ、今回の戦で具政は蒲生勢を壊滅させようと企んでいた。今や戸木城を囲むのは蒲生に滝川、それに信長の弟の織田信包など。南伊勢で完全に孤立した具政だったが、敵方の事実上の総大将である蒲生賦秀を討てば、戦況が好転する目も出て来る。

 具政は賦秀の性格を良く知っており、今回の戦でも必ず賦秀は先陣を切って攻めかかって来ると読んでいた。その為、鉄砲兵に賦秀の甲冑の特徴を伝え、前線に賦秀が現れたら迷わず狙い撃てと指示してあった。


「殿、いかが為されますか」

「……まだだ。三介様と徳川殿が必ずや羽柴筑前を打ち払おう。それまで耐えれば、蒲生も自然と軍を退く。今はまだ耐える時だ」


 木造家臣の牧康信が口元に力を籠める。木造具政は未だ抗戦の構えだが、今のままでは早晩兵糧が足りなくなると見ていた。事実、このまま籠城を続ければ戸木城の兵糧米は次の収穫までに枯渇する。

 鳥取城や三木城で行った戦法を見れば、秀吉が本気になればたちまち戸木城が阿鼻叫喚の地獄絵図になることは火を見るより明らかだ。


「ならば、せめて徳川殿にお使者を遣わされませ。このままでは弾薬以前に兵糧が尽きます」

「分かった。直ぐに徳川殿に文を書く。使者はお主が行ってくれ」

「ハッ!」


 具政は徳川家康に使者を遣わすと同時に、城内の兵糧を大切に使うよう指示させた。少しでも食いつなぎ、一刻でも長く籠城を続けるためだ。

 賦秀の見立てとは若干違い、戸木城では弾薬どうこう以前にそもそも兵糧米の心配で身を細らせていた。




 ※   ※   ※




 戸木城攻めを一旦中断した賦秀は、付城として築かれた宮山城に戻った。

 今や賦秀も戸木城が一筋縄ではいかないことを充分に理解している。その為、当面は秀吉の指示に従って包囲体制を整えていた。

 賦秀は戸木城の兵糧が心細くなっていることを知らない。だが、慎重策を取ったことが結果的に功を奏し、木造具政を徐々に追い詰めつつあった。


 そんな中、尾張犬山城の秀吉本陣から火急の使者が来たと報せがあった。使者は織田信包が守る城山城に入ったとのことで、賦秀にも至急城山城に来られたしとのことだ。


「遅くなり申した。申し訳もござらん」


 城山城の本陣に入った賦秀が諸将に頭を下げる。

 本陣上座には織田信包が座り、左右には滝川一益、関盛信、田丸具直、小島民部、榊原刑部などが並んでいた。

 どうやら賦秀が最後のようだ。


「おお。来られましたな。まずはお座りなされ」


 そう言って上座の信包が自身の左隣の床几を手で指し示す。大将の左隣は副将が座る場所だ。

 再び一礼して賦秀が席に着くと、信包が一つ咳ばらいをしてから話し始めた。


「皆も知っていると思うが、犬山の羽柴筑前守が小牧山の徳川殿と一戦して敗れた」


 全員が頷く。

 織田信包は信長の弟の中でも格別な地位にあり、織田家中では秀吉よりもはるかに格上の存在であった。その為、味方の総大将である秀吉を『筑前守』と呼び捨てにする一方で、信長の同盟者であった家康を『徳川殿』と呼んでいる。

 まことに奇妙な話だが、この場の全員にとってそれは自然なことのようだ。


「筑前守は徳川殿との直接戦闘を避け、三介の領国を攻め取れと儂に申して来た。それと同じことを美濃でも行うらしい」

「ほう。徳川との決戦を避け、外堀を埋めようという算段ですか」

「左様だ」


 賦秀の言葉に信包が頷く。

 現在賦秀達が囲んでいる戸木城もその外堀の一環だ。


「ついては、蒲生飛騨守を美濃加賀野井城攻めに参陣させよとのことだ」

「某を……しかし、ならば木造は如何いたします?」

「戸木城はこのまま囲みを続ける。ついては、蒲生勢も一千ほど残してもらいたい」


 信包の言葉に賦秀は俯いた。

 秀吉は伊勢から犬山の陣に次々と兵を抜き取って行く。最初は羽柴秀長の一万が離脱し、次に賦秀が二千を率いてゆけば、伊勢に残る兵は一万を切る。

 そうなれば、折角構築した戸木城の包囲陣に穴が開く恐れすらあった。


 付城を築いて包囲する戦術は、信長が石山本願寺や荒木村重の有岡城なので用いた戦法だが、この戦法を成り立たせるには敵を圧倒するだけの兵力を必要とする。

 敵の反撃で逃げ散ってしまう程度の兵数では包囲陣とは呼べない。


「なに、儂も五千の兵を率いている。戸木城一つならば何とか保たせられるだろう」


 信包が少し表情を緩めて賦秀に語りかけた。

 信包とてこのままズルズルと兵を抜き取られればどうなるかは分かっているはずだ。だが、秀吉本軍が徳川に敗れてしまえば、今の戦のすべてが無駄になる。

 信包としても苦渋の選択なのだろう。


「併せて、滝川左近将監には九鬼志摩守と共に兵を松ヶ島に集めよとのことだ」

「……ハッ」


 一益の返事にも憂鬱そうな色が浮かぶ。

 秀吉は戸木城を封じ込めたことで他へ兵力をどんどんと回しているが、実際には戸木城の防備に手を焼いているだけというのが現場の認識だ。

 このまま本陣と現場の認識がずれてゆけば先々面倒なことになるかもしれない。

 歴戦の猛者である一益はそのことを敏感に感じ取っているようだ。


 ――美濃を落とせば


 少しはこの状態もマシになるかもしれない。

 そもそも秀吉が美濃を攻めると言い出したのは、長久手の敗戦を挽回するという意味合いが大きいのだろう。

 今のままでは羽柴筑前守は徳川家康に負けたという評価になる。それを覆すためには、是が非でも尾張に近い場所で明確に『秀吉の勝ち』を演出する必要がある。

 つまりは、近国の領民や諸将に対する示威行動でしかないのだ。


 今は伊勢の攻略も手詰まり感が出始めているし、美濃で華々しい戦果を上げれば木造具政の心も折れるかもしれない。


「各々、そう暗い顔をするな」


 突然信包が声を張った。

 その声に押されるように、賦秀の背筋が伸びる。


「確かに楽ではないが、それでも木造が追い詰められている現状は変わらんのだ。伊勢は必ず儂が保たせる。各々は各々の役目を果たせ」

「……ハッ!」


 ――あるいは


 この美濃攻めが停滞する戦線を動かしてくれるかもしれない。

 そう期待を込めて賦秀は犬山城へと向かった。









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