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プロローグ

 黒緑石のようにつややかな髪をそよがせる風が、からっとした軽やかなものから湿り気を帯びたものに変わった気がして、アサキは顔を上げた。

(あれ? 浮都ふうとの進路が変わった?)

 これから行く先の天候が悪くなるのであれば、早めに帰宅したい。荷物もあるし。

 アサキの傍らには、大きめのカゴに車輪と引き手を付けた彼女お手製の仕入れ用カートがある。年若い少女が持ち歩くにしてはかなりいかつい形だが、入り組んだ浮都内の道を移動するときには取り回しが効くので便利に使っている。何しろ、仕入れの後には嵩張る物が増えやすい。古の文明遺跡から発掘される遺産の修復を仕事にするアサキにとって、古物市でまだ使えそうな部材を確保するのは、重要な習慣だ。

 もっとも、今のカートの中身はかなりすかすかだ。今日はイマイチ良い品物が見つからなかった。その悔しさを振り払おうと、アサキは寄り道してお気に入りのこの場所に来ていた。

 ここは、浮都の後方外縁にある広場だ。空が開けていて風通しも良いわりに、中心部から離れているからか人影は少ない。自分のペースでのんびりできるので、アサキは気が向くと訪れている。

 肩に届く長さの嵩が多い髪を押さえながら、アサキは凭れていた石造りの手摺り壁から顔を出して下を覗く。

 眼下に広がるのは、ところどころにかさついた低木が生える他はごつごつした岩肌が続く岩石地帯。その乾いた地上を滑るように流れる黒々と大きな影。それは、今アサキがいる浮都ーー中空に浮かぶ巨大な街が落とすものだ。

 砂色の建物が大小いくつも積み重なって砦のようになっている浮都は、そのずっしりとした存在感にもかかわらず、重さなどないかのように空高く浮かんでいる。数千人が暮らすその街が、どのような原理で浮いているのか、アサキにはわからない。ただ、彼女も長年そこに住んでいるので、街が空中にあること自体はもう当然のことになっている。

 地上にはこれといった目印がなく、浮都の向かう方向は判断できない。続いてアサキは背後を振り仰ぐ。逆光の中にそびえる浮都の上層部は、凹凸が多いのに表面がつるりとしているからか、全体としては無機質な印象を与える。

 その向こうに広がる澄んだ空にある厚めの雲が、アサキがこの広場に来たときよりも増えている気がする。

(やっぱり天気が悪くなるのかな……あれ?)

 浮都が進む方の空を見上げていたアサキは、ふと眉をひそめた。

(なんか、前の方が慌ただしい?)

 浮都の先端部分のあたりに、大きな鳥のような影がいくつか飛んでいる。目を凝らせば、それがただの鳥ではなく、背に大きな翼状のモノを付けた人だとわかるだろう。

空人そらびとがあんなに飛んでるなんて、穏やかじゃないな)

 空人ーーそれは、人と同じ姿をしているが、人とは別の種だそうだ。この浮都の最上層にごく少数だけ存在する彼らは、古代文明の生き残りだといわれている。往時の知識をひっそりと守りながら、安住の場所を求めてこの浮都を彷徨わせているらしい。

 彼らが背中に付けているモノは飛行翼といって、これも遺産のひとつだ。日頃はせいぜい一人か二人で見回りに飛んでいる様子を見かける程度で、こんなに何人もが乱れて飛んでいるところは初めて見る。

(何かあったのかな)

 首を傾げてみたものの、浮都上層での出来事など、一般人なアサキには関係ない。

 とにかく帰ろう、そう思ったとき。

 アサキのすぐ足元で、カツン、カツンっ! カツーン! パラパラ……っと硬質な音が立て続けに響いた。

「……っえ!?」

 広場には他に人はいなかったはずなのに、突然聞こえてきた音に、アサキの心臓が大きく跳ねる。

 音のしたあたりにそっと視線を向けて、そこでアサキの青緑の瞳が大きく見開かれた。

「なに、これ……っ!?」

 アサキの爪先から二歩ほど離れた地面に転がっていたのは、つやつやと輝く大粒の遺石いしーー古の文明遺跡から発掘される、特別な貴石の、いくつもの欠片だった。

 それぞれが微妙に異なる色合いで太陽の光を反射している。全体としては深い紺青と緑が入り交じって、まるで孔雀の尾羽根のような色合いだ。

 元はアサキの手のひらくらいの大きさはあっただろう。滑らかな曲線と深い輝きを持つ見事な遺石だったに違いない。それが、指先ほどの欠片がいくつかと、つまめるほどのものが半分ほど、そして残りは細かな粒になって散らばってしまっている。

 思わず近寄ろうと足を踏み出すと、靴底がきしり、と鳴った。

「あ、ごめんっ!」

 粉々になった遺石に抗議された気がして、アサキは慌てて謝った。足元を慎重に見て、遺石の欠片がなさそうな場所に足を動かす。

 それから改めて、大きめの欠片をいくつか手に取って陽光に透かしてみる。表面には歪みも傷もない。紺青と緑の色合いは、その間に何層もの光の帯を抱えていて、深い輝きを抱えている。

 けれど、断面の凹凸は無秩序に光を乱反射させている。その対比が無惨さを強調していて、アサキは眉間の皺を深くした。

「これ、もともとはかなりの品だったんじゃないの。普通に落としただけじゃあ、こんなにばらばらにならないよ」

 落下してきた音は複数だったから、地面に落ちた衝撃で砕けたとは思えない。誰かが(あるいは何かが?)砕いた遺石を、どこかから投げ落としたのだろうか。

 遺石の欠片を握ったまま、アサキは上方を見上げる。浮都の広場に面した壁面は、下から見る限りでは窓が開いていたり誰かが覗いている様子はないが、投げ落としてすぐに身を引いてしまえば、ここからはわからない。

「……なんにせよ、ヒドいことするわ。もったいない!」

 これほどの遺石だったら、骨董品としての価値も高いし、使い途もいろいろあったに違いない。

「壊して捨てるくらいなら、うちの店に持ち込んでくれれば、いくらでもいいようにしてあげるのに!」

 無駄にされた利益を思って、アサキは腹立たしくなった。

 思わず握り締めた手のひらに、遺石の断面が食い込んで、はっと我に返る。そっと指を開いて、改めて遺石の欠片を眺める。

 すべてを吸い込むような深い青緑に、ふいに胸の奥がきゅっ、と絞られるような感覚があった。掌に乗っている遺石の欠片から、腕をじんわりと何かが伝わってくるような気がする。

(……何か、言いたい遺石なんだね)

 もともと波長の強い遺石は、歳月を経て音のない“声”を発することができるようになるものがある。アサキはそんな“声”を聞き取ることができた。

 “声”といっても、人の言葉や動物の鳴き声のように、耳に入る音ではない。遺石に触れたり近付いたりすると、遺石が発する波長のようなものを感じ取れるのだ。波長は遺石によって強弱も雰囲気も違うので、その差異をアサキは“声”と読んでいる。

 掌の上の欠片たちから流れ込んでくるのは、明瞭な言葉ではない。戸惑い、焦り、悲しみ……それらが入り混じって渦になっていて、ひたすら胸を締め付けてくる。

(欠片に砕けてもこんなに訴えてくるなんて、よっぽど何かに思い入れがあるの?)

 遺石の“声”に引きずられすぎないように、視線を遺石から外して、もう一度前方の空を見上げる。

「とりあえず、どうしようかなあ、これ」

 粉々になっているから遺石本来の機能は無くしているだろうが、見た目の美しさは十分に残っている。このまま持ち帰ってもよいものかどうか……そこまで考えて、ふと気付いた。

 上空で空人たちが慌ただしそうなのと、たった今落下してきたこの粉々の遺石は、何か関係があるのだろうか。

(え、もし関係があるとしたら、そんな厄介なモノとは関わりたくないかも)

 及び腰になって手の中の遺石の欠片を振り落とそうか、と考えたときだった。

 ドゴンっ! と腹の底に響くような重低音とともに、視界の先で白煙が上がる。

「えっ!? な、なに……っ!?」

 浮都先端部分が白い煙を巻き上げながら、崩れかけている。

 いくつかの瓦礫とともに、すぐ近くを飛んでいたはずの空人らしき影が落下していくのも見える。

「なに? 事故? まさか、浮都の中で!?」

 古の技術を駆使する空人たちと、彼らが管理するこの浮都で、こんな大きな事故が起こるだなんて、ありえないことだ。そのありえなかったことが、目の前で起こっている。

 そして、今崩れ落ちている先端部分は、この浮都を制御している中心部分だと聞いたことがある。そんな重要な場所で事故が起こって、この浮都の運行は大丈夫なのか。まさか浮都ごと落下したりしないだろうか……

 かつてない事態に動揺しかけたアサキに、さらに追い討ちをかけるようなことが起こっら。いわく。

『ーー……落チル!!』

 音にならない“声”が、アサキの脳裏に響き渡る。

「っ……な、に!?」

 突然の大音量・・・に、アサキは青緑の瞳を見開いた。

 “声”の主は、粉々になっている手元の遺石なのか。この遺石の欠片たちに、これほどの強さの“声”を出せる余力があっただなんて。

 それよりも、何が落ちるというのか。

 アサキは首を巡らす。何かが落ちるほどの高さがある場所は、浮都上層しかない。

 大きな陰にざっと視線を走らせる。最初は異変に気付かなかった。しばらく空の青さを堪えて目を凝らす。

「……あっ!」

 視界の端を、白い何かが翻った。

 浮都上層の一角から、ひらりと柔らかいものが舞い落ちてきている。

(布?)

 それは風をはらんではためきながら、ゆっくりと下降していた。

(布だけにしては、まっすぐに落ちてくるな。何かが包まれてる? でも、そうだとすると、落ちる速度がゆっくりすぎるような……)

 アサキは落下地点あたりに駆け寄って上を見る。そこで、思いっきり眉をしかめた。

「……人?」

 布だと思ったものは、ずるずると嵩張る服のようだ。はためく布の合間から、ちらりと白い髪と白い肌が見える。

「誰かが落ちてきたの……!?」

 受け止めなくては、と慌ててアサキは両腕を前に差し出しかけてーーなんともいえない顔になってしまった。

 高所から落下してきた人を支えられるのか、ということを心配したのではない。人が落ちてきたにしては不自然なほど、それの落下速度はゆっくりなのだ。

 たっぷりした衣服が風を受けて落下速度をゆるめている、と考えるよりもさらにゆっくり。鳥の羽が落ちるのと同じくらいにふんわりと、その人物は降りてくる。

 どうしていいかわからず、ただ見つめているしかないアサキの前、伸ばしかけた両腕の少し先まできたところで、その人物の落下が止まった。

(浮いてる……!?)

 巨大な街が大空に浮かぶことには慣れていても、人間が宙に浮くなどという状況は初めてで、アサキには何がどうなっているのかまったくわからない。

(男の人?)

 はためいていた衣服が落ち着いて、仰向けになった顔が見えた。その顔を見て、アサキは思わず息をのむ。

 流れ零れる長い髪は衣服よりも真っ白だ。それは老人の白髪とは違い、艶やかな輝きを持つ。その髪に囲まれた白い肌も滑らかで若々しい。

 瞳は閉じられているけれども、あらわになった額から鼻筋や頬の線がとても整っていることがわかった。

(すごく、綺麗な人……)

 男性に対してその表現を使うものかどうか迷ったが、綺麗、としかいいようがなかった。整いすぎていて、人形ではないかと感じるほどだ。

(まるで、空人みたいーー)

『ーー“**”!!』

 そのとき、再び手の中の遺石の欠片から、想いが流れ込んできた。

 今度は言葉の中身は聞き取れなかった。ただ、心が震えるような喜びの気持ちが溢れてくる。

「あなたは、この人を待っていたの?」

 孔雀色の深い輝きが、最初に見たときよりも明るくなっている気がする。

「えーっと、とりあえず、どうしよう」

 さっきと同じ独り言を、もう一度アサキは口にした。

 広場周辺にはアサキとこの宙に浮く青年以外に人影はない。得体が知れないとはいえ、この青年をこのまま放っておくわけにはいかないだろう。

 だが、アサキ一人の力で、意識のない大人をどこかに運べるとも思わない。

「このまま横に引っ張ったら、浮かんだまま動かせないかな」

 そう思いついて、アサキは青年の衣服の端にそっと手をかけた。そのまま軽く引っ張ってみる。くんっ、とほんの軽い抵抗のあとにこちらに引き寄せられる感覚があって、いけるか、と思いかけたときだった。

「……わっ!」

 それまで重さなどないかのように浮かんでいた青年が、急に重力の存在を思い出した。アサキに向かってどさり、とのしかかってくる。

 当然アサキには受け止められない。勢いに負けて座り込んだアサキの上に、青年の身体が覆いかぶさる。

 意識のない身体はぐったりと重い。だが、触れてみたことで、その身体の温もりと微かな息遣いを感じられた。

(よかった。人形なんかじゃないし、ちゃんと生きてる)

 アサキは、脚の上に流れ落ちる白髪に思わず手を伸ばしていた。それは艶やかな見た目のとおり、とても滑らかな手触りだった。

 ほっ、と息が出てくる。なんの縁もない青年だが、これが死体だったりしたら、やはりいろいろと寝覚めが悪い。

 そして、そこではっと我に返った。

 現在、自分が置かれている状況を改めて認識する。ーーつまり。人気のない場所に、空から降ってきた正体不明で意識のない青年と二人きり。

 浮都上方では相変わらず白煙が上がったままで、浮都全体がそちらに意識を向けているのか、喧騒はどこか遠く感じられる。

「どうしろっていうのよ、これーっっ!?」

 空に広がる厚めの雲は、少女の叫び声を吸収するだけだった。



 

 

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