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胸が焼けるほどのエゴイズム

 中庭での昼食というのは俺にとって初めての体験だった。

 とはいえ、入学してほんの数カ月で恋人を作っている奴など全体の数割程度だろうから、初めてというのはそこまで珍しい話でもないだろう。



 ただ、やはり金城先輩と一緒にいた俺に向けられた視線は多かった。幸いだったのは、それが別段好意的なものでも嫌悪的なものでも無かったことである。

 俺たちに注がれた視線のほとんど全ては好奇の視線だった。

 金城先輩のような有名人が、自分の教室と隣の教室で止まっているような認知度しかない普通の男子生徒と一緒に座って食事をしているのだから、興味を持つなという方が無理な話だ。話しかけてこないだけで十分良識があると言える。



 しかし、せっかく一緒に食事をしているというのに俺と金城先輩の間には会話がない。お互いに目線を合わせてはいるが金城先輩は鋭い視線をこちらへ向け、俺はそれに困ったような笑みを浮かべているだけだった。そんな俺たちの様子を見ていれば、時間が経つにつれて自然と周囲も興味を失った。

 元々、ここは自分たちだけの世界に入りたいカップルたちが集う場所だから、長い時間を他人に気にかけるのに使うようなことはないらしい。様子が険悪ならなおのことだろう。

 むしろ、出ていけという視線がないだけマシだった。

 ふと、黙々と口におかずを運んでいた金城先輩の手が止まった。


「あなたは、どうして多くの女性を悲しませるようなことをしたのかしら」


 卵焼きを持っていた箸を置く。どうしてと言われてもそんな事実はどこにもないし、なんなら現在進行形で俺の方が悲しい気持ちになっている。生まれてこの方、女の子と付き合ったこともないような相手にそんなことを聞かないで欲しかった。泣きそうである。

 しかし、今の関係性で彼女に何を言ったところで誤解を解くのは難しい。谷木と金城先輩だって別にすごく仲が良いと言うわけではないのだろうが、校内での知名度の高さはその方向性によって信頼度が変わる。

 猫を被った谷木しか知らない多くの生徒が、特に知名度のない俺と有名人である彼女の相反する弁のどちらを信じるか。それは明白であろう。


「さあ、答える義理はありませんので」


 結局俺は、強気でそう答えるしかなかった。こう言っておけば、彼女の勘違いは間違いなく悪化するが、ただ悪化するだけで終わる。明確な答えを提示しないなら彼女の嫌う嘘にもならない。

 金城先輩から俺にかかる圧が増す。その瞳に宿る意思は敵を見るものだ。

 女にロクに触れたこともないのに、女の敵扱いされると言うのは面白い話だが、自分のことなので笑えはしない。


「質問を変えますわ。あなたはこの学校でどう過ごすつもりですの」


 俺はそれに対して、態度を変えずに答える。


「どうって聞かれても普通に、今まで通り過ごすつもりですよ」


 これは少し嘘だ。今の状況もそうだが、谷木の命令に従っている現状を今まで通りと呼ぶことは出来ない。それでも彼女が関わらないところでは普段通り、倉瀬や牧本、木津といった友人たちと馬鹿なことを言い合って、笑っている自分でありたいと考えているのは本当だ。

 恐らく、金城先輩はそう言う意味で受け取らないだろうが後々を考えるとこの答えはきっと正解だし、勘違いしてくれるのならそれはそれで好都合だった。


「それは中学時代と変わらずに過ごす、と捉えて相違ないですわね?」

「それで間違いないですよ。実際、そうしてきましたから」


 どこ吹く風といったような俺の返答にギリッと歯を食いしばってこちらを睨む金城先輩を見ていると、なんだか笑ってしまいそうだった。つい昨日知り合って、普通に会話が出来ていたはずの人に翌日になってここまで怒りの感情を向けられるというのはこれまでに経験がない。

 そしてそれが他人の思惑によってコントロールされているということを彼女は知らず、俺の方が理解している。

 茶番もいいところだ。反吐が出る。



 金城エリスという人は、今日の一連の行動から分かるように純粋なのだ。純粋故に早とちりではあるが真っ直ぐで、正しく、嘘を嫌っている。だからこそ、昨日校則を違反しているにも関わらず俺に向けていた笑顔を俺の言葉が嘘であると認識している現状、彼女は怒りの形相に変えている。

 ではそもそも、彼女の疑念はどこから生まれたのか。

 それはきっと、俺が屋上にいると谷木に聞いた時だろう。谷木は『屋上に不良がいました』というようなことを彼女に言ったのだろう。そう考えるとあの日の金城先輩の疑い振りにも説明がつく。



 では俺の「なんで屋上に来たのか」という問いに金城先輩が「誰かが居たというリークが谷木からあった」という風に答えたのか。それは単純に不良に対して、あなたは不良ですねなどとわざわざ言う必要がないからだ。雰囲気が伝わればよかったのだろうし、多少の皮肉の意味もあったのだと思う。

 その後、放課後になって生徒会室に行った時に彼女が反省文を読んでから「中学時代に不良だったのではないか」と聞いたのは、反省文の出来不出来に由来したものではなかったのだ。あれは、単なる事実確認に過ぎなかったのだろう。谷木からは不良だと聞いていたが普段の素行を調べてみれば特に問題はなかった。そこから事の真偽が気になるのは仕方のないことだ。

 そして、俺は元不良だということを否定した。



 しかし立ち入りの禁止された屋上であんな風に寝ていた相手の言葉を素直に信用しろという方が無理な話だし、谷木のような外面優等生の言葉が嘘だとは思えないのも当然だ。

 だからこそ、最後の谷木の一手が効いた。

 今宮友弥の中学時代における女性関係が歪んでいたという真っ赤な嘘。それこそが真実なのだと思えたはずだ。

 それでも、全くの他人である俺が嘘を吐いたとわかっただけで、ここまでの行動を起こすのは理解できないが、それも谷木がその嘘に金城先輩が動くだけの『何か』を含ませたのだと考えると、一応、仮にではあるが納得はできた。

 その途端にグラリと視界が歪むような錯覚を覚えた。目の前に居る金城先輩の顔も、周囲の景色もグニャグニャに見えて気持ちが悪い。


「……すいません。気分が悪いので教室に戻ります」

「待ちなさいまだ話は……」


 何かを言おうとしている金城先輩を無視して、席を立つ。

 食ったものが全部逆流しそうになるのを必死になってこらえながら、廊下を歩いた。

 この状況も、この先のことも全てが谷木の掌中にあるのだという恐怖と、これから谷木の思惑を知りつつも、己の意思で金城先輩の優しさや実直さに漬け込まなくてはいけないのだという罪悪は、どんな言い訳をしても消えることは無い。



 いや、もはや谷木の思惑だけの問題ではない。これはすでに俺の企てでもあるのだ。



 その証拠に俺は金城先輩が誤解していることを好都合だと考えていたし、言葉で彼女の思考の誘導もしていた。

 俺と金城先輩が深い関りを持つには、どうしてもなんらかの大きな要因が必要だったのだ。

 だから、誤解だろうがなんだろうが、金城先輩の感情を強く揺さぶるほどのなにかが俺には必要だと谷木は考えたのだろう。

 その考えの通り谷木が金城先輩に怒りの感情を焚き付けて、結果的に俺は見張られることになった。

 そしてその状況を使って、自分を守るために彼女の心に踏み入り、悲しい顔が見たくないなどと思いながら、谷木がやったことよりも更に惨いことをしようとしている。



 脅されているとはいえ、言われたからやったでは済まされない。


「いっそ、洗いざらい全部吐き出したらどうにかできねえかなあ」


 無理だとわかっていても、ついついそんな願望が口から出てしまう。

 教室に戻っても酷い気分で、もう授業を受ける気力はとても起きてこなかったから、荷物を持ってすぐに廊下へと出た。友人たちが心配そうにこちらを見ていたが、何かを話すだけの心の余裕もない。



 俺はその日人生で初めて授業をサボった。

 谷木が人間性の無いクズだとするなら、俺も彼女とそう変わらない。自己保身の為ならなんだってする最悪のエゴイストだった。


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