どうしてか、お嬢様に見張られることになった
彼女が明日というからには今日は何かが絶対に起こる。それも昨日金城先輩と遭遇した以上の出来事が起きるというのは明白だろう。そんな確信があった俺は精一杯の警戒をして、痛む腹と休みたいという気持ちを抑えながらいつも通り登校した。
だから俺は今自分が置かれている状況も冷静に分析できるし、なんなら最近の不意を突かれてばかりの状況と比較するなら落ち着いてもいる。ただ、理解ができているわけではないし、動揺は間違いなくしていた。
「今宮友弥はいるかしら!」
そう言って、勢いよく教室という我が安住の地へ攻め込んできたのは何を隠そう金城先輩である。そして、俺はその姿を認めた瞬間にそれが谷木の仕組んだことだと気がついた。朝の穏やかな時間を邪魔した責任はいつかとらせようと心に誓って、席を立った。
「ど、どうしたんですか、金城先輩」
倉瀬や牧本が驚いた顔でこちらを見ていることがわかる。木津に至っては裏切られたとでも言うような表情で目を丸くしてこちらを見つめていた。勘違いも甚だしい。
俺が声をかけると、金城先輩はキッとこちらを睨んだ。その顔に刻まれた怒りの感情を察し、息を呑む。
「昨日、あなたが帰った後に谷木さんから聞きましたわ」
昨日話した時とは比べ物にならないほどに低い声。谷木が何を話したのかは知らないがロクでもないことは確かだ。それも、あの優しい金城先輩がわざわざ教室に出向いてまで俺を睨みつける程度には度し難いことだというのだから相当なことを言っているはずである。
「ええと、どんなことを聞いたんですか?」
そう聞いた時の俺の表情は酷く曖昧だっただろう。恐怖だとか困惑だとか作り笑顔だとか、色々なものがごちゃごちゃになって訳が分からなくなっていたはずだ。倉瀬が笑っている声が聞こえたので間違いないだろう。
しかし、金城先輩はそんな俺の表情を見ても全く顔色を変えずに、否、少し怒りとは別の赤みを頬に加えながら吠えた。
「中学時代にあなたが多くの女子生徒をたぶらかしたということを、ですわ!」
えっ……
「えっ」
あまりのことに金城先輩が現れたことで騒然としていた教室が、一瞬にして静かになった。誰もが一様に「えっ」という音を漏らし、頭にハテナマークを浮かべている。
俺はといえば、谷木に対する恨みのボルテージが高まっていた。同時に、少し傷ついていた。俺って、そんな嫌な男に見えるのだろうか。いや、これからやろうとしていることを考えれば、嫌な男という評価は妥当なのだろうけれど……
しかし、もし俺がそういう人間だったとして、彼女は何故怒っているのだろう。金城先輩はちょっと話しただけで、恋愛フラグが立つような昨今のラノベヒロインではないはずだ。もちろん、俺が忘れているだけで彼女と以前会ったことがあるということもない。
「あなた、昨日『中学時代も普通だった』と言っていましたが、あれはやはり嘘だったのですね! わたくしは嘘を吐かれるのが大嫌いなんですの!」
「あ、そこなんですね」
こういった修羅場が恋心ありきで起こるものだとばかり思っていた自分がかなり恥ずかしくなった。しかし、彼女が怒っている理由がわかっただけで大きな成果だ。ここからどうにか挽回して、誤解を解こう。そうでもしないと、この誤情報は金城先輩だけでなくこのクラス一体、ひょっとしたら学年中に広がってしまうかもしれない。
「そこが大事なんですわ!」
「いや、でも」
「でももへちまもありませんわ!」
どうにか言い返そうとするが、どうやら俺の意見は聞いてくれないつもりらしい。ついさっきの「やっぱり」という言葉の通り、彼女の中では最初から俺に疑惑があったからだろう。もはや、俺がたった一言何か言うことすら許されないという空気が出来上がってしまっている。
いつか読んだ小説に『誤解も一種の解答だから、それを正すのは難しい』とあったが、こうなると本当に厄介だ。うんざりとしてため息を吐きそうになるが、ここでそんなことをすると金城先輩の神経を逆撫でするだけなのでグッと飲み込んだ。
「これから私はあなたが不純な行動をしないか見張ることに決めました! 私が居る限りあなたに悪事はさせませんわ!」
そう言って、金城先輩は肩を怒らせたまま去って行った。あまりの勢いについていけなかったが、俺は恐る恐る教室全体を見渡した。誰もが唖然としている中、倉瀬だけが一人腹を抱えて笑っていた。牧本は心配そうに様子を伺っている。そして一通り周囲を見渡して、最後に木津と目が合うと、彼はそっと目を逸らした。なんだか気まずくなって、廊下の方まで出て行って周辺を確認すると様子を見に来ていたらしい谷木と対面した。
「お前何やった?」
口をついて出た俺のそんな問いに谷木はただただ黙って微笑むばかりだった。
そして金城先輩が俺を見張ると言ってから、四時間ほど経過した昼。友人たちは、木津を除いてそこまで気にした様子はなかった。木津に関してはこちらに非はないが近いうちに謝ろうと思う。
さて、しかし問題は今が昼休みだということであるが『見張る』と言っていた金城先輩は授業間の休憩には姿を見ていない。流石に、十分そこらの時間に来ることは無いようだ。
正直な事を言ってしまうと谷木のことが無ければ、彼女に見張られるというのはかなり魅力的な話ではあった。
金城先輩は谷木と並ぶほどの美人であるし、普通であれば関わることの出来ないような人だ。常々、普通でありたいと思っているとはいえ、俺も綺麗な女性には無条件で興味を持つ思春期男子だから、変な勘違いをされているし、理由が理由ではあるとはいえ一緒にいられると言うのはありがたい話ではある。
ただ、これも彼女を落とすための工程なのだと思うと罪悪感で潰れそうになるのだ。
金城先輩は朝の一件の時に、嘘が嫌いだと言っていた。今はまだ勘違いだと言えるが、少しすれば勘違いを引き起こした谷木以上の嘘を、俺は吐かなくてはならない。
正しくないと分かっていても、やらなくてはいけない自分の無力さが嫌になる。
「今宮友弥さんはいるかしら」
ぼんやりとしながら自己嫌悪に耽っていると、朝とは違って落ち着いた金城先輩の声が聞こえてくる。ただ、顔はしかめっ面のままだ。
「はい」
「お弁当を持って着いてきなさい」
「わかりました」
言われた通り、弁当を持って金城先輩に着いていく。どこに行くのだろうかと思ったが、どうせ着けばわかることだし、わざわざ聞くまでもないだろう。気持ち的にも、あまり彼女と会話をする気にもなれなかった。
そうしてしばらくの間何も言わずに彼女に着いていくと、どうやら中庭に向かっているらしいということに気がついた。屋上とは違い校則で利用が禁止されていない中庭は、多くの生徒が昼食に利用していて、カップル率がやけに高いということで有名だった。
そして、生徒会の役員も昼に会議をする時は中庭にある大きめの木製テーブルで昼食を摂りながら行っているというのは、以前牧本から聞いたので知っている。ただ、遠目に見て取れる中庭の様子からすると今日はどうもそういう雰囲気でもなさそうである。
「……中庭に行くんですか」
俺が遠慮がちにそう聞くと、金城先輩は何を当たり前のことをいっているんだと言いたそうな顔で「何か不都合でもありますの?」と一度足を止めてから質問を返してきた。
別に、こちらとしては不都合どころか、昼食を共にできるだけ美味しい話なのだが彼女はそれでいいのだろうか。
思ったことを言おうか少し悩んでから、やはり言わないことにした。よくよく考えずとも、俺と金城先輩のような人が一緒にいてもカップルに間違われることは無いだろう。間違われたとして、彼女を籠絡しなくてはいけない俺の立場からするとそれは好都合でもあるから誤魔化すことにした。
「や、なんでもないです」
「それならいいですわ」
金城先輩は心底どうでも良さそうにそう言って、また歩き始めた。よっぽど「嘘」が嫌いなのだろう。昨日と比べるとやはり対応が冷たい。
そんな金城先輩を見てふと思ったのは、今俺にしている対応が谷木の嘘によってもたらされた誤解から生じたものであると理解した時彼女はどんな顔をするのだろうという少々意地の悪いものだった。
これは個人的な予測に過ぎないが、もしもそんな時が来るのなら彼女はきっと、酷く悲しむのだと思う。怒るのだと思う。
ただそれが現実になる時にはすでに今起こっている事を含めて、俺にはなんら影響しないことだろう。金城先輩が全てを知るとするなら、きっと全てが終わった時だろうからその時点で谷木の目的は達成され、俺は自由の身になっている筈だ。
それにあくまでも、俺の今の役目は彼女を騙してその心を自分へと向けさせることなのだ。一々彼女の心情に配慮していてはやってられないことである。
だから、この状況は最大のチャンスだ。利用しない手はない。
ただ、そう思いながら同時にポツリと頭の中に浮かんだ一言はどうしようもなく、それら独善的な思考とは真反対のものであった。
金城先輩のような人が悲しむ顔は見たくないと、俺は、そんな事を思ってしまった。