French of outlaw
地球温暖化のせいか?日光の陽射しはこの時期になっても、直接に当たると汗ばむほどだ。しかし、一歩日陰へと入れば、もう秋はそこまで来ているのだと実感させられる。
和浩がフレンチのコースに移ってからと言うもの、和浩自身、物足りなさを感じていた。世界三大料理に数えられるフランス料理なのだから、その調理技法は、和浩からしても素晴らしい事は分かっていた。しかし、料理の入り口が日本料理であった和浩にとって、高価な食材を、わざわざ手間暇をかけて調理する事が、どうにも解せなかった。
例えばの話し、日本料理の代表とも言うべき料理、魚のお刺身だ。釣ったばかりの新鮮な魚を包丁で切っただけ!それだけの料理だ!
と思っている人には、日本料理の真骨頂も和の心も絶対に理解する事は出来ない。今でこそ、日本料理が世界中から絶賛されるようになったが、当時としては、日本料理はかなり下に見られていた。それは、魚を切っただけの物を料理と称していたからに他ならない。
『弘法、筆を選ばず』と言う諺がある。しかし、実はこの言葉はウソなのだ。弘法大師は書に於いて、名人と称され、その道の達人は、道具など選別しなくとも同等の品質を保つ事が出来ると言うのだ。しかし、職人や工芸師などと呼ばれる人々なら分かるであろう。名人、達人と呼ばれる人ほど、その道具に拘り、日々の手入れを欠かさない。これを日本料理に例えると、良い包丁を選び、日に最低でも三回は包丁を研ぐのだ。
日本料理は単純作業が多い。それ故に、その作業、一つ一つを丁寧にしなければ、その味に大きな差が生まれるのだ。食材が持つその特徴を出来る限り余計な手間を省いて、その能力を最大限に引き出す。それこそが日本料理の真骨頂であり、和の心なのだ。この学校に入学して最初の九ヶ月間が、和浩にとっての料理人としての基礎を築いていた。
「山崎君、エエねぇ。そないして、牛肉をしっかり裏漉しする事で、フレンチのベース、フォン・ド・ヴォが出来るんや」不満を持ちつつも、和浩なりに授業や課題は真剣に取り組んでいた。
「先生、フォン・ド・ヴォもエエんですけど、もっと、こう…魚介を使ったベースなんかは無いんですか?」三浦社長を唸らせる料理が作りたいと思っていた和浩は、獣系よりも魚介系のベース作りを欲した。
「うーん、フォン・ド・ヴォの次は鶏を使ったフォン・ド・ヴォライユを覚えて、難しい魚介系はその後やなぁ」融通を効かせて、生徒の意見を積極的に取り入れてくれる教官陣が多い中、フレンチの教官は、そのプライドが邪魔をするのか?カリキュラム通りの授業を進めようと、カリキュラム計画を崩そうとはしなかった。この事が、元々気の短い和浩のストレスを溜めて行った。
家に帰った和浩は、独学で魚介ベースを学ぶべく、自身でオマール海老や渡り蟹などの甲殻類、舌平目や鱈などの白身魚、それにセロリやエシャロットと言った香草系の野菜を購入して、甲殻類を使ったアメリケーヌソース、香草を使ったレギューム、白身魚を使ったフィメ・ド・ポアソンなどを試作し、ポアソンに昆布を1cm角ほど入れてアレンジを加えるなど、努力を重ねて行った。
季節は北風吹き荒ぶ、冬の入り口を迎え、和浩が待ちに待ったフィメ・ド・ポアソン作りの授業が行われる事になった。
和浩は自身で研究を重ねて来た、昆布を入れてのポアソン作りに着手しようとした。
「山崎君、それは何やねん!ボクが説明した材料にそんな物入れぇて言うたか?」以前に少し揉めた教官が和浩の行動に指摘を入れて来た。
「オレなりに色々と研究してやる事です。黙って見とって下さい」和浩の反抗的な態度が気に食わなかったのか、教官はフンと無視をするようにその場を離れた。
「さぁ、皆んな、上手い事出来たやろか?ボクの舌で皆んなの実力を見してもらうから」教官はそう言って、順番に生徒達が仕上げたポアソンの味見をして行った。
「ウン!松本君、流石やねぇ。フレンチ一筋でやって来た成果が存分に発揮されとるよ。君は来年からビストロ・ドゥ・マツシタに実施訓練に行ったらエエ」和浩とは同期ながら、入学以来フレンチコースで学んで来た松本が絶賛された。
「次は君か?」教官は和浩が作ったポアソンをお玉で掬うと、口にも運ばずに、シンクに流して捨ててしまった。
「ちょ…ちょっと待って下さいよ!ちゃんと味見を…」言っている和浩の言葉を遮るように、教官はお玉をスープベースの寸胴に投げ入れた。
「ボクの言う通りに出来てない者の味見なんか出来る訳ないやろ!そないに昆布が使いたいんやったら和食に戻ったらエエんとちゃうんか!」この言葉に和浩も我慢の限界を迎えてしまった。
「分かりましたわ!こんな味音痴が教えとる教室で教えられる事なんかありませんわ!」和浩は前掛けを外して床に叩きつけた。
「クソ!こんなんやったらフレンチなんか来るんやなかったわ」和浩は行き場のない苛立ちと、情けなさを抱えて原付バイクに跨った。