調理師学校
調理師学校に通い始めて、早や、三ヶ月が経っていた。学校の授業は和浩が思っていたよりも、より本格的なもので、始めの授業では、カツオ出汁、昆布出汁、煮干し出汁の三種類を、何の味付けもなく味見をして、どれがどの出汁かを当てると言う味覚試験が行われた。三種類とは言っても、何の出汁が入っているかは誰にも知らされておらず、自分の舌だけを頼りに無数に存在する出汁の元を言い当てなければならなかった。
それにより、三種類全てを言い当てた者がAクラス、二種類を当てればBクラス一種類ならCクラス、一つも当てられなければDクラスとクラス分けをされた。当然の事ながら、クラスごとに授業内容も変わってしまうし、卒業後の就労先にも大きく影響を与える。まさに、弱肉強食の世界だった。
この試験に臨んだ和浩だったが、煮干し出汁をアゴ出汁と答えてしまった。この答えを聞いた教官は驚いた。何故ならば、和浩が答えたのは、ただ単にアゴ出汁だと答えた訳ではなく、三陸産のアゴ出汁だと答えたのだ。しかし、この時に使用していた煮干し出汁は、玄海産の物で、通常に出回っているうるめ鰯よりも、濃厚な出汁が出るのだ。その為に、和浩はトビウオを使ったアゴ出汁と勘違いしてしまったのだった。
「山崎君と言うたな。残念ながら煮干し出汁については間違った答えをしてしまった訳やけど、ボクら料理人の使命は、お客さんに確かな味を正しく調理して提供する事や。君が出した答えは間違いやけど、それを判別する舌は確かなモンや。せやからボクの裁量でAクラスで学んで欲しいと思っとる。エエかな?」思いもかけない教官の言葉に戸惑った和浩は反論した。
「せやけど、間違いは間違いです!ちゃんとルールに沿って判断して下さい」この言葉は、言わば和浩の覚悟の表れでもあった。しかし、教官も理路整然と返した。
「ほなら君は、関東の硬水と関西の軟水を飲んだだけで判別出来るか?お客さんは出汁に何を使っているかなんて求めてへん!求めとるんは、より美味しい料理や!君はアゴと鰯の僅かな違いをほんのちょっとだけ濃いか薄いかだけで言い当てたんやで。君の舌は今直ぐにでも高級料亭に行っても通用するほどに研ぎ澄まされとるんや。後、必要なんは経験だけや!長年、数々の一流料理人を育てて来たボクに反論出来る材料が君にはあるんか?」
和浩の才能が開花する予感をさせる言葉だった。そのまま行けば、間違いなく大阪の北新地にでも自分の店を構えて料理人としての成功を納めていた事だろう。あんな不幸な出来事がなければ…
それでも人々は思うかも知れない。あんな事があったから、"スマイル"溢れるあの食堂が出来たのだと…