最期の言葉
「オカン!オレな、今度は回鍋肉を作れるようになったで!早ように食わしたいから早よ元気になってくれや」母親の初代のベッド際で和浩は努めて明るく振る舞った。
「それは楽しみやなぁ。アンタが始めて炒飯を作ってくれてから、メキメキと料理の腕が上がってんのが分かって、お母ちゃん、楽しみにしとったんやで」そう言って笑顔を作る初代の頬はすっかり痩けてしまっているのが和浩にも分かった。恐らくは初代自身にも体調の悪化は自覚出来ていたのであろうが、和浩の将来を慮り、無理をして来たのであろう。しかし、遂には身体が悲鳴を上げてしまった事で、抗がん剤治療に放射線治療と身体を傷付けざるを得ない療法により、すっかりと痩せ果てて、毛髪でさえも抜け落ち、四十代半ばながら、老婆のような風貌へと変化してしまっていた。そんな母親を見るのは、和浩にとっては、これ以上ないほどに酷な事であったが、悲しみを表に出してしまえば、今までにかけた心労に更に追い打ちをかけてしまう事になるだろう事を和浩は自覚していた。その為にも出来る限りに明るく振る舞っていたのだった。
「カズちゃん、今までは色々とあったけど、これからは強く生きていかなイカンよ」初代の弱々しい声が和浩の耳に突き刺さった。
「何を言うとんねん!オレは今かて十分に強く生きとるで」母親の真意も知らず、息子は強がって見せた。
「あんな…強さって言うのんは、粋がって、背伸びする事やないの。自分の弱さを認めて、その中でも自分が出来る事を精一杯、他人の為に尽くす事なんよ。和浩!強くなりなさい!自分の弱さを認める勇気を持ちなさい!それが出来たら、アンタの優しさがきっと世の中の人を救う事に繋がるからね」母の言葉を黙って聞いていた和浩の瞳からは、いつの間にか止めどもなく涙が溢れていた。
その時だった。初代を繋ぐ機器が甲高いアラームを鳴らした。和浩は直ぐにナースコールのボタンを連打した。
「看護婦さん!直ぐに…直ぐに来てくれ!オカンが…オカンが死んでまう!」
医師や看護師たちが直ぐさまに訪れて処置を施したが、最期は呆気なく逝ってしまった。
翌日には、お通夜が執り行われ、次の日には葬儀が催された。血縁関係上、喪主は和浩になっていたが、実際の手続き等は三浦社長が総てを取り仕切ってくれた。
葬儀を終え、出棺前に親族たちで故人を偲ぶ食事を取り囲んでいる時、和浩は思った。母の初代には、親兄弟はなく、先に亡くなっていた父親の浩志の親族のみが出席をしていた。和浩にとって、父方の親族とは、余り交流がなく、心の拠り所が、父親代わりを自称していた三浦社長のみであった事が、なんとも皮肉なものだと…
「カズボン!お母ちゃんはな、生命保険だけは、しっかりとかけとってくれてたみたいや。お前がその気になるんやったら、大学にかて行けるようにしてくれてたみたいやぞ。これからは自分の人生をゆっくりでエエから考えてイカンとな」三浦は出来るだけ前向きな言葉を選んで和浩に語りかけた。
「社長…オカンがな…最期にオレに『自分の弱さを認める勇気を持てって…その上で他人の為に尽くせ』って…オレ…弱いんか?オレが他人に出来る事って何なんや?」言っている和浩は少年のように泣きじゃくっていた。
「カズボン…初代さんの病気が分かった時、ワシが言うた事を覚えとるか?今は泣いてもエエ時や!思いっ切り泣いたらエエ。お前の強みは、その優しさと正義感や。ほんで、弱さも優しさと正義感や。人はな、エエトコも悪いトコも表裏一体や。守る価値もない者に優しさを見せたら、そこをつけ込まれる。正義感も出し過ぎたら、ただの偽善や。せやから自分が手の届く範囲の、手を差し伸べられる人にだけ、手を差し伸べたらエエ!それ以上の事をしたかったら、勉強して、努力して、自分自身の器を大きくする事や」三浦はグラスに半分ほど残っていたビールを一気に飲み干した。
「自分の出来る範囲…勉強に努力…自分の器…」
和浩は三浦から聞かされた言葉を反復しながら、亡き母に想いを巡らし、自分の進むべき道を模索していた。