#04 -救出行②-
「ふぅ……今夜も寒いな」
吹き付ける北風に身を震わせながら、警護の兵士の一人が呟いた。
兵士の数十メートル後ろには、剃刀一枚通らないつるりとした石壁が広がっている。
「しっかし、こんなところなんて一日中警備している意味あるのかよ。誰も入れねぇじゃねえか」
「教会や聖騎士の連中くらいしかこんなところ来ないしなぁ……。小娘が一人いるって話だけど」
「なあおい、その娘って可愛いのか?」
「やめとけやめとけ、うっかり触るとナニが捥げちまうかもしれねえぞ」
しんとした辺りに、兵士達の下卑た笑い声が響き渡る。
棺を警備している兵士達は、誰もその中の人間を見た事が無かった。
この場の誰も、その石造りの立方体に触れる事はできない。
近づくことができて精々五メートル。それ以上はどんなに進もうと思っても、前に進めないのだ。
一日に三度、聖帝国の聖騎士団の連中が食事や身の回りの世話の為だけに訪れ入っていく。
入っていくのは全て女の騎士だけだが、彼らのうなじには皆同じ刻印が刻まれていた。
それは棺に入る鍵。聖帝国に殉ずる事を誓った証であり、陽に導かれる事を約束された印だ。
「秋だっていうのに冬並みに冷え込んでやがるな。だんだん日も短くなってきてるし……」
「商人の知り合いが言ってたけど、今年の作物も駄目みたいだぜ。先物買いしてる奴は可哀想だな」
「武器の値段も段々上がって来てるし、何だかキナ臭いな」
「こうも嫌な事ばかりが続くと、昔爺さんから聞いた話を思い出すぜ」
「……何だよ、その話って」
「ああ、それは――」
兵士の口は、それ以上の言葉を紡ぐ事が出来なかった。
ゴキリと音を立てて、兵士の首が九十度横に折れ曲がる。
兵士の背中から闇に紛れて、何者かが他の兵士達に駆け寄った。
「誰だ貴様は――」
叫ぶ兵士の喉に突きが刺さり、掠れた声と共に兵士が事切れる。
その何者かが兵士の喉から腕を抜くのとほぼ同時に、三方から槍が襲い掛かった。
「――それは、月光の娘の話かい?」
腕に巻かれていた布が解かれて宙を舞い、兵士達の視界を遮る。
「……コード・D」
小さく、そしてできる限り素早く、メイズが呟く。
夜風に晒された腕に、小さな光が一つ灯った時……三つの槍が同時に止まった。
三人の兵士達は、ぴくりとも動かない。瞳孔は開き、口は開きっぱなしになっている。
「そうさ。あるべき場所に月光の娘が至る時、この世界を終わらない闇が包むんだ」
月光の下で、闖入者――メイズが嗤う。
一拍置いて兵士達の鎧が大きく拉げ、鮮血を撒き散らしながら屍が三方へと吹き飛んだ。
「敵襲ーーーーっ!」
見張り台からかんかんと鐘が鳴らされ、馬と軍靴の音が遠くから聞こえてくる。
「やれやれ、少し派手にやりすぎたかな?」
「ううん、間に合ってるわ。アインがもう動き始めたから」
物陰からロゼリアが姿を現し、もう一度きつく手袋をはめ直す。
手袋は織られた糸一本一本から発光しており、それぞれ異なる光が幻想的な色合いを演出していた。
「さて――アタシ達も仕事を始めるわよ」
ロゼリアの言葉と同時に見張り台の方から轟音が聞こえ、地面が揺れる。
反射的にメイズが音の方を見て、その光景に目を見張った。
先程までそこにあった大きな物見櫓は、影も形も無い程粉々に破壊されていた。宙を舞う火の粉だけが、そこに火球がぶつかった事を示している。
続けざまに虚空へ魔方陣が描かれ、巨大な火球が三つ生まれた。
火球はそれぞれ別の方向へと放たれ、再び轟音と地震を生む。
「……これでは一方的な虐殺だな。戦いですらない」
「アインはあくまでも陽動よ。
アタシ達が失敗すれば全てオジャンなんだから、ぼうっとしないの!」
「はいはい、お嬢様の仰せのままに」
呆れたようにメイズがため息を吐いて苦笑し、ロゼリアと共に駆け出す。
運命の歯車は、既に歯止めの効かないところまで回り始めていた。
「……やれやれ、若者はいつも無茶をする」
スコープ越しにメイズ達の様子を伺い、ラインホルトは苦笑した。
二人の傍には今のところ敵影は無い。その大部分は既にアベルとアインが引き受けていた。
アインの方に照準を合わせる。彼女は空中に静止し、魔方陣を幾重も展開して火球を放っていた。
――並列詠唱と高速詠唱の類ですか。いやはや、大したもので。
ほう、とラインホルトが息を漏らす。
「これだけ複雑な魔術コードの制御は、幾らお嬢様でもできますまい」
以前からロゼリアの付き人として付いているのだ。例え魔法が使えずとも、その理論くらいは分かる。
魔術とは、いわば『世界への干渉』の最たるものだ。
魔術は人間の表層意識と深層意識を端末とし、身体の魔力をリソースとして空間や事物に干渉する。
つまり自分の意志を世界に伝え、影響を及ぼす最も強力な手段なのだ。
その際には世界に干渉する『鍵』となるコード……つまり呪文を詠唱しなければならない。
刻印魔術の様な単純なものであれば殆ど一文字で発動できる。
しかし、干渉する意志が複雑になれば、当然詠唱は長く複雑なものとなる。
アインはその長い詠唱を幾つかのブロックに分けて同時進行で詠唱し、また高速で行っていた。
本来なら発動だけで何か月もかかるその火球を、アインはほんの数十秒で生み出している。
そして彼女が使うのは、世界に満ちる原初の魔力リソース『マナ』を用いた文字通りの魔法。
干渉する意志の強さと精密さは、魔術など比べものにもならない。
「さて……アベル様の方は――」
照準をアベルの方へと向ける。アインは何も心配なさそうだった。
「ああ、こちらは少しマズいですな」
照準器を覗き込みながら、ラインホルトが険しい顔をする。
アベルは真っ直ぐ【棺】の方へと向かっている。
単騎で突っ込む彼には、相手方の戦力の殆どが集結していた。
アインの援護で攪乱されてはいるものの、多勢に無勢である事に変わりは無い。
クロスボウを構えた一団が、アベルの視覚になる木陰から彼を狙っていた。
「アベル様が死んでしまえば計画が破綻だ。破綻すればお嬢様にも危害が及ぶ」
照準が、ぴたりと射手の一人に合わせられる。
ラインホルトの目はいつしか鷲の様に鋭くなり、気配は消えていた。
撃鉄を起こし、慣れた手つきでもう一度射手への狙いを調整する。
「それだけは……赦す訳にはいきませんなぁ」
鷲の瞳が細められ、口元が歪む。
そして静かに、引き金へと指が掛けられた。
「主よ、どうか私に力を」
引き金が引かれ、火花が上がる。
一拍置いて弾丸が発射され、撃たれた射手が眉間から血を噴いて倒れた。
間髪入れず弾込めと火薬詰めが行われ、撃鉄が起こされる。
ラインホルトはあっという間に次の標的へと狙いを定め、再び引き金が引かれた。
今度は別の射手のこめかみに弾丸が命中し、血と脳漿を散らして射手が倒れる。
残りの射手は既に明後日の方角へと逃げ始めていた。もう戦意は無いだろう。
――位置の変え時と言ったところでしょうな。
マスケット銃を担ぎ、音を立てないようにラインホルトが移動を始める。
狙撃手は相手にとって大きな脅威であり、最も警戒されるものだ。
一つ所に留まって撃ち続けると、場所を悟られて攻撃を受けてしまう。
故に狙撃手は、数発撃てば離脱するか場所を変えなければならない。
離脱したいところだが、まだまだ仕事は残っている。
――お嬢様の為したい大義というのは、中々骨の折れるものですな。
老骨に若干堪える山道を駆けながら、ラインホルトはため息を吐いた。
剣を構え走るアベルに向かって、数十人あまりの兵士達が突撃を開始していた。
敵襲の報せによって警護に当たっている当直の兵は総出で侵入者の迎撃にあたっている。
恐らく伝令ももう動いているので、放っておけば街の駐屯地から応援が大勢やって来るだろう。
故にこの奪還作戦に於いては、如何に素早く月光の娘へと辿り着けるかが全てとなっていた。
「さあ……道を開けて貰うぞ!」
だん、と一段力強く地面を蹴り、アベルが加速した。
目前の敵に向かって、真っ直ぐに剣を打ち込む。
雷光の如き速さで打ち込まれた分厚い刀身はいとも容易く相手の兜をひしゃぎ、一刀両断した。
迫る槍と長剣を切り払い薙ぎ倒し、剣の届く範囲の敵を残らず斬り飛ばす。
さながら東国の鬼か夜叉の如く、凄まじい勢いでアベルが人の群れを斬り進んでいく。
――何故、俺の邪魔をする。
また一人、飛び掛かってきた兵士をアベルが斬り伏せる。
敵の攻撃を躱し、或いは捻じ伏せて、アベルはひたすら前へ前へと進み続けていた。
警護の兵士の殆ど総員が、アベルとアインに向かってきている。
しかし空にいるアインに矢や大砲以外の攻撃が届く筈も無く、必然的にアベルだけが狙われる状態となっていた。
雨あられと射かけられる矢を駆け回って躱しながら、一人また一人とアベルが兵士を斬り倒し続ける。
近くでアインの放った火球が炸裂するが、今の彼にはまるで気にならない。
今はただ、焦がれ続けた月光の娘の事だけが、アベルの頭を支配していた。
一歩一歩と進む度、ずきずきと胸が痛む。
棺に、彼女に近付く度に、胸の刻印が少しずつ熱くなってきている。
――俺に近付くな。俺の行く手を遮るな。
避け損なった切っ先が鎧を擦り、飛んできた矢が頬を掠める。
しかし、ほんの少しの痛みも疲れも、今の彼には感じられなかった。
傷つくのも構わず、棺へと向かってアベルは進み続ける。
矢がこめかみを掠り、どろりと血が垂れた。
視界の片側が著しく霞み、隙をついて兵士達が雪崩れ込む。
――こんな……。
人の波を切り進みながら、アベルが歯ぎしりする。
「こんなところで、終われるか!」
アベルが剣を大きく振り払うのと同時に背後から火球が飛来し、兵士達が散り散りに吹き飛ぶ。
――命よりも大事な人が……俺を待っているんだ!
もう一度走り出そうとしたその時――背後から強い殺気を感じた。
僅かに首を動かして、背後を確認する。
自分の遥か後ろの繁みの中。そこからきらりと光る物をアベルは認めた。
――しまった!
恐らくはクロスボウ。兵士達は陽動で、恐らく本命はこちらだろう。
棺を前に視野が狭まり、まんまと術中に嵌ってしまった事に漸くアベルは気付いた。
三方からは押し寄せる兵士達。後方からは狙撃の射手。
今やアベルは、完全に包囲された状態にあった。
「くそ……っ」
棺はもう見える範囲にある。結界までは後百メートルと言ったところだろう。
――ここまで……ここまで来て、やられるのかよ!
奥歯が砕けそうな程に、アベルが強く歯ぎしりしたその時。
弾丸が風を切る鋭い音と共に繁みから絶叫が上がり、遅れて銃声が轟いた。
他の兵士達の注意がそちらに向き、その隙にアベルが路を切り開き始める。
もう一度銃声が轟き、繁みから射手達が飛び出て逃げ始めた。
「あんまり遅いから見捨てたか殺られたと思ったぜ……!」
前を睨んだまま、アベルが歪な笑みを浮かべる。
撃ったのがラインホルトであるという事は、もう見ずとも分かっていた。
あれだけ一射目と二射目の間隔を短く撃てる者はそういないだろう。
――こんなところで、立ち止まっている場合か!
流れる血を拭って、アベルが棺の方を睨んだ。
剣の柄を強く握り直し、放たれた矢の様に一直線に駆け出す。
窮地に追い込まれていたアベルに、再び活力が戻ってきていた。
狙撃手の存在は言うまでもなく敵にとって恐怖である。
そして恐怖は伝染し、敵に勝る脅威となり得る。
今や兵士達にかつての士気は無く、一人また一人と撤退し始めていた。
「退けぇえええええっ!」
アベルが吼え、及び腰となった群れへと突貫する。
今や彼は一匹の獣であり、彼を止められる者はこの場に誰一人としていなかった。