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#03 -救出行①-

 いつしか陽はすっかりと暮れ、代わりに青白い月が浮かび上がっていた。


 今夜は満月の為、月明かりだけでも辺りは随分明るい。

 

 寝ようと思っても寝られるものではないだろう。


 ――もうすぐ決行、か。


 窓の格子に手をかざして、アベルが目を細める。


 月光は、アベルの手に取り付けられた篭手こてをぼんやりと照らしていた。


 月光に温度は無く、ただ弱々しく辺りを照らしているだけである。


 その身体には、薄いがしっかりとした造りの使い込まれた甲冑が着込まれている。


 壁には身の丈ほどもある、同じくよく使いこまれた長剣が立て掛けられていた。


 腰にはフリントロック式の拳銃が提げられており、腿にはナイフが一本吊ってあった。


 そしてその全てを包み、覆い隠す様に、血の様な深紅のマントをアベルは付けている。


 まるでいくさ最中さなかの様な、旅人にしてはあまりに大袈裟な装備。


 それこそが彼にとっての戦装束であり、最も着慣れた服装だ。


 あと四半刻もしないうちに、アベル達は月光の娘を奪還しに向かう。


 教会や他の人からすればそれは略奪に他ならないのだろう。


 しかし、アベルにとってその意味は大きく異なる。これは間違いなく奪還なのだ。


 教会からすれば忘れたい事の一つなのだろうが、アベルは少し前まで月光の娘と共にいた。


 雪の様に白い髪と肌を持つ、海の様に深く澄んだ蒼い瞳の少女。


 アベルは誰よりも彼女に強く惹かれ、焦がれていた。


 ていにいえば恋していたのだ。


 ……否、そういう意味では、アベルは今も彼女に恋している。


 ――やっとだ。やっと、お前を助けてやれる。


 かざした手をぐっと握り絞めた後、アベルがそっと拳を胸の上に置いた。


 鎧の下、下着の下。


 アベルの胸の中心から少し左側――丁度心臓の辺りには、月蝕を模した紋様が刻まれている。


 ぼっかりと開いた穴の様な黒く大きな丸の縁のあたりに、細く白い線が円を描いていた。


 この紋様こそが、彼と彼女を現在繋いでいるたった一つの証拠である。


 同時にそれは、彼女がアベルの傍にいた事を示す、彼女の残滓だった。


「今度は離さない。今度は……必ず……!」


 そっと目を閉じて、拳を強く握り直す。


 あの時、アベルは月光の娘を失ってしまった。


 自分が無力であったばかりに大切なものを失ったという悔しさが、今の彼を突き動かしている。


「俺は次こそ失わない。必ず、必ず彼女を――」


 言葉を遮る様に、硬いノックの音が三回聞こえた。


 アベルが目を開いて、扉の方を見る。


 扉の向こうには人の気配が一人分感じられた。恐らくアインかメイズだ。


「私だよ。入ってもいいかい?」


「……メイズか。入って良いぞ」


「…………」


 きい、と軋みながら扉が開き、メイズが中に入ってくる。


 重装備のアベルとは大きく異なり、メイズの格好は随分と軽装だった。


 秋だというのにその上着は、肩からばっさりと袖が落とされた布地の薄いものになっている。


 上着から覗く筋肉質な腕には刺青いれずみの様な刻印がびっしりと刻まれている。


 刻印はその一つ一つが、闇の中でぼうと光っていた。


 左手には包帯の様な長い布が二枚携えられており、歩く度にひらひらと揺れている。


「あと残っているのはお前だけだからな、迎えに来たぞ」


「……それはどうも」


 メイズは断りも入れずにアベルの隣にどっかりと腰を下ろし、腕に布を巻き始める。


 何もしないで闇の中を行動するには、その刻印はあまりにも目立ち過ぎた。


「ああ、今日は刻印魔術を使うのか」


「状況が状況なだけに、何でも使えるものは使わないとね。


 自分の身体以外のものに頼るのは主義じゃないけど」


「分かるよ。俺だってそうだ」


「ふふ、違いないな」


 アベルが微笑み、メイズもそれに連られて笑った。


 刻印魔術。魔術の中でも特に単純で最もポピュラーなものの一つだ。


 仕組みは簡単で、特定の単純な術式を予め刻印として身体やモノに付与し、術者の鍵語によってそれを起動するというものだ。


 刻印は時間と魔力さえあればいくらでも刻む事ができる。


 しかし、あまり複雑なものを大量に刻むと暴走する恐れがある。


 だから刻める刻印の種類は多くて五種類というのがセオリーだった。


 メイズの場合、使うのは瞬間的な筋力の強化や軽い傷の治癒、一時的な痛覚無視だ。


 より複雑で高度な魔術を求める魔術師には無用の術である。


 しかし、元々身体を動かすのが仕事のメイズ達にとっては大きな力となる。


 今はしていないものの、アベルも剣や身体などに、少しの刻印魔術を施す時があった。


「アベル、準備はできているかい?」


「見ての通り万端に整っているさ。抜かりない」


 アベルの返答にメイズが小さく首を横に振り、アベルの目を真っ直ぐ見つめる。


「そうじゃなくて、心の準備だよ。


 ここを通り過ぎてしまえば、きっと私達は元に戻れなくなる」


「……何を今更。準備なんてのはな、もうとっくに済んでるんだよ」


 アベルが立ち上がり、窓に嵌っている木の格子を外す。


 昼間のうちに細工して切り取っておいたのだ。


 格子を外し終わるとアベルは剣を背負って窓から身を乗り出し、窓枠に足を掛けた。


「何故なら――」


 ぐ、とアベルが足に力を込める。


 その瞬間、メイズが言った様に……もう戻れなくなるという実感がアベルの胸中に芽生えた。


 けれど、止まる事はできない。アベルの前には進むという選択肢しか残されてはいない。


 ――何故なら……決まっている!


「俺はずっと、この日の為の為に生きてきたんだからな!」


 控えめに叫びながらアベルが窓枠を蹴り、夜の世界へとその身を躍らせる。


 一瞬の浮遊感の後に、冷たい空気と共に重力が襲ってくる。


 慣れた動作で受け身の構えを取り、アベルが着地。


 一瞬間を置いてメイズが隣に着地した。


「あら、少し遅かったわね。ガラにも無く緊張かしら?」


 屈んだ体勢のアベルを見降ろしながら、アインが微笑む。


 その肢体は真黒まくろいローブに覆われており、十本の指にはそれぞれ色の違う石の指輪がはめられていた。


 ローブの白い裏地には赤い文字で幾何学的な文字がびっしりと刺繍されており、時折小さく瞬いている。


 見ればその片目は緑色になっており、瞳の奥にはローブの裏地に似た幾何学文字が刻まれていた。


「アベル様も人の子ですからな。色々と思う事くらいあるでしょう」


 アインの方を見つめて、ラインホルトが言う。


 その背には軍用のマスケット銃が負われており、腰にはデリンジャー銃が提げてあった。


 落ち着いた雰囲気の中に氷の様な冷たい殺気があり、その目は硝子玉の様に無機質で無感動だ。


 その歳以上に年季の入った戦士の風格が、彼の全身から漂っていた。


「さあ、グスグズしてはいられないわ。一刻も早く棺へ向かいましょう」


 ロゼリアが四人の顔をそれぞれ確認して周り、目的地の方へと向いた。


 華奢な身体に赤いコートを纏い、ぴっちりとした薄い手袋をはめている。


 まだ子供だというのにその気配は静かで重く、一流の魔術師である事をその背中が物語っていた。


「……ああ、待たせたな。早く行こうか」


 立ち上がって埃を払いながら、アベルが呟く。


 夜の街は病的な程に静かで、そして冷たく青白かった。


 昼の世界とは明らかに違う、死が漂う世界。


 それはこれからアベル達が歩く世界であり、ずっと彼女が暮らしている世界だ。


「月光の娘を取り戻して、この世界を変える為に」


 アベルの言葉に、全員が頷く。


 誰に指図されるでもなくアベルが先頭を走り、他の四人がそれに続いた。


 月明かりの中を五人が動き、街を抜けて山へと入っていく。


 五つの影は放たれた矢の様に真っ直ぐ、【棺】の方へと駆けて行った。

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