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三つ目のティーカップ

作者: 猿取いばら

引越業者から送られた段ボールを組み立て、荷造りを始めようとする。

乱雑に置かれた私物を見て、一気に引越の準備をする気持ちが失せてしまった。

こんなことなら、母の忠告に従い、マメに掃除をしておくんだった。

とりあえず、最初に目についた、ベッドの上の漫画を段ボール箱に入れてみる。

私が中学生の頃にとても流行った漫画だ。

主人公のライバルの男の子っがとてもかっこよかったなあ。と、懐かしい気持ちになり、気づいた時にはベッドに横になって漫画を読みふけっていた。

母がそれに気づいたのは、最終巻の一つ手前を読んでいたときである。

呆れた声で私を窘めると、下に降りてくるように言った。

しぶしぶ漫画を読むのを中断し、階段を降りる。

リビングでは、母が床いっぱいに貰い物のタオルやら湯飲みやらの入った箱を並べていた。

どれを持っていきたいか。ウキウキしたような声できかれる。

押し入れを圧迫していた荷物が私の引越によって少し片付くのが嬉しいのだろうか。

娘を廃品業者のように扱うのは止めてほしい。

適当にバスタオルを数点選ぶと、一つの箱に目が留まった。

よく晴れた空のように青い箱に、大切にしまわれていたのは使われていないティーセットだった。

実は私は紅茶がとても好きである。

決して昔読んだ漫画のキャラクターが紅茶党で、それに影響されたからではない。

紅茶を口に運ぶときの指の所作に惹かれたからではない。

就職先の都合で一人暮らしが決まったとき、自分用のティーセットを買おうと、インターネットで検索していた。

自分好みのティーセットはなかなかなかった。

デザインが好きだと思ったものは、ティーカップが五つであった。

一人暮らしに五つのカップは多すぎる。

ならばと、見つけた別の物は、大学卒業したての私には高すぎた。

目の前にあるティーセットはどうだろう。

陶磁器独特の白い色が美しく、飲み口からすっと入った凹凸のカーブがまるで踊り子のドレスを逆さまにしたようで美しい。

これこそ私の求めていたティーカップだ。何よりタダなのが素晴らしい。

しかし、不思議だった。

ここにあるのは、恐らく両親が結婚式にいったさいに貰った引き出物の類だろう。

他にも引き出物のティーセットがあるが、それらはティーカップが二つ。

しかし、私の惚れたティーセットには、ティーカップが三つ。しかも、うちの一つは他の二つよりも一回り小さく感じた。

小さなティーカップは、日常使いにでもしよう。

そう決めた私は、台所で今日の夕飯は何にしようと冷蔵庫を開けて考えている母を後目に、ティーセットとバスタオルを持って部屋へ戻った。


職場から実家までは二時間程かかる。

通えない距離ではないが、朝が苦手な私は一人暮らしを選択した。

職場から歩いて五分、近くに小さいが商店街もある良い立地のアパートを見つけた。

引越当日、両親が引越作業を手伝ってくれたため、もと居た部屋よりも居心地のよい空間にすることができた。

別れ際、母は一週間後には前の部屋のようにならないように、きちんと掃除をすること、と苦言を呈しながら、今日の夜ご飯にとタッパーにつめたおかずをくれた。

母が先に車に行ったのを見届けると、父はこっそりお小遣いと、私の好きなクッキーの缶をくれた。

外国商品の置いてある巨大なスーパーにしかないもので、父と私の大好物である。

最近、お腹の出た父は母にそれを食べるのも、買うのも禁止されたため、母にばれないように買ってくれたのだろう。

父と母、それぞれの優しさに感謝して、二人を見送る。

バタンとドアを閉めると、自分一人の城ができたことに喜びと寂しさを覚えた。

まだ、夜ご飯には早いが、引越で体力を使ったため小腹がすいていた、甘いものが欲しなる。

さっそく父がくれたクッキーをつまもう。

タッパーを冷蔵庫にしまい、クッキーはテーブルの上へと置く。

そうだ、あのティーカップを使おう。

実家から連れてきたティーセットの存在を思い出す。

一人のため、使うのは一回り小さいものでいいだろう。

冷蔵庫の横に父が備え付けてくれたガラス引き戸の戸棚を開け、ティーカップを出そうとする。

手が止まる。

ティーカップの中に何かがあった。

女の子の人形のように見えた。真っ白な長い髪、真っ白なワンピースが可愛いらしい。

目を閉じ、胎児のようにティーカップの中にすっぽり嵌って眠っているようだった。

父か母のいたずらだろうか。

文句をいうために携帯電話を探そうとしたが、女の子に見入ってしまった。

微かだが、寝息が聞こえる。胸も上下に動いているように見える。

人形ではない。生きている。

ふいに、女の子が目を開けた。

一つ欠伸をして、上体を起こし、キョロキョロと周りを見る。

私の存在に気づくと、いそいそとティーカップの淵を跨ぎ、どうぞお使いくださいと言わんばかりに横につく。

立ち上がって初めて気づいたが、女の子の白い足はワンピースと同じく、白い靴に収まっていた。

人形だと思っていた女の子が動き出したことに驚いた、もっと近くで観察したいという欲望に駆られ、顔を戸棚へと近づける。

すると、盛大にお腹の音が響いた。

そういえば、小腹を満たすためにティーカップを用意しようとしていたことを思い出し、観察はとりあえず諦め、ティーカップを戸棚からだし、キッチンテーブルに置く。

やかんに水を入れて火にかけると、もってきた筈の紅茶のティーパックを探す。

確か、台所用品と一緒に入れてきたはずなのだが、見つからない。

仕方なく、母が持たせてくれた緑茶のティーパックをティーカップに入れ、ちょうど頃合いになったやかんのお湯を注いだ。

緑茶の良い香りがキッチンに充満する。

クッキーには合わないかもしれないが、水分は不可欠である。

明日にでも、紅茶を買いに行こうと考え、ティーカップを持ってクッキーの待つ、テーブルまで運んだ。

ソーサーは洗い物が増えてしまうため、使わないことにした。

クッキー缶の蓋を開け、どれにしようかと値踏みする。

チョコチップの入ったクッキーを一つとると口に放り込んだ。

甘さが口いっぱいに広がる。

次のクッキーを取る前に、ティーカップの中の緑茶を口に含んだ。

十分、緑茶の特徴的な緑色が出ていたため、ティッシュを数枚とり、その上にティーパックを乗せる。

置いた場所を中心にさっと、ティッシュに緑色が広がった。

小学校の頃に図工の時間で使っていた、水彩絵の具のようで見ていて面白い。

ティーカップを置くと、缶に目を戻し、次に食べるクッキーを吟味した。

ふと、目線を感じる。ティーカップをみると、先ほどの女の子が不満そうに私をじっと見ていた。

いつのまにこちらに来たのだろうか。

よく見てみると、ワンピースの色も緑色になっている。

白い靴も履いていない。

もしやとおもい、ティーカップに入っていた飲みかけの緑茶を、近くに置いていた封を切っていない紙コップを開けて一つ取り出し、そこに入れてみた。

女の子のワンピースは先ほどよりも薄い緑色に変わっていた。


どうやら、女の子はティーカップと同じような状況になるらしい。

不思議なことだ。

誰かに相談しようともしたが、特に迷惑に感じているわけでもなければ、頭をおかしくしたかと思われるのも嫌なので止めにした。

女の子がいて、何か変わったことがあるとすれば、掃除をきちんとするようになった。

特に洗い物。

洗い物は実家にいたときから、なるべく避けていた作業だった。食器洗い機という文明の利器があるのだから、わざわざ洗う必要はない。この家のキッチンにも贅沢にも置こうとしていたが、キッチンの構造上どうしても置けないと言われ、なくなく断念した。

そのため、なるべく洗い物が出ない生活を心がけようと思いたち、近所の百円均一で割りばしやら紙皿やらを購入した。

他に変わったことは、横着さが減ったことか。

ソーサーを使わなかったとき、女の子は靴を履いていなかった。

ソーサーは女の子の靴なのだろう。

靴を履いていないと、女の子は少し寂しそうな顔をする。

少しかわいそうに思って、毎回ソーサーを使うようにした。

最初はそれだけの変化だったが、一つきちんとしていると他の乱雑にしているものが目に付く。

脱ぎ散らかした衣服や、読んだまま積み上げた漫画本もきちんと片付けるようになった。

今の私は実家でだらけていた私に見せてやりたいくらいきれい好きである。

シンクの横では、女の子が嬉しそうにくるくると回っていた。

ティーカップが汚れたままだと、女の子のワンピースも汚れたままになってしまうのではないかと思い、このティーカップを使ったあとは重曹で丁寧に磨く。

女の子が嬉しそうに微笑むと、何故か私も嬉しくなった。


女の子はティーカップに紅茶を注ぐととても喜ぶ。

ダージリンを注ぐと、澄んだオレンジ色に、アッサムを注ぐと、澄んだ濃い赤色にティーカップに注いだ色に、女の子のワンピースも染まっていく。

私もついその様子が楽しくなり、毎日のように紅茶を用意していた。

今日も仕事帰りに職場の近くにある紅茶店に立ち寄る。

フレーバーティーはどうなるだろうかとワクワクしながら眺めていると、話しかけられた。

聞き覚えのあるその声は、職場の一個上の先輩だった。

紅茶を買いに来たらしく、私が邪魔だったようだ。

素直に場所を譲るとおすすめの紅茶を教えてくれた。

今日はこの紅茶にしよう。

紅茶店を出ると、雨が降っていることに気づく、どんよりとした雲だ。長引きそうだ。

折り畳み傘を持っていることを思い出し、鞄の中を探す。

その間に先輩も目当ての紅茶を購入し終えたらしく、外へ出てきた。

雨が降っていることに分かりやすく肩を落とす。

聞いてみると、傘を持っていないらしい。

先輩の家は職場の最寄り駅から電車で数時間かかる場所にある。

傘なしに帰宅するのは厳しいようだ。

私はもしよければ、うちで雨宿りをしないかと提案した。

先輩は少し驚いて申し出を断ったが、このままここにいては風邪をひいてしまう。と告げると渋々、私の傘に入ってきた。


部屋の中に私以外の人物がいるのは違和感がある。

毎日きちんと掃除していて本当に良かった。

お客さんが来た時のためにと、大切に戸棚にしまっておいたティーセットを取り出す。

そこにしまっていたはずなのに、いつも使っている女の子のティーカップが消えていた。

探すのは後にして、揃いのティーセットを取り出し紅茶を淹れる用意をする。

淹れるのは、以前先輩が勧めてくれた紅茶にしよう。

ポッドに茶葉をいれると、沸いたお湯を注ぎ、トレイにティーセットを乗せる。

先輩は気まずそうにキョロキョロしていた。

その姿は最初に女の子と会った時とよく似ていて、懐かしくなり笑みがこぼれる。

先輩の前にティーカップを置き、紅茶を注ぐ、美しいオレンジ色が満たされ、部屋の中に紅茶の香りが広がった。

ティーカップの取っ手を持ち、紅茶を口に運ぶ。

さすが紅茶好き。昔読んだ漫画のライバルキャラクターのように、優雅な所作が美しい。

今まで一人で飲んでいたが、二人で飲む紅茶は味が違うように感じた。


新居のキッチンに、次々と食器を並べる。

主人は引っ越し業者と協力して、二階に荷物を運んでいるところだ。

主人が持っていた食器と、私が持ってきた食器、そして新しく買い足した食器も入れると、食器棚はいっぱいになった。

はじめての引越の時に、実家から持ち込んだティーセットを取り出したとき、あることに気づいた。

二つしかなかったティーカップが三つに増えていたのだ。

一つだけ一回り小さいと感じていたのは、どうやら私の勘違いだったらしい。

先輩―主人がはじめて私の家に訪れた時以来、見つけることができなかったティーカップが出てきたのが嬉しかった。

三つのカップを並べてやる。

まるで家族のようだ。

引越がひと段落したら、主人と一緒に紅茶を飲もう、この白いティーカップを使って、主人の勧めてくれた紅茶を淹れて、もうまもなく生まれてくるであろう、新しい家族ともいつの日か、三つ目のティーカップを使って、紅茶を飲む午後のひと時を過ごそうと思った。





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― 新着の感想 ―
[良い点] セリフのない短編小説という事でしたが、一人称で情景描写、心理描写がしっかりとされていて良かったと思います。 [一言] 今後の執筆活動も頑張って下さい。
2018/08/17 09:15 退会済み
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