第11話 求める者と捨て去る者
イシカワシタ領は鎮圧され、謀反を起こした領主の家は当然お取り潰し。今後は直轄領となり、街は国境警備軍が駐屯する防衛拠点とされることが決定した。今はハヤマル王子が総指揮を任されているけれど、国境警備軍の指揮官が任命されたので数日中に赴任していくという。
ひと足先に王都に帰還したわたし達は、ヤマタナカ嬢の中庭でのんびりお茶をいただいていた。わたしがここでお茶をいただくのはこれが最後になるだろう。指南役の仕事は終わり、たんまり報酬もいただいたので、後はここを出ていくだけである。
「ユウさん。本当に出ていっちゃうのか?」
「教えるべきは教えました。あとはチイト君次第です。それより、新学期はちゃんと勉学に勤しんで、ダンジョンなんかに遊びに行くんじゃありませんよ」
チイト君はまだメイモン学院の学生ということになっている。勇者と公表されたのだからカモフラージュの必要はなくなったものの、それでこの世界のことを学ぶ必要までなくなったわけではない。わたしが指南役として与えた最後の指示は、「ちゃんと卒業すること」だった。
「スズメ、家を継がないとしてもお前がおばあ様の孫であることに変わりはないんだ。王都に来たときはちゃんと顔を見せるんだぞ」
「わかっているのです。おばあ様のお墓参りと、ついでに兄弟子をぶっ倒しにくるのです」
今日はスズちゃんも呼ばれていた。マコト教官が気兼ねなくハシモリの家を訪ねるよう言い含めている。今度こそ【矮躯】を倒すのだとスズちゃんは相変わらず物騒だ。闇討ちで裸旋金剛撃を放ったりしないことを祈ろう。
「ミドリさ……ミナガワ蘭爵。チイト君が逃げ出さないよう、しっかり手綱を握っておいてください」
「ユウ先生に蘭爵なんて呼ばれると緊張しますね」
ミドリさんはわたしの後任としてすでに爵位を授けられ、立場に相応しい艶やかなドレスを身に纏っていた。わたしの後任なんて荷が重いと、青ざめた顔を強張らせている。
「たんぽぽ爵の代わりが務まる人間なんていない。蘭爵は蘭爵としてヒジリに仕える」
いつもの茂みから頭だけ出したナナシーちゃんが、わたしの代わりではなく自分にできる仕事をすればいいとミドリさんを励ます。そうそう、わたしの代わりだなんて気負う必要はない。ミドリさんにしかできないことだってあるのだから。
「ユウにはわたくしからこれを授けます。受け取ってくださいますね?」
ヤマタナカ嬢が取り出した小箱を開くと、そこにはたんぽぽの花を模した1本の簪が納められていた。花弁の部分は金細工で、中心部には宝石があしらわれている。なかなか可愛らしい逸品ではあるものの、これは貴族の地位を示すものではなかろうか。指南役を辞したわたしはもうたんぽぽ爵ではない。ただの無職である。
「これ、わたしが身に着けていいんですか?」
「王家からの下賜品です。どのような場でも、はばかる必要はありません。ミドリ……」
「かしこまりました」
ミドリさんがわたしの髪に挿してくれた。鏡がないのがちょっと残念だけど、皆が似合っていると褒めてくれる。
「ありがとうございます。大切に使わせていただきますね」
せっかくの頂き物。金剛力でふっ飛ばさないよう気をつけねば……
「これでユウは終生名誉たんぽぽ爵に叙せられました。この先、どの国のどの街に行こうとも、あなたは我が国のたんぽぽ爵です」
「ファッ?」
スズちゃん以外の人達は皆グルだったようで、手を叩きながら口々にお祝いを述べてきた。ヤマタナカ嬢によると、特に官職もなく手当てもつかないけど、身分の上では貴族として扱われる。元大臣で今は官職にないスケノベ桃爵みたいなものだという。
「わたくしからの感謝の証と思ってください」
「わかりました。ありがたく受け取らせていただきます」
受け取ってしまった以上、返すと言っても聞いてもらえないだろう。仕事を押し付けられるわけでもなし。名ばかり貴族なんて無職とさして変わらないのだから、使わない称号がひとつ増えるくらい構わない。
「名残は尽きませんけれど、別れがつらくならないうちに失礼させていただきますね」
ミドリさんはもう目がウルウルしちゃっている。行っちゃヤダと泣きださないうちに暇を告げておこう。わたしは魔族の首領のひとり。いつまでもこの国の中枢に居座り続けて正体が露見してしまったら、王城を金剛力で吹き飛ばさなければいけなくなる。
履行期限のない再開の約束を交わしスズちゃんを連れて王城を後にした。
ヤマモトハシまでは若旦那に同行させていただく。バネ付きの荷馬車に乗っけてもらい、食事と宿を提供してもらう代わりに、ヤマタナカ嬢やキタカミジョウ蒼爵婦人といった貴婦人が身に着けていたものについてレクチャーする約束をした。若旦那自身もリサーチしていたものの、相手は平民とも接点のある比較的身分の低い貴族ばかり。やんごとなきお方など遠目に見る機会すらなかったそうな。
出発の準備が整うまでの数日、わたしはいただいた報酬で気に入った衣服を買いあさった。せっかくなので、スズちゃんに似合う可愛らしい服も見繕う。さすがに王都だけあってさまざまなデザインの服が溢れ、今の流行とは異なるけれど、どこかセンスの良さを感じさせるものがたくさん見つかった。きっと、この中から新しい流行が生まれていくに違いない。
「無駄にヒラヒラが多くて動きにくいです」
「それが可愛いんじゃありませんか」
これではいざという時に後れを取ってしまうと文句を垂れるスズちゃんを、裸力が抑制される分だけ裸力ゲージが溜まり易くなるのだと言いくるめ、たくさんのフリルと背中にでっかいリボン結びのついた服を着せる。コサージュの付いたつば広帽子を被せれば良家のお嬢様の完成。とてもマッパで拳を放つ野生児には見えない。
「さっそく若旦那に見ていただきましょう」
「わきゃっ、こんな格好で若旦那の前にっ?」
裸の道を歩む者がなにを恐れることがあると、恥ずかしがるスズちゃんを若旦那の元へ引っ張っていく。積み荷の確認をしていた若旦那は、すっかり可愛くなったスズちゃんを見て目を丸くしていた。
「ユッ、ユウに似合わない服を着せられたです……」
「そんなことはない。貴族のお嬢様みたいに似合っていて……うん、素敵だ……」
「……あ、あんまり見ないで欲しいです……」
平気でマッパになるくせに可愛らしい服は恥ずかしいとか、乙女心にしても複雑すぎるのではなかろうか。スズちゃんはエイチゴヤを主君と言っていたけれど、この裸皇の目は誤魔化せない。彼女が主君と定めたのは商会ではなく、エイチゴヤ・スケノシンその人だろう。
キョドっているふたりを残してその場を後にしたところ、すかう太くんのレーダーにマーカーが表示された。これは、わたしの指定した相手を記憶し識別できるようにする機能。こっちに真っすぐ向かってくる。
わたしの前に現れたひとりの男。それはバンチョウ君だった。
「ミドリさん辺りに聞き出してきましたか?」
彼が欲してやまない官職と爵位。ユキちゃんとの約束を果たすため、己の信条を捨ててでも手にすると誓ったふたつ。それをあっさり手放したわたしを、彼はどう思っているだろう。
「蘭爵が教えてくれた。勇者の指南役に加えて王女殿下の相談役。そのふたつの地位をもってしても、たんぽぽ爵を引き留めることはできなかったと……」
バンチョウ君にしてみれば、わたしのしたことは溺れそうな彼の前で救命ボートに穴をあけるような行為だろう。必死で足掻く彼を、高みから笑って見下ろしているという自覚はある。
「わたしが許せませんか?」
「……その気になればいつでも手に入れられる。それに足るだけの実力がある。俺にとって望むべくもない地位も、たんぽぽ爵にとってはその程度のものでしかなかった。そういうことなのだろう?」
貴族と平民ではそもそも立っている地平が異なる。自分とわたしの間にはそれ以上の隔たりがあったのだろうと、バンチョウ君は達観したかのように口にした。だけど、それでは納得できなかったからこそわざわざ足を運んだのではなかろうか。
「そんなことを言うためにここまで?」
「さすがに話が早いな。たんぽぽ爵にも、そして蘭爵にもそれだけの積み重ねがあった。ふて腐れていただけの俺に道を示してくれたことには感謝しているよ。だけどな――」
バンチョウ君が上着を脱いだ。下まで脱がなかったことに胸をなでおろす。
「――それだけじゃ割り切れないもんもあるっ!」
拳に魔力を纏わせてバンチョウ君が殴りかかってきた。裸道ではない。すべての生き物は本能的に魔力を扱うことを知っている。無意識に魔力を集中させるほど彼は本気ということだ。
ならば、その想いに応えてあげよう。
「ぐふえっ!」
あらん限りの怒りが込められた拳を流動防殻で軽くさばいて、がら空きのわき腹に風を収束させる魔法を乗せた掌を叩き込む。解き放たれた風が衝撃となって、わたしよりはるかに大きいバンチョウ君の体を10メートル近くふっ飛ばした。
積み重ねてきたものの違いは、ケンカ番長が本気になったくらいでは覆るどころか揺らぐことすらないと思い知らせてあげる。なにもしてこなかった人間がその気になったところで、なにかを為せるほど世界は甘くない。
必死に立ち上がろうとしては地面に崩れ落ちるバンチョウ君。初めて会った時にわたしが手加減していたことにも、勇者の指南役だったわたしに敵うはずないことにも、とっくに気が付いていたはず。それでもなお、自分とわたしの間に横たわる差を計らずにはいられなかったのだろう。
それは、彼とユキちゃんを隔てる谷の深さでもあったから……
ようやく立ち上がり、壁に手を突きながらヨロヨロとした足取りで立ち去っていくバンチョウ君を無言のまま見送る。慰めの言葉は必要ない。
どんなに谷が深くても、飛び越えてみせなさい男の子……
「なんですかユウ。今の音は?」
なんかスゴイ打撃音が聞こえてきたとスズちゃんが尋ねてきた。稽古を望む者に一手指南してあげたのだと答えたところ、また自分ではなくどこぞの馬の骨を相手にしていたのかとプンスカ怒り出す。せっかくの服に手をかけようとしたので、そんな頻繁に脱いでいたら裸力ゲージが減ってしまうぞと脅しておいた。
ヤマモトハシ領へと帰る使節団と共に王都を発ち、咲き誇る桜前線を追うように北へと向かう。名ばかりとはいえたんぽぽ爵であるわたしは、ヤマモトハシの若様より名目上の身分は上。最後尾にくっついている荷馬車は相応しくないと若様が馬車に誘おうとしたものの、貴族的な待遇を求める人が王女殿下の元を離れるわけがないとノミゾウさんが止めてくれた。
蚤の心臓を誇る男は気の回し方もひと味違う。
桜がすっかり散って葉っぱだらけとなった頃、ようやく領都ヤマモトハシへたどり着いた。最近は裸賊もおとなしいみたい。まぁ、裸賊はもともと王国軍がオオタワラマチ領の防衛に回されないよう、もめ事を起こすために夜皇ちゃんが用意していた駒。つまりは陽動部隊なので、王国軍の目が南の国境に向いている今、下手に動いて注目を集めることはしないだろう。
エイチゴヤは本社をヤマモトハシへと移したので、スズちゃん達ともここでお別れ。あとはもう飛んでいけばいいと空の旅でスズキムラへ向かい、夏はまだ先だというのに汗ばむような陽気の中、久しぶりの妄粋荘へ足を踏み入れた。
「裸族がカ~ンバックしてきやがりましたで~す」
「よく帰った。とりあえずお土産をいただく……」
懐かしい憩いの間では、まだ夕方にも早い時間だというのに裸族の宴が始まっていた。全裸のホムラさんが杯を掲げて笑い転げ、マッパのアンズさんは土産話ではなく形のあるお土産をおねだりしてくる。
「まぁまぁ、ユウちゃん。とりあえず駆けつけ3枚……」
遅れてきたのだからとりあえず3枚脱げと素っ裸のワカナさんが服に手をかけてきた。薄着でいたから、3枚も脱いだらもう靴下くらいしか残らない。
仕事もせずに真昼間から宴会なんてよくプリエルさんが許したなと思ったら、ピンク頭の怪力エルフはすでに酔いつぶれて床に転がされていた。もちろん全裸で……
「あっ、ユウさん戻られたんですか。じゃあ、今晩は腕によりをかけて肴を用意しますね」
妄粋荘の自動調理器。もとい、天使のフタヨちゃんは裸エプロンだった。修裸の国に帰ってきてしまったのではないかと思える光景にめまいを覚える。
「ユウゥゥゥちゃ~ん。帰ってきてぐれだのね゛~」
わたしの後に戻ってきたスミエさんが、ミユウがいなくなってから瓦版の売れ行きがすっかり低迷しているのだとしがみついてきた。
「脱ぐからっ。私もう脱ぐからっ」
マッパになるからネタをくれとドグウバディを押し付けてくるスミエさん。わたしを全自動ネタ出し器とでも思っているのだろうか。
「オーゥ、これはプッレーミアムでイクスペンソーぽいドリンクです」
「さすがはユウ。よくわかっている……」
とりあえず皇国軍から没収したお酒を渡したところ、こいつは高そうな酒だとホムラさんが封を切って皆の杯に注いでいく。
「ユーウのリッターンにゴブレットを鳴らすで~す」
歓声を上げて杯を打ち鳴らし、高いお酒をグビグビと飲み干す全裸の酔っ払い達。どうせ部屋は埃が積もっているからここで夜を明かせと、裸族の宴はツチナシさんが夜のお仕事から戻ってきた後もまだ続けられた。




