第10話 襲撃する魔族
チイト君が再び哲学者になってしまった。やはり、犯人はタナカ先生で間違いない。残念なことに、すかう太くんの記録を見てもなにをされたのかはさっぱりである。
音や匂いを利用した暗示であればわたしにも効果が出たはず。レーザーのような光を使ってチイト君だけに暗示をかけたのではと思っていたけれど、どうやらハズレだったみたい。とりあえずわかったことだけでもヤマタナカ嬢に報告しようと、いったん王都に引き上げることにした。
「始末してしまえばいい。問題は、ワタシがそのタナカを知らないこと……」
「ナナシーちゃん。その恰好はいったいなんのつもりですか?」
わたしが王城を空けている間、なにかあってはと【紳士】を護衛に加えておいたのがいけなかったみたい。ナナシーちゃんはいつもの黒覆面に、首から下はマッパといういでたちで首絞め紐をブラブラさせている。
「たんぽぽ爵は裸道の達人だと聞いた。精霊獣に対抗できるのも、もしかして……」
察しのいいナナシーちゃんは、精霊獣に対抗できる秘密が裸道にあるのではと考え、よりにもよって、あの隙あらば女の子を脱がそうとする変態に指導をお願いしてしまった。【紳士】の奴は裸道の心得と称し、「服を着るのはなにかに護られたいという弱い心の表れ」などとでたらめを吹き込みやがったらしい。
「ナナシーちゃんがそれを口にするのは早すぎます」
確かにそういう考えの修裸もいるのだけれど、それには「防具が意味をなさなくなるほど肉体を鍛え上げたにもかかわらず」という前置きが入る。前提条件がまるで違うのだから、形だけマネしたところで仕方がない。
それとも、まずは恰好から入るのが人族のスタンダードなのだろうか?
「とりあえず、なにか別のことで気を引いてしまえば効果は長続きしないようです」
「それはミドリにお願いしましょう」
嫌がるナナシーちゃんに黒装束を着せながら他のことで気を引くよう伝えたところ、ヤマタナカ嬢はミドリさんにお願いすることにした。まぁそんなところだろう。しばらくご無沙汰だったから、チイト君がミドリさんのベッドに突撃することは目に見えている。年上のおねいさんにいっぱい優しくされれば、タナカ先生に言われたことなどすぐに忘れてしまうに違いない。
翌日になって、わたしは自分の考えが甘かったことを思い知らされた。あろうことか、チイト君はミドリさんをさらって王城を抜け出したのである。
これはわたしが迂闊だった。門が閉ざされている深夜に、こっそりと王城の壁を乗り越えて行ったのだろう。クモ型精霊獣ならそれが可能だということをすっかり失念していたのである。チイト君がミモリ紅爵の屋敷にいることはすぐに掴め、ヤマタナカ嬢が王城に戻すよう申し入れたものの、屋敷に滞在しているのは勇者の意思で、自分が引き留めているわけではないと紅爵にすっとぼけられてしまった。
勇者を手に入れてからというもの、ミモリ紅爵は連日大パーティーを開催して、たくさんの貴族達を屋敷に招いているという。どうやらそこで、魔王討伐や外国に遠征するためにも後顧の憂いは絶っておくべきだとチイト君が主張しているらしい。
「紅爵は支持者を増やし、領主達は警戒を強めています。このままでは……」
領主達が同盟を結びそうな雰囲気だと王妃様から警告されたみたい。ヤマタナカ嬢のお母さんはとある領主の家から嫁いできたので、王家の中にあっても領主派と目されている。国王派は本気で内乱も辞さない構えかと暗に尋ねられたそうな。
中央集権化を進めたいと思ってはいたものの、ここまでエスカレートしてしまうとは予想していなかった国王も頭を抱えているという。紅爵に同調している者達は自分の支持者でもあるので、領主達が離反しかねない状況では切り捨てるわけにもいかないらしい。
彼らを煽って利用していたら手が付けられなくなっていたでござるなんて、なんとも呆れた話だった。
「紅爵を始末する。息子の方も……」
ナナシーちゃんが暗殺してしまえというものの、そう簡単にはいかないとヤマタナカ嬢が首を振る。紅爵の支持者には軍の高官も多いから、工作部隊を動かそうとすればたちどころに察知されてしまう。最悪、王都の中で王国軍同士が相打つことになりかねない。いかに国王と言えど、誰にも知られることなく動かせる手勢なんてたかが知れているという。
「ワタシが殺る……」
「それはダメです」
屋敷には紅爵の私兵に加えてチイト君がいる。あのクモ型精霊獣は屋内で侵入者を待ち受けるのにうってつけだから、戦闘になればナナシーちゃんは間違いなく捕らえられるだろう。危険すぎると伝えたところ、ヤマタナカ嬢もこれに同意し、暗殺を禁止されたナナシーちゃんは不機嫌そうな唸り声を上げた。
「ならば、たんぽぽ爵は代案を出す……」
事態は急速に進展している。今、動かなければ手遅れになるだけ。わたしにもなにか手を考えろとナナシーちゃんが首絞め紐をブラブラさせる。
「そうですねぇ……殺っちまいましょうか」
ヤマタナカ嬢がズルリと座っていた椅子からズッコケた。ふざけているのかと目を三角にして睨み付けてくる。ナナシーちゃんが無言のまま、わたしに首絞め紐を巻き付け始めた。
「待ってください。ちゃんと考えはあります」
とりあえずは人質も同然のミドリさんを取り返さないといけない。なので、ヤマタナカ嬢から引き渡すよう要求してもらう。彼女はチイト君と違ってヤマタナカ嬢に雇われている身。仕事を放棄しているのだから無理にでも引っ張っていくと言えば、紅爵も頑なに抵抗はしないだろう。
ミドリさんが巻き込まれる心配がなくなれば、心置きなく屋敷を襲撃できる。
ただし、わたしひとりで……
魔法で姿を変えて、魔族を装い夜襲するつもりだと打ち明ける。大暴れした後に屋敷に火を放つから、火の手が上がるのを合図にマコト教官が刺客部隊を率いて突入。魔族を捜索するどさくさに紛れて目的を達成してしまえばいい。
「極悪非道な魔族が人族を襲うのに理由はいりません。紅爵は運がなかったですね」
わたしは一発ギャグが気に入らないという理由で手下を惨殺する魔皇だそうだから、せいぜい期待に応えてあげようぢゃないか……
「しかし、それではたんぽぽ爵が……」
「わたしは空も飛べますし煙幕も使えます。闇の中で捕らえたければ、蟻んこ一匹逃さないような包囲網を敷くしかありませんよ」
わたしが捕らえられる心配はないのかとナナシーちゃんが尋ねてきたので、トンズラには自信があると答えておく。
「確かに、それであれば軍を動かしても不自然ではありませんね」
王都が魔族の襲撃を受けているのだから、軍を出動させるのは当然のこと。怪しまれることなく部隊をミモリ家の屋敷へ送り込める。全部、悪い魔族がやったことにしてしまえばいいと、ヤマタナカ嬢が思案顔でポツポツ呟く。
「本当に魔族に見せかけることが?」
魔族が現れたという目撃証言がなくては部隊を出動させられない。そんな都合のいい魔法があるのかとナナシーちゃんはまだ疑わしそうな目をしていたので、右腕をいかにも禍々しい炎を纏った腕に変えてみせた。
「これは……?」
タネは簡単。右腕に展開した動かない防殻をゴッツくてトゲトゲした形に変えて、炎の魔法を纏わせただけ。チイト君の精霊獣があたかもそこに実在しているように見えるのと原理は一緒である。
「これで全身を覆ってしまえば、誰も中の人がいるなんて思いませんよ」
「たんぽぽ爵にも困ったものです。手放すのが惜しくなってしまうではありませんか」
春になればわたしの契約期間が終了する。どうしてずっと雇われてくれないのだとブチブチこぼしながら、ヤマタナカ嬢は国王に伝えてくると部屋を後にした。
わたしの提案は採用されたものの、知っているのはひと握りの人間のみ。王子達にすら伝えられていないから、逃亡の手助けは一切ない。部隊を送り込む口実になりさえすればいいのだから、自分で紅爵を始末しようなんて思わずさっさと離脱してくるようにとヤマタナカ嬢から申し付けられる。
ミドリさんを引き渡すよう紅爵に要求したら、案の定、屋敷にいるのは本人の意思だと断られたものの、仕事を放棄している不埒者を引きずってこい。庇い立てするということは、お前の差し金かとヤマタナカ嬢が強硬な態度に出て取り返すことに成功した。
「貴族でない私なんて、見捨てられるものと諦めていました」
「数少ないわたくしの手勢を、そう簡単に手放しはいたしません」
ヤマタナカ嬢が自由に動かせる配下はそう多くない。というか、わたしとミドリさんくらいしかいない。ナナシーちゃんを含む護衛の人たちは国王の命を受けているので、彼女の指示よりも護衛任務が優先される。
「捕らえられている間に、なにか気付いたことはありませんか?」
「チイトさんは女性を縛るのがお好きなようです」
思い出しただけで火が出そうだと顔を赤らめるミドリさん。クサレ外道はクモの糸で彼女を縛っていろいろ恥ずかしいことをさせたらしい。
だけど、わたしが聞きたいのはそういうことではない。
「いえ、そうではなくて……。こう、チイト君の変わってしまったところとか……」
「いつもベッドの中では甘えてくるのですけど、なんだか嗜虐心に溢れていました。でも、終わった後はやっぱり甘えん坊さんで……」
いやだから……、夜の生活から離れてよ……
はたして、ミドリさんはこんなピンク脳だったろうか。もしや、タナカ先生にやられてしまったのではと思案にふけるわたしの隣で、ヤマタナカ嬢がもっと詳しく聞かせろとナナシーちゃんから奪った首絞め紐をブラブラさせていた。
夜も更けて紅爵の屋敷で開かれているパーティーもたけなわという頃、人目を忍んで裏手からこっそりと敷地内へ侵入する。すかう太くんに屋敷内の人の配置を表示させたところ、一部の動きが慌ただしい。パーティーでトラブルでもあったのかと思っていたところ、予想外の人のマーカーがあることに気が付いた。
……なんで、スズちゃんがっ?
わたしに先んじてスズちゃんが侵入を果たしていた。警備の人に発見されたみたいで、彼女を取り囲もうとする動きが見て取れる。パーティー会場であろう大勢の人が集まっている一角に目立った動きはないので、参加者達にはまだ伝わっていないようだ。
屋敷を襲撃したのは魔族でなくてはならない。スズちゃんに先を越されては予定が狂ってしまうので、大急ぎで防殻の形を整え炎を纏う。ゴツゴツした手足。ハリボテだから動かないけど人目を引く大きな翼と尻尾をつけて、長い首の先にドラゴンのような頭を乗っけた。
頭から尻尾の先までは3メートル。広げた翼は4メートルくらいの幅になる防殻着ぐるみ怪獣の完成である。
『マゾクダゴルァァァ――――ッ!』
エコーがかかるように調整した拡声の魔法を使い、雄叫びを上げながら屋敷のどこからでも見える中庭に降り立つ。同時に、チクミちゃんの使っていた火球の魔法を四方八方に乱射。弾速が遅いという欠点も、注目を集めたい時には役に立つ。
『シニクサレボケガァァァ――――ッ!』
パーティー会場に向けてドッカンドッカンと火球を叩きつける。会場内に火球が飛び込まないよう窓を直撃させることは避けて、壁とかバルコニーの手すりに着弾させているのだけれど、参加者達は顔を引きつらせて金切り声を上げながら逃げ惑う。
思惑どおり魔族が出たと大騒ぎになってくれた。
スズちゃんを取り囲もうとしていた警備の人達は新たな襲撃者の登場に動きを鈍らせていたものの、最終的に彼女を包囲することは諦めたみたい。パーティー参加者の避難を優先したらしく、大慌てでこちらに引き返してくる。
『オブツハショウドクダァァァ――――ッ!』
クサレ外道の氷オオカミが寄ってきたのでこれを踏みつぶし、両手から火炎放射器のように炎を噴出させて中庭を焼き払う。上階の人のいない部屋を選んで火球を撃ち込めば、カーテンやカーペットに火が燃え移り屋敷が炎を上げ始めた。
すかう太くんのレーダーを見れば、パーティーに参加していた人達が我先にと逃げ出していくのがわかる。これで間違いなく魔族が現れたと王城に伝わるだろう。辺り一面を燃え上がらせているせいか近づいてくる者はなく、警備の人が時折窓から顔をのぞかせては魔法を撃ち込んでくるけれど、そんな散発的な攻撃で破れるほどわたしの防殻は脆くない。
『フハハハ、モエツキロチジョウノゴミガァァァ――――ッ!』
仕上げとばかりに上空へと舞い上がり火球を雨のように降り注がせた後、屋根を突き破って屋敷内へと侵入した。着ぐるみ怪獣を解いて元の姿に戻り、すかう太くんでスズちゃんの位置を確認する。
まったくもぅ、余計な手間が増えちゃったじゃないですか……




