第6話 意味のない恩恵
イエィスター連合王国はヤマタナカ王国の南西にあり、西方にある国々との交易路が通じている重要な中継地点。いちおう国王はいるものの、力を持った都市の集合体だそうな。
「勇者と認める前に、ひとつ実力を試させてもらいたいわ。私は恩恵を使わないけど、ナナヒカリ君は遠慮しなくていいわよ。ここでは私の方が先輩なんだから、それくらいのハンデはあげる」
ヤマタナカ嬢が耳打ちしてくれたところによると、このウラミという勇者は3年ほど前に召喚されて、すでに2体の魔王を撃退しているという。役立たずに足を引っ張られるのは勘弁願いたいと、チイト君に模擬試合を申し込んできた。
「ハンデなんているかよっ。後悔させてや――がっ!」
考えなしなチイト君があっさり試合を受けようとしたので、お尻に膝蹴りを叩きこんで発言を止める。社交の場で相手の言葉を鵜呑みにしないようにとミドリさんに教えられたはずなのに、チイト君は相変わらず相手の意図を見抜こうともしない。
「彼女はこう言ってるんです。『自分の恩恵は秘密にするけど、あなたの恩恵を教えろ』って」
「付き人が勇者同士の会話に口を挟まないでくれるかしら」
「わたしは指南役ですから、これも仕事の内です」
部外者が差し出口を叩くなとは、相手の知恵袋を遠ざけておきたい時によく使われる言葉。昔、夜皇ちゃんが交渉の席でシャチーによく言っていた。ちなみに今では、わたしを無視してシャチーと交渉している。
「普通の人間に指南されているなんて、ヤマタナカ王国の勇者には期待できないわね」
「ロクに指南も受けていないから、2度も魔王を取り逃がしたのではないですか?」
撃退なんて言ってるけど、倒しきれずに逃げられたというのが本当のところだろう。コンピューターゲームのラスボスではないのだから、不利だとわかれば魔王だって当然トンズラする。彼女の召喚特典では魔王を倒しきることも、逃がさないように束縛することもできなかったということに他ならない。
だから、チイト君の召喚特典を知りたがっているのかも……
チイト君の精霊獣はまだ弱々しいけれど、それが修裸の使う防殻である以上、能力が成長すれば遠隔操作型の修裸ゴーレムになるかもしれない。上位の修裸には魔王ワンパン余裕なんて者だっているのだから、侮れない攻撃力を発揮する可能性がある。
「相手がロクに戦いもせず逃げ出したせいよ。魔王すら恐れる勇者を誰が指南できるっていうの?」
はは~ん。今の言葉でおおよそ彼女の召喚特典は察しがついた。なるほど、魔王を倒せないというか、相手にされないわけである。
「でしたら、わたしが特別に教訓を差し上げましょうか」
「上等だわ。ひとつ指南してもらおうじゃない」
上手いこと、わたしが模擬試合を受けるように誘導できた。彼女の相手をチイト君にさせるには荷が重い。試合には勝てるかもしれないけど、彼女は目的を達成するだろう。
試合場を用意するように言う彼女に、この場、この格好のままでいいだろうと持ちかける。ドレスのまま試合をする気かと目を剥いていたけれど、まともに模擬試合をするつもりなんてないからこれで充分。教訓を与えるとは言ったけれど、彼女を叩きのめすとは言っていない。
貴族達がなんだなんだと見物に来る中、柔道の試合をするくらいの場所を空けてもらう。イエィスター連合王国の勇者と対峙したところで、真紅と黒が混じりあい黄金色の火の粉をまき散らすいかにも物騒な炎を右手から吹き上げさせた。
「なるほど、魔法使いだから武装させなかったのね。これが教訓だと言うのなら、ずいぶんとしょっぱい指南役だわ」
武装させない程度で勝てるなんて思うなと、勇者ウラミは鼻息を荒くしていた。これが攻撃の魔法でなく、幻影の魔法だとは見抜けないみたい。かかってこいと言うので、わたしは一気に踏み込んで炎を纏わせた右手で殴りかかる。
「そんなものっ」
自分の召喚特典に自信があるのか、防御もせずカウンターの右ストレートを放ってくる勇者ウラミ。突き出された拳をかわし、幻影を消して彼女の頬をペチリと軽く叩けば、予想していたとおり鉄の塊を殴ったかのような反動が右拳から伝わってきた。
「あなたの恩恵は『攻撃の反射』ですか……」
「どうしてそれをっ?」
召喚特典の正体をわたしに言い当てられて、勇者ウラミは目を丸くしていた。防御を捨てたカウンターをかわしたことも、全力で殴りつけなかったことも、自分の恩恵を知っていたとしか思えない。この国の人間がどこで聞いたと問い質してくる。
「たった今、あなたが教えてくれたんですよ。魔王がロクに戦わず逃げ出したと……」
それは戦って倒すのは困難だけど、危険を冒して戦うよりも放置しておけばいいと魔王が判断した証拠。つまり、倒しておく必要のない勇者ということになる。殲滅に役立つ攻撃型の能力や、軍を強化するような支援型の能力であれば、そんな判断はあり得ない。
自分だけは傷つかないで済むというタイプの召喚特典に決まっていた。
反射の他にも、不死身とか、再生とか、復活とか候補はいくつか考えられたのだけど、一番ありきたりな反射だったみたい。この手の召喚特典を持った勇者は相手にしなければいいと、とっくに魔族中に知れ渡っている。講習会でもそう教えているくらいだ。
死なない人族がひとりいたところで、なにもできやしないのだからと……
「また、ずいぶんと役に立たない恩恵ですね。魔王を撃退したものの、土地から魔物はいなくなったんですか?」
「そっ、掃討作戦を展開中よっ」
「イエィスター連合王国は2か所に軍を展開しているそうです。王女様」
自国の軍事情報をうっかり引き出されてしまったと気付いた勇者ウラミの顔から血の気が引く。本日の教訓は、口を開くたびに相手に情報を与えてしまうということである。
夜皇ちゃんやシャチーに比べたら、わたしなんて全然大したことないのに……
「ヤマタナカ王国と我が国は友好国のはず。それくらいで勘弁してもらえませんか?」
うほっ。いい美少年……
白い民族衣装のような恰好をした10歳にもならない男の子が、我が国の勇者を苛めないでくれと話しかけてきた。イエィスター連合王国の第3王子で、肩書のみとはいえこの国を訪れている派遣団の代表だそうな。
「大丈夫だよウラミ。その程度の情報、本気で探られれば隠しきれるものではないから」
「王子……」
自分の前にひざまずいた勇者ウラミの頭を、わたし好みの美少年が慰めるように抱きしめている。なんてうらやま……じゃない、心温まる光景だろう。
わたしのハートが温まり過ぎてオーバーヒートしてしまいそうになる。怒りで……
なに? なんで勇者は頬を染めているのっ?
こんなビッチ。ちゃんと始末しておいてよ。魔王のくせに使えないんだからっ!
この手の勇者を倒す方法はいくつかあって、地中深くに埋めてしまったり、重しをつけて海の底に沈めてしまえばそれで済む。勇者ウラミから逃げた魔王は、面倒臭がって手を抜きやがったに違いない。
後で調べ出して折檻してやる……
「王子様。魔王も倒せないような女はクビにして、わたしを雇いませんか?」
「指南役殿はご冗談がお好きなようですね」
逃げ去った魔王はどうせ近くに潜んでいるから、魔物達ごと綺麗に消し飛ばして差し上げますと売り込んでみたものの、美少年は本気にしてくれない。
「たんぽぽ爵。薬の時間だ」
「この娘は優秀なのですけど、薬が切れると錯乱してしまいますの」
マコト教官とヤマタナカ嬢が左右から腕を取って、わたしを美少年から引き剥がしにかかった。妄想を口にし始めるのは発作の前触れだから、申し訳ないが失礼すると引っ張っていこうとする。
「そうだったのですか。私のことは気にせず、どうかお大事に……」
「なに言ってるのっ。わたし薬なんてやってないよっ」
「いかん。記憶が混乱している。チイト、足を持て」
とうとうお神輿みたいに担ぎ上げられて、エッホエッホと別室へ運ばれた。そこで与えられたのは薬ではなく、もちろんお説教である。
「チェリーハンターだとは伺っていましたが、どうどうと他国に身売りするとは……」
はうっ……雇われの身であることをすっかり忘れていた。夜皇ちゃんとの約束もあるし、春まではこの国にいないといけない。我が国を裏切るつもりかとヤマタナカ嬢が睨み付けてくる。わたしの背後にある家具の陰にはナナシーちゃんの反応。下手なことを言えば暗殺させるつもりに違いない。
「だって、あんな役立たず勇者が美少年に優しくされてるなんて……」
「ユウさん。小さい男の子に手を出すのも犯罪だから」
性的搾取は少女に限らず、少年が対象であっても許されないとチイト君が鬼の首を取ったかのように言い放つ。ミドリさんをあてがわれて満足してる男が偉そうに……
「それより、魔王が近くに潜んでいるとはどういうことだ? たんぽぽ爵はなにを知っている?」
うっかり口を滑らせてしまったのをマコト教官は見逃してくれなかった。裏切り行為に目を三角にしていたヤマタナカ嬢も真顔になり、長椅子の下から這い出てきたナナシーちゃんが洗いざらい吐けと首絞め紐をブラブラさせる。
「魔王だってバカではありません。自分の居所さえつかませなければ、あの勇者にはなにもできないとわかっているでしょう」
自分だけは傷つかないなんて召喚特典は、魔物を追い払うのにも、人々を守るのにも役に立たない。手下がどんどんやられてしまえば魔王も出てこざるを得ないけれど、勇者ウラミはいてもいなくても同じこと。ターゲットが身を隠してしまえば、ただの一兵卒になり果てる。
「なるほど、決闘であれば無敵でも、戦争ではひとりの兵士でしかないということか……」
「魔王がゲリラ戦って、なんかカッコ悪くね……」
どんな攻撃も効かないというだけで、しょせん兵士ひとり分の働きしかできない。戦争に関する教育も受けていなさそうだから、あれほど意味のない勇者もいないだろうとマコト教官がため息を吐いた。魔王は逃げないものと思い込んでいたらしいチイト君は、ゲリラカッコ悪いと勝手なことを抜かしている。
「そういうことでしたか……これは陛下にご報告しておいたほうが良さそうですね」
「そっ、そこまでっ?」
相手にされなかった裏切り行為を国王にまで申し立てるのかと思ったらそうではなく、連合王国が勇者をこの国に派遣した理由の方。おそらく掃討作戦が滞っていて、軍事協力を求めるつもりに違いない。チイト君の召喚特典を知りたがったのは、魔物の殲滅に向いた能力なら利用する腹積もりでいるからだろうとヤマタナカ嬢は予測した。
「すでに水面下での交渉は始まっているでしょう。チイトの恩恵に関しては口外することを禁じます。しつこく尋ねられるようなら、箝口令が敷かれていると答えてかまいません」
勇者ウラミが掃討作戦にはまったく役に立たない。魔王はいなくなっておらず、魔物達の勢力も依然強いままだと知っていれば、一方的と言っていいくらいに交渉を有利に進められる。チイト君の召喚特典を秘密のままにしておけば、より多くの利益を引き出せるそうな。
「あの……あんまり美少年を苛めるのは……どうせならわたしに……」
「たんぽぽ爵は病気です。わたくしの部屋で看病することにして、病が広まらないよう人と会うことは禁止いたします」
これは酷い。いつ連合王国の第3王子にタラシ込まれるか知れたものではないので、わたしをヤマタナカ嬢の部屋に軟禁するという。最後にひと目だけでもとお願いしたところ、担架に縛り付けられ急病人として運搬されるハメになった。
「病気だと聞かされたのですけど、ずいぶんとお元気そうですね」
「たんぽぽ爵は心の病気。ミドリの仕事は、ヒジリが不在の間に抜け出さないよう見張ること……」
心を病んでしまったので、なにを言われても聞かないようにと申し渡しながら、ナナシーちゃんがわたしの首にかけた縄をミドリさんに手渡す。ヤマタナカ嬢とナナシーちゃんは得られた情報を国王に伝えるべく部屋を後にした。
「ミドリさん。お手洗いに……」
「ここに花瓶があります」
ナナシーちゃんの言葉を信じきっているミドリさんは、逃げ出すつもりだろうと部屋にあった花瓶を持ってきてわたしの前に置く。少しタレ気味な目はなにも信じないという猜疑心に満ち溢れ、たおやかな手はいつでも引っ張れるようにと縄を固く握りしめている。
せっかく、わたし好みの美少年が王城を訪れているというのに……
しばらくして国王の元から戻ってきたヤマタナカ嬢に、イエィスター連合王国の王子が帰国するまでの間、この部屋のある棟から出さないようにとの王命が下ったと告げられた。




