第4話 ミドリさんの言い分
「院長、ユキを売ったのかっ?」
身柄の引取りは3日後。荷物は両手に持てる分だけにまとめておくようにと言い残してスケノベ桃爵の執事は去っていき、この孤児院を運営しているという中年のおじさんにバンチョウ君が声を荒げていた。貴族がユキちゃんを知っているはずないから、院長の方から話を持ちかけたのだろうと……
「ユキも春には14になる。奉公先を探しても良い頃だよ」
「ただの厄介払いじゃねえかっ」
働ける年齢の子にいつまでも孤児院にいられては困るので、体よく追い出すつもりだろうとバンチョウ君が院長さんを問い詰める。
「どうしてそれが責められるのです?」
働いて収入を得られる年齢になったのなら、いつまでも孤児院にいるべきではない。住み込みで働かせてもらえる貴族の使用人は、ユキちゃんにとって渡りに船と言ってもいいとミドリさんが院長さんの弁護に回った。
「貴族に買われるってことの意味を知らねぇのか?」
「夜のお相手をさせられるってことですか。それがなにか?」
ミドリさんはフウリちゃんの後任。つまり、自分の将来のためにチイト君のお相手を引き受けた女性だ。貴族に純潔を汚されると激高するバンチョウ君に、顔色を変えることなくそれがどうしたと言い放つ。
「孤児院で食べさせていける人数には限りがあるんですよ。他に生活手段がなく、養ってくれる相手もいないのであれば、この機会を逃さず利用すべきでしょう」
体が成長すれば食べる量も違ってくる。いつまでも孤児院に置いておくことはできず、遠からずユキちゃんはここを去らざるを得なくなっていた。行くあてもないと知りながら追い出すのではなく、わざわざ奉公先を用意してくれたのだから、院長さんは感謝されて然るべきだとミドリさんは言う。
「てめぇ、本気で言ってんのか?」
「ユキさんには働き口が与えられ、孤児院は寄付という形で紹介料を頂ける。孤児達の暮らしも少しは改善されるでしょう。なにもしてくれないお兄ちゃんに文句を言われる筋合いがどこにあるというのです」
あの執事が口にしたとおり、これは慈善だとミドリさんに言われ、バンチョウ君は顔を真っ赤にして握った拳をブルブルと震わせていた。わたしはといえば、余計な口を挟もうとしていたチイト君の足を踏んづけて黙っていろと睨みつけておく。
毎晩、ミドリさんに慰めてもらっているチイト君には、なにを言う権利もない。
「そちらの女性のおっしゃるとおりだと思います。ありがとうございます院長さん」
「ユキッ」
先ほどまで顔色を失っていたユキちゃんは、諦めたような表情で院長さんに感謝を伝えた。
「バンチョウ君はどうでしょうか?」
「はっきり言って期待できませんね」
王城に戻る馬車の中でミドリさんに尋ねてみたところ、まず無理だろうという返事が返ってきた。話についてこれないチイト君は目を白黒させている。
ミドリさんが意図してバンチョウ君を煽っていたのは明らかで、その中に含まれた「養ってくれる相手がいない」、「なにもしてくれないお兄ちゃん」という言葉を聞けば、彼女がなにを考えているのかわたしにも理解できた。
「どういうこと?」
「ユキちゃんの将来はバンチョウ君次第だということです」
ユキちゃんを他の貴族には渡さない。自分が面倒を見ると言えるだけの甲斐性がバンチョウ君にあればいいのだけれど、そうでないならスケノベ桃爵に引き取ってもらう方がいい。奉公先も決まらないまま孤児院を追い出されれば、それこそ野垂れ死にの運命が待っている。
「スケノベ桃爵にあの子を引き取るのを止めさせれば済む話じゃないか。ヒジリなら桃爵くらい抑えられるだろ」
「チイト君。問題は孤児院を出た後のユキさんの身の振り方です。スケノベ桃爵なんてどうだっていいんですよ。学習が足りていないようですね」
「王女殿下に口利きしてもらうということは、桃爵に借りを作れということですよ。孤児で王女が釣れるとわかれば、貴族達は世話をする気もないのに孤児を引き取り始めるでしょう。課題を倍に増やしますね」
問題点を履き違えたうえ、ヤマタナカ嬢の権力に頼ろうとするチイト君。スケノベ桃爵を片付けて済む話なら、今夜にでも屋敷を襲撃すればいい。まだまだ勉強不足だとミドリさんに学習課題を増やしてもらう。
「ちょっ……待っ……なら、ヒジリに頼んでメイドとして雇ってもらえば……」
「メイド教育を受けていないユキちゃんに王城のメイドが務まるとでも? チイト君に人の心配をしている暇はありませんよ。試験が近いのでしょう」
「それは採用試験に通らない者を特別に国費で雇えということですよ。試験は5日後からです。課題を3倍に増やしましょう」
相変わらず思慮の足りていない勇者様は、全部ヤマタナカ嬢任せの安直な解決策を気の利いた提案だと思っているみたい。「権力者に縋る」という犬でも思いつく方法をミドリさんやわたしが考慮していないと本気で考えているのだろうか。それで八方丸く収まるならとっくに採用している。
どうせチイト君はナイスな助言を与えてドヤ顔したいだけなのだ。自分はなにもしなくていいことが大前提だから、浅薄なことを口にする度に課題をガンガン積み上げられると知ればおとなしくなるに違いない。
「そんな……今の3倍の課題なんて……」
口は禍の元とはこのことかと頭を抱えるチイト君。念のためダメ押ししておこう。
「ミドリさん。チイト君は計算もできないみたいです」
「チイトさん。倍の3倍は6倍ですよ。課題を――」
「ストップッ! その倍々理論は倫理に反しているっ!」
察しのいいミドリさんは、わたしの言葉に阿吽の呼吸で応じてくれる。課題をさらにドンされてしまったチイト君は、たとえ数学的に正しくても、倫理上問題のある計算方法は許されないと熱弁を振るった。
「ナナシーちゃん。スケノベ桃爵という方をご存じないですか?」
「…………なぜワタシがここにいるとわかった?」
王城に戻ったところでスケノベ桃爵というのが如何なる人物なのか尋ねてみたところ、中庭にある茂みの中から覆面に包まれた頭だけ出したナナシーちゃんが不機嫌そうな声で尋ね返してきた。すかう太くんのレーダーに居場所を表示させたからです。
中庭ではヤマタナカ嬢がご婦人方を招いてお茶会に興じている。どうやら、茂みの中に身を潜めて護衛任務を遂行していたみたい。
「あ、お仕事中でしたか?」
「護衛はワタシだけではない。たんぽぽ爵の要件を優先する」
「ユウでいいです。爵位で呼ばないでください」
たんぽぽ爵という威厳の欠片もない爵位がわたしに与えられた花位。王城の人事を司っている部署を通さず、特例的に雇われた女性に贈られるものだという。
ナナシーちゃんは茂みから出てくると、お茶を入れ替えていたメイドさんにハンドジェスチャーでサインを送る。メイドさんも指をごにょごにょと動かしてサインを返してきた。あのメイドさんも護衛のひとりみたいだ。
「スケノベ桃爵は文務大臣を務めていた男で、メイドの調きょ……う育の手腕に定評がある」
「今、調教って言いました?」
「言ってない。たんぽぽ爵の気のせい」
桃爵が孤児をメイドに仕立て上げていることは、貴族達の間ではよく知られているとナナシーちゃんが教えてくれた。桃爵が教育したメイドさん達は通称、桃メイドと呼ばれていて、家事だけでなく客人への対応やダンスのお相手なんかもひと通りこなせる。元が孤児なので王城や大貴族家に仕えるには教養が足りないのだけれど、使用人を何人も雇う余裕のない下級貴族達からはひとりで済むと重宝されているみたい。
例外なく桃爵のお手付きにされてしまってはいるものの、譲って欲しいという貴族が後を絶たないくらい人気があって、雇った桃メイドを妻にしたという貴族も珍しくないそうな。
「好色と有名な人物ではあるものの、女性貴族達との交遊も広い」
次から次へと使用人に手を出すのだけれど、相手を泣かせることはない。一途であることを言い訳に結果として女性を不幸にする男よりよっぽど信用に値すると、主に年配の貴婦人方から支持されているという。
なんだか、話を聞くほど桃爵に引き取ってもらった方がユキちゃんは幸せになれるのではないかと思えてきた。バンチョウ君の可能性は無限大だけれども、もちろんその中にはアゲチン派に堕ちる未来だって含まれている。
「ワタシの知っていることは教えた。次はたんぽぽ爵の番。桃爵となにがあったか話す」
「そんなたいしたことは……」
「チイトがヒジリになにを言うかわからない。あらかじめ知っておきたい」
ナナシーちゃんによると、チイト君は周囲から反対されそうなことほどヤマタナカ嬢に直接話をしようとする。いわゆる頭越しというヤツを頻繁にするみたい。なにを言われてもいいように事情はすべて掴んでおきたいから、正直に全部吐けとナナシーちゃんが首絞め紐をブラブラさせた。
翌日、メイモン学院の図書館で最終的に5倍で許された課題をこなしながら、チイト君は終始ムスッとした顔をしている。おそらくヤマタナカ嬢に口利きしてくれるようお願いしにいって、すげなく断られたのだろう。わたしから話を聞いたナナシーちゃんは、この件はたんぽぽ爵に一任したことにしてヤマタナカ嬢は動かないと約束してくれた。
「いつの間にヒジリと話をしたのさ?」
「わたしが話をしたのはナナシーちゃんですし、聞かれたから答えただけです」
頭越しが得意な勇者様は、わたしに先回りされたことがご不満な様子。さすがに自分も同じことをしようとした自覚があるのか、卑怯だの汚いだのとは口にしないけど、顔を見ればそう言いたいのは明らかである。
「チイトさん。気を散らしている暇はありませんよ。今日はこの後、お招きを受けているんですから」
今朝になって、会わせたい人がいるからとヤマタナカ嬢からお茶会に誘われたのだ。それまでに課題を終わらせろと、ミドリさんがチイト君をせっつく。終わらなければ今晩はおあずけだと言われたスケベ小僧は、目の色を変えて課題に取り組み始めた。
「お……終わった……」
「ここで休んでいる暇はありません。身支度している時間がなくなってしまいます」
スケベ根性で課題を乗り切ったチイト君が机に突っ伏す。だけど、グズグズしている余裕はない。わたしはこのままでもいいけれど、ミドリさんは学生服のままとはいかないから、王城に戻って着替える時間を考えると本当にギリギリだ。
「むむっ……」
せかせかと図書館を後にしようとしたところで、バンチョウ君の姿を見つけた。この建物の入り口近くには就職相談窓口があって、短期アルバイトから正規雇用まで様々な求人票が掲示されている。
――あんのバカ……よりにもよって……
すかう太くんの望遠モードで確認したところ、バンチョウ君が見ていたのは王国軍の志願兵を募るポスターだった。士官募集ならともかく、兵卒に志願する学生がこの学院にいるとも思えない。国が運営している学校だから、形ばかり掲示しているだけだと思う。
それを、バンチョウ君は思いつめたような顔で眺めていた。
「ユキちゃんが孤児になったいきさつを忘れてはいけませんよ」
「あんた……」
ユキちゃんは兵士だった父親が亡くなって母親に捨てられたのだ。自分を養うためにバンチョウ君が王国軍に志願することを受け入れるとは思えない。お兄ちゃんを兵士にするくらいならと、彼女を追い詰める結果にしかならないだろう。
時間がないのでそれだけ言ってさっさと図書館を後にする。
「ユウさんはバンチョウヤにどうさせたいんだ?」
王城に向かう馬車の中でチイト君が尋ねてきた。残念ながら、わたしは答えを持ち合わせていない。ユキちゃんを養っていけるだけの才覚を身に付けているかどうかはバンチョウ君のこれまで次第で、「どうにもできない」という結論だって当然あり得る。
「どうなんてものはありません。彼になにができるのかわたしは知りませんから」
ハッピーエンドに至る選択肢が必ずしも用意されているとは限らない。だからこそ、誰しも自分に有利な選択肢を増やしておこうと学業なり修行なりに力を入れるのだ。なにもしてこなかった人間になにもできないのは当たり前のことで、そのツケは自分で支払ってもらうしかない。
「そんな、無責任な……」
「そのとおりです。わたしはユキちゃんの将来に責任を負うつもりはありません」
わたしやヤマタナカ嬢がユキちゃんを引き取ることはしないときっぱり申し渡しておく。スケノベ桃爵を成敗せよということなら、この裸皇が責任を持って迅速かつ確実に討ち取ってみせよう。だけど、ユキちゃんのことはバンチョウ君の問題。彼が養っていけないのなら、彼女には桃メイドになってもらう。
馬車が王城に到着したのでこの話はここまで。用意してもらった自室で身支度を整えてヤマタナカ嬢から指示された中庭に赴くと、そこには昨日顔を合わせた女性が待っていた。
「どこのお坊ちゃまかと思ったら、まさか勇者様とはねぇ……」
今日は鮮やかな赤いドレスに身を包んでいるけれど、それは野戦訓練場で出会ったあの女性教官だった。




