第3話 横行する不正
お兄ちゃん。魔族語で言えばブラザー。同じ親を持つ年上の男性を意味する言葉である。
このふたりが兄妹というのはにわかに信じ難かった。髪も瞳も色が違うし、顔つきも似ているところがない。兄にはメイモン学院の学費を負担しておきながら、妹に擦り切れたワンピースなど着せておくものだろうか。
もしかすると、わたしの知らない間に人族の言葉が変わってしまったのかもしれない。
「ユウ先生。世の中には年下の娘から『お兄ちゃん』と呼ばれることに興奮を覚える特殊な性癖を持った男性もいると聞きますから……」
なるほど、性癖ですか。博識なミドリさんに教えてもらって合点がいった。短い時間のうちに言葉の意味するところが変わったなどという説明よりよっぽど納得できる。
「乙女の敵に加えて特殊性癖の持ち主ですか……」
「待てよっ。勝手に決めつけるなっ」
必死になって否定するところがますます怪しい。
「違うんです。お兄ちゃんは孤児達のお兄ちゃんなんです」
バンチョウ君は孤児達のお兄ちゃんなのだとユキちゃんが主張する。
はて、家族がいるのに孤児とはこれいかに?
「兄ちゃん。こんなところでなにしてんだよ~」
「早くしないとお芝居が始まっちゃうよ~」
人ごみの中からユキちゃんよりもさらに幼い子供達が、ひい……ふう……8人ほどやってきた。お芝居を見に行こうとバンチョウ君を取り囲んで上着の裾を引っ張っている。この子達がバンチョウ君の兄弟だと言う孤児達なのだろうか。
「なんだこのメガネ。兄ちゃんが悪いことでもしたっていうのか?」
ユキちゃんから話を聞いた孤児達は、わたしがバンチョウ君を苛めているのだと理解したみたい。わんぱくそうな男の子がわたしのことを指差して悪者だと決めつける。人族の支配者から悪者と呼ばれる分にはなんら痛痒を感じないけれど、子供達から悪者扱いされるのは心が痛んだ。
人族の支配者が口にする悪という言葉には、自分の敵対者という意味しか含まれていない。わたしは魔皇なのだから、悪と言われればその通りである。だけど、この孤児達は敵対者を悪者に仕立て上げて利用しようなんて考えは持っていない。
この子達が口にする悪とは、乙女の敵と同じ許されざる存在を指していた。
「ちっ、違うんですよっ。悪いのはっ……悪いのは……」
孤児達に説明するための言葉が出てこない。こんな幼い子供になんて言えばいいのだろう。まさか、往来でいきなり性教育の授業を始めるわけにもいかない。
「なにも言えないなんて、やっぱり悪いメガネだったんだな。悪人は警邏の人に連れて行かれちゃうんだぞ」
「メガネなんかかけて気取りやがって。本当に目が悪いのかよっ」
「ううっ……」
わたしは目が悪いわけではないから、もちろんすかう太くんには度が入っていない。気取っているわけじゃなくって、金剛力に吹き飛ばされないようにメガネの形をしているのだけれど、それを口にしたら証拠を見せろ言われそうだ。
子供は容赦がないから、この場で全裸を要求することに躊躇いを感じたりしないだろう。
「きっと、お兄ちゃんの元カノよ。フラれてからもつきまとうなんて最悪のメガネだわ」
まだ10歳にもなっていないだろう女の子に、バンチョウ君の元カノでフラれても諦めきれずにつきまとうストーカーメガネ認定されてしまった。孤児達がお兄ちゃんに近づくな。あっちいけと、犬を追い払うようにしっしっと手を振る。
「きっ……きっ……」
貴様ら全員お仕置きだと言うわけにもいかない。あまりにも大人げがなさ過ぎる。
「キノコイモを食べたい子がいれば、お姉さんがご馳走してあげますよっ」
言葉ではわかり合えないと悟ったわたしは、お金で孤児達の心を買うことに決めた。
「いいのか? キノコイモは高いだろうに」
キノコイモは美味しくて、食べごたえがあって腹持ちがよく、保存しやすいという便利食材。ただ栽培が容易でなく、夏の終わり頃に自生しているものを収穫するしかないので、他の芋類に比べると高価だったりする。わたしの財布を心配したのか、バンチョウ君が声をかけてきた。
「それなりに収入を得ていますから心配には及びません」
チイト君の指南役は立派な官職であり、わたしにはちゃんと手当てが支給されている。衣食住は全部ヤマタナカ嬢が面倒見てくれているので、わたしにはもらっても使うあてがない。孤児達にお腹いっぱいで動けなくなるまで食べさせても大丈夫だ。
「ほんとにキノコイモ頼んでいいのか?」
「もちろんですよ。わたしは悪人ではありませんから、嘘なんて吐きません」
「すげ~。メガネすげ~」
いろんな芋料理を売っているお店でふかしたキノコイモを注文する。いつもはポテイモという一番安い芋で、プレミアムなキノコイモを口にするのは初めてだそうな。孤児達は大喜びで、口々にすかう太くんを褒めたたえていた。
「あの子達は戦災孤児ですか? それにしては着ているものが粗末ですけど……」
キノコイモを口にした孤児達がお芝居に夢中になっている後ろで、ミドリさんがこっそりとバンチョウ君に尋ねていた。戦災孤児にしては着ているものが粗末だし、栄養状態もずいぶん悪いように見えると問い質す。
「あいつらは母親に捨てられたんだ。戦災孤児じゃなくて捨て子ってことにされてる」
王国軍の兵士が任務中に亡くなった時には遺族に一時金が支払われるのだけれど、受取人が子供であった場合、一時金の代わりに国営の孤児院で引き取ってくれる。将来、一定期間の兵役が課されるものの、ちゃんと教育も受けられて優秀な子には王国軍仕官となる道も開かれているという。
バンチョウ君が連れていた孤児達は、一時金を受け取った母親が次の夫のところに嫁ぐ際に、前夫との子は邪魔だと捨てられてしまった子供達。一時金が支払われているので、戦災孤児とは認めてもらえない。方々から寄付を募って運営されている私設の孤児院に身を寄せているそうな。
「私設の孤児院にも支援制度があったはずですが、あの子達はずいぶん痩せていますね」
「国からの支援金は……支払われていることになってるんだろうさ……」
支払われていることになっている。つまり、国は支援金を支給しているけれど、そのお金が孤児院の手に渡っていないということだ。支援金を支給してもらえるよう申請はしているのだけれど、あれこれと理由を付けられて未だ受諾も却下もされていないという。
おそらく支給手続きはとっくに終わっていて、支払われるべきお金が横取りされているのだろうとバンチョウ君が吐き捨てるように言った。
「それをわかっていて放っておくのか?」
「この国の官吏どもは腐ってやがるんだ。上から下までグルになって不正を隠しちまうのさ」
どうしてそんな不正が許されているのだと言うチイト君に、証拠がなければ警邏は相手にしてくれない。私怨による言い掛かりと思われて追い払われたと、バンチョウ君は悔しそうな顔をみせた。
弱者救済かぁ。修裸の国ではすっぱり放棄しちゃってるからなぁ……
強いものが生き残って子孫を残し、弱いものは淘汰される。それは、たとえ魔皇であっても変えることができない自然の摂理だとシャチーは言っていた。修裸の国にも法や裁判所はあるのだけれど、紛争の解決には暴力が採用されている。誰だって修行次第で強くなることはできるのだから、それが一番公平だというのが修裸の考え方だ。
この国も、結局その節理からは逃れられていない。修裸の国での暴力が、ここでは権力に置き換わっているだけ。自分が努力しただけではどうにもならない分、修裸の国よりも不公平な社会だと思う。支配者にとってはその方が都合がいいのだろうけれど……
「それで、あなたはなにをしてるんですか? 行動せず、ただ泣き喚いているだけですか?」
「なんだと……」
官僚を目指しているミドリさんは、バンチョウ君の言い分にカチンときたみたい。腐敗官吏がいることは事実だけれど、指をくわえて見ているだけなら彼らの仲間も同然だと指摘する言葉には、あきらかにトゲが含まれていた。
「メイモン学院の学費がいかほどだと思っているのです。それだけの投資が自分にされていると知って、なお勉学に励もうという気にならないとは呆れ果てたものです」
メイモン学院を優秀な成績で卒業すれば、上級官僚への道が開かれる。貧困問題や教育問題に関わるも良し、汚職を摘発する監察官になるのも良し。今の自分にできることをしないで不満を口にしているだけなら、お前はオムツを替えてくれと泣き声を上げる赤ん坊だとミドリさんが見下したように言い放つ。
「俺にあんな奴らの仲間になれっていうのか?」
「誰を仲間と思うのかはあなた次第でしょう。他人の行いを言い訳にしているようにしか聞こえませんね」
ミドリさんは肝の据わった女性だった。バンチョウ君が恫喝するような声を上げても引くことなく、バカにしたように鼻で笑ってみせる。
「てめえ……いい度胸だ……」
「ミドリさんに手を上げることはわたしが許しません。指一本でも触れたなら、生まれてきたことを後悔させてあげますよ」
図書館の時は教育だからこそあの程度で済ませておいた。折檻であれば容赦はしないとバンチョウ君を脅しつけておく。彼のような人間には見覚えがあるのだ。
他でもない、アゲチン達である。
自分は何をするでもなく、ただ「誰もなにもしてくれない」と嘆いているだけならば、それはアゲチン派のしていることと変わらない。世界は不公平だと働かないダメ人間そのものだ。
あんな連中が女性に手を上げるなんて許しておけるはずもない。
「バンチョウヤ。縛られて動けないお前を切り刻むくらい、ユウさんは本当にやるぞ」
一撃でとどめを刺せず、ロープに縛られたゴブリンをさんざん苦しませた勇者様が偉そうに忠告していた。わたしは血を流させるようなことはしない。ちょっと体中に痛みが走って息をするのも嫌になるくらいで済ませてあげるのに……
「ミドリさんの言うとおりです。今のままではアゲチン派に堕ちますよ」
「なんだよ、そのアゲチン派って?」
「自分が無職なのは政治のせいだと言って働かない人達です」
バンチョウ君が尋ねてきたので、アゲチン派のことを教えてあげる。
「公然と領主を批判して咎められないのか?」
「アゲチン派の主張はあれこれして欲しいで、領主にとって代わるつもりはないんですよ」
スズキムラの街で警務監を務めるウスイさんは、統治を覆すのではなく自分たちの面倒を見ろと主張しているだけだから、反乱分子には相当しないと言っていた。警邏隊長さんに至っては、どうせなにもできないから取り締まるのは労力の無駄だと笑う始末。つまりは、相手にされていないのである。
「プククッ……領主への不満を口にしていながら、結局その領主の世話になることを期待している連中ですか。まさしく、今のバンチョウヤ君そのものですね」
話を聞いたミドリさんは噴き出すのを堪えきれなかった様子。はしたないところを見られないように後ろを向いて肩を震わせている。なにか思うところがあったのか、バンチョウ君に加えてチイト君まで苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
孤児達が楽しみにしていたお芝居も終わり、わたし達はお土産のキノコイモをチイト君に背負わせて孤児院まで送っていく。重い装備を着けて動くことに慣れてもらいたいので、重さにして20キロ分購入した。
キノコイモは保存がきくから孤児院で持て余すこともない。
「なんだ? なんで貴族が孤児院なんかに?」
孤児院の前には貴族が使うような装飾を施した馬車が止められていた。いったいなんの用があるのだと、バンチョウ君が怪訝そうに呟く。馬車の横を通り抜けて孤児院の門をくぐったところで、玄関からひとりの紳士が出てきた。
「身なりはいいですが貴族ではありませんね。上級使用人ではないかと……」
身に着けているものから相手の身分を読み取ったミドリさんがそっと耳打ちしてくれた。貴族本人ではないけれど、家宰や執事といった身分の高い使用人だという。
「このような場所でお会いできるとは光栄です。マダムも孤児のお引き取りですか?」
「いいえ。ちょっとした贈り物を届けに来ただけです」
戦装束からわたしの身分を察したみたいで、自分はスケノベ桃爵に仕える執事のひとりだと腰を折って丁寧な挨拶をしてきた。桃爵というのは花位という文官職に付随してくる爵位のひとつ。わたしも同じ花位のひとつをもらっているけれど、桃爵の方が上だったと記憶している。
都合よくキノコイモがあったので、わたしは心ばかりの寄付だと答えておいた。
「マダムのお心の広さには感服いたします。我が主も、慈善は貴族の義務であると常々申しておりまして……」
スケノベ桃爵は慈善活動として、孤児を引き取り使用人として仕込んでいるそうな。きちんと仕事がこなせるようになれば、そのまま桃爵の屋敷で雇い入れるのだという。
「一時的な支援よりも、働き口を与える方が効果的だという考えは理解できます」
「全員とはいかないところが残念でなりません。この中にユキという娘はおりますかな?」
引き取っていく孤児はすでに決まっていたみたい。名前を呼ばれたユキちゃんは驚いたように息を飲み、その顔からは色が失われていた。




