第2話 バンチョウ君と少女
メイモン学院の授業がお休みな日、わたしはチイト君とミドリさんを連れて、王都シンヤマタナカの郊外にある野戦訓練場へとやってきた。勇者に与えられた力でいつまでもイージーモードが続くわけではないと、チイト君にはたっぷり思い知っていただこう。
訓練場の責任者である訓練隊長さんにはナナシーちゃんから話が伝えられている。わたし達が挨拶に行くと、嬉々として訓練施設の説明をしてくれた。存分に味わうがいいと……
「この全長4キロというアスレチックコースはいいですね」
「そいつぁ、ここの自慢だ。新兵どもが泥だらけになりながら豚のように泣き喚く姿は最高だぜ」
立派なカイゼル髭を揺らしながらグヒヒヒ……と訓練隊長さんが笑い声を上げる。チイト君とミドリさんはドン引きしているものの、この訓練隊長さんに鍛えられた人達は精強な兵に育つだろう。人族の軍隊を弱体化させるために、訓練施設を破壊するよう次のG8で提案した方がいいかもしれない。
さっそく訓練用の野戦服に着替えてアスレチックコースに向かう。わたしは訓練用の装備一式を着けて、ミドリさんは潰れてしまうので服とブーツだけにする。髪の毛は汚れないように頭の後ろでお団子にした。
チイト君にはダンジョンで装備していた鎧を着けさせ、剣と兵卒全員に配られる背負い袋を背負わせたうえ、手に槍を持たせた。
「とりあえず、装備を着けたまま1周してみましょう。ゆっくりでいいですから、足を止めないでください」
アスレチックコースには訓練中の部隊がふたつほど来ていた。ひとつは訓練を始めたばかりの新兵だけれど、もうひとつの部隊はここの訓練に慣れているように見える。チイト君では彼らのペースについて行くことはできないだろう。
「これぐらい、なんてことないさ」
元気いっぱいに駆けだすチイト君。その元気がいつまで続くか見せてもらいますよ。
「なんで……こんな……」
ここは、アスレチックコースの半分を過ぎたあたり。チイト君は手に持った槍を杖代わりにして、荒い息を吐きながらコースの端をトボトボと歩いていた。すぐ横を、訓練に慣れた兵隊さん達がウッホウッホと駆け抜けていく。
「貴様っ。誰が歩いていいと言ったぁ!」
訓練教官らしき鞭を手にした女性兵士にチイト君が怒鳴りつけられた。
「あ、彼はわたしの訓練生ですので」
「オゥ、これは失礼した」
わたしの着ている野戦服の上着は黒く染められていて、それは教官役であることを示している。自分の訓練兵と勘違いしたらしい女性教官は、わたしの上着の色を認めるとピシッとした敬礼をしてみせた。
「甘い顔を見せては彼のためになりませんよ」
「今日はいいんです。思い知らせるのが目的ですから」
「なるほど……」
まだ完走を目指す段階にすら達していない。わたしの答えを聞いた女性教官はひとつ頷くと、手にした鞭をチイト君の顎に当てて無理やり上を向かせる。
「専任の教官をつけるなど、どこのお坊ちゃまかは知らないが、小便チビりながら命乞いするハメになりたくなければ王都でおとなしくしていることだ」
それだけ言うと、嘲るような笑い声を残して走り去った。目的を聞いただけで侮蔑を与える役を買って出てくれるあたり、経験豊富な訓練教官だったみたいだ。
「チイトさんは普通の兵達より力があると聞いていましたけど……」
「勇者ですから体力はありますよ。これは技術が伴わなかった結果なんです」
どうして訓練中の兵ほどの体力もないのだとミドリさんが首を傾げていたので、そろそろいいかと種明かしをしてあげることにした。
重い装備を着けて長距離を走るためには、重心を体の中心に保ったまま走る技術が必要になる。装備は自分の体と違って自由に動かせないから、バランスを崩すたびに踏ん張って立て直さなければならない。元気なうちはいいけれど、疲れてくるとこれが辛くなってくるのだ。
訓練隊長が自慢するだけあって、ここのアスレチックコースはものすご~く意地悪に作られていた。高低差は激しく、道は斜めに傾いていたりするし、丸太を使った一本橋や障害物も多い。丸太を地面に転がしただけの簡単に跨いでしまえる障害も、成人男性の歩幅とは一致しない、計ったように絶妙な間隔で配置されている。
コースの先を読んでルートや歩数を計算しながらペースを調整していかないと、とんでもなく余計な体力を使わされるのだ。なにも考えず、障害の手前で急停止させられたり、悪い踏み切り位置から飛び越えさせられたりしてバランスを崩されまくったチイト君は、一部の不死族が使うライフドレインでも喰らったかのように体力を吸い取られてしまった。
「そ、そんな仕掛けが……」
このコースはなにも知らない訓練兵から体力を搾り取るよう設計されているのだと聞かされて、唖然とした顔つきになるチイト君。勇者の身体能力に自信があったのだろうけれど、隠された意図に気付かないまま無駄に消耗してしまえば限界はすぐに訪れる。
「冬の間に、休まず3周できるくらいにはなってもらいます」
「これを3周……」
「ユウ先生は息も切らしていらっしゃいませんね」
チイト君が全身で絶望を表現したものの、訓練兵にできるのだから勇者様にできないはずがないとミドリさんに反論を封じられてしまった。学院で授業のある日はここまで通えないので、明日からお城の森を武装した状態で走ってもらうことにしよう。
訓練場から王都へと戻る馬車の中で、チイト君はすっかり意気消沈していた。ハァァァ……と盛大にため息なんか吐いている。思惑通り、勇者の力に頼るだけでは通用しないということを思い知ってくれたみたい。
いくら剣術の腕が立ったところで、部隊の動きについて行けないようでは使う機会なんて巡ってこない。味方が優勢ならチイト君が到着する頃には敵が残っていないし、逆に劣勢になれば逃げ遅れて敵中に取り残されるだけだと、コースの入口に戻ったところであの女性教官がさんざんバカにしてくれたのだ。
「まさか、戦場の中を馬車で移動するつもりだったのではありませんよね?」
「精霊獣ではダメかな?」
「あんな目立つ乗り物。魔法のいい的ですよ」
ちょっとした家屋程もある精霊獣がプワプワ浮いていれば誰だって狙いたくなる。魔法に対する耐性は高いから、むしろ囮として活用することを考えた方がいいかもしれない。
「せめて魔法が使えればなぁ……」
魔力があっても魔法は使えないチイト君。フウリちゃんの見立てによると、魔法記憶領域が精霊獣に占められていて、魔法を覚えることができないそうな。魔剣なんかの魔法具であれば問題なく使えるという。
「ユウさん。行ってみたいところがあるんだけど……」
馬車が王都に入ったところで、落ち込んでいたはずのチイト君が期待に目を輝かせながら商業街区にある大通り公園に行きたいと言い出した。いろんなものを売る屋台が出ていて、毎日ちょっとしたお祭りみたいになっている……らしいと言い出しっぺのチイト君が口を濁す。
「チイトさん。行ったことなかったんですか?」
「学生たちから話だけは聞いていたんだけど……」
カナメ師匠やフウリちゃんは、平民が楽しむ場所だと連れて行ってくれなかったという。それであればと、ミドリさんが案内役を申し出てくれた。近くに馬車止めがあったのでそこに止めてもらい、テクテクと歩いて大通り公園に向かう。
「動きやすい服できていてよかったですね」
今日の行き先は野戦訓練場だったので、わたしはヤマタナカ嬢が用意してくれた戦装束を身に着けている。見る人が見ればわたしの身分に気付くだろうけれど、普通の人達の中に紛れてもそれほどの違和感はない。ちょっと気取った格好をしている小娘に見えることだろう。
「おおぅ。こいつは美味そうだ」
大通り公園はさながら縁日のごとく賑わっていた。さっきまでの落ち込み具合もどこへやら、チイト君は屋台で売られているジャンクフードに夢中だ。串焼き肉に揚げた肉、大きな腸詰肉と肉と見れば片っ端から平らげていく。わたしは小麦粉の生地で餡を包み丸い型で焼いたお菓子。ここではイマガウワーという商品名で売られている大判焼きを購入してみる。
「チイトさん。そんなに肉ばっかり食べていると――」
野菜なんかも挟んであるタコスを手にしたミドリさんが、お肉大好きなチイト君を注意していた。食べた分以上に搾るから、太る心配は無用。むしろたくさん食べておいた方が体力がついていいのだけど……
「――体臭が臭くなりますよ」
「うえぇぇぇ…………」
予想外の口撃にチイト君が情けない声を上げる。年上のおねいさんから臭いを指摘されたのはショックだったらしく、スケベ小僧はしきりに自分の体臭を気にし始めた。
「あれ……」
ほかほかと湯気を立てているイマガウワーを堪能していたところ、つい先日ボコボコにした顔が目に映った。見たところスズちゃんより年上、わたしよりは年下くらいの少女と手を繋いで歩いている。
「バンチョウ君がいますね。あんな小さな子となにをしているんでしょう?」
「兄妹には見えませんね。髪の色が全然違います」
燃え立つような赤毛のバンチョウ君に対して、連れている少女の方は黒髪。着ているのも古着のように色あせたワンピースで、バカ高いメイモン学院の学費を払えるような家の子に着せるものではない。ふたりが家族である可能性は極めて低いとミドリさんは結論付けた。
「恋人にするにしては幼過ぎませんか?」
「裕福でない人達は結婚も早いですから、そうでもないのですけど……」
裕福な家の子であれば20歳近くまで学問機関にいることも多く、結婚はその後ということになるけれど、そうでない子は15歳くらいでお相手を決めてしまう。20歳までに第一子をもうけるのが普通だそうな。
「問題は彼の方ですね。無収入の学生が妻を養うことはできませんし、まだ子を産むには早い娘なんて親が了承するとは思えません」
少女の方は結婚相手を探していても不思議ではないけれど、バンチョウ君はまだ学生。無職でこそないものの、収入がないことに変わりはない。官職を得ようと勉強に力を入れている様子もないので、ふたりの将来なんて考えてもいないだろうとミドリさんは目を細めた。
「最初から飽きたら捨てるつもりですか。誰が悪いヤツじゃないですって?」
「待ってくれユウさん。まだそうと決まったわけじゃない」
反抗期が抜けきらないやんちゃ坊主ならともかく、いたいけな少女を毒牙にかけんとする乙女の敵が悪いヤツでないはずがない。わたしに睨みつけられたチイト君は、反論の機会を与えないまま判断を下すのは公正でないと主張する。
「わたしを素人をいたぶるメイドと決めつけたチイト君がそれを言いますか?」
「いや……あの時は……でも、ユウさんだって法を無視した正義は犯罪だって言ってたじゃないか」
ダブルスタンダードを指摘されたチイト君は自分の行いの正当性を訴えることを放棄して、「お前だって」論法でわたしの言っていることこそ矛盾していると批判し始めた。言い負かされると論点をすり替えるのは彼の悪い癖である。
「物事には優先順位というものがあるんですよ。そんなこともわからないから、学業を疎かにしてダンジョンなんかに来るんですね」
「乙女の敵って、どんだけ優先順位高いのっ?」
少なくとも人族の統治者が敷いた法なんかより高いことは間違いない。それに、チイト君が力で正義を押し通せばテロリストだけれど、そもそもわたしは人族にとって不倶戴天の敵。魔皇のひとりだ。とっくに悪の枢軸なのだから、乙女の敵を見逃してまで人族のルールを尊重する必要はないと思う。
不埒者に罪の重さを思い知らせてくれようと歩み寄ったところ、気配に敏感なのか少女の方が先に気が付いた。バンチョウ君の袖を引っ張って、わたしが肩を怒らせて接近していることを知らせる。
「てめえはっ。なんでこんなところにっ?」
「もちろん乙女の敵を断罪するためですよ」
多少は教育の効果があったみたいで、わたしの姿を認めたバンチョウ君はこちらに半身を向けて身構えた。急所を丸出しにして威嚇してくるようなら、それこそ口から胃を吐き出させてやろうと思っていたのに……
「なんだそりゃあっ。誰が乙女の敵だっ?」
「小さい子を騙して弄ぼうとする悪い男が乙女の敵でなくてなんなのです」
「ばっ……誤解すんじゃねえっ。ユキはそういうんじゃねえよっ!」
この少女はユキちゃんというみたい。バンチョウ君は彼女との関係を明言しようとはせず、オウムのように「違うんだ」とだけ繰り返す。家族であるなら隠す必要はないし、そういう関係ではないと言われたユキちゃんは悲しそうに顔を俯かせた。
もはや問答は無用。乙女の敵はすべからく滅ぶべし。
「待ってくださいっ。お兄ちゃんは悪くないんですっ」
スズちゃんに見せたドリルパンチをお見舞いしてくれようと、右腕に竜巻のような流動防殻を纏わせたわたしの前に、決意の表情を浮かべたユキちゃんが立ちふさがった。
お兄ちゃん……?




