第1話 メイモン学院
「ぐわっ」
チイト君が木製ゴーレムのウホイチロウにぶん殴られた。ここはヤマタナカ王国の王城にある森の一角。今は猿のように枝を伝って移動する魔物を想定した訓練をしている。
落葉樹で構成された森だったので、今の時期は葉が繁っていない。代わりに地上から3メートルの高さに煙幕の魔法を展開して、枝を伝って移動するウホイチロウの動きを隠したところ、チイト君は信じられない行動に出た。
背後を取られないようにと考えたのか、大樹に背中を預けたのである。
人族にとっては死角となる頭上から襲いかかられて、防御もままならず地面に転がった。
「わたし言いませんでしたか? 死にたくなかったら、とにかく走れと……」
前任の指南役であったカナメ師匠によって、チイト君はすっかり剣術試合に染められてしまっている。限られた試合スペースの中で戦うことを前提としているから、走って移動するということをしない。
とにかくその場にとどまって戦おうとする、非常に悪い癖がついてしまっていた。
「姿を隠していても、走っている相手に音もたてず忍び寄ることは難しいんですよ」
移動するという単純でありながら効果の高い防御手段を捨ててしまったチイト君。すり足ステップでいつでも前後左右に動ける構えを取るのだけど、それは試合に勝つための技術であって戦場で生き残るためのものではない。
「ゴーレムを操るのも面倒になりました。魔法を使いますから、せいぜい逃げ回ってください」
「うわおっ!」
煙幕の上から落ちてきた雷にチイト君が驚いて声を上げる。足を止めたら直撃させると脅して走り続けさせたところ、チイト君の息はあっという間に上がってしまった。
ダメだこれは……
優れた身体能力を与えられた勇者でも、呼吸法や走り方がなっていなければこんなもの。まずは装備を着けた状態でのマラソンから始めなければならないだろう。
面倒臭いから、王国軍の新兵訓練に放り込んでしまおうか……
チイト君は国立メイモン学院という学校に通う学生でもあった。そのせいで訓練の時間が限られてしまうけれど、これはまぁ仕方がない。この国、というかこの世界での一般教養を身に付ける必要性はわたしにも理解できた。
せっかくなので一緒に勉強させていただく。わたしだって人族社会に詳しいわけではなく、食事や買い物をする分には困らない程度の知識しか持ち合わせていない。
「ユウさん。さっきから真剣な顔で何を読んでるんだ?」
「うるさいですよ。課題は終わったんですか? 授業をすっぽかしてダンジョンに来ていたなんて聞いていませんでしたよ」
ここはメイモン学院の図書館。わたしはこの国の歴史について、かな~り大雑把に書かれた本を読んでいた。チイト君にはたまりに溜まった学習課題をこなすよう命じてある。
「いや……でも、こんなの覚える必要あんの?」
異世界の知識を持ったチイト君がそう感じるのも無理はない。この学校では王権神授説なんてものを真面目に教えていた。ヤマタナカ王国はボウイン教という多神教を国教としていて、王族や世襲貴族はこの神々の末裔であり、この国を統治する正当な権利者だそうな。
「信じる、信じないは別として、多くの人達がそう認識しているという知識は必要でしょう」
別にそれを信じろとは言っていない。ただ、社交の場で話を合わせるためにも憶えておいた方がいいと思う。どこどこの家の氏神は何何様だという話は歴史の本の中にも出てくるくらいだから、貴族達にとっては一般常識かもしれない。
「お、ナナヒカリ戻ってたのか? っと、失礼しました。マダム」
ここの教師だろうか。40代くらいの無精ひげのおじさんがチイト君に話しかけてきた。わたしの姿を見てペコリと頭をさげる。チイト君は学生服を着用しているものの、わたしが身に着けているのはヤマタナカ嬢が用意してくれた鮮やかな青のドレス。仕立てや装飾品の付け方を見れば、わたしが官職にある成人女性であると察することができる。
このおじさんはタナカ・イチロウといって、この学院の歴史教師だという。まだ勇者であることを公にしていないチイト君は、この国のことを学びに来た留学生ということになっていて、学習が遅れ気味な彼を心配して声をかけてきたみたい。
タナカ先生から話を聞いたところ、カナメ師匠は剣術の稽古、フウリちゃんは遊んでばっかりで学業が疎かになっていたそうな。
「わたしは彼の個人的な教師役を務めることになりましたナロシ・ユウと申します。見てのとおり、溜まった課題はムチで叩いてでもこなさせますから安心してください」
「うえぇぇぇ…………」
頭を抱えてうめき声を上げるチイト君。教養も身に付けず、剣の腕一本でこの世界を渡り歩いていこうとでも考えていたのだろうか?
顔を引きつらせたタナカ先生が、「がんばれよ……」と激励の言葉を残して去っていくのと入れ替わりに、薄茶色の髪を伸ばした女学生がやってきた。課題にヒィヒィ言っていたチイト君が手伝ってくれと彼女に縋りつく。
「チイトさん。課題は自分でやらなければ身になりませんよ」
わたしがカナメ師匠の後任であるならば、彼女はフウリちゃんの後任で名をミナガワ・ミドリといった。ナナシーちゃんの言葉を借りるなら、チイト君にあてがわれた新しい女である。
欲望を持て余し気味なチイト君は包容力に溢れたミドリおねいさんの魅力にイチコロだったみたいで、彼女を紹介されてからはフウリちゃんのことを口にしなくなった。故人に囚われ続けられても困るので乙女の敵認定は許してあげるけれど、正直なところ節操がなさ過ぎると思う。
「ナナシーさんが訓練部隊長に話をしてくれるそうです。明後日には使えるようにしておくと言っていました」
ミドリさんには軍の訓練施設を借りられるように、ヤマタナカ嬢へお願いしに行ってもらっていた。指南役であるわたしのアシスタントでもあるので、彼女にもチイト君が勇者であることは知らされている。
ヤマタナカ嬢は思ったとおり王族の一員で、この国のお姫様だった。もっとも、上に男子がふたりいるので政治に口を出すことは許されず、国王や王太子が出席するまでもないと判断された式典なんかに形ばかりの参加をするくらいしか仕事はなかったという。
勇者の世話役は、初めて自分に任された仕事だと言っていた。
「それでは、次のお休みの日から新兵訓練のメニューをこなしてもらいましょう。溜まっている学習課題はそれまでに全部終わらせてください」
「そんなぁぁぁ…………」
チイト君が机に突っ伏してうめき声を上げるものの、あまり時間は残されていない。メイモン学院では春から秋にかけて授業が行われ最後に試験がある。この勇者様はよりにもよって、試験前の大事な時期にダンジョンなんかに出かけていたのだ。
指南役だったふたり共々、留学生というのはカモフラージュなのだから学業の方はどうでもいいと考えていたみたい。
確かに好成績を修める必要はないのだけれど、チイト君が軍事の話から締め出されてしまっては王国軍の動きを探りにくくなってしまう。それではわたしのスパイ活動に差し障りがあるので、周囲の話題についていける程度には勉強してもらうことにした。
「おぅ、留学生。ダンジョンに行っていたそうだが稼げたのか?」
ヒィヒィ言いながら課題に取り組んでいたチイト君に、赤毛が印象的なひとりの男子学生が声をかけてきた。もう反抗期は過ぎているだろうに、学生服をだらしなく着崩して周囲に素行不良であることをこれでもかとアピールしている。
「お金を稼ぎに行ったわけじゃない」
「隠すってことは相当稼げたのか? 正直に言えよコラ」
これはひょっとしてカツアゲというやつだろうか。だけど、いくら何でもこんな学生に後れを取るチイト君ではないはず。精霊獣を使うまでもなく、素手でぶっ飛ばしてしまえると思う。
「運よく財宝を見つけられれば相当な稼ぎになるって聞いたぜ。手を貸してやるから、次は俺にも声をかけろよ」
どうやらカツアゲではなく、自分も分け前に与らせろということみたい。
「チイト君。彼では足手まといにしかなりません。はっきり断っておくのが彼のためだと、もうわかっていますよね?」
彼の存在が危険を招くと判断されれば、それこそナナシーちゃんの手で始末されかねない。本人は自信満々だけれど、魔物と戦った経験がないのは素振りからも明らかだった。
「なんだと、このメスガキ……」
「ユウ先生に失礼ですよ。お召し物でわからないんですか?」
わたしは見た感じ15歳くらいの小娘でしかない。身に着けているものから判別する知識のない人の目には、チイト君よりも年下に映るだろう。そのことに気付いたミドリさんが、即座に彼の勉強不足を指摘した。
この国には領主などの世襲貴族が持つ爵位とは別に官職に付随してくる爵位があって、指南役に就任したわたしは、ほぼ最低位ではあるものの貴族として扱われる立場にある。タナカ先生がマダムと呼びかけてきたのもそのためだ。
「こいつが先生? んだぁ、新任の教師か?」
威嚇するように睨みつけてくる男子生徒。この手の輩には言葉で説明するよりも実力の差を思い知らせた方が手っ取り早いと席を立ち、彼を吹っ飛ばしても周りを巻き込まない位置に移動して右手でスカートを摘んで裾を持ち上げる。
「あぁん? ガキがいっちょ前に色仕掛けのつも――ぐふえっ!」
そのまま自分は攻撃されないと思い込んでいる間抜けの鳩尾めがけて、ヤクザキックを叩き込んだ。ブーツの踵に収束した風が衝撃波となって、わたしより10センチ以上背が高い男子学生を吹っ飛ばす。
周りで勉強していた学生達が騒然となったけれど、ちゃんと方向を確認しておいたから巻き込まれた人はいない。
「こ……このヤロウ……いきなりなにを……」
男子学生は悪態をつくものの、お腹を押さえたまま床に転がっている。なにをも何も、ここは学校なのだからすることは教育と決まっていた。
「相手が攻撃の届く間合いに入ってきたことにも、スカートを摘み上げたのが攻撃の予兆だとも気付かないで両手をポケットに入れたままなんて、あなたバカなんですか?」
「てめぇ……不意打ちなんぞしておいて偉そうに……」
わたしはちゃんと間合いに入ったところで立ち止まって、わざわざスカートの裾を上げて見せた。無警戒に急所を打たれる方が悪く、不意打ちなんて言われるのは心外である。
それで魔物を相手に戦えると本気で考えているのだろうか?
「安全な場所でいきがって見せるだけのお坊ちゃまが生きて帰れるほど、ダンジョンは甘くありませんよ」
「ぐふえっ」
まだ起き上がれずにいる男子学生のお腹にブーツのつま先を叩き込む。いつまで床に転がっていれば気が済むのだろう。意地でも立ち上がらなければ、ダンジョンでは殺されるだけだというのに……
「バンチョウヤ。ユウさんはむっちゃ鬼教官なんだ。ここの先生達と違って優しくない」
衆人環視の中で続けられる教育を見かねたのか、チイト君が止めに入った。鬼教官とは失礼な。戦いというものは残酷で、そこには一片の慈悲すらないのだ。わざわざそのことを学ばせてあげようというわたしが優しくないはずがない。
「自分が周囲に護られていることを自覚できない甘えん坊は、ユウ先生に再教育してもらった方がいいと思いますよ」
このバンチョウヤという学生は、しょせん暴力が禁止された場所で強がっているだけの子供でしかない。成績優秀というミドリさんにはそれがわかっているらしく、甘ったれにはいい薬だと涼しい顔をしていた。
「ユウさん。あいつはけっして悪いヤツじゃないんだ」
「頭は悪いと思いますけどね」
フラフラになったバンチョウ君が図書館を後にしたところで、態度こそ悪いものの、弱いものイジメをする学生グループとはむしろ対立しているのだとチイト君が彼を弁護する。すかさずミドリさんが、根本的に解決しようという考えはなく、一時的に抑制することで満足している英雄気取りだと切り捨てた。
目の前で困っている人を助けるという行為は、一般の人々が行う分には尊いものだけれど、ここメイモン学院はこの国の最高学府。いずれ社会に大きな影響力を持つであろう自分達が、個別事案を解決して終わりと考えているようでは話にならないとミドリさんが鼻を鳴らす。
わたしも同意見だ。自分の意思を世の中に押し付けたいのなら、国主になってそれをしろというのがシャチーの持論だった。服を着ろというわたしの意思は無視されたけれど……
「まさか、行く先々で人助けをすることが世直しだなんて考えてはいませんよね?」
「いやいや……そんな……まさか……」
わたしの質問に歯切れの悪い答えを返してくるチイト君。その土地の統治者や法を無視して、力で正義を執行すればいいとでも考えていたのだろうか。それでは勇者というよりもテロリストである。
やはり彼には勉強が必要みたいだ。幸いにもミドリさんは、官僚を目指して政治学とか法律学を専攻しているという。チイト君の安直な正義感をしっかり矯正してもらおう。




