第6話 覆面の少女
困ったことになった。下手に攻撃して勇者を使い物にならなくしてしまったら大問題になってしまう。
彼らはわたしのように死んでから転生したのではなく、生きている間にこの世界に来て勇者になるという契約を結んで召喚されてきた人達。元々住んでいた異世界は、わたしが中学生をしていた世界を含めいくつかあるらしい。
召喚に応じてくれたご褒美として、通常の人族より優れた身体能力と魔力。そして、勇者君が恩恵と呼んでいた特別な能力を与えられている。
人族の領土拡大のために魔族と戦うのが勇者の役割のはずなのだけど……
「なんでそんな人がダンジョンに?」
わたしの疑問をトト君が代弁してくれた。精霊獣という能力を持っているのだから、偽物ということはないと思う。
「いくら恩恵が優れていたって、僕自身に武器を扱う技術がなくてはね」
意外と言っては失礼かもしれないけれど、至極常識的な答えが返ってきた。精霊獣がいくら強くても、操り手が倒されてしまえばそれまで。この勇者君は今年の春に召喚されたばかりで、これまでの時間を剣術の修行に費やしてきたという。
ダンジョンに来たのは修行の成果を確認するためらしい。
「そいつがなんで俺の邪魔するんだよっ?」
「修行にもやり方があるんだ。無茶をしたところで急に強くなれるわけじゃない」
ギリギリの状態に追い込まれたところで真の力に覚醒するなんてあり得ない。まどろっこしく思えても、ひとつひとつ積み上げていくしかないのだと勇者君が正論めいたことを口にする。
言っていることは間違ってないと思う。トト君の懐具合を考慮しなければ……
「余計なことに口を挟まず、ご自身の修行に専念されてはいかがですか」
「黙れっ。彼を騙してどうするつもりだこの毒婦っ」
毒婦ときた。口の利き方を知らない若造には、やはり教育が必要みたい。
「ずいぶんと自信があるみたいですけど、恩恵の力だって打ち破る方法がないわけじゃないんですよ」
「言ったからにはやってみせろっ」
勇者君に命じられて、薄い氷を纏ったようなオオカミが猛然と襲いかかってきた。確かにこれは魔法に対して強い耐性を有しているだろう。物理攻撃が意味をなさず、すぐに再生するというのも理解できる。
そしてそれが、わたしにとってはただの人形でしかないということも……
「そんな……」
ただ一発。わたしの蹴りを受けて霧散していく精霊獣を勇者君が呆然と眺めていた。
すかう太くんによる解析結果を見たとき、わたしには精霊獣とやらの正体がすぐにわかった。だから、こけおどしだと警告したのだ。
まさに、その力を打ち破るための裸道なのだから……
精霊獣とは修裸が纏う防殻を体から切り離し、人形のように組み上げて遠隔操作する技術に他ならない。防殻なのだから魔法に強いのは当たり前。実体がない魔力の塊に物理攻撃が利くはずもなく、防殻を打ち壊すような攻撃で木っ端微塵にされない限りいくらでも再生する。
本来、裸力による防殻は目に見えないけれど、精霊獣は冷気を生みだす魔法を纏っていた。それで表面に氷を付着させて、いかにも実体があるように見せかけていたのだ。
精霊獣なんて呼ばれると仰々しく感じるけど、ただの防殻ゴーレムに過ぎない。
「よっわ……マジで見掛け倒しかよ……」
「なにを言ってるんですか。今のトト君にあれを倒す術はありませんよ」
裸道の使い手にとってはなんてこともない技だけど、あの防殻を削りきるまで魔法をぶつけるのは骨が折れるし、物理攻撃では表面の氷が砕けるだけだろう。
正体を知らない者にとっては、正に無敵の精霊獣だ。
「術……君は精霊獣の倒し方を知っていたというのかっ?」
「精霊獣ではありませんけど、似たようなものでガンガン殴り合う者達を知ってますからね」
術という言葉だけで精霊獣の正体が見抜かれていたことに気付いたみたい。もう一度顕現させる魔力は残しているだろうけど、同じ結果に終わるだけだということも察していると思う。
「いたいた~。こんなところで何やってんのよ、チイト?」
栗毛色の髪をあのミイカワヤの女番頭さんと同じ、ド・リールという髪型にした女の子がやってきた。どうやら勇者君の名前はチイトというらしい。
「なに言ってるの? あんな貧乏雑魚にそんなお金あるわけないじゃない」
勇者改め、チイト君から話を聞いた女の子が鼻で笑う。胸元や袖先、スカートの裾がフリルで飾られたお嬢様のような身なりをしているから、彼女もまた裕福な暮らしをしているのだろう。
「なんだよ貧乏雑魚って?」
「許しもなく平民が口を開くなっ!」
少しは常識があるかと期待したけど、チイト君以上に正気を疑いたくなる相手だった。警告もなしにトト君に向かって炎の魔法を放ったのだ。
流動防殻を纏った手で放たれた炎の矢を払いのける。
おそらくはこの国の特権階級に属する子なのだろう。勇者の召喚には聖櫃と呼ばれる魔法具が必要で、これは人族の手で新たに造れるものではない。国によって違うのだろうけど、王家とか宗教組織といった特権階級がそれを所有している。
ひとつの聖櫃につき、同時に召喚しておける勇者はひとりだけ。そのため、特権階級から護衛と監視を兼ねた従者をあてがわれていることが多い。
新たな勇者を召喚したくなった場合には暗殺者に早変わりする従者を……
「誰が防いでいいと言ったっ!」
平民は自分の身を護ることすら許さないとは修裸の国より酷い。修裸ならば、「死に物狂いで抵抗してみせろ」と言うだろう。無抵抗の相手をわざわざ攻撃する意味がどこにあるのかさっぱり理解できない。
「チイトッ。ぼんやりしてないで精霊獣で私を護りなさいっ」
「ダメなんだっ。その子に精霊獣は通用しないっ」
なるほど。チイト君の精霊獣に自分を護らせて強力な魔法を放つ気だったみたい。すでに魔法を発動させてしまったらしく魔力が収束を始めていたので、目の前まで近づき流動防殻に覆われた手で魔法が形作られる前に魔力を散らしてしまう。
「なっ。私を誰だと――」
「名乗ってもいないくせに、なにを言ってるんですか」
この子では話にならなそうなので、左手で喉をグワシと掴んでそれ以上の発言を止める。
「なんですかこの子? 従者の躾けは主の責任じゃないんですか? このまま息の根を止めてもいいですか?」
「待てっ。待ってくれっ」
「あなたがおとなしくさせられないなら、わたしの手でおとなしくさせますけど。物理的な意味で……」
八つ裂き氷輪を右手に発現させて女の子の目の前に掲げると、高速で回転する丸ノコが彼女の防壁の魔法に触れて激しく光を散らした。防壁がガリガリと削られていく様子に恐れを抱いたのか、女の子は声にならない声を上げわたしの左手から抜けようと必死に身をよじる。
「こっちに渡してくれればワタシがおとなしくさせる」
いつの間にかチイト君の隣に黒装束に黒覆面の小柄な人影があった。声音から判断する限りでは少女みたい。わたしが魔法使いの女の子をポイッと転がすと、首絞め紐をクルリと巻きつけてギリギリと絞め上げ始めた。
「だからこのバカを連れてくるのには反対だった。責任はチイトにある」
「ぼっ、僕っ?」
正体を偽り一介のダンジョン探索者を装う手筈だったので、平民の振りなんてできない魔法使いの子はお留守番を言いつけられていたらしい。おねだりされて同行を許可しておきながら問題行動を止められないチイト君が悪いと、覆面少女が首絞め紐をいっそう喰い込ませる。
「いててっ。なっ、なにしやがるっ」
「誰が精霊獣を人前で使っていいと言った?」
チイト君の後ろに隠れるようにしていたモヒカンが、チイト君と同じような装備をした剣士っぽい女性に腕を捻じりあげられて悲鳴を上げた。ダンジョンに来たのは実戦で剣術の腕前を確かめるため。余計なトラブルを起こすなと、モヒカンを壁に叩きつけて気絶させる。
「カナメ師匠……」
カナメという名前らしい女性剣士はわたしとトト君を一瞥しフンッと鼻を鳴らすと、チイト君の耳を引っ張ってどこかへ連れて行ってしまった。
「恩恵のことは口にするな。さもないと不幸が訪れる」
「言いふらしたところで得られるものはありませんからね」
「わかっているならそれでいい……」
チイト君が勇者であることを他人に話すなと言った覆面少女は、わたしの答えに満足したみたい。首絞め紐を巻きつけられている女の子のお尻を蹴飛ばしながら訓練場を後にする。
「なんだあいつら。邪魔するだけ邪魔しておいてひと言もなしかよっ」
「忘れた方がいいですよ。あの人達、階級意識を手放していませんから」
本人は平民の振りをしているつもりなのだろうけど、あの女性剣士の態度は明らかに自分が特権階級にあることを意識していた。あれは身分を隠しておきながら、自分に都合が悪くなると特権を振りかざすタイプだろう。
寛大ぶって「身分の上下なんて気にするな」と口では言うくせに、目上として扱われないと機嫌が悪くなるのは人族に限らない。大陸を平定する間にああいった魔族はたくさん見てきたから雰囲気でわかるのだ。
「かかわってもロクな結果になりません。腫物だと思ってください」
一日訓練を続けて、ようやくトト君は相手の全身を視界に収めていられるようになってきた。まだ意識していないとすぐ一か所を見つめちゃうので、その都度指摘してあげないとダメだけど……
ひとつの考えに囚われてしまうのは、思考の問題だけあって矯正には時間がかかるだろう。
「明日はイカちゃん達とエリアBに行きますけど、覚えたことを実践できないと判断したら即訓練場に戻ります。いいですねっ」
「おおっ。大丈夫だっ。問題ないっ」
返事だけはいいのだけど、すぐ調子に乗って飛び出していくことはもうわかっている。いくつかの合図を決めて、命令を無視するようならそこまでだと言い含めておいた。
「たった1日でどれだけ変わったっていうのよ?」
「本当だって。もうあんな無様なところは見せねぇよ」
イカちゃんが疑わし気な目でトト君を見つめていた。昨日は軍死君とふたりで大銀貨5枚近い稼ぎがあったらしい。足を引っ張られては堪らんから、もうしばらく訓練場に引っ込んでいろとそっけない。
「また同じようなことをするならユウさんが連れ帰ってくれるだろ」
いつまで連れ戻されずにいられるか楽しみだと、軍死君は意地悪そうにニヤニヤ笑っていた。
エリアBではボーンゴーレムに加えて、ゴブリンという身長140センチ前後の人型をした魔物が現れる。知能が低いので魔族ではなく魔物に分類されている生き物だ。頭髪がなく、頭蓋骨が分厚くて頭皮がカチカチに硬くなった石頭が特徴。イカちゃんの両手斧ならともかく、トト君の剣では通用しないだろう。
髪はないけれど、メスは妖精のような美少女揃いというのは魔族だけの秘密である。
「ゴブリンが3匹だ。1匹は任せろっ」
「トト君、ステイッ!」
あまり広くないパティオのような広場にゴブリンを見つけ、トト君がさっそく飛び出して行こうとしたので「動くな」という命令を出す。
「トト。敵は見えているだけとは限らないのよ」
「周りをよく見ろ。射手を配置するのに絶好の場所だ」
近づいて殴るだけのボーンゴーレムと異なり、ゴブリンは弓や投げ槍だって使ってくる。広場を囲んでいる壁には高い位置に窓が等間隔に並んでいて、迂闊に飛び込めば上からの集中攻撃を受けかねない。
3人には言っていないけど、4体ほど隠れているゴブリンがいることをすかう太くんのレーダーが捉えていた。
「壁の中に空間がある。入口を見つけて、そっちから先に潰すぞ」
イカちゃんは二日目ということもあって慣れたのか、頭を狙わずバッサリと袈裟切りにしてゴブリンを始末していく。派手な音は立てられないため、軍死君も魔法ではなく槍を使っていた。
「あとは表にいる3匹だけだな」
「俺にもやらせろよっ」
ステーイ、ステーイさせられていたトト君が抗議の声を上げる。訓練の成果を見るために1対1で戦わせてみるのもいいと、イカちゃんに1体始末してもらい、もう1体はわたしが縄術で捕らえた。
余裕があれば、トト君にはもう1戦してもらおう。
「トトッ。頭は金属ヘルム被ってると思いなさいっ」
「武器ばかり見ないっ。全身を見るんですっ」
何度か視線がゴブリンの持っていた手斧に向いたところを注意しなければいけなかったけど、トト君はひとりで倒すことに成功した。ただ、捕まえたゴブリンともう1戦してもらう前に片付けておきたい問題がある。
「わたし達に何かご用ですか?」
すかう太くんのレーダーが、物陰に隠れてこちらの様子をうかがっている人影を捉えていたのだ。誰もいない場所に向き直ってわたしが尋ねると、通路の陰から昨日会った覆面少女が姿を現した。敵意がないことを示すつもりか両手を頭の横に掲げている。
「あなた達に手出しするつもりはない。そのゴブリンを売って欲しい」




