第10話 最高のステージ
アイドル業の合間にレッスンを受けることにしたわたしは、赤いレオタードを着て新体操の練習をさせられていた。手具はロープ。アイドルのレッスンではなく、れっきとした職能の稽古のはずだったのだけど、なぜかやらされたことは新体操だった。
コーチは波打つ黄金色の髪がゴージャスなニート・フォーのリーダー、アシサキ・サグリさん。この女性はロープを使って相手を捕縛したり、罠を仕掛けたりする縄術という職能を持っていて四段の腕前だという。
金剛力で壊してしまうからと武器を使うことのなかったわたしだけど、ロープならどこでも手に入るし失ったところで懐も痛まない。わたしが興味を示すと、サグリさんは縄術人口を増やすためと快くコーチを引き受けてくれた。
縄術がネタ職能扱いされている現状が気に入らないそうな。
「縄術は戦いにも狩猟にも夜の生活にだって使えるのよぉ」
「そういうこと言うからネタ職能って言われるんじゃないですか?」
実のところ一番使う機会の多い職能なんじゃないかと思うのだけど、戦闘術に分類されている職能の中では2番目に不人気だという。
「ホホホ……女は愛の罠猟師なのよぉ」
男がハートを射抜くハンターなら、女は心を絡めとるトラッパーだと、黒くてほぼ全身レースというけしからんレオタードに身を包んだサグリさんが、6メートルはありそうな長いロープを巧みに操ってみせた。まるでリボンの演技のように空中で形を変えていくロープの動きに思わず息を飲む。
――動きが予測できない。躱し切るのは無理かも……
四段の腕前は伊達ではなく、狙われたら間違いなく捕らえられるとわかる。魔法で吹き飛ばすか、裸力で力任せに引き千切ることはできるだろうけど、回避して華麗にカウンターとはいかないと思う。
剣術なんかよりよっぽど手強そうだ。
わたしは初めてなので、3メートルもない短いロープを使わせてもらっている。この新体操みたいなのは、まずは自在に扱うための練習だそうな。体に巻き付けたり、投げた後に真ん中を掴んで二つ折りにするといったことを、踊るようにステップを踏みながらこなしていく。
「つま先立ちとか慣れてるのねぇ。身体も柔らかいしぃ」
「歩き方やバランスは練習させられましたので……」
片足を真上に振り上げ体にピッタリと密着させた状態で片足立ちしてみせると、サグリさんが本当に素人なのかと疑わしい視線を向けてきた。シャチーに抜き足差し足忍び足を厳しく仕込まれたし、裸道を習っている間にさんざんバランスを鍛えさせられたから、この手の動作はお手の物なのだ。
「それよりも、なんだかすごく見られてるんですけど……」
「そうねぇ。何かあったのかしらぁ」
ここはスズちゃんの言っていた裸体美を追求するという裸道の道場……だったところ。門下生が集まらないので、美しい姿勢や動作を教えるバレエ教室的なことを始めたら大当たりしてしまい、いつの間にかそっちが本業になってしまったという体操教室である。
裸道の門下生は10人しかいないけど、教室の練習生はその10倍はいるという。
今日は体操教室の日なので練習生がたくさん集まっているのだけれど、なぜかわたしとサグリさんを取り囲んでこっちをジロジロと眺めている。男の人もちらほらいるけど、ほとんどが女の子だ。
「サグリ先生。その子がニート・フォーの新しいメンバーなんですか?」
「はぁ~」
勝気そうな女の子のひとりが、チクミちゃんの代わりにわたしをメンバーに加えるのかと尋ねてきた。ここのところミユウと組んで仕事をしているせいか、チクミちゃんがニート・フォーを離脱したのだと誤解されてしまったみたい。
「チクミを手放す気はないわぁ。この子には縄術を仕込んでいるのよぉ」
ここの練習生は姿勢をよくして格好良く見せたいという富裕層の人と、アイドルや舞台俳優を目指している若者が半々といったところ。ニート・フォーの新メンバーになりたいというアイドルの卵がゴロゴロしているらしい。
わたしのアラを探して自分を売り込むつもりだったのだろうとサグリさんが鼻で笑う。
レッスンの合間に練習生達と話していると、想像していた以上にミユウへの風当たりが強いことに気付く。アイドルは早い話が路上パフォーマーなので、必死に営業してお店や新商品を宣伝する仕事をもらっている。仕事の多くは1回限りのイベントで、定期的に仕事をもらえるのはひと握りの人気者だけ。
ぼったくりグッズで利益を出せるニート・フォーはもうビッグネームだそうな。
どうしてあんな素人に毛が生えた程度の新人が、総監府の広報係みたいな仕事を請け負っているのかとしきりに話題に上がっていた。先程サグリさんに声をかけてきた勝気そうな女の子は、本当ならその仕事を受けるのは自分だったはずなんて口にしている。
他の子達も仕事を横取りされたとか、枕営業だとか好き勝手なことを言いたい放題。総監府がミユウを使うのは、討伐軍の包囲を解いたのは裸賊という事実から住民の目を逸らすため。もちろんそれは秘密で彼女達は知る由もないとしても、ミユウがチクミちゃんと包囲を突破したことは公表されているのに……
「あの子達、あんな話を本気で信じているんですか?」
「誰が言い出したのかわからなくなればそれでいいのよぉ」
こっそりサグリさんに耳打ちしたところ、誰かが言っていた。自分がでっち上げたわけではないという言い訳さえできれば、本当のところはどうでもいい。自分以外の誰かが同じことを言っていれば、「これは人から聞いたんだけど……」と好き勝手な噂をばら撒くのだそうな。
でっち上げエピソード満載のミユウにさらなるガセネタが盛られていくのを、わたしは黙って眺めているしかなかった。
秋も近くなった頃、大通りに新しいステージが完成した。これまでアイドルを含め芸を披露する人達は、店先に作られた集客用の小さなステージを使っていたのだけど、最近は集まったファンが通行の邪魔だと苦情が寄せられていたらしい。
そこで、総監府が式典などの公式行事にも使える野外集会場を整備してくれた。
今日はその完成記念式典。わたしとチクミちゃん以外にもたくさんの人達が呼ばれて、順番に歌やダンス、軽業やジャグリングといった芸を披露するお祭りが催されている。観衆が大通りを塞いでしまわないようにと整備された、500人以上収容できる階段状の観客席は見物客で大賑わいだ。
せっかくなので、わたしはステージの袖からいろんな人の芸を楽しませてもらう。今はちょうど緑色のコスチュームに身を包んだ女性が、よく弾むボールを使ったジャグリングを披露していた。いくつものボールを4カ所にバウンドさせてキャッチする正確無比なジャグリングの技に、観客席から歓声と盛大な拍手が沸き起こる。
――あんな人と同じステージに立つの? わたしが?
ひと言たりとも言葉を発することはなく、ジャグリングの技だけで観衆を魅了し盛り上げてしまえる女性。それほどの人達の中で、わたしの出番が最後だなんて……
わたしとチクミちゃんの出番は最後の最後。わたし達の後に都市総監代理の人が挨拶をして、続いてカーテンコールという段取りになっている。それなのに、わたしのところで大野次をもらって式典を台無しにしてしまうかもしれない。
こんなにたくさんの人が出演するステージなんて初めてだった。ステージに上がることを怖いと感じたのも……
修裸の国では国主だったので、もちろん政治演説――シャチーから渡されたカンペの読み上げ――くらい幾度となくこなしている。だけどそれは、すべてわたしのワンマンショー。聴衆の怒りさえシャチーは計算に含めていたから、わたしが結果を気にする必要なんてなかった。
トリを任されることの重圧に気が付いて、今になって緊張で気分が悪くなる。脚が震えてしまって、逃げ出してしまいたいのにこの場から動くこともできない。
「ド素人が今さら震えているわ……」
「枕アイドルがいい気味ね。せいぜい無様なところを晒せばいいのよ」
体操教室にいた人達がわたしを嗤っていた。もしかしたら、自分のファン達にブーイングくらいさせるつもりかもしれない。固有ファンのいないでっち上げアイドルにとって、このステージは間違いなくアウェイ。いつだって完璧なシナリオを用意してくれたシャチーはいない。
わたしは敵地にひとりっきりだ。
ふらふらとわたしとチクミちゃん用の楽屋に戻ると、わたしの顔色が悪いことを見て取ったスミエさんが椅子に座らせてくれる。
「何があったんですか? 悪いものでも食べましたか?」
「わたし……きっと式典を台無しにしちゃうよぅ……」
大ブーイングをもらうに決まっているから、チクミちゃんだけでステージに立った方がいいと言ってみたものの、その後の都市総監代理の挨拶でふたりが討伐軍の包囲を突破したことに触れる予定。今から挨拶文を書き直している時間なんてないから、ミユウがステージに立たないわけにはいかないという。
「あんたが怖気づくようなタマだとはねぇ」
「わたしが笑われるだけならいいんです。でも……」
チクミちゃんの付き人をしているサグリさんは、式典の成功不成功を考えるのは総監府の役割だから、ミユウは依頼された仕事だけこなせばいいのだと口にする。
「野次を飛ばす人はやり方を知っているんです。騙されちゃダメですよ」
観客席のあちこちに配置された人が呼吸を合わせて野次を飛ばすことで、あたかも観客全員からブーイングを浴びているように錯覚させているだけ。本当に野次を飛ばしている人は全体の1割にも満たなくて、9割の人達はちゃんとミユウを見てくれているとチクミちゃんがわたしを後ろから抱きしめてくれた。
ブーイングをしているのは極少数。ただ、委縮して声が出なくなってしまうと、他のお客さんまでそれに同調してしまう。それが野次を飛ばしてくる人達の本当の狙いらしい。
「忘れたんですか。ミユウにだって応援してくれているファンはいるんですよ」
「これ……」
スミエさんがわたしの首に黄色いスカーフを巻いてくれる。ミユウを応援しているというファンから贈られた、世界にたったひとつしかないわたしの宝物。
「こんな大きな催しなんですから、きっとどこかで見ているに違いありません」
そうだった。ミユウを応援してくれている人が観客席のどこかにいる。
大ブーイングを浴びせられても、せめてその人の声援には応えたい。
たったひとりでも、こんなでっち上げアイドルを応援してくれるのだから……
すべての国民から支持を得られる国主なんていない。そんなことは、とっくにシャチーから教えられていた。アイドルだって同じ。ファンの人達には、皆それぞれに応援している子がいる。
そう考えれば、ブーイングを怖がるなんて今さらだった。
「ありがとう。もう大丈夫。わたしにはミユウのファンがいてくれるから……」
「行きましょう。わたし達の順番が近くなってきました」
チクミちゃんと楽屋を出てステージの袖に待機する。置いてある姿見でスカーフを格好良く見えるように何度も直している内に出番が回ってきた。わたし達が披露するのは、チクミちゃんのソロ、ミユウのソロ、ふたりのデュオの順番で3曲。
ミユウのソロ曲――亡くなった想い人を偲んだバラード――のところで案の定野次が飛び始めたけど、わたしはかまわずに歌い続ける。しつこく野次り続けても動揺を誘えないことに気が付いたみたいで、曲が終わる頃には静かになっていた。
チクミちゃんの言葉が正しければ、野次を飛ばしてくる人達の目的は扇動にある。それならば、わたしは曲の雰囲気を壊さなければいいだけ。ステージ上で注目を集めて演奏までついているのだから、主導権を握っているのはわたしの方だ。
最初の勢いに任せて場の雰囲気を掌握できなければ、扇動なんて上手くいくはずがない。
最後のデュオ曲が始まれば野次を心配する必要もなくなる。最大勢力であるチクミファンがチクミちゃんへの暴言を許すはずもなく、野次など飛ばそうものならその場で袋叩きだろう。気が楽になったせいか、歌うことに集中できているのか、自然と思ったとおりの声が喉から出てきた。
これまでの中で、一番上手に歌えているような気がする。
「本日お集まりいただいた皆さん。本当にありがとうございます」
わたし達の歌が終わり、チクミちゃんがお客さんに手を振りながら挨拶をしていた。わたし達が軽いトークをしている間に、後ろでスタッフが都市総監代理挨拶のための演台を用意する手筈になっている。
チャンバラのような芸をやっていた4人組が演台を運んで……剣を抜いたっ?
背後にいた4人組が剣を抜くのを横目で捉え、わたしはとっさに風に乗る魔法を使ってチクミちゃんをステージの外へと放り出す。狙われているのはミユウ。チクミちゃんであれば、目立つステージの上で襲う必要なんてない。
このタイミングで襲撃してきたのは、ミユウはステージの上にしか姿を現さないからだ。
「ユウさんっ!」
いきなり空中に放り投げられたチクミちゃんが手を伸ばしながら声を上げる。その先にチラリと軍死君の姿を見つけ、意地でも受け止めてくれるだろうと安堵した瞬間、わたしの体を4本の凶刃が貫いた。




