第9話 たったひとつの宝物
「これは髪です。誰が魔族ですか。失礼なっ」
わたしを裸皇だと知っている魔族かと思ったら、左右で束ねた黒髪をきつくカールさせて横に張り出した人族の女性だった。角というかドリルのように見える部分には、ヘアバンドから伸ばした骨が入っていて、そこに髪の毛をクルクルと巻きつかせているらしい。
御曹司と同じく20代半ばって感じで、真っ赤なマーメイドラインのドレスが金魚みたい。
「そんな紛らわしい髪型で失礼なんて言われましても……」
「これは最近王都で流行っているド・リールという髪型です」
ド・リールって、たしか淫魔訛りの魔族語で「笑える」とかそういった意味だった……
どうしよう……これ笑うところ? 笑った方がいいの? 周り誰も笑ってないけど……
ギャグでやってるのなら、このままスベらせておくのも悪いし……
「ミイカワヤの女番頭が余計な口を差し挟まないでもらおう」
どうリアクションしていいかわからず困っているわたしを救ってくれたのは、ゴウフクヤの御曹司タケシ君だった。
「出来の悪い弟とはいえ、お父様のパーティーで醜態を晒すのは見過ごせないわ」
この金魚みたいな女性はタケシ君のお姉さんだそうな。ミイカワヤってことは、他の商会にお嫁入りしたのかもしれない。
「笑わせるな。たかが二段の小娘が四段相当の私を相手にできると思っているのか?」
「あんた自分で四段『相当』って言っておきながら、なんで相手は段位相応の実力しかないって思うわけ?」
四段に匹敵する実力を持った無段者がいるなら、段位以上の実力を隠している有段者がいたって不思議ではない。あれだけの包囲を突破してヤマモトハシまでたどり着いたのだから、むしろ二段でしかないことを疑ってかかるべき。
そんなことでは本業の商いでも足元をすくわれると金魚お姉さんが指摘した。
「私は無職でないので段位がないだけだ。無職の小娘に昇段しない理由がどこにある」
昇段には審査料がかかるとか、三段・四段の昇段審査会が開かれていないとか、高段位を誇示して仲間を探す必要がないとか、理由ならいくつもあるのだけど、タケシ君は実力があるのに昇段していないわけがないと聞き入れない。
「私が勝ったら君には隷属の魔法を受け入れてもらうとしよう」
賭け試合にしようと、タケシ君がおよそ最低な要求を口にした。隷属の魔法というのは、主人とされた人へ反抗する意思を抱くことに苦痛を感じるようになる魔法。もっとも、この手の魔法をわたしにかけたりすれば、その瞬間に金剛力が発動して魔法を吹き飛ばす。
「御曹司はなにを賭けるんですか?」
「私に勝てたら君には大金貨2枚を進呈しよう」
「あんた、この子には隷属を要求しておいて、自分は大金貨2枚ってなによ?」
金魚お姉さんがゴウフクヤの御曹司ともあろうものがセコ過ぎると非難する。隷属と大金貨2枚ではまったく釣り合わない。
「乙女の純潔はプライスレスですよ。それに見合うものを賭けてください」
「ミユウさんが勝ったら御曹司のブラブラをチョッキンするということでどうでしょう?」
両手の指をハサミのようにチョキチョキさせたスミエさんが、チョッキンした後に治癒薬で治してしまえば、復元薬で生え変わらせることもできなくなると教えてくれた。乙女の敵には実に相応しい報いだ。
「決まりですね。せっかくですから、ステージをお借りしましょう」
「待てっ。勝手に決めるなっ」
自信満々にわたしに隷属を求めておきながら、チョッキンされることになって急に不安に駆られたらしいタケシ君。金魚お姉さんが呆れたようにため息を吐きながら、双方大金貨2枚ということにしてはどうかと折衷案を出してくる。
もちろんそんな生温い提案を受け入れるわたしではない。
「賭け金をつり上げたのはそちらです。怖いのなら逃げてもいいですよ」
隷属とチョッキンを賭けた試合であることを集まっている人達に宣言し、壊してしまいたくないのでパンプスを脱いでステージへと上がり相手を待つ。タケシ君がステージに上がってくれば賭け試合成立ということは誰の目にも明らかだろう。
ヘイヘイ、カモンカモン、ハリーハリーとステージの上からタケシ君を手招きしてみせる。
集まっている人達に見守られながら、タケシ君はぎこちない足取りでこちらへと進んできて……ステージの手前で足を止めた。顔を歪ませながら視線を幾度も上げ下げするけど、最後の一歩が踏み出せないみたい。
「競り上げた金額が払えないとは、悪質な競り妨害ですな」
「自ら要求したものの対価が支払えないのです。不渡りと言うべきでしょう」
「老舗の跡取りが商売の心得すらないとは……」
プークスクスと周囲から失笑が漏れ、金魚お姉さんはこうなってしまったかと額を押さえている。タケシ君は耳まで真っ赤に紅潮させて怒りに震えていたけど、一度は踏み出そうと持ち上げた足をまた元の場所へと下ろした。
「なにを騒いでおるのだ?」
「あらお父様」
50歳を過ぎたくらいの恰幅の良い紳士が何事かと声をかけてきた。タケシ君のお姉さんのお父様ということは、この人がゴウフクヤ商会の商会長さんみたい。
都市総監さんも一緒だ。後ろにチクミちゃんと警務監のウスイさんを従えている。
「勝てんのか?」
金魚お姉さんに事情を説明された商会長さんはタケシ君にそれだけを尋ねた。勝てると言えば賭け試合をさせられ、勝てないと言えば負けを認めたことになるタケシ君は黙ったままだ。
「その歳になってどちらの答えも出せんとは……」
商会長さんは大金貨2枚で賭け試合はなかったことにしないかと申し出てくれたものの、チラリと横を見ればウスイさんが首を小さく横に振っている。都市総監さんのお供で来ているわたしが、パーティーの主催者からお金を巻き上げるのはさすがに良くないのだろう。
「お仕事なので何も口にしていないんです。金貨より残っている料理をお土産にください」
金貨ではなく料理をくれとお願いしたところ、商会長さんは箱に詰めた料理をどっさりと用意してくれた。
警邏隊員に送られてわたしとスミエさんが妄粋荘に戻ると、もう夜も遅いというのにダメ人間達が憩いのスペースで酒盛りを続けている。すっかり出来上がっている3人はもちろん全裸だ。
「体制の犬が帰ってきた」
「ドグマをヴァイオレイトしたユウとシェアする酒なんてナッシングで~す」
「アイドル様にこんな安酒、とても勧められませんよね~」
アゲチン主義に染まった3人にとって、わたしは教えに叛いた背教者みたい。どうせパーチーで上等なお酒をたらふく飲んできたのだろうから、安酒で口を汚すこたぁないとこちらに背を向ける。
「せっかくユウちゃんがパーティーの残り物をお土産にもらってきたのに……」
商会長さんがこれでもかと持ち帰らせてくれたので、わたしとスミエさんのふたりではとても食べきれない。
「ユウが体制に寝返った振りをしていることには気が付いていた」
スミエさんの言葉を耳にした途端、裏切り者ではなく体制に接触した内通者だとアンズさんが席を勧めてくれる。
「オーゥ。ブーティーをキャプチャーしてくるとはさっすがユウで~す」
奪取してきた戦利品を早く見せろと、ホムラさんがわたしの手を引いて席に着かせ肩を揉む。
「ユウちゃんはアゲチン派を裏切ったりしないって、ワカナ信じてましたっ」
勝手にわたしをアゲチン派にしてしまったワカナさんが、お酒の注がれたコップを差し出してきた。あまりにも現金な3人の態度に自然と涙が溢れてくる。
人が……ここまで卑屈になれるなんて……
最近働いていないせいかお酒の肴もしょぼい乾物ばっかりだった3人は、わたしがテーブルの上に広げたパーティー料理を奪い合うようにむさぼり始めた。
アゲチンに毒され人としての道を見失った3人は、「アイドル様は愛想を振りまくだけで大儲け」なんて言うけれど、アイドルにはアイドルなりの悩みだってある。でっち上げアイドルなんて羨むような仕事とは思えない。
最初の内こそ話題になったものの、討伐軍による包囲は十数日しか続かず生活物資に困窮することもなかったため、街の人達の興味は早々に別のものへと移っていった。根強いファンのいるチクミちゃんはともかく、歌もダンスも付け焼き刃なミユウの人気は日に日に衰えていく。
チクミちゃんの隣にいると、ファンの人達の反応がまったく違うことに嫌でも気付かされるのだ。チクミちゃんを見に来ている人達にとってはもう邪魔者でしかなく、わたしの歌やトークになると野次を飛ばされることも珍しくなくなった。
それでも総監府が満足するまでは辞めさせてもらえないのがでっち上げアイドルの辛いところ。最前列に陣取った軍死君から「引っ込め下手くそ」と罵声を浴びせられ、金剛力で街ごと吹き飛ばしたくなる気持ちを抑えながら、今日もまた笑顔でアイドルを演じ続ける。
「ぐぎぎぎ……あんの小僧、今度街の外で見かけたら腕や脚の4本も切り落として……」
「どうしてもそういった人達は一定数出てくるんです。そういうものと諦めるしかありません」
ステージを終えて楽屋で呪いの言葉を吐き出していたところ、他のアイドルを貶すことが、自分の好きなアイドルを応援することになる。そう考えるファンはいなくならないとチクミちゃんが残念そうに呟いた。
スズキムラでアイドル活動をしているのはニート・フォーだけではなく、中にはファンがそういった行動を起こすよう煽り立てるアイドルもいるらしい。人口8万人のローカル都市ではファンの数も限られているため、人気の奪い合いになることは避けられないという。
「それでこのファンレターですか……」
チクミちゃんとの差はファンからの贈り物なんかにも如実に現れていた。チクミちゃんのところに届けられるのは、短いメッセージカードが添えられたハンカチなどの小物やぬいぐるみのような置物が多い。
わたしのところに届くのは論文と見まがうようなバカ長いファンレター。非常に分析的な内容なのだけど、よくよく目を通してみれば褒めていると言うより貶しているとしか思えない。結論は決まって「チクミちゃんより劣っている。今後の成長に期待www」である。
「それだけミユウが脅威ってことでもあるんですよ」
自分にとって敵ではないと感じているならば、わざわざ手間をかけたりはしない。嫌がらせをされるのは恐れられていることの裏返しだとチクミちゃんは笑う。人気ナンバー1アイドルの彼女にしてみれば、いじめや嫌がらせは業界あるあるでしかないみたい。
「文句があるなら直接ウスイさんを殴ればいいのに……」
ミユウをアイドルとしてでっち上げることを計画したのは警務監のウスイさんなのだから、気に入らないなら直接殴りに行くのが修裸の国流のやり方。相手を倒すことができれば己の意思を押し通せる。
もちろん相手もそれをわかっていて、挑戦者を嬉々として待ち構えているけど……
「そんな非常識なことを考えるのはユウさんだけです」
修裸の常識は人族の非常識だったみたいで、警務監を殴るのは領主に弓を引くも同じだとチクミちゃんに呆れられてしまった。
「スミエも~ん。チクミちゃんに非常識だって責められましたよぅ~」
ウワァァァンとスミエさんに抱き着いて慰めてもらう。スミエさんの物理法則を無視したドグウバディは最高の抱かれ心地で、ギュッとしてもらうととっても落ち着いた。
ホムラさんの人族として納得できるナイスバディと違い、スミエさんは女性的な部分が我が目を疑うほど盛り上がっていて、太ももや二の腕もムッチムチなのにウエストや足首は信じられないくらい細く締まっている。
瓶底メガネと相まって、遮光器土偶という表現がピッタリのドグウ星人なのだ。
「甘えん坊のユウちゃんに今日はいいお知らせがありま~す」
パンパカパ~ンと口で言いながらスミエさんが取り出したのは1枚の鮮やかな黄色いスカーフ。差出人不明だけど、「ミユウ様へ。応援しています」とだけ書かれたメッセージカードが添えられていたという。
「ふふっ……。ちゃんとミユウを見てくださっているファンもいるんですよ」
「今日のはカミソリが縫い込まれていたりしない、本物のファンからの贈り物ですよ」
「カミソリ入りってあったんですかっ? わたし聞いてませんよっ」
贈り物はスタッフの人――総監府の仕事の場合は警邏隊――が受け取って、チェックした後に楽屋へと持ち込まれる。食べ物なんかは問答無用で破棄だそうな。処分されている贈り物の内訳なんて知らされていなかったけど、本当にカミソリ入りの贈り物があったみたい。
「そ、そんなことはど~でもいいんです。ほらっ、ミユウにだってファンがいる証拠ですよっ」
スミエさんから贈り物のスカーフを受け取る。決して高価なものではない。金額では「チクミLOVE」シャツにすら及ばないだろう。
このスズキムラにたったひとりかもしれない。それでも、ミユウを応援してくれている人がいたことが嬉しくて、わたしは零れ落ちる涙を止めようとは思わなかった。




