1 境目の春期講習(3)
そして今年の春もまた汗だくな麻生先生が現れた。誰も驚かない。どの講習でも必ず担任が朝だけは顔を出し、すぐ去っていくのが恒例だ。
「よお、元気か! 遊びまくったって顔してるなあお前ら。おい号令」
一応起立、礼を形だけした後、
「おかげで留年する奴出さずにすんで俺も爽やかに二年の教室へ移ることができるわけなんだが、いいか、忘れるなよ。普通科の連中はクラス替えするんだからな。顔も合わせたくない奴と別れられるのは嬉しいだろうが、生木裂くような別れもあるんだからな、その辺り思いやってやれよ」
みな静かに聞いている。ふと、麻生先生がきょろきょろ見渡して、
「ひとり足りねえなあ」
ぽつりと呟く。即、女子から声が挙がる。
「古川さんが来ていません」
「あれ珍しいなあ。いつもの合いの手が入らないからなんかしまらねえなあとは 思ったんだがな」
乙彦も藤沖の顔を見て様子をうかがう。そういえばいつもの朝一番かまされるエロネタもなかった。本当に休んでいるということか。藤沖は首を振っている。ということはやはり理由を把握していないということなのだろう。
「まあ、今日は講習期間だからな。どっか行っちまってる奴もいるだろう。んじゃあみな、春休み残りわずかだが手抜きせずにしっかり講習に励めよ!」
麻生先生はいくつか注意事項をのべた後、額の汗をふきふきそのまま教室を出ていった。二年以降もいろいろと慌ただしそうな予感を残して。
「古川がいないのは珍しいな」
「風邪でもひいたんじゃないのか」
「珍しいこともあるもんだ」
軽くやり取りしつつ、今度はそれぞれの講習科目へと向かう。藤沖たちは基本として附属生あがりの連中が集まる教室へと向かう。外部生は外部生同士が集う場所へと向かう。こればかりはしょうがない。もともと中学三年間の積み重ね内容が異なるのだ。情報交換する上でもその方が乙彦はありがたかった。
「名倉、いたか」
「ああ」
なぜか外部生たちは三年生の教室に集まるよう言われていた。三階なので階段上らねばならないのがかったるいのだがしかたない。D組の教室に入りいつものふたりを見つけて腰かけた。名倉の隣には静内もいる。早めに語り合っていた様子だ。
他の外部生たちはまたそれぞれにより固まっているが、軽く会釈するのみだ。
「あとでお前に確認したいことがあるんだが、いいか」
「もちろんだ。俺も関崎に報告がある」
ちらと静内も見やり、小声で名倉は答える。
━━革命騒ぎしていた時とは違うのか。
だいぶ落ち着き払っている様子だった。あの時のようにエキサイティングな雰囲気はない。たぶん隣に静内がいるからだろう。静内もこくこく頷きつつ、でもなにも言わない。
「まず、先日仕掛けたことだが」
「わかっている。もう結果が出たんだろう」
個人の名前は出したくない。耳をそばだてられている可能性が大だ。たとえ外部生同士の教室であってもまずい。特に乙彦と名倉は生徒会役員だ。下手に火がついたらそれこそまずい。
名倉はうなづき、小声でささやいた。
「俺は仕掛けてない。たまたま中学の連中に話をしただけだ。その中に元の担任がいた。その担任が話をそれなりの場所に持っていった。それだけのことだ」
この前聞いた話を名倉は繰り返した。
「けど、もう、とっくの昔に決まっていたという話も聞いているが違うのか」
「たぶん、そうだろう。俺が話す前にそうなることは決まっていたらしい」
静内が口を挟む。もちろん事情は把握している様子で、個人の名前は出さなかった。
「学校側もそれなりに前々から考えていたんじゃないの。名倉がどうのこうのって前に、早めに処理しておこうって思ったんじゃないの」
「どちらでもいいんだが、他にお前誰にも話してないな、俺たち以外には」
まずあり得ないが念のために確認しておく。
「当たり前だ」
「それならいい。知らんぷりしておけよ、それとだ名倉。頼むから今の段階では生徒会に頭を下げてもらえないか」
乙彦も一番伝えたいことを頭下げて囁いた。やはり、これ以上こいつを暴走させるのはまずい。まだ革命のネタを複数抱えていると豪語しているのだ。どんなものだからわからないが、足がつくことをさせるわけには絶対にいかない。
「頭を下げるのか」
不服そうではあるが、隣の静内になだめられている。
「関崎が言っているのは、ここで悪目立ちするなってことよ。まだまだ情報あるんだからタイミング見なくちゃ。下手に疑われたらせっかくのネタも」
「だからそのネタというのはお前らやめろ」
周囲を見渡しつつ乙彦も割り込む。
「今、どちらにせよ例の一件は動き出している以上様子見するしかないだろう。それでどういう反響があるかを考えてから今後のことを考えるべきじゃないのか。他の方法があるかもしれないし、もっと穏便な方法でもできるかもしれない。それも考えて、とりあえず講習終わったら生徒会室でそれなりに謝れよ」
「それはもう終わった」
含みを持たせるような口調で、名倉が答えた。かすかに笑みが浮かんでいる。
「どういうことだ」
「春休み中に俺から会長に連絡して詫びを入れた」
「清坂にか。羽飛じゃなくてか」
思わず個人の名前が飛び出してしまった。まあまあと静内が指を唇に立てる。
「下手に疑われると、これから先動きにくくなる。それは関崎の言う通りだ。向こうもおめでたく受け入れてくれたんで、しばらくは黙って会計に専念しておこうと思う」
胸撫で下ろす前に、今度は静内が不発弾のお知らせをしてきた。
「もう、次の仕込みは終わってるからね。動きもあるみたいだし、ね」
「静内、なんだそれは!」
乙彦の慌てぶりを面白いと思ったのか、静内は名倉と目と目を合わせて、またにっこりと笑った。作り笑顔に見えてしまうのは錯覚か。そもそも今朝から静内の様子が一年の頃とはちょっと違うのに気づいている。
「静内、しつこいようだが、お前、なにか悪いもの食ってないか」
答えが帰ってくる前に、講習担当の先生が現れた。残念ながら静内の微笑みの答えについては、得ることができなかった。