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21 週刊青潟裏窓ウイスパー(1)

学校に立ち寄り、自転車を引っ張り出して家に帰る途中のことだった。

「すみません、あの、少しいいですか」

青潟駅に向かう道を漕ぎつつ自転車専用道路が終わったところで一旦降りた。家までそんなに遠くはないのだがたまに人が飛び出してきてぶつかりそうになることがある。夕暮れ時だと結構ひやりとすることもある。

いきなり声をかけてきたのは、見知らぬ女性だった。シンプルなおかっぱ髪というところまでは把握したが、見覚えはなかった。ベージュのジャケットとジーンズ姿の女性は、乙彦の返事を待たずにそそくさとポケットからなにか取り出し、薄い紙を差し出した。

「あの、なにか」

言葉に詰まる。片手で受けとり見ると、そこには「週刊青潟裏窓ウィスパー 記者 明日寺 久遠」と書いてあった。名刺だと気付いた。

「ええとですね、少しだけお時間もらえませんか」

「いえ、俺はあのあまり時間なくて」

頭の中が混乱してきた。今週に入り大人から名刺を二枚も受け取ることになるとは思っていなかった。ひとりは友だちの父親だが、眼の前にいる「明日寺 久遠」とは何者なのか。とにかく逃げるが勝ちと思う一方で、問いかけられた人にはきちんと接するべきという礼儀も持っているつもりだ。

「いいのかな、さっき出てきたところ、見てたんですよ」

「さっきっていつですか」

思わず言い返す。学校だったら困ることはない。

「学校の帰りです。青大附属高校です」

「その前に別の場所、立ち寄ってたでしょ」

突然馴れ馴れしくなるその口調に、むっとする。

改めて明日寺久遠なる雑誌記者に向かい乙彦なりに言葉をかけることにした。

「大変恐れ入りますが、僕になにか御用でしょうか」

「申し遅れました。週刊青潟裏窓ウィスパーの明日寺です」

高校生と思って舐めていたのだろう。こういう時は確固たる態度で接するが勝ちだ。そう思う一方こめかみから汗がたれそうな気配がするのは気のせいか。

明日寺の苗字は「あすてら」と読むらしい。初めて聞く苗字ではある。

「青潟大学附属高校の関崎乙彦くんですね」

「はいそうですが」

──明日寺ってこの人、すごい失礼なんだがな。

いきなり乙彦に対しての態度、これは何なのだろうか。いきなり呼び止めて名刺を渡すまではまだ受け入れられるが、その後で突然なれなれしくも「さっき出てきたところ、見てたんですよ」とは何なのか。学校であれば乙彦もあっさり答えられるが、更科のマンションの件であれば詳しいことは答えられない。答えてはならない。

「いきなりでごめんなさい。青大附属高の生徒がなぜあんなところから出てきたのかちょっと気になったので、声掛けさせていただきました」

「友だちの家だっただけです」

「それだけですか」

「はいそれだけです」

端的に答えたい。更科たちにも言われた通り、自分は正直すぎて口が軽いと思われている可能性がある。ついうっかり誘導尋問で答えてしまいがちだが、決して言って良いこと悪いことがわからないわけではない。更科や古川に関する件はこれ以上絶対に口にしてはいけない。だがしかし、なぜ乙彦の名前をフルネームで知っているのだろう。

「やましいことはひとつもありません。失礼します」

「本当にない? 断言できる? 親御さんに伝えてもいいんですよ」

明日寺と名乗る女性記者には礼として頭を下げた。自転車に乗り込み全力で飛ばした。歩道にはみ出しそうになったのでハンドルを注意深く車道側に向けた。顔は覚えた。次回からは全力で逃げよう。とにかく家に戻ろう。親に聞かれても困ることはないはずだ。

──更科のことを除いては。


──週刊青潟裏窓ウィスパー

誌名だけは聞いたことがあった。

今年発刊されたばかりの、新勢力青潟地域を主戦場としたゴシップ週刊誌だ。


青潟における地域経済雑誌といえば、老舗の「週刊アントワネット」一強であり、同系列の雑誌は水を開けられている状況と言われている。「週刊アントワネット」に載ったゴシップ記事により、多くの青潟有力者失脚のきっかけを作っているとも噂されている。もっとも乙彦にはあまり興味がない。単に立村のお父上の職種がこの雑誌の記者であるという以上の関心はない。

──雅弘に聞いてみようか。

佐川書店の惣領息子・佐川雅弘であればレジの前で見かけている雑誌かもしれない。新聞に広告が出ていたかもしれないが見た記憶は全くない。今度の休みにでも聞いてみようかと少しだけ思ったのだが、はっと気がついた。


──そうだ雅弘が言ってた! 俺があの葉牡丹の。

そうだ、思い出した。葉牡丹の少女・杉本梨南の父が横領で逮捕され、乙彦にとばっちりがくるかもしれないから気をつけろ、というアドバイスをしてくれたことを。

──もしかしたら、そのことか! あの葉牡丹の彼女が俺を追いかけ回していたことについていろいろ聞いてくるかもしれないとか、雅弘が言っていた。


背筋が寒くなる。慌てて家の中に飛び込む。母の、「おとひっちゃん遅かったわねえ」の声も無視して自分のエリアにこもる。兄、弟の「おとひっちゃん、誰かとデートかよ」という理由のわからない憶測には一発ずつ頭を張って黙らせておく。

──とうとう来た。そうかこれか。立村のお父上からも名刺をもらっている。

財布の札入れの中に、なんとなく押し込んでいた。乙彦はそれを取り出し改めて読み返した。

_______


週刊アントワネット 専属記者 立村和也


_______


さっきの明日寺久遠とかいう、アニメの主人公みたいな名前の女性よりも乙彦が頼るべきはこの人だ。それと、あとは父だ。

父には最低限のことを伝えておかないとまずい。乙彦の名前を知られている以上関崎家の家族にも大迷惑をかける可能性が高い。母や兄弟はともかく、父が戻ってきたら外に引っ張り出して相談しないといけない。更科や古川のことは隠さなくてはいけないが、更科の住むマンションが「夜の人々」の居住地であることと、たまたま友だちと友情について語り合った先が同じだったという、それだけの理由で週刊誌の記者に追われている。こんなふざけた状況について、大至急相談しなくてはならない。


「母さん、父さん帰り何時頃?」

階段を駆け下り、料理中の母に声をかける。匂いからして肉じゃがの可能性が高いがそれどころではない。

「いつもとおんなじよ。おとひっちゃんどうしたの」

のんびり、母が乙彦に尋ねて来る。

「父さんに至急話したいことがあるんだ。とにかく、帰ってきたらすぐ俺に声かけてって言っといて」

「おとひっちゃん?」

次にすべきことを考える。元評議変則三羽烏には申し訳ないが、乙彦にとっては家族が最優先なのだ。これはどんなことがあっても守られねばならないものだ。もちろん秘密はもらすつもりはない。だが、自分にあの葉牡丹の花が残した余波を片付ける義務はあるはずだ。立村のお父上にも言われたではないか、もし俺が杉本梨南のことで知らない相手に声をかけられたらすぐに連絡するようにと。厳密に言えば杉本梨南のことではないかもしれないが、乙彦の名前をフルネームで呼びかけられる人間はそうそういない、絶対普通ではないことだ。


──まだ五時か。

乙彦は手元の名刺を取り出した。一度しか会ったことのない大人の職場に電話をかけるのは、去年の夏休みの自由研究で経験したから免疫がついている。怖くはない。だが雑誌社にかけるのは、やはりダイヤルを回す指が止まりそうになる。

「おとひっちゃん?」

母がいつのまにか、側に寄り添っている。ガスコンロから離れるな危険だと言いたい。手で追い払った。たぶん父が来たら母の前で説明を求められる。言えることはちゃんと言おう。余計なことは内緒にする。決めた。

「母さん、頼むから離れて。焦げた煮っころがし食べたくないんだ」


──週刊アントワネット立村です。

「あ、あの、関崎です。関崎乙彦です。先日はあの、泊めていただきありがとうございました」

やわらかい声で受けてくれた声。息子の立村によく似ていた。

──ああ、関崎くん、こちらこそありがとう。あのあと上総と何かあったのかな。

なんと答えていいのかわからないがもうこれは勢いに任せる。

「あの、ありました。ご相談したいことがあり電話しました。あとで父にも話すつもりです」

──関崎くん、深呼吸しよう。それから話しても遅くないよ。

あせっているのを電話の向こうで見抜かれているようだ。大きく息を吸って吐いた。

「たった今、あの、雑誌記者の人が帰り道で声をかけてきました。あの、俺、いや、僕の名前をフルネームで知ってました。で、あの名刺渡していきました」

──そうか。迅速な連絡をありがとう。それで、その名刺は手元にあるのかな。

「あります。あります」

指先がうまく動かない。黒電話の隣に落とさないように置く。

「週刊青潟裏窓ウィスパー、明日寺久遠さんです」

──週刊青潟裏窓ウィスパー、あすてら、くおん、さん

丁寧に復唱する声がする。

──連絡ありがとう。それと、今ご両親はいらっしゃるかな。

「母がいます」

ちらっと横を見る。煮っころがしのコンロの火は消えたようで母がすぐ脇にいる。

いつもの能天気な表情ではなくきりりと引き締まった表情で側にいる。

──では、お母さんに代わっていただけないかな。お詫びをしたいんだ。

「かしこまりました」

乙彦がそっと受話器を差し出すと、母はものすごい勢いでひったくり、それでも口調はほわほわりんと穏やかに挨拶を繰り出した。


「いつもうちの乙彦がお世話になっております。ほんとうに。また先日はわざわざお宅にお招きいただき、本当にありがとうございました。ええ、あの花の種、よく奥様より伺ってまして、お花を育てるのがお好きとうかがったものですから。きっとお坊ちゃまも喜ぶのではないかしらと思いまして。ほんとうにささやかで申し訳ございません。あの、うちの乙彦がなにか失礼なこといたしましたか? いえいえこちらこそそちらのお坊ちゃまのお噂は父母会でもよく伺っておりまして、お父様おひとりでお育てになるのはさぞご苦労かと。いえいえ、本当に乙彦はねえよいご縁が多くて、高校の先輩からは制服や参考書一揃い、その他いろいろお世話していただいたりしてなんとか通っております。外部生、というんでしょうか、それにもかかわらず本当に青大附属のみなさまには何から何までいたせりつくせりでございまして。奥様とはよくお坊ちゃまのお話を伺ってますので、うちの乙彦になにかできることがあればとは思っておりましたが。ええそうなんですよ。乙彦は本当に、親の私がいうのもなんですが面倒見が良くて、弱いものいじめは大嫌い、とにかく真っ直ぐすぎてまわりからは顰蹙買ってしまうような子でございます。ただ、お宅のお坊ちゃまのお話を乙彦から聞いておりますと、少しはあの子もお力になれるのでは、とは常日頃思っておりました。品山と青潟はいろいろ違いますでしょう。だから、きっと学校生活もさぞご苦労がおありかと」


──母さんなんか一方的に何言ってるわけなんだ?

本来話すべき「週刊青方裏窓ウィスパー」雑誌記者の突撃への対処方法を、本来であれば立村の父と語り合うべきではないだろうか。いや、それ以外ない。父が帰ってきたらまた別の話にもなるかもしれないが、少なくとも品山育ちのお坊ちゃまである立村を、青潟のしっかりの外部生関崎乙彦が面倒を見る必要あるのでは、といった話に落とし込む必要ないはずだ。


「そうですよねえ、私も奥様とよくお話させていただく機会がございまして。ただ、まあ、なんですかうちの乙彦はこう言ってはなんですが、まあ堅物ですの。真面目で恋愛沙汰とか暴力沙汰とか全く縁なし。だからそういう話になるとほんとひっこんじゃう子なんですよ。そのためあまりですね、その、お宅のお坊ちゃまとは正直、肌が合わないのではとは思っておりましたの。いえいえ、もちろんこれからもよいお付き合いはさせていただきたいですよ。ただ、できましたら、お父様がいらっしゃる時とか、きちんとした保護者の方がいらっしゃる時とか、そういう時に男の子同士お話するとか、そういうのでいいのかなあとは思うのですよねえ。いえ、迷惑なんてとんでもない。とにかくうちの乙彦はもう、いい友達がたくさん、そりゃあもう、レベルの高いお子さんがたくさんいらっしゃってびっくりするくらいなんです。本当にねえ。だから、できる限り乙彦はお坊ちゃまの、お手伝いであれば、できると思うのですが、やはり、それぞれ、ねえ」


頭の中で、なにかがつながる。とんでもないことだ。

──母さん、まさか、立村を罵倒してるって奴か?

──嫌味って奴かこれ?

──いい友達が俺にはたくさんいるから、立村のことは手伝いをしてやる程度の付き合いしかできませんよとか、そんなこと言ってるのかよ!


「その、週刊誌の方々、いえいえ、ご同業とは伺ってますので難しいことも多いとは思うのですが、やはり、乙彦もびっくり仰天したみたいで、すぐうちの主人と連絡を取りたいとか口走りまして、で、あと三十分もすれば戻って来るとは思うのですが、この件については、きちんと一度大人同士での話し合いが必要となると思いますの。ええ、やはり子ども同士ではまだ見えないものがたくさんあるでしょう。でも、子どもの気持ちだけでは命は守れませんからねえ。はい、大変恐れ入りますがあと三十分程度しましたら、ご連絡いただけませんか。主人も多忙なものですから、お電話をなんどかお願いすることになるかもしれませんが、何卒お願いいたします。はい」


受話器を置こうとした母から、乙彦は改めてひったくった。

「母が大変失礼なことを申し上げまして、真に申し訳ございません!」

ほぼ絶叫に近い勢いで受話器の穴に伝えた。

「あの、俺は、誰がなんと言っても上総くんの友だちを辞めるつもりはありません! それだけは絶対に、変わりませんので、あと三十分後、ご連絡お待ちしてます。大変失礼いたしました!」

──関崎くん、どうした、そんなあせらなくてもいいんだよ。ああ、それと。

母のわけわからぬ嫌がらせトークを受け止めたあととは思えない、立村の父上の言葉。

──いつも上総を支えてくれてありがとう。本当に、君のようないい友達に出会えて、上総は幸せものだよ。では、三十分後に連絡します。


受話器を置いた。乙彦は母のかちこちに固まった表情をじっと見据えた。

「俺の大切な友だちを侮辱するのは、母さんでも許さないからな」

階段から兄と弟が覗き込んでいる。ささやき声が聞こえる。

「やっぱ、品山の子はやばいんだよ」

「雅弘もなあ言ってたしな」


母も小声で、「ごめんなさい」と呟いた後、

「でもおとひっちゃんには、いい友達、たくさんいるでしょう」

とだけ残し、放置された煮っころがしの鍋をかき混ぜ始めた。



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