punishment
宴に戻った俺に意外な人物が話しかけてきた。カスティーユ公だ。
「王子、この度の戦ではこのロレンツォ、その深慮を思い計れず反対意見ばかり申し上げ、さぞご不快でありましたでしょう。誠に申し訳ございません。」
反対意見?ああ、日記にあった布陣場所の件か。
「いや、カスティーユ公。卿のような優れた戦術家にも見破れぬかどうかがあの作戦の肝だったのだ。卿をだませぬようならあのルドルフには通じぬだろうからな。私の方こそ試すような真似をして済まなかった。卿の識見はこのヴァレリウス王国にとって必要不可欠な物だ。今後とも卿を頼りにしたいとおもうが如何か? 」
「ありがたきお言葉。なれど我が身の愚才、王子に遠く及ばぬ事はよく分かっております。私などに頼らずとも王子なら戦において後れを取ることはないでしょう。」
むう。すっかりいじけてやがる。ここはリップサービスと。
「卿は何を言っているのだ?戦とは個人で行う物では無い。全体で行う物だ。私は確かに此度は奇策を弄し、ルドルフに勝つことが出来た。しかし、それも卿の力添えあってのことだ。」
「私ごとき、なんのお役にも立てず却って申し訳ない次第。」
「卿は勘違いをしている。先ほども申したように戦とは全体で行う物。それに必要な物はなんだ? 私は確かに軍才という意味では卿に勝っているかもしれない。しかし人を動かすにはそれでは足りぬ。卿のもつ信用が大事なのだ。」
「信用、とおっしゃいますと? 」
「私は皆の信頼を受けていないことは自覚している。まあ、今までが今までだからな。仕方なかろう。その私が策を思い立っても卿が支持せねば誰が実行するのだ?
卿のように英邁な男が私の策を支持してくれたからこそ、諸将は動いてくれるのだ。人望と言ってもいい。私に決定的に欠けるその人望において卿の右に出る物はあるまい? 私が卿を高く買う一番の理由はそれだ。」
「そのようなお言葉、まさか王子の口から聞けるとは思いもいたしませんでした。王子が目覚めてからこの一週間、私はなにやら夢を見ているようです。失礼ながら以前の王子にはいささか思うところもございましたが、今のお言葉でそれらも霧散いたしました。私ごときでお力になれるなら何なりとお申し付けを。」
カスティーユ公は片膝をつき、臣下の礼を取る。俺はその手を取って立ち上がらせる。
「卿の様な誉れ高き御仁からそのような礼を受けると、さすがに居たたまれない。卿はわが盟友としてこれからもヴァレリウスを支える屋台骨であってくれるならそれでよいのだ。これからも力をあわせ、蛮人共の野望を打ち砕こうではないか。」
俺は涙ぐむ彼に新しいシャンパングラスを取ってやる。その後エミリオも含めた3人でしばし談笑した。
変化はすぐに現れた。共に従軍した貴族達を中心に俺の周りに輪が出来たのだ。俺は一人一人丁寧に対応し、あの病弱な兄のため力を尽くしてくれるよう頼んでいく。どの顔も最初こそ困惑に彩られていた物の話が弾むにつれ感動のためか涙ぐんでくる。中には夫人や娘を伴う者までいた。
俺はそれらの人々に機嫌良く答えてやる。「ジャイ〇ン映画版の法則」は効果覿面だった。
いまや会場の主役は俺であり、乗り遅れまいと集まる貴族達。宰相のロマーニャ公爵とその取り巻きだけが不機嫌そうにこちらを睨んでいた。
「全く、ちょっと蛮人共を退治したぐらいで偉そうに。我が息子アルフレッドであれば今頃『白き皇子』などと名乗る蛮族の頭目を磔にでもしていたことでしょう。」
ホホホと派手な扇子で口元を隠しながら笑う貴婦人。年の頃は30中盤、体型は見事におばさんになっている。彼女は大きな胸とお尻を振りながら取り巻きに向かって声高く呟いた。取り巻きの婦人たちから沸き起る嘲笑。
「ろくでなしがたまに良いことしたからと言ってどうと言うことはありませんわ。」
「こんなこと今までの罪滅ぼしにもなりませんのに。」
「どうしてあのようなお方が王子に生まれたのでしょう。よほどアルフレッド様の方が王子らしいのに。」
俺に対する非難が次々と鋭い針となってダーツのように俺を刺す。俺を取り囲んでいた貴族達も一人、また一人と気配を消して遠ざかっていく。残っているのは従軍した連中だけだ。
「ロマーニャ公爵夫人。さすがにお言葉が過ぎるのではありませぬか?」
そう斬り込んだのはカスティーユ公だった。
「あら、カスティーユ公ともあろうお人があのような方のお味方をなさるとは。戦場とはあなたほどの紳士のお心をも惑わしてしまう恐ろしい所なのですね。」
再びオホホと始まる。
「スザンナ。そのくらいにしておきなさい。カスティーユ公にまでそのような口を聞くものでは無い。」
見かねたロマーニャ公爵が妻を咎める。
「あら、私は事実を申し上げているだけですのよ。咎め立てされるような事を申したつもりはありませんわ。」
うん。このおばさんはむかつく。ぎゃふんと言わせてやらねば気が済まない。
「ご婦人。本日は戦勝祝賀会です。司令官たるアシュレイ王子を悪し様に言われるのはお控えなさった方がよろしいかと。」
エミリオが果敢に斬り込んでいく。
「黙りなさい。男爵風情がこの私に直言するなど身の程をわきまえぬにもほどがあります。あなたのような三下貴族はせいぜいあのろくでなしの機嫌取りでもしていればいいわ。」
おばさんの不遜な態度に、従軍した貴族達も鋭い視線を浴びせる。
「いいこと? あなたたちもご自分のお立場をよくお考えになることね。そちらの王子様とやらが今までいったい何をしてきたのかを。そうすれば今立っているその位置が私たち良識ある貴族にとって、どれほど不快なことかを思い出して頂けると思うわ。」
その言葉に従軍した貴族は勢いを失う。俺の側にいることは宰相であるロマーニャ公爵が許さない。そう言っているのと同じだ。
なるほど、あのおばさんは俺にケンカを売っているのか。過去はどうか知らないが現在の俺はあのおばさんに何もしていない。一方的に殴られるのは割に合わないからそろそろ精算するとしよう。
「なるほどなるほど。どこのどなたかは存ぜぬがたいしたご高説だ。」
俺はおばさんの正面に立ち、宣戦布告する。
「いいえ、たいしたことじゃございませんわ。ここにいらっしゃる方々なら皆、ご存じのことですもの。」
「私は人語を話せる豚というのを初めてみたが、カスティーユ公、卿は知っておったか? 」
おばさんの顔色が一気に赤くなる。まさにゆでられたようだ。
「王子、私も初見にございます。」
カスティーユ公も頭にきていたのだろう。俺の尻馬に乗っかった。
「な、何をおっしゃっているのか分かりませんが、まさか私のことではありませんよね? 」
「そなた以外に誰がいるというのだ。この場で豚と言えば誰が見てもそなたしかおるまい? 」
「あなた、例え王子とは言え、私に対する侮辱は許されませんよ? 」
おばさんは目をつり上げ、閉じた扇で俺を指し示す。
「誰が許さないのだ? そなたの飼い主か? 誰ぞ、この家畜の飼い主をここに連れて参れ。」
周囲から笑いの渦が巻き起こる。おばさんはこめかみに血管を浮かべ、気も狂わんばかりだ。
「あなた! なんとか言ってください。この方は皆の前でこの私に恥をかかせたのですよ! 」
「ほう、豚とは言え恥じ入る心は持ち合わせているのだな。」
「あなた! この無礼な輩をだまらせて! 」
「無礼者はお前だ! 」
俺はおばさんに殺気を込めた一喝を放つ。おばさんはよたよたと数歩さがり腰を抜かした。
「さてそこの豚よ。お前に問おう。いつからこの国では王子より宰相が偉くなったのだ? 」
ぐっと唇をかみしめるおばさん。
「ここは仮にも戦勝祝賀会の会場。その席で司令官たる私を貶め、あまつさえ従軍した者達まで口汚くののしるとはもはや人の振る舞いではあるまい? よって私はそなたのことを豚と呼んだ。そうではないか? 皆の者。」
そうだそうだと口々に声があがる。
「まあ、本人も反省しているようですし、この辺でお収め頂けませぬか? 王子。」
ロマーニャ公爵が口を挟む。その愛想笑いは緊張でヒクついていた。
「ほう。この豚は卿が飼い主であったのか。なれば卿にもそれ相応に責任を取ってもらわねばなるまいな。」
ひぃっとロマーニャ公爵の顔が引きつる。過去の嫌な思い出が蘇りでもしたのかその顔はまさにいじめられっ子のそれだった。
「まずは卿の存念を聞こう。ロマーニャ公爵。この豚が申したことは卿の意見と思って相違ないな? 」
「い、いえ、滅相もございません。私は王家を軽んじたことなど、これまで一度たりともございません。」
「なるほど、では王家を軽んじていない卿は、私のことは軽んじているわけだ。つまるところ私を王家の者としてみていない。そういうことだな? 」
「いえ、そのようなことは。」
もはや半泣きのロマーニャ公爵。こんな彼が宰相を務めるこの国っていったい。
「ならばおかしいではないか。この豚は卿のものであろう? 主人が望みもしない曲を勝手に奏でたとでも卿はいうのか? 」
「さ、さようでございます。家内の申しましたことは私の全くあずかり知らぬ事。誠にご無礼を働きました。どうかお許しを。」
「ふむ。では罰を与えねばならぬな。二度とこのような振る舞いをせぬようにな。」
「罰、と申しますと? 」
「このような者、ヴァレリウスの貴族として認める訳にはいかぬ。即刻追放せよ。あと、この豚が産んだであろう、アルフレッドなる者もな。」
「そ、それだけはご容赦くださいませ! 他のことであれば何でもいたします! どうか、どうかその儀だけは! 」
ロマーニャ公爵は俺の足にすがりつき。涙を流しながら懇願する。
「宰相はこのように申しておるが、カスティーユ公、卿の意見はどうか? 」
カスティーユ公はしばらく顎に手を当て考えた後、
「やはり彼女の申しようは王家をないがしろにする物。捨て置くわけには参りません。このような者を放っておくことは、我ら貴族が自己否定するようなものですからな。
我らは王家と共にある。この原則を揺るがす発言をした彼女には何らかの処罰が必要かと思われます。」
頼みの綱のカスティーユ公にまでそう言われたロマーニャ夫妻は、いまや震えながら抱き合っている。
「しかし、宰相たる者の意見を全く聞き入れないというのも王家の者として少し狭量な気がします。如何でございましょう。ここは追放を減じてみては。」
「なるほど、流石はこの人ありと言われたカスティーユ公よ。実に粋な計らいをする。ではこうしよう。ロマーニャ公爵、追放は取り消す。」
「あ、ありがとうございます、他の罰ならどのようなことでも甘んじて受けさせますので! 」
「ふむ。どのような事でも、か。ならばこのようにいたそう。そこの豚、お前はロマーニャ公爵夫人。それで間違いないな?」
「はい。」
今やおばさんは涙で化粧がながれとんでもない有様だ。
「そなたに命ずる。そなたは今後公式の場においてその名乗りを『豚』と改めよ。」
「へ?」
「わからぬか? そなたが今後も公式の場に出ることは差し止めぬ。ただ、自らの名乗りを『豚』とするのだ。皆も良いか、いまよりこの者は豚だ。それ以外の呼び方でこの者を呼ぶことを禁ずる。無論、公式文書においてもそのようにいたせ。よいな? 宰相、卿の責任で以上のことを執り行え。」
ロマーニャ夫妻はポカンとしたまま固まっていた。
低い笑い声があちこちから響く。貴族というのはこういう暗い遊びが大好きなのだろう。
「では皆の者、残りの時間は少なくなったが大いに楽しんでくれ。酒も食い物もまだまだある。残しては準備してくれた者に申し訳ないであろう? では改めて乾杯! 」
「乾杯! 」とグラスが掲げられる。
あははと笑いが響き場が活気づく。みな清々したと言わんばかりに飲んで食っていた。
「少しやりすぎたかな。」
やや、自責の念に駆られた俺は隣でグラスを傾けるカスティーユ公とエミリオに問いかけた。
「いや、あのくらいは当然でしょう。むしろ清々しました。」
エミリオが深く頷きながら答える。
「そうですな。あのような婦人が宮廷内で大きな顔をしていると国の力を弱めますからな。彼女は今夜のことで二度と宮廷に顔を出すことはしないでしょう。いわば膿を摘出したような物です。あのまま放置すれば政治にも口を出したでしょうから、結果としては良かったのではないでしょうか。」
カスティーユ公が相変わらずの論理的な意見を述べる。
「そうか、二人にそう言ってもらえると助かる。」
この事が後に『アシュレイの懲罰』と呼ばれ、ヴァレリウス宮廷史に長く残ることになるとは誰も思わなかった。しかも後に引き起こされる大事件の引き金として。