Love Passion
私は一体どうしたというのだ。
私は王子を会場のホールまで送り届けると、彼の剣を抱きしめながら廊下の壁にもたれかかる。鼓動は速く、抱える剣はやけに愛しい。
その剣は騎兵用の長剣でその柄には豪奢な装飾が刻まれている。握りの部分には細く切った革が幾重にも巻かれており、汗のにじんだ後がある。鞘は黒く染められた革製で銀の装飾が所々に施されている。
彼と最も長い時間を過ごしたであろうその剣に愛しさと共に嫉妬に似た感情を覚えた。
王子は何を好きこのんで私のような女を側近く置くのか。それだけでも不思議だったのにあろうことか今度は同居せよと言われた。彼といると胸がときめく。女を捨てた私にとって初めての体験。
思えば昼間、共に街を散策したときから私はおかしかった。なんというか、王子と言う身分をそぶりも見せず対等に扱ってくれる彼がまぶしく見えるのだ。あれほど忌み嫌い、悪魔の化身と信じていた彼が。
初めて来た街であるかのようにはしゃぎ、喜びを隠さない彼。王子にあるまじき行為であろう、買い食いをする彼。しかも私の分も買ってきて、共に食えという。
「はしたない」などと口では咎めた物の、内心ではあれこれ世話を焼きたくてたまらなかった。
そしてこのペンダント。装飾品は女を捨てた私が意識して避けてきた物の一つだ。その形はハート型で私に似合っているのか今でも不安だ。素材は銀。彼の銀鷲という通り名を彷彿させる。それを事もあろうに自らの手でつけてくれた。後数センチ。彼の吐息を肌に感じた。私は思わず失神してしまいそうだった。
初めて見た彼の無邪気な笑顔は私より2つ下の年相応の若者だった。その笑顔に私は魅了されている。意識する度、きゅっと心が痛くなる。きっとこれが恋という物なのだろう。
一方で私の理性は警鐘を鳴らし続ける。あの王子だぞ。お前は何か騙されてはいないか?と。
そう、彼の麾下に入り4年。その行動の全ては悪意に満ち、我々に向けられた視線は蔑視以外の何物でも無い。その彼に好意を抱くなどあり得ないことだった。
しかし、私の中の女がその考えを打ち消していく。過去がなんだ。今は違う。王子が病による昏睡から覚めたあと、彼はずっと優しかった。我ら親衛隊を気遣い、諸将を気遣う。みな、笑い飛ばすだろうが、私は「魂が何者かと入れ替わった」というカスティーユ公の見解を信じたい。
今の彼は理想的な君主であり、私、レイラにとっては理想の男なのだから。
しかし私の中の怜悧な部分が抵抗する。仮にあの王子の人格が変わったところでお前に何が期待出来る?お前のような片目の女に興味を示すはずがないだろう? 4年も一緒にいたのだ、その間に期待出来るような出来事が一つでもあったというのか?
お前の言った通り、職務の利便性で同居せよと言われたに過ぎないのだ。自分を何様だと思っている? お前は片目で醜い傷を女の命とも言える顔に負った化け物なのだ。だからこそお前は女を捨て、剣に生きたのでは無いのか?
いや、ちがう。そうじゃない! 彼は私を見てくれた。体に触れてくれた。そんな風に思っているわけが無い!このペンダントがなによりの証拠だ!
それが彼一流の遊びなんだよ。人の心を踏みにじり、地獄へとたたき落とすのがあの王子の趣味なのさ。お前は何も嘆くことは無い。たまたま今回目をつけられたのがお前だったと言うだけのことなのだから。
ちがう! ちがう! ちがう!
いいや違わないさ。お前も分かっているのだろう? 次にこのドアが開くときあの王子は美しい貴族の娘を伴っているはずさ。もちろんお前のように顔に傷のある女じゃ無い。お前と違い体つきも柔らかそうな女をね!
ちがう、そんなんじゃない。彼は私を見てくれる。きっと「レイラ、またせたな。早く帰って引っ越しの準備を急げ。」と言ってくれるに違いない。私は彼に必要とされてるんだ。剣士としてじゃない、女として。
パーティーってのは初めてだが思ったより退屈だ。いくつかの挨拶の後、俺の番が来て、適当に一言二言挨拶すればもはやすることもない。
主催はロマーニャ公爵だ。彼はサスペンスの2時間ドラマに出てきよう物なら間違いなく10分後には
死体になっている。そんな2枚目半の風貌をしている。その自信のなさそうな目は泳ぎがちで、その割に神経質そうな大きな鼻が特徴的だ。体は細身で髪は貴族特有のオカッパ。なぜ数あるヘアスタイルからその形を選ぶのか。
宴は立食形式だったので、シャンパンのグラスと好みのつまみをいくつか取ると、俺は壁際に用意された椅子に腰掛ける。みな、あちこちで輪を作り歓談にいそしんでいるが、嫌われ者の俺によってくる物好きはさすがにいない。
ようするに開始5分で暇になったのだ。
生演奏で流れるかったるい音楽を肴に酒を飲む。ここの世界の酒と食い物はなかなかの物だ。コンビニのコロッケパンが世の中で一番うまい物だと認識していた俺にはたまらなくおいしく感じる。そう言えば酒も発泡酒がメインだったし。
宴には夫人同伴で出席したり、娘を参加させている貴族も多く、彼女たちの鮮やかな衣装で会場は華やかだ。俺の座る椅子から5メートル圏内は不自然な静けさを見せており、その絶対領域を犯す物など誰もいない。小学校の頃、友達を殴って入院させクラス全員から無視されたときの苦い記憶がよみがえる。
流石はバカ王子。俺と同じなだけはある。嫌われる才能とでも言うのかそういうマイナスな技能は国宝級だ。しかし、人を率いる立場にある以上改善に努めねばなるまい。
人間社会とはそういう物だ。こちらが好意を見せねば相手が見せるはずも無い。まずは笑え。俺が会社勤めでたたき込まれた処世術だ。俺はどこかの輪に加わり話に混ざるべきだと思い立つ。
「王子、先日はお世話になりました。」
そんな時、俺に一人の貴族が話しかけてくる。彼はたしかエミリオ、そうエミリオ・スフォルツァ男爵だ。レイラの兄でもある。
「もう領内はいいのか? 」
俺も彼に合わせて立ち上がる。座ったままでは偉そうに見えるだろうから。
「はい、おかげさまで。大きな決済は済ませてきました。あとは家臣に任せても問題はありますまい。」
「それは重畳。今回は誠に不運な事だったな。大きな被害が出ずに何よりだ。」
「全て王子のお力です。あのまま帝国が侵攻を続けたのであれば、少なくともスフォルツァ家は終わりだったでしょう。」
「まあ、なんとか撃退できたからな。しかし、卿をはじめとする皆の力がなくばああは行かなかった。王家に連なる物としてこちらこそ感謝したい。」
「滅相もございません。相手はあの『白き皇子』です。王子で無ければまず勝つことはおろか、足止めすらも出来かねたでしょう。」
「そうか、ならば素直に称賛を受けておくとしよう。話は変わるが、卿の妹レイラのことなんだが。」
「妹がなにか?お気に召さないことでも?」
「いや、逆だ。彼女は腕も立ち気も回る故、親衛隊長の任を解き私の側仕えをしてもらうことにした。」
「それはよろしゅうございました。あの妹が王子のお役に立てて、私も我が事のようにうれしゅうございます。」
「卿は実に立派な妹御を持った。私もああいう妹が欲しい物だな。」
はっはっはと笑い合う二人。絶対領域の外では何事かと興味津々の貴族や婦人が遠巻きに見ていた。
「ところでスフォルツァ男爵。」
「エミリオとお呼びください、王子。」
「ん。ではエミリオ。此度のことで何か力になれることはないか?」
「私、ただでさえご温情を頂いている身です。これ以上は。」
「いいから言ってみろ。」
「ではお言葉に甘えて。実はあの戦があってからと言う物、治安が乱れ、山賊が跋扈するようになりました。こちらも討手を差し向けたいところですが何分、復興に人手を割かれ、満足な対策がとれていないのでございます。
山賊共もそれを承知してか日に日にその数をまし、やることも大胆になってきているのです。」
「なるほど。それは困ったことだ。治安が乱れると住民が逃げ、それらが新たな賊になるからな。早い内に元から絶たねばならぬ。」
俺はしばらく考えた後ある決断をする。
「で、あれば私が親衛隊を派遣しよう。レイラに指揮をさせる。彼女も兄の役に立ちたいであろうし、里帰りもしたかろう。」
「それはありがたいお話ですが、よろしいのですか? 」
「山賊相手であれば親衛隊にとっても丁度いい肩慣らしになるだろう。半分も連れていけば山賊など物の数ではないだろうしな。」
「それは心強い。精鋭と名高い親衛隊の姿を見れば、山賊など戦う前に逃げ去りましょう。それに妹にも久しぶりに我が家の空気を吸わせてやれますし。重ね重ねご配慮感謝いたします。」
「ならば善は急げと言うしな。レイラは外に控えているから今から準備させよう。」
俺はそう言うと、レイラの待つ廊下にエミリオを伴い向かう。
「レイラ。」
突然呼ばれる名前。もちろん王子の声だ。なぜか隣には兄が控えている。
「はい。」
先ほどから私の頭の中は堂々巡りをしており、その度に赤くなったり、落ち込んだり忙しかった。その鎖を断ち切ってくれたのはやはり彼の声だった。
「お前はエミリオと共にスフォルツァ領に向かえ。彼の地には山賊が跋扈しているとの事だ。お前は親衛隊の内、半分を率いこれを殲滅しろ。」
「は、畏まりました。」
私の頭が切り替わる。スフォルツァ領は私の故郷だ。そこに山賊が跋扈していると言う。もし、その話を他から聞いたら、私から討伐を願い出ていたに違いない。しかも親衛隊の半分を連れて行ける。早急に事は片付くだろう。私は主君としての彼に感謝を述べる。やはり彼は理想の君主だ。
「今夜はもう下がっていい。明日には出発できるよう準備を急げ。」
「は!しかし、護衛はいかがいたしましょう?」
「ふむ。後任はお前が選び、明日にでも私の元を尋ねるよう言え。」
「畏まりました。では、失礼いたします。」
私はこの夜のことを忘れない。そう己の心に刻みつける。彼の優しさと自分の愚かさ、そして予期できぬ出来事。全てが仕組まれたかのように空回りを始めたこの夜を。