Prince and Unemployed
「ふあぁぁ~あ。」
寝起きの俺はいつものジャージ姿でコンビニに向かう。時刻はすでに昼を回っている。昨日は夜遅くまでCIA物のドラマに夢中だった。
「俺もアメリカに生まれてたらCIAに就職すんだけどな~。」
などと呟いてみる。CIAの募集要項なんて見たことないけどね。
「でもな~、戦国時代ってのも捨てがたいよな、もちろん生まれるなら織田家ね。あ、三国志の時代も捨てがたいな。ちなみに俺は曹操派ね。」
ぶつぶつ呟く俺に奇異の目を向ける若い女もいたが全く気にしない。
いまさら気に掛けたところでこのジャージ姿に寝癖頭、まだ春先なのにビーチサンダルと、全身で無職をアピールする俺にときめく女などいるはずも無いからだ。
コンビニでお気に入りのコロッケパンと紙パックに入った紅茶、それにタバコを買うと、ビーチサンダルを引きずりながら家へと向かう。
それにしても今日は良い陽気だ。日差しはポカポカと暖かく、吹き渡る風が心地良い。桜は散って久しいがまさに新緑の頃と言ったところか。
そのままアパートに戻ってしまうのは惜しいので公園のベンチにでも座り、今後の人生について考えてみるのもいいかもしれない。
「しっかしまいったなー、どーすんだ俺。」
ベンチに座るとコロッケパンにかじりつく。一瞬でそれを食べ終えた俺は紅茶の紙パックにストローを挿し、飲み始める。空になったパックを咥えたまま一人呟いた。
5日前に勤めていた会社が倒産。いくつかの手続きをこなし、雇用保険の受給資格を得ると俺のやる気は全て使い果たされた。
たばこや食事を買いにコンビニに行く以外はアパートに引きこもったままだ。今まで時間が無くて買うだけ買ってやってなかったゲームや見たかったDVD、本をひたすら楽しむ。それこそ寝る間も惜しんで。
最初の3日ほどは幸せだったものの、日が経つにつれ将来への不安や世間からの孤立感が強まり、このままではどうにかなってしまいそうだ。俺はタバコに火をつけ食後の一服を楽しむ。
「それになぁ、雇用保険っつったって3ヶ月しかないしな~、なんかこうさ神様とか現れて違う世界にでも連れてってくれねーかなぁ。」
一人暮らしの悪い癖だ。誰にも気を遣わない日々を過ごしているので無意識に心の声が口に出てしまう。
「よろしければ私がご案内いたしましょうか? 」
うわぁと驚き咥えていたタバコを取り落とす。声の主を振り返るとそこには上品なタキシードに身を包んだ老紳士が立っていた。
「じいさんよぉ、驚かすんじゃねーよ。なに? どっか案内してくれるって? 絵とか売りつけようったってそうはいかねーよ? 」
「美術品など私も興味ございません。私がご案内できるのはこことは違う世界。ただそれだけでございます。」
うやうやしく頭を下げる老紳士。もしかして痴呆症ってやつなのか?
「あのなぁ、じいさんよぉ。俺がいっくらバカでも違う世界なんてそう簡単にいけないことくらい知ってるぜ? カモろうってんなら別の奴にした方がいいよ。何せ俺この通り無職だし、逆さに振っても何もでねーよ。」
2本目のタバコに火をつけシッシッと手で払う。
「まあ、お信じになられないのも分かりますが。いかがでしょう? ここは騙されたと思って私と一緒に来て頂けませんかな? 折角ですのでお食事くらいはご馳走させていただきますよ? 」
なんでこのじいさんが俺に纏わり付くのかはわからねーが、メシも奢ってくれるって言うし、行くだけ行ってみっか。騙されても失う物も迷惑掛ける相手もいねーし。
「しゃーねーなー。暇だし付き合ってやるよ。その代わりちゃんとメシ奢れよな? 」
「はい、もちろんでございます。」
俺はタバコを咥え、頭の後ろで腕を組んだままじいさんの後を歩く。両親を20歳の時に事故で亡くした俺には親戚なんて物も不思議なくらいに居なかった。遺産と行っても借金の方が多かったので相続は拒否。それから2年、身一つで生まれた街を離れ地方都市であるこの街で暮らしている。その為友達も居ない。
そう、俺はただ一人。騙されても困ることなど無いのだ。なにしろ保証人になって
くれる相手も居ないのだから。
「で、じいさん、その別の世界ってのはどんなとこなんだ? やっぱ血湧き肉躍るエキサイティングなとこなんだろーね?」
俺は頭の中で嘘だと分かっていながらも沸き上がる興味を抑えきれず聞いてみた。
「はい、それはお望みに適うところかと。」
「そいつあご機嫌だ。俺は腕力だけには自信あるからな。ゲームで言ったら武力90は堅いとこだぜ?」
学生時代からケンカだけは強かった。社会に出てからは全く役に立たないスキルだったけど。特に見切りは自信がある。ナイフだろーが鉄パイプだろーが俺に取っちゃスローモーションにしか見えない。まして素手ならなおさらだ。
「それはそれは、まさにあなた様の為に用意されたようなものですな。」
老紳士は目を細めて笑う。彼の立ち振る舞い、受け答えはそつが無く、西洋の騎士物語に出てくる執事のようだった。
「こちらでございます。」
案内されたのは立派な洋館だ。
古い建物なのだろう。壁には蔦が一面に這っており窓も歴史を感じさせる木の枠だ。いままでこんな建物がこの近くにあるなど気付きもしなかった。
老人に続いて門をくぐる。こちらを認識したかのように両開きの立派な玄関がギギーと音を立て開いていく。
館の中に入ると不思議なことに周囲の喧噪は一切聞こえない。車の走る音も子供たちの騒ぐ声も。まるでここだけが世界から切り取られてでもいるように。
「こちらでしばしおまちください。」
俺が案内されたのは日当たりの良い2階の大きな部屋だった。20畳はあるだろうか。フカフカの絨毯を踏むビーチサンダルが憎い。こんな良いとこにくるならちゃんとした格好に着替えてきた物を。
この館の内装はヨーロッパ風の貴族趣味で固められており、壁には剣や盾が飾ってあって、その他の調度品も高級感に溢れている。俺は完全に場違いな己の格好を呪った。
「貴卿が我が現し身か?」
なんの前触れも無く、中世貴族風の衣装に身を包んだ若い男が部屋に現れた。
背は俺と同じか少し高いくらい。体格は細身だが締まっていて駿馬のようだ。見とれてしまうほどのイケメンで髪は上品な栗色。その長髪はリボンで束ねられている。瞳は琥珀色に輝き、鼻筋、額、顎のラインとどこを見ても文句のつけようが無い。
こんな顔で生まれついたらさぞかし幸せだっただろう。
「あんた、誰?」
突然の事に椅子から体を浮かせ掛けた俺に、貴族は手でそのまま、と合図し、口を開く。
「我が名はアシュレイ・ヴァレリウス。ヴァレリウス王国の第三王子にして別の世界の貴卿だ。」
堂々たる振る舞いだ。映画に出てきた王子ってのが一番近い感想だろう。彼はその洗練された動きで椅子に腰掛けると面白そうに俺を見つめる。
「あのー、なにがなんだか全く分からないんだけど。」
「まあ、簡単な話、貴卿には別の世界に行ってもらいたいのだ。」
「さっきもじいさんがそんなこと言ってたけど、別の世界って何? 外国か何か? いっとくけど俺、英語とかまったくできないからね?」
「まあ、細かい話は軽い食事でもしながらと言うのはどうだ? 」
「ああ、そりゃかまわねーけど。」
部屋の扉が開き数人のメイドが準備を始める。俺達の間にあるテーブルに布が掛けられ、いくつかの料理が並んでいく。つか、エロ系以外のメイドなんて初めて見たんだけど。この国にもそういう世界があるんだねぇ。
「失礼いたします。」
先ほどの老紳士が給仕に付く。
「丁度よかった。じい、彼に説明を。」
貴族が肉にナイフを入れながら命ずる。主語を言わないのが偉い人と何かの本で見たが、まさにその通りの光景だった。
俺も適当に肉を切り口に運ぶ。テーブルマナーなどは全く分からない。メシの食い方なんて人それぞれだ。文句の言われる筋合いじゃ無い。
「畏まりました。」
老紳士は少なくなっていた俺のグラスに水をつぎ足すと、説明を始めた。その内容は非常にわかりやすく丁寧だったがその前提がおかしい。
話によれば、目の前の王子は原因不明の病に陥り、生死の境を彷徨っていたそうだ。
意識が混濁する中、神が現れある取引を持ちかける。
その取引は王子が将来、国にその神を崇める宗教を作ってくれるなら、病を治す方法を教えると言う物だった。
一も二も無くその話に飛びついた王子。実は王子の病気は体ではなく魂がかかる病気でその治療法は他の世界の自分を探し、その魂と同化するということらしい。で、他の世界の自分ってのが俺ってわけ。
魂がかかる病気なんて聞いた事ねーし。
「で、なに? 俺に彼の一部になれって言うわけ? 」
不審顔で老人に尋ねる。それじゃあ終着駅でネジに変えられるのと一緒じゃん! 黒服の美女ならともかくこんなじいさんと人類の敵、イケメンに騙されるわけにはいかない。そんな危ない列車に誰が乗るか!
「いえ、そのようなことはございません。」
うやうやしく頭を下げる老紳士。
「よい、ここからは私が話そう。」
食事を終えたらしい王子が口元をナフキンで拭きながら話を引き取った。
「貴卿は私の一部ではなく全部になるのだ。私の魂はすでにあの体に入れぬほど病に冒されていてな、貴卿と同化しようがどうしようがあの体には帰れぬ。」
「それってアンタの代わりをしろってこと? 俺なんかに王子なんかできるわけねーだろ? そもそも別の世界行ったら言葉なんか通じないんじゃねーの? 」
「それは心配するな。同化は行う。私の持っている技術やあの世界の常識、全てではないが我が記憶も貴卿の物となる。もちろん言葉も通じるし、読み書きもできる。何も問題は無いはずだが? 」
王子はテーブルの上で腕を組み、俺に強い視線を放つ。その威圧感に耐えきれない俺はジャージのポケットからタバコを取り出し火をつける。
いつの間にかテーブルの皿と布は片付けられ、良い香りのコーヒーが置かれていた。
「でさ、なんで俺なの? 王子、アンタ俺なんかに自分の立場と体預けて心配じゃないわけ? つかそこまでしてその世界に存在したい理由がわかんないんだけど。」
俺は矢継ぎ早に質問し、目線をそらせるとコーヒーに砂糖を入れる。王子はミルクを入れ、軽くかき回した後、コーヒーを一口飲んだ。
「まず一つ目だが、私の半身は貴卿しかおらぬのだ。全ての世界でな。だからこの事は貴卿にしか頼めぬ。そのような事情である以上、心配などしても始まらないのだ。」
再びコーヒーを一口飲む王子。俺もそれに合わせるかのようにカップを口に運ぶ。
「で、二つ目の質問だが、ヴァレリウス王国には私が必要なのだ。現王である父は病に伏せており、次兄の第二王子は昨年の戦争で討ち死にした。王太子である長兄は生まれつき体が弱く、とても戦の陣頭には立てぬ。武勇に長けた私がいなければ王家の信用は崩れ、早晩内戦になるであろう。」
俺は短くなったタバコを灰皿でもみ消すと次のタバコに火をつける。
「別に王子様自らが陣頭に立つ必要はないんじゃないの? 」
「これは我が王国の掟なのだ。『王たる者陣頭に立ち指揮すべし。安全な王都に身を潜め、他人を戦に送り出す者を王とは認めない。』
これが建国王の残した遺言だ。その義務を果たしてきたからこそ貴族も民もヴァレリウス家を王家と認めてくれるのだ。」
「ま、もっともな話だけど。」
「聞けば貴卿は武においてはかなりの自信があるそうではないか。この世界では発揮できぬその力、私に成り代わり存分に使ってみぬか? 」
俺はその言葉に衝撃を受ける。この唯一と言っていい暴力の才能が評価される世界。そんなところが本当にあるのなら頼まれなくても行ってみたい。例え王子でなくても。
俺は咥えていたタバコをもみ消す。
「そりゃ魅力的な話だ。言葉も不自由しないってんなら行ってみてもいいかな。」
「そうか、であれば急いだ方が良い。」
喜色満面の王子が控えていた老紳士を手招く。
「但し、なにか条件があるなら言ってくれ。いっとくけど後出しは受付ないからね。」
「条件? そのような物は特には無いが。ああ、そうだ。もし貴卿が王なりそれに近い権力を確保した際には、私と契約をしたあの神を崇める宗教を作ってくれ。」
「分かった。約束しよう。」
老紳士は話が終わるのを待ち、ワインらしきものが入ったグラスをテーブルに二つ置いた。
「こちらのグラスにそれそれ血を垂らしてください。しかる後に交換し飲み干すのですそれで魂の同化が完了します。」
差し出されたナイフで親指の腹を傷つけ、垂れてきた血をグラスに落とす。王子とグラスを交換し、一気に飲み干すと意識が遠くなってくる。
「次に目覚めたときあなた様はアシュレイ王子となります。それではご活躍のほど期待させて頂きます。」
老紳士の声が聞こえる。視界はゆがんではっきりしない。そのまま俺は闇に落ちた。
「カスティーユ公。戦線は膠着状態です。このまま手をこまねいていれば我らの不利は明らかとなります。なにか手を打つべきでは?」
若い貴族が全軍の副将である彼にそう問いかける。
カスティーユ公ロレンツォは今年30歳。文武に優れ、貴族達の信頼も厚い。筋骨逞しい体に精悍な顔が乗っている。赤茶の髪は短く刈られ後ろになでつけている。瞳の色は王家の血筋を引く証である琥珀色。通称狼の目だ。プレートメイルと呼ばれる鋼鉄の鎧を身につけ、緑色のマントを風に靡かせていた。
その彼はいまとても不愉快だった。
小高い丘に設えられた本陣、ここから見える景色はどこを見ても帝国兵の姿ばかりだ。鎧に反射された光があちこちで瞬いている。
眼下に立ち並ぶ味方の兵はやはり鎧に光が反射してきらきらと輝いている。両軍の間には水田と小麦畑が広がる。小麦はすでに収穫され、水田は苗を植えたばかりだ。
双方戦力は互角。それぞれ一万あまりの兵を催し、すでに二週間ほどこの地でにらみ合いを続けていた。
若い貴族の言うように刻はこちらに不利に働く。夏が迫ればヴァレリウス軍の水の確保は苦しくなるだろう。帝国軍が大きな湖を後背地に確保しているのと違いこちらの水源は今にも干上がりそうな小さな農業用水だ。
そんなことは初めからわかっている。進言だってしたのだ。しかしあの小憎らしい第三王子は頑として受け入れなかった。地形の有利を理由にここに陣を張らせたのだ。
しかもその後すぐに当の本人は病で伏せる。全ての責任を副将である彼に押しつけて。
彼の持ち札に決戦というカードは無い。
昨年、愚かにもヴァレリウス王は帝国軍に決戦を挑み華々しく散っている。第二王子は討たれ、自身も大敗に打ちのめされたのか程なく病床についた。その愚かな真似を再現するわけには行かない。
そもそも帝国、正確にはロンバルト帝国だが、彼らは古代にこの大陸を支配した古代帝国を討ち滅ぼした蛮族の後裔に当たり、北の厳しい環境の国土に鍛えられた彼らの兵は逞しく、強い。
不世出の英雄と言われる『ウィリアム』が一代で周辺諸国をまとめ、築き上げた尚武の国で、代を重ねた今も、豊かな南部にある諸国に対し侵略を繰り返している。
何より恐ろしいのは彼らの主力、重装騎兵だ。北部特産の大きく逞しい馬に鎖の鎧を着せ、その上にやはり大きく逞しい帝国兵が鋼鉄の鎧に身を固めている。
集団で敢行される彼らの『ランスチャージ』に立ち向かえる兵はないのだ。
その穂先に掛かれば例え鋼鉄の鎧に大振りの盾を構える重装歩兵であっても一撃の下に貫かれるであろう。また、弓で牽制しようにも彼らの鎧馬を貫くことが出来ない。もちろん騎乗する鋼鉄の騎士にはかすり傷さえ与えられないだろう。
王子はなぜか全軍の歩兵にクロスボウを携行させている。多少弓より威力はあるだろうがよほどの至近距離でなければ重装騎兵を貫けるわけは無い。
かといって、撤退というカードも彼には切れない。
正確に言えば彼、カスティーユ公ロレンツォはヴァレリウス王国の貴族では無い。先代の王の弟がヴァレリウスに連なる半島を領し、公国として半独立を認められている。
ロレンツォは二代目に当たり、宗主国であるヴァレリウス王国への忠誠を示すため今回全軍の副将として出陣している。
その立場上、帝国とヴァレリウスの境界にあたるこの地を戦いもせずにみすみす明け渡せば彼の権威は失墜するだろう。
考えれば考えるほどこの地に陣を敷いたあの王子が憎い。全ては自分を陥れるために仕組まれたのではないかと疑いたくなるほどだ。
しかも今回、帝国軍を率いるのは『白き皇子』として武名高い第二皇子ルドルフだ。残念ながらロレンツォの軍才で太刀打ち出来る相手ではない。
恐らく大陸広しと言えどもあの『白き皇子』に対抗できるのは『銀鷲』の通り名で知られる我らがアシュレイ王子しかいない。
傲慢で、女癖が悪く、陰険で卑怯な彼だがその軍才だけは誰も彼には及ばない。人間としては最低で大嫌いだがこの局面は彼の才でしか乗り切れないだろう。このような状況で無ければ病を幸いにこの手で絞め殺したいところであるが。
その第三王子は今、陣中で病に伏せている。意識は未だ戻らない。このような不利な場所に陣を敷いて自分に全責任を負わせたまま。
「しばらくはこのまま静観する。各将に伝えよ。何があってもこちらから手を出すことは許さぬ。命に反した者はいかなる者であっても斬に処す。」
「はっ!全軍に徹底させます。」
若い貴族は走って行った。結局ロレンツォは消去法の結果、アシュレイ王子の回復を待つことに決めた。