Ⅱ 宿屋再建計画
「わぁ……! す、凄く美味しそう!」
「この国のものだと原価がそれほどかからないし、原価率二十パーセントくらいになるよう調整しても販売価格は結構安くなるな」
「げんか? げんかりつ? ってなんですか?」
「あー、と。原価ってのはこれ一つ作るのにかかったお金と考えてくれればいい。原価率ってのはこれ一つを販売する値段の中で原価のお金が占める割合だ」
「ほぇ……。もしかしてハルトさんって商人の家系なんですか?」
どうやらこの国では一般的な知識ではないようだ。少なからず宿屋と言えど商売をしている時点で知っていることだと思っていたけど、どうやらこれも文化形態の違いによるものか。
当たり前のことだが、僕のいた世界の知識がこの世界にもある知識とは限らない。
まぁだからこそ、ある意味では諸刃の剣なわけなのだが……。向こうが知りえない知識を僕は持っている。が、僕が知りえない知識や常識などを向こうは知っている。だからある意味で諸刃の剣。だからこそ、一つでも多くの情報を集めなければいけない。
正直に言うとこの宿屋再建には、苦しい状況なのにも拘らず僕みたいな無一文を条件付きではあるが泊まらせてくれたことへの恩も含まれているがそれだけじゃない。
人が集まるところに、情報は集まるのだ。
だからこの宿屋を繁盛させて多くの集客が見込まれれば、態々王都中を駆け巡らなくても自然と情報が手に入る。
さて、そこで出てくるのがその集客方法なわけだが、その策が目の前にあるこれだ。
大きめのワイングラスにクリームやフルーツなどをふんだんに使い彩られているそれは、僕のいた世界であれば女性ならばそのほとんどが好物のお菓子。
――パフェ、だ。
どうやらこの国には、と言うか世界にはパフェというものが存在しないらしい。これも情報収集していた際に知ったことなのだが、そもそもお菓子と言えばシンプルなケーキやクッキーなどしか存在しておらず、そういったお店も少ないことからかなり珍しい、と言うよりかは高級なものであるというのがこの国の国民達の認識だ。
この国での平均的な毎月の収入は約三十万ディア。そもそも他の物価が高いのもあるが、それでも高級とされているお菓子が千ディアもかからないと知ればすぐさま食いつくことだろう。
高級とされているお菓子は一つに最低でも一万ディア以上の値が付く。貴族の身にしか手が出ない代物なのだ。それが安価で自分達庶民でも気軽に味わえるとなれば、自動的にこの宿屋も繁盛する。
「リリナ、パフェの作り方は覚えた?」
「うん、難しいこともしないし大丈夫だよ! あとはこれをいっぱい作っていっぱい売るだけだね!」
「いや、初日に作るのは五十個でいい」
「え。ご、五十個だけ?」
確かにリリナの言う通り、いっぱい作っていっぱい売るのに越したことはない。が、それをしてしまうと最初の波を超えてしまえば一気に収まってしまう。繁盛させるということはその状態を継続させていかなければならないし、何より季節限定、数量限定などの○○限定というフレーズに弱い人が多い。
だからあえてその日味わえる数を限定する。人が元来持つ競争意識を突くという意味合いもあるが、レア度を持たせた方が何かと話題になりやすい。
「さて、あとやることだけど。その前にご両親も呼んでもらえるかな。これからの話は宿屋の経営に直接関わってくるものだから」
……さぁて。ここからが本題だ。これから僕がする提案を受け入れてくれるかどうかで今後のこの宿屋の経営は大きく変わる。情報収集した限り、この国初の試みと言っても過言ではない。
やることは正直言ってさほど凄いことではないが、それでもこの世界では新鮮なものだ。
ふと視線を前に向けるとリリナに連れられて、ご両親が僕の目の前にある椅子に腰掛ける。
どこか不安そうにこちらを見つめる三人に対して、僕は口を開いた。
*
――二日後。
「一泊ね。あ、あとパフェってやつも頼む!」
「このパフェってお菓子凄く美味しいわねー!」
宿屋にはかなりの人で賑わっていた。宿泊客も多く今回のキーと言っても過言ではない数量限定のパフェは狙い通りに売れ、大盛況となっていた。
ちなみにパフェだけではなく宿泊客も増えているのにはちゃんとした訳がある。と言うかその訳と言うのが二日前に僕が提案したことなのだ。
それは至ってシンプル。【宿泊したお客様お一人様一つにつきパフェを半額にする】というものだ。
普通に売るよりかはパフェでの収入は下がるが決してマイナスにはならないし、何より本来の目的はこの宿屋に宿泊するお客さんを増やすこと。これでも十分に目的は達成されているのだ。
忙しなくぱたぱたと駆け回るリリナを尻目に、僕も飲食スペースで接客をする。これでも一時期近所の喫茶店で接客のバイトをしていたことがあるから、一応はそれっぽく形にはなっていると思う。
さてと、とりあえず僕の宿屋再建計画は何とか良いスタートを切れたみたいだ。この様子だとこれから先もなんとかやっていけそうだな。
しばらくしてからパフェの完売と共に客足も引いていく。テーブルを拭きながら上々だったなと感じていると、横からリリナのご両親が僕の元へとやってきた。
「ヒサカ君。君のおかげでこんなにも繁盛する宿屋になれた。本当に、本当に感謝している……!」
「いえ、僕はただ提案しただけです。たった二日でしたけど形にしたのはリリナの力です」
「それにあんな生き生きしているリリナは久しぶりに見たわ。これもヒサカ君のおかげよ」
……こうして誰かに感謝されるというのは久しぶりな気がする。僕としてはただ無一文だった僕を快く泊めてくれたことへの恩返しのつもりだったのにな。
それから少しばかり夫妻と話していると、壁に掛けられた時計に目を移しそろそろかと話を止める。
「それじゃあもうすぐ騎士団の入団試験があるので行きますね」
「ああ、そうかい。もうそんな時間か」
「せめて怪我しないようには気を付けてね」
「はい。色々とありがとうございました」
夫妻にそう告げて入り口まで行く。すると奥の方から小走り気味で小さな包みを携えたリリナが来た。
気恥ずかしそうにはにかみながらその手にある包みを僕の前に差し出した。
「あの、もしよかったら合間にでも食べてほしいな。中身、その、お弁当なので……」
「……態々ありがとうね、リリナ」
「ううん。……えっと、その、頑張ってねっ!」
「ああ。それじゃあ行ってくる」
「い、いってらっしゃい!」
リリナから貰ったお弁当と「いってらっしゃい」の言葉で温かい気持ちになりながらも、試験が行われる騎士団本部へと足を向ける。
場所は前もってリリナから王都内の地図を借りて暗記したので問題はない。
迷うことなく騎士団本部に辿り着くと、不意に他の騎士団入団希望者の会話が耳に入る。
「なんか帝国に凄く強い兵士が現れたとかいう話だぜ」
「あー、それ知ってる! なんでも変わった服装した少女だろ? 珍しい黒髪の」
「ああ。あそこ今はほとんど鎖国状態なのに敵国である王国にそんな情報が入ってくるなんて牽制、なんだろうな」
敵国だとかそんなことは今はどうでもいい。変わった服装をした黒髪の少女。僕の頭にたった一人だけその人物の姿が鮮明に浮かぶ。
「確か名前も流れてたよな?」
「えーっと、なんだっけ? 確か――」
――サナ、って言ったよな。
その名前を聞いた瞬間、妹の紗菜までもがこちらの世界に来ているかもしれないと知って、その場に呆然と立ち尽くすしかなかった。