Ⅰ 王都クレイディア
「すみません。ありがとうございました」
「なぁに、いいってことよ!」
露店を後にした僕は人の少ない場所まで移動して、集めた情報を一度整理することにした。
まず、ここは世界最大の大陸ヴァイスの西部の大半を占めるクレイディア王国の中心地。王都クレイディアと言う場所らしい。
言葉は普通に通じるし、何故か見知らぬ字も読めることができる。
この国には当たり前のように人間、獣人、亜人、エルフなどの多種多様な種族が共存しており、更には魔法が非常に発達して盛んな国らしい。
……うん。流石にここまで来れば嫌でも受け入れざるを得ない。
――どうやら僕は、異世界に来てしまったらしい。
となるとあの場にいた紗菜もこちらに来ている可能性があるわけだが、情報収集の際に紗菜と特徴の合う人物の情報はなかった。この世界の人から見てブレザーを来ている僕は変わった服装らしいし、紗菜も制服でいた以上、多少なりとも目撃情報などもあると思う。が、それが全くないということはこの異世界に来たのは僕だけということなのだろう。
そのことに関してはまず安心できるとして、今僕には元の世界に戻る術もなければ無一文。止まる場所はおろか食糧までも手に入れられない状態で、まさに絶体絶命なわけだ。
「はぁ、本当に詰んだなこれ」
多少なりとも金になるものがあればいいんだが、何故か持っていた鞄は消え現在の手持ちはハンカチ、ティッシュ、スマホのみ。この世界で当たり前のように携帯電話なんてものはなく、珍しいものだろうと試しに情報収集の途中で鑑定してもらったスマホだが、珍しすぎて値が付かなかった。
この時点で売れそうなものがない僕は文字通り詰んでしまったわけだ。
――と、諦めかけていた時の事だった。
僕の目に入ったのは一枚の大々的に貼られた貼り紙。そこには大きくこう書かれていた。
【急募。王国騎士団入団者募集。新規入団者には五万ディア贈呈】
この世界の通貨は一ディアが日本円にして一円相当の価値がある。非常にわかりやすくて助かるのだが、この貼り紙は現在無一文な僕にとってかなり良い条件なのは間違いない。
正直騎士団入団なんて体を動かすことが得意ではない僕にとってはきついが、これも情報収集の途中でちらりと聞いた話がある。騎士団には現在【叡智の指揮者】と呼ばれている天才指揮官がいるらしい。この話が本当なら、指揮官としての圧倒的な力を見せつけてしまえば戦闘技術はなくとも騎士団に入団することは可能ではないのかと思う。
「とりあえずはこの騎士団詰所ってところに行ってみるか」
このままいても埒が明かないと、僕は足早に目的地を目指した。
*
どうやら僕は自分が思っている以上に異世界に来たという状況に動揺しているらしい。
というのもだ。騎士団の入団試験の資格は案外簡単に手に入れた。が、問題はそのあとだ。
「入団試験は二日後に騎士団本部にて行います。それまで存分に英気を養ってください」
「ふ、二日後……」
そう。無一文の僕にとってそれは騎士団の入団試験を受けようとした以前の問題で、騎士団の新規入団者に渡されるお金を当てにしていたわけで。騎士団員の人に告げられたその言葉は、僕にとって死の宣告にすら聞こえた。
見知らぬ世界で二日間宿無し食事なしで生きろなど、はっきり言って無理にも等しい。文化形態すら違う場所でそんなことすれば、下手したら死の危険性だって十分にあるわけだ。
嫌な方に段々と考えが膨らんでいき顔を青くしていると、いつの間にか王都の中でも人気が少ない簡素な場所に来ていた。一応何となく来た道は覚えているのだが、ふと僕の目に宿屋の看板を携えた建物の前で箒を持った少女の姿が目に入る。
少女のどこか幼さを残した見た目から、僕よりは年下に感じた。
正直駄目もとだが、一応泊めてもらえるかどうかの交渉はしてみるか。
「あの、すみません」
「はいっ、なんでしょうか? ……はっ! まさかお客さんですか!」
「えっと、まぁそんな感じなんですけど実は――」
「す、すぐご案内しますね! どうぞどうぞ!」
「え、あ、ちょっ」
先程まで浮かない顔で掃き掃除をしていた少女は、まるで花が咲いたかのような笑顔を僕に向けて言う。
嬉しそうに僕の手を掴んで宿屋の中へと入っていく少女に、どこか妹の紗菜を彷彿とさせた。
「お客さん一名様です!!」
「これはこれは、久しぶりのお客さんですね」
「あら、そうねぇ。存分におもてなししなきゃね」
「あ、いや、ちょっと待ってくださいっ」
どんどん話が進んでいくのを見て流石にやばいなと思い、話を止めに入る。
僕の声で少女と、おそらくその両親は話をやめて僕の方を見た。少女の顔はどこか不安そうで、僕はこれから告げなければいけない言葉に申し訳なさを感じつつも口を開いた。
「実は僕今お金がなくて、せめて騎士団の入団試験がある二日後まで何かしらの条件付きで泊めてくれるところを探していたんです」
「ああ、そうだったのかい。それは大変だねぇ」
ほんの少し残念そうに沈んだような表情をする三人。しかしそれからすぐに優しい笑みを浮かべた男性は僕に告げた。
「それなら二日間だけ、住み込みでここで働いてみるかい? あまりお客さんも来ない寂れた宿屋でよければなんだがね」
「え、本当にいいんですか?」
「ああ、困った時はお互い様だからね」
「……ありがとうございます」
意外にもすんなりと寝床&食事を確保した僕は少女の元につき、早速仕事を教えてもらうことに。
その際に自己紹介をしたのだが、少女の名前はリリナというらしく年齢は十五歳と僕の二つ年下だった。お互いの年齢も知ってリリナは最初僕に敬語で話していたのだが、お世話になる以上気遣いしなくていいよと言って普通に話してもらうことに。
仕事内容を聞いているときに知ったことなのだが、どうやら今この宿は結構厳しい状態らしい。
お客さんも滅多に来ず、前々から貯めていたお金を切り崩してギリギリの生活をしているとのこと。まぁ確かにこんな住宅地に囲まれてあまり人気のない宿屋に態々泊りに来るような人もいないだろう。最初に情報収集をしていたメインストリートにもいくつか宿屋は見かけたし、当然の結果のように思える。
しかしだ。そんな厳しい状態にも関わらず、条件付きとはいえ二日間も泊めてくれることに対してそれ相応の、いや、それ以上のお礼を返さないとな。
一通り仕事を教えてもらい休憩のために宿屋の飲食スペースに腰かけた僕とリリナ。ここで僕は仕事お教えてもらっている間に並行して考えていたことを言おうとリリナに話しかける。
「リリナ、ちょっといいか?」
「どうしたのハルト君?」
「こう言うのもあれだが、この宿屋が売れていないのは何が原因だと思う?」
急な僕の質問に若干俯くも、しばらく考えてから僕の目を見て答えた。
「……場所、かな」
「うん。確かに立地もあるね。ここはメインストリートから結構離れているし、そもそもメインストリートにもいくつか宿屋はあるし態々ここまで来る理由もない」
僕の言葉に再び俯いていくリリナに、――でもね、と言葉を続ける。
「――それが最大の理由じゃあない」
「……え?」
「最大の理由はここだけにしかない、味わえない、強みがないということだ」
「つ、強み、っていうのはいったい……」
「例えば料理、例えばサービス。そういった強みがあるだけでも大きく変わる」
「強み……」と何やら深く考え込んでいるリリナ。そこで僕は一つ、思い付いていたことを提案する。
あまり笑うことのない僕だが、この時ばかりは自分でも笑みを浮かべていることを感じられた。
「――お菓子、作ってみない?」
「……ふぇ?」
僕の急な提案に、間の抜けたリリナの声が部屋に響いた。