表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
葬列の指揮者 ー赤い海に沈むー  作者: 深野メイ子
7/11

第六楽章

銀髪を櫛で綺麗に後ろになでつけた男は、最新のレコードプレイヤーから流れる曲を豪奢な部屋で聴きながら、ふと首をかしげた。

そこは自室の一画で、対面にもう一人厳めしい顔つきの男が座っている。

その男は、銀髪の男のとった些細なアクションを見逃さなかった。


「どうなさいました。ミスター」


ミスターと呼ばれた男は、少し考えた後、レコードプレイヤーを一旦止め、答える。


「いやね、変だな、と思って」


この最新機種のプレイヤーで、二人で音楽を聴き始めたのがほんの十分前ではあるが、その間会話という会話はなされなかった。

ということは、


「私の顔に何か付いてましたか」


言いながら厳めしい男は手で自らの顔を撫でる。


「バルトルト。それは違うよ。音楽だ。チューニングが少しおかしい」


「チューニングとは?」


「音楽が心地よく聞こえるのは、すべからくチューニングを揃えているからだ。弦楽器ならばひとつひとつの弦の音を、同じヘルツに合わせてあるし、管楽器などもまあだいたいは440ヘルツに合わせてある。それがずれてしまうと気持ちが悪いってもんじゃない。音痴な歌を聴いているのと同じだ」


「そのレコードが、そのチューニングがずれていると」


「ギターだろう。今まで気づかなかった」


もう一度針を盤の上に乗せると、ギターのイントロ、女性の唄声が流れる。

バルトルトはそれを一音一音逃すまいと耳を研ぎ澄ます。

ヒイラギは何度も「ほら、ここ」「ここも」「この音とこの音だ」と言う。


「高いな」


「すみません。ミスター・ヒイラギがおっしゃっていることが、私にはまったくわかりません。常人の耳には聴きわけがつかないのですか? それとも私の耳が腐っているのでしょうか」


バルトルトが真剣な顔で言うので、ヒイラギは可笑しくなってしまった。


「腐っているのかもしれんな。

いや、冗談だが。

普通の耳ではわからんかな。これだけ音が混ざっていると。しかし混ざれば混ざるほど、ブレが生じて音が揺れる。多分、何ヘルツかだろうけど。これはいただけんな。今まで何度も聴いてきたレコードなのに」

針を持ち上げ、棚から別のレコードを出し、丁寧に入れ替える。

しんとした空間に、先ほどとはまた別の曲調の音楽が流れるが、演奏者は同じだった。


「これもだ」


ヒイラギの眉間に皺が寄る。明らかにイラついている。バルトルトが立ち上がり、


「お茶でも淹れましょうか」


そう申し出てから部屋を出る。



バルトルトはしかしその足で一旦外へ出ると、外で常に待機している車の運転手の元へと向かった。


「バルトルトさん、何か」


「ちょっと使いを頼みたいのですが」


バルトルトはその場でメモを書き、運転手に渡す。


「ここに住んでいる方に、この男の行方を知らないか訪ねてきて欲しいのです」


メモには、住所と、一人の男の名前が書かれていた。


「わかりました」



そして執務室で湯を沸かし、カモミールの葉を濾すと、主の待つ部屋へと戻った。

ノックをし、中へ入ると、ヒイラギはまた別の盤を聴いていた。


「さっき誰か来ていたのか?」


「いえ」


「そうか」


「ミスター・ヒイラギ、明日の演奏者は、確か先ほど拝聴していた」


「そうだ。ユキノが在籍している楽団だ。大枚をはたいてでも呼びたかった。私の憧れだよ。しかしな、さっきのレコードは昔のものだからな。

ああ、彼との音楽を、また聴きたいな」


カモミールティーを飲み、そばに置いていた煙草をふかす。

明日の演奏は、一興に過ぎない。

それが主ではないので、彼は満足がいってないのだろう。

立ち上がり、彼女のかつての録音をレコードプレイヤーに乗せる。

しかし針を落とすことはなかった。


「バルトルト。彼女はこれでよかったのだろうか」


足を組み換え、首をもたげる。


「私の古いレコードプレイヤーでは聴きとれなかったんだ。

最新のものは違うな。

細かな表現まで丸聴こえだ。

荒というのかな、味というのかな。

彼女は完璧なのにな」


カモミールは心地よい睡眠をもたらすという。

ヒイラギは日頃の激務に疲弊し、ソファーに埋もれるように眠りに落ちた。


バルトルトはティーカップを片付けると、今しがたセットされたレコードの上に針を乗せる。

透明度の高い伸びやかな声に、チューニングのずれたギター。

何度か耳にしたことのある曲だった。

中間部の、リズムが変わる所が好きだ。

ずっと違和感があった。

それが、チューニングというものだとは知らなかった。

それは、今までのレコードプレイヤーの時からずっと感じてはいた。


バルトルトは寝室からタオルケットを持ち出し、ヒイラギにかける。

彼は何も知らない。


バルトルトの額と脛には、古傷があった。

幼少の頃海で流され、岩礁に額と脛を打ち付け、うまく岸に乗り上げたものの動けず、それを助けてくれたのがヒイラギだった。

ヒイラギの好きなものは好きだし、嫌いなものは同じように好きにならなかった。

付き人として従順であり続ける。

今までも、そしてこれからもそうだ。


バルトルトは主人の部屋を出ると、先ほど運転手に頼んだ連絡を待つ。エントランスに立ち、外を伺うが、車が帰ってきた気配はない。


バルトルトは、彼の居場所が知りたかった。

彼の師は見つけた。名の知れた作曲家。その人物は隣町に住んでいるという。

その人物なら、知っているかもしれない。

彼女と共に栄光を手に入れ、そして姿を消したギタリスト。

ユアン・ディエゴの行方を。


程なくしてパタパタという足音と共に運転手が帰ってきた。

夜も更け、車は駐車場に停めてきたのだろう。

先にバルトルトが玄関の戸を開け、外に出る。


「どうでした?」


「はい。快く教えて下さいました。ただ、ちょっと……」


運転手は言い難くそうに口籠る。


「ユアンさんはもう随分と前に、ある山にこもったまま、そのお師匠さんの所にも姿を見せていないそうです。なので、生きているかもわからないと」


もし死んでいるとしたら。

主の願いを叶えることができない。それでは自分が生きている意義がなくなってしまう。

彼が生きていて、二人が出会いさえすれば。

ただそれは、秘密裡におこなわなければならない。

ヒイラギを喜ばせたい。

予定は今週末。彼がオフの日だ。そこを外せば暫く彼は休みがない。

彼女は来てくれるだろうか。

幸い彼女は今この街にいる。どうにかすれば、引き合わせることができるはずだ。彼が生きていれさえすれば。

どういう理由があって二人が別の道を歩んだのかはわからない。しかし、どうしてもやりとげたい。

二人を引き合わせ、ヒイラギのために、演奏してもらいたい。

ステージも用意しなければ。

生きてさえいれば、うまくいく。



しかし、彼が死んでいるとしたら?



「すみません、もう一度だけ今から走ってもらうことはできますか」


バルトルトは一旦応接室に戻り、短い文を書き、再びそれを運転手に渡した。


「街の外れにある、クロエと言う男の家のポストに入れてきてほしいのです。できれば早急に」


運転手は、バルトルトが(あるじ)に並々ならぬ忠義心を持っていることを知っている。

バルトルトの使いは、同時にヒイラギの使い。それを疑うことはない。

運転手は急ぎ、街外れに住む男の家へと向かう。

その手紙の内容などもちろん知らない。

知ってはならない。


運転手を見送ると、バルトルトは自室に戻り、主人へのサプライズをどう演出するのが一番効果的か考えた。

ユアンの生死が不明というのは寝耳に水だし、彼女の彼に対する想いも全くもって不明である。

再開したところで、演奏をしてくれるとは限らない。


明日、行動を起こそう。


彼女が主人の前で奏でる音楽は、まず二人のものでなければならない。

明後日の興行はよくわからない楽団だと聞いた。

知名度も演奏力もたいしてない。どうしてユキノがそんな楽団に所属しているのかは謎だが、そんなものでは、表立っては言わないが、ヒイラギは納得していないはずだ。

本物のユキノの歌を聴かせたい。それは、レコードで散々聴いた、あのチューニングのずれたギターではなく、真に納得できるものでなければならない。

誰かが二人を再び結びつけなければ。


それは、自分にしかできない使命だ。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ