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葬列の指揮者 ー赤い海に沈むー  作者: 深野メイ子
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第三楽章

 大人四人と機材を乗せた空色のバンドワゴンは、今にも壊れてしまいそうな音を立てながら走っていた。


 宿屋で朝食を軽く済ませ、向かうのはメモに記された場所だった。

 昨夜の興行を終え、今日から三日間は楽団の休暇になっていた。

 ユキノはやはり戻っては来なかったし、音沙汰もない。

 手掛かりは昨日訪ねてきた男と、ユキノの髪と、赤い花。


 轍が残る古い路面には、賑やかな市場が並んでいる。

 通りを風が吹くと、少し肌寒い。

 カラフルな市場を通り抜け、ぽつぽつと民家が点在する田畑の真ん中を、積載量オーバーの車は尚も悲鳴をあげながら突き進む。

 針葉樹の木々が鬱蒼とする林を突っ切り、小川に架かる橋を渡ると、そこには某王国の庭園の様な、美しい庭が見えてきた。


「おい。まさかあいつの家じゃないだろうな」


親方が突然口を開く。

顔が強張り、いささか血の気も引いているように見える。


「いや、絶対そうだ。あいつの家だ.

 なんだか見たことのある景色だと思ったんだ」


微かに唇が震えている。

ムクドリが一羽、庭の木に留まっているのが見えた。


「あんなところにいたら食い殺されるぞ」


「親方! さっきから何ぶつぶつ言ってんのさ」


「ああヒナノ、あそこには妙な男が住んでいるんだ。わしは昔一度だけ一緒に仕事をしたことがあるんだがな。変わった男だった。

 なんであいつの家なんかに行くんだ」


 親方の恐れを含んだ言葉とは対照的に、植木は見事に刈り揃えられ、花はバランス良く植えられたその庭は見事なものだった。

 スイセン、ヒース、ライラック、小さな花たちは、余程大事に育てられているのだろう、その姿は自信に充ち溢れているように咲き誇っていた。


「奴も音楽家は音楽家だがな。わしらとは住む世界が違うんだ」


「その人がユキノを連れ去ったかもしれないのかな」


「いいや、変な男だが、音楽に関しては偽りなく真摯なやつだよ。わしの楽団にユキノが所属していることも知っているだろう。勝手に連れ去るなんてことはしない。だからなんでこの家の住所が書かれてたのかわからん。

 というか関わるのはできるだけ避けたいなあ。なんせ奴は葬列の……」


「あ」


 速度を下げて走る車の窓から顔を出し庭を見ていたヒナノは、その花を見つけ、つぶやいた。

 その赤い花たちは、風に揺れて、自分たちを迎えてくれているように見えた。

 親方は言いかけたが、その男が希望の糸口になるのならと、口を噤んだ。


「見つかるかな。ユキノ」


「何言ってんの。あんな天才的な歌手、いなくなったら音楽界の大損害だよ。何が何でも見つけなきゃ」

 

そう言って、ベルーナはヒナノの頭を撫でた。

 親方が門の前に車を寄せると、四人はまだ見ぬ男に期待を持ちつつ、車を降りた。

 二回三回と呼び鈴を鳴らす。待つこと数分。

 しかし、人の気配がしない。


「まさか、留守だってのか。まいったな」


 親方が見るからに肩を落とし、ヒナノ達もどうしていいかわからず、立ちすくむ。

 そこへ、ひょこっと裏手から黒猫が顔を出した。


「にゃー」


 猫は一声発すると、するりと再び裏へと消えた。

 四人は顔を見合わせる。


「なんだろ」


 ベルーナが不思議そうにそちらを見やる。


「ついて来いって言ってるんじゃない?」


「そんな都合のいいことあるか」


 ヒナノは言うが、親方にあっさりと否定されてしまった。


「あ」


 今度はニコが門の下で鳴く猫を見つける。


「入っちゃおうよ。親方。私が責任取るからさ。ひょっとしたら呼び鈴に気づいてないだけかもしれないし」


「何のための呼び鈴だ。ふん」


 そう言いながらも親方はヒナノが門を勝手に開け、入ることを止めようとはしなかった。

 玄関までの道は、外から見るよりもずっと美しく、まるで小さな宮廷の庭を眺めているようだった。

 ヒナノは感嘆を漏らし、翡翠色のタイルを敷いた道を、うっとりしながら歩いていく。


「あいつは昔から変わった男だった」


 急に親方はぽそりとつぶやく。


「あんまり会いたくねぇな」


「でも親方、こんな素敵なお庭を作れる人なんでしょ。綺麗な心を持ってるんだよ」


「ヒナノ、お前は何にもわかっちゃいねえな。あいつがこんな高尚なこと、できるはずがないだろ。きっと良い小間使いでもいるんだろうよ」


「ふーん」


 そうこう言っているうちに、玄関にたどり着く。

 猫はその間ずっと前を歩いていた。


「やっぱり、案内してくれてるんだよ。お前かしこいね」


 ヒナノは猫の頭を撫でた。


「さあどうしたものか。ここまで来たが、勝手に入るわけにもいくまい。どう思う? ベルーナ」


「私に聞かれましても。ニコ。あなた、動物好きよね。この猫ちゃんがなんて言ってるのかわからないの?」


 急に振られたニコは、慌てて首を振った。


「そんなこと、ぼくはわからないよ。どうして好きってだけで動物の言ってることがわかるのさ。ねえ、ヒナノ」


 見るとヒナノは猫の顎を撫でている。

 三人は、家宅無断侵入の罪を問われれば、この娘を差しだしてやろうと無言で誓いあった。


「さあ、どうぞ。お入りくださいよ。車でここまで来るのは案外大変だったでしょう」


 聞きなれぬ声。

 三人は顔を見合す。

 ヒナノは猫を凝視する。


「さあ、どうぞ」


 猫が喋っている。そのように見える。

 ヒナノの撫でていた手が止まり、今まで撫でていたその口が言葉を発している。


「驚きましたでしょう。ワタシ、獣ですけれど、みなさんとお話しできるんですの。サアお入りください」


 猫はすっと扉を押すと、軽く開き、一行を中へ促した。

 四人はただ茫然とそこに立っていたが、ヒナノが最初に深呼吸をしてみせ、三人が同じく大きく息を吸い込んだ。


「入ろう」


 ヒナノの声とともに、四人は扉の奥へと進んだ。


「不思議なことってあるのねぇ。ヒナノは若いから受け入れが速いわ。親方、大丈夫?」


 ベルーナが問うと、親方は神妙な顔をして首を振った。

 それがどういう意味なのかは誰にもわからなかったが、とにかく、その男に会わなければ話は進まない。

 玄関から奥に続いている廊下を猫に付いて歩いて行く。

 外の華やかさに比べ、中は薄暗く、何やら奇妙な造形物が等間隔で置かれている。

 いくつか扉があったがそこには入らず、猫は最奥の真っ赤な扉の前まで案内した。


「ここでございます」


 猫はしなやかに振り向き、コバルトブルーの瞳を四人に向けた。

 その妖艶な眼差しは貴婦人のようであり、同時に売女のようでもあった。

 ノブを回したのはヒナノだった。

 開けると、そこには真っ赤な花。


「また」


 目の前のローテーブルの上に飾られているのは、昨日から鍵となっている花だった。

 市松模様の床と対照的な鮮やかさ。

 ヒナノは何か頭に引っかかっている。

 どうしてアネモネなのか、自分は知っている気がする。

 緑色のサテンのソファーと、菫色の壁紙。多様な色彩に目が眩みそうだったが、辛うじて意識を保つ。


 一つだけある小窓から覗く景色に、ヒナノ達は目を疑った。

 赤紫色の渦が巻く空に、荒れた土地。

 先程までの天気が一変したのか。それにしても様相がおかしかった。天変地異でも起こったほどの変わり様に、ヒナノが猫に問いかけた。


「さっきまでの素敵なお庭、どうしちゃったの?」


「ここは生と死の狭間の地。余程のことがないと人が訪れることもないのですが。入り口は生への扉。裏口は忘却川へと繋がっていますので、死への扉となっているのです」


「親方、知ってたの?」


「まあな」


 親方と猫を除き、自分たちが今とんでもない場所へ来ていると知った三人は、ユキノ捜索の希望が湧いた反面、頼む相手の素性への畏怖が、生唾を飲む音となって現れた。


「そう緊張なさらずに。そちらにお掛けになってくださいな。そしてそこに彼からの手紙がありますので、お読みになってください。お茶はお出しできないんですけど、そこのお菓子、どうぞ召し上がってくださいね」


 見ると、花の下に手紙とクッキーが置かれていた。

 封を閉じたそれには、「親愛なるシャルロットへ」と書かれていた。


「シャルロット?」


 一人を除いて三人は聞きなれない名前を口にした。

 親方は難しい顔をしている。


「親方? シャルロットさんをご存じで?」


 ベルーナはまさかと思いながら尋ねると、親方は小さな声で「わしだ」とつぶやいた。

 三人は一瞬の間を空けて、ぶっと噴き出す。

 しかし笑うのも失礼なので、顔を引きつらせながら堪えた。


「こいつ、わしらが来るのを知ってたのか。油断ならねえな」


「親方、それはちょっと違うけど、とにかく、この手紙は親方宛てなんでしょ」


「そうだな」


 そう言って、親方は張り付けてある蝋を剥がすと、中身を取り出し、目を通した。



『親愛なるシャルロット君。元気にしているかい?

 久しぶりに訪ねてきてくれたのに、不在で申し訳ない。


 率直に言うと、僕は今グロリード山という場所にいる。


 先日、僕のところに妙な手紙が届いてね。

 僕に指揮を依頼をしたいと言うのだ。

 僕の職業は君の周知の通り、葬列の指揮者だからね。

 その指揮を振る相手というのが、君の楽団に所属しているユキノだって言うんだから驚いたよ。

 場所はさっきも書いた通り、グロリード山の洞窟の中だという。


 どうして君をここに呼んだかというと、あるレコードを聴いてもらいたかったからなのだ。

 蓄音機の場所は猫に聞くと良い。レコードはセットされている。

 そのレコードの二曲目を是非覚えてきてもらいたい。


 僕はグロリード山の洞窟にいるから、猫を連れて来てくれたまえ。

 そうでないと迷ってしまうだろう。


 では健闘を祈る。


    君の愛するクロエより』


「あいつ、何を言いやがるんだ」


「ねえ、葬列の指揮者って、どういうこと?」


 ヒナノは唇を震わせながら、その手紙の恐ろしい内容をつぶやく。


「わからん。が、そこに行けば何かがわかるかもしれん」


 最悪の事態なんてきっと無い。ユキノの葬列などあり得ない。

 けれども、実際ユキノが消え、手元には髪の毛と花。そして、数日前、この家に届いたという手紙。

 ヒナノはいくつもの奇怪な出来事を、何とか繋げようと試みるが、まったく何がどうなって今自分たちがここに居るのかさえ分からなくなってしまう。


「レコードって、あれかしら」


 ベルーナは部屋の隅に置かれている古い蓄音機を指差す。


「またえらく古いもんだな。鳴るのか?」


 親方が言いながら針を落とし、取っ手を回す。

 伸びた音が真鍮製のラッパから流れるが、辛うじて音楽の輪郭が解る程度で、細かな部分は勘で想像するしかなかった。


「主人は懐古主義なもので。指揮者がそれじゃあいけないんですけれども」


 カラスが申し訳無さそうに言う。

 二曲目が始まると、四人はじっと耳を傾け集中する。


「知ってる曲だ。ユキノが歌ってるのを聴いたことがある」


「そりゃあな、これはユキノのレコードだ」


 そういった親方に、三人は驚く。

 蓄音機が古く手回しなため、声が篭ってわからなかったのだ。


「随分と昔ののものだからな。しかしなんでこの曲を覚えろなんて言うんだ」


 四人はともあれ再び集中し、針を戻し何度か聴き、曲のキーと構成を頭に入れた。



「行ってみるしかないよ。ねえ」


 ベルーナが言う。


「そうだ。わしらは小さな糸口をたどって、前に進むしかねえんだ」


 そうだ。何かヒントがあるはず。

 目の前の赤い花。

 今日という日。

 どうしてこの日にこんな所にいるのだろう。


「そうだ」


「ヒナノ?」


「一昨日は私の誕生日だった」


「こんなときに何言ってるんだ」


「アネモネの花、去年も私の誕生日にユキノがくれた。私は似合わないって言ったけど、ユキノは私にしか似合わないって。ユキノ、買ってくれてたんだ」


 ユキノの髪とアネモネ。

 

「一昨日だ。一昨日ユキノは花屋で花を買って、それでいなくなった。でも昨日帰ってこれなくて、あの男の人に花を託して、私に届けさせたんだ。

 どうして直接渡せなかったのかな。でもあの人何も言わなかった。ユキノさんのものだって。

 あの花は私に買ってくれたものだ。ユキノは私にしか似合わないって言ったもの。


 どうして? どうしてだろ」


「ヒナノ!」


ベルーナが遮るように叫ぶが、ヒナノは尚も独り言のように呟く。


「アネモネが咲いている場所。自然に咲く場所ってある? 街にはないよね。花屋だ。だからユキノ、花を届けさせたんだよ」


「どういうこと?」


ヒナノはベルーナの問いを聞いてか聞かずか、つらつらと続ける。


「手紙の内容と、髪と花の届け方からして、ユキノは自分でいなくなったんじゃない。連れていかれたんだ。花屋、それかそのあたりの人が、それを見たかもしれない」


 そう考えると、ヒナノは居てもたっても居られなくなり、親方の腕を掴み揺する。


「親方! 花屋に行って聞いてみよう! 犯人わかるかもしれない!」


 ヒナノのあまりの勢いに親方一同たじろぎ、ヒナノを少し落ち着かせようとソファーに座らせた。


「ヒナノ、お前の言うことはわかったよ。わしも考えたくはないが、これは事件だ。黒いやつがいる。

ここへ来たことは間違ってなかった。ここのクロエという男は、変態だがそこそこ考察力はあると思うんだ。

 ここに来た手紙がただのいたずらじゃないことはもうわかる。お前の気持ちもよくわかる。

 けど、グロリード山、そこへ行けばユキノはいるかもしれないんだ。あそこまでは少し時間がかかるからな。

 とりあえずそこへ行ってみようじゃないか」


 ヒナノはうつむく。そこへベルーナが、ヒナノの肩に手を置き言った。


「でも親方、花屋はそこへ行くまで通るよ。私たちが泊っていた、一番近くの花屋。何も知らないかもしれないけど、ちょっと寄って聞いてみてもいいんじゃないかな?」


 親方は少し考えた後、


「まあそうだな。行ってみるか」


 涙を溜めた瞳は驚き、親方の顔を見上げた。


「なんだ。そんなに驚くことないだろう」


「だって親方、私の言うことなんて、いっつも聞いてくれないからさ」


 そうと決まれば楽団は早かった。

 そして足元に小さな体が擦り寄る。


「ワタシも連れて行ってくださいな」


 彼女はカラスと名乗り、楽団の道しるべとして、無くてはならない者だった。


「目指すはグロリード山。そして花屋近辺に聞き込み。行こう」


 四人と一匹は空色のバンドワゴンに乗り込み、指揮者がいる山へと向かうのだった。


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