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葬列の指揮者 ー赤い海に沈むー  作者: 深野メイ子
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第二楽章

 鬱蒼と木が生い茂る山道を、まるでその場に似つかわしくない姿の二人が不機嫌そうに歩いていた。

 顔を顰めているのは、漆黒の髪を肩まで伸ばした男。黒い山高帽に燕尾服といった場違いも甚だしい出で立ちである。

 一方で表情の見えない子供が、その後ろをひょこひょこと軽快について行く。

 子供は道化の化粧を施している。それは小さな大人にも見えるが、口を開けばやはりそれは子供の声だった。


 長髪の男は持っている指揮棒で、行く手を阻む蔦や羊歯を乱暴に避けながら前進していく。

 もうかれこれ三時間は歩いているだろうか。目的の場所には一向に着く気配がない。それどころか、この道は正しいのか、これは本当に道なのか、それすらも怪しく、道化の子供はしかし主人のご機嫌がよろしくないことを察知して、もの言わずついて行くのだった。

 木の上からはけたたましい鳥の啼き声や、時折聞こえる獣の咆哮など、およそ人が訪れることなど滅多にない様をありありと感じさせるものだった。


「ドロペス」


 男はぶっきらぼうに子供の名を呼ぶと、今まで動かし続けていた足をぴたりと止めた。

 振り向かずに続ける。


「ここはいったいどこだ」


 見渡せば辺り一面暗緑の世界。

 陽の光も射し込む隙がないほどの山奥で、男の問いは後ろからただ付いてきたドロペスにとって驚愕に値するものだった。

 目の前の男は振り向かない。文字通り路頭に迷ったことを恥じているからではない。その事実をまるで予期せぬ災厄が降りかかったとでも言うように、迷ったことをこの大自然の所為にして見せた。


「師匠が任せとけって言うからさ」


 ドロペスは鼻を掻きながら小さな声で呟く。


「お前は僕に任せてはいけなかったんだ」


 そうか、こうなることをあらかじめ予測しておくべきだったのか――――。


「ってそんな! オイラ予知能力者じゃないしさ! 師匠が自信満々にこっちだって言ったでしょ。確かに途中いやな予感はしたけどさ……」


 来た道を戻るか、この道を突っ切るか。幸い時刻はまだ早く、もうすぐ太陽が天辺に到達しようとしているところだった。


「あー、突っ切るか」


 未だ目的地が見えるどころか、暫く空も見ていない。


「師匠と山で遭難なんて、シャレになんないよ」


「なんだって?」


「なんでもないっす」


 言いながら二人は再び道なき道を歩き出した。


「おかしいな。予定ではもう着いているはずなんだが」


「どれくらいで着く予定だったんです?」


「半刻」


「……」


「ずいぶんのんびり歩いてたんでしょうね。方角は?」


「山に入る前に西の方角を目指している。地図上ではこの山をまっすぐ西の方向に進めば着くはずだったんだ。ほんの一時間ほどで」


「コンパスは?」


「持ってない。麓の畑で農作業中の爺さんに聞いた」


 この男の行き当たりばったりは今に始まったことではないので、ドロペスは呆れながらも自分が信じて着いてきた落ち度もあると、やるせないため息をついた。


「オイラ、もともと怪しいと思ってたんだけど、こんな山奥にその、あの人がいるって情報も確かなんでしょか」


「情報元は確かに胡散臭いが、そうなっていてもおかしくないとは思っている。まあ、見つかればラッキーだな」

 

 ドロペスは、そんな運任せで遭難するかもしれない状況に抗えない自分が悲しかった。

 泣きたい気持ちを堪え、普段歩きなれていない山道を黙々と歩き続けていると、突然前を歩いていた男が叫んだ。


「ほらみろ!」


 蔦や大木が視界を遮り、永遠に続くと思われた暗緑の世界が、男のその一言と共に一気に開けた。

 しかし鮮やかなものではなかった。

 苔むした凹凸の激しい岩肌に空いた穴は黄泉への入り口にも見える。

 穴は緩い勾配になっていて、少し先は暗闇で窺うことはできなかった。

 奈落の底ほどではないにしろ、光が届かないその先は、やはり不気味だった。

 二人はその異様な穴を茂みから呆然と見ていると、遠くから文明の音が聞こえてきた。


「師匠、なんでこんなところで車のエンジン音が聞こえるんでしょう」


 男は穴を見つめたまま、「車が走っているからだろ」とそっけなく応答した。

 ここは人知の及ばない深い山の奥のはず。なぜ。


「ドロペス、隠れろ」


 無理やり男に頭を押され、混乱した頭で考えていた。自分たちは三時間もかけて自らの足で登ってきたこの山を、アクセルを踏むだけで悠々とここまでたどり着いただろう車を、そうすんなりと受け入れることはできない。


「ここ、車で来れたんですか?」


「歪曲した道を通ればな。地図上ではまっすぐ登ったほうが近かった。いや、近い」


「オイラは、エネルギーの無駄遣いだと思うんですが」


「普段有り余らせてるくせに、こんなときくらい使っておけよ」


 そうこう言っているうちに、一台の黒塗りの車が舗装のされていない道を、粉塵を撒き散らしながらやってきた。

 道はまだ先まで続いているが、車は二人の目の前でぴたりと止まった。

 暫くして、中から小柄な男と、厳めしい顔つきの男が出てくる。何か言い合っているようにも見えるが、茂みからでははっきりと聞き取れなかった。ただ、二人はその後の光景に息をのむ。

 厳めしい男が再び車に入り、中から担いできたのは、女性だった。

 女性は動かない。

 車のドアを閉める音が山の中に響くが、女性が目を覚ますことはなかった。

 二人は車に鍵を閉め、小柄な男が懐中電灯と、地図であろう紙きれを持ち、厳めしい男は女性を担いだまま、暗闇の中へと消えていった。


「おい」


 男とドロペスは体に付いた小枝や木の葉、クモの巣を払いながら茂みから出てくると、洞窟の入り口を凝視した。


「どうなってるんだ」


「見ちゃあいけないものを見てしまいましたね。あの男たち、悪人の臭いがぷんぷんしてましたよ。こんなところでいったい何やってんだ」


 しかし男はそれには同意せず、


「あれはユキノじゃないか」


 ドロペスは師匠を見上げる。


「あ!」


「そうだ。あの手紙の女性だ。僕は彼女のファンなんだ。間違えるはずがない。そして今僕たちがここにいる理由は?」


「五年前に失踪したギタリストと歌姫の救出」


「そうだ。彼もまた素晴らしい奏者だった。一足遅かったか……」


 そして燕尾服の男、クロエは唇を噛み、道化の少年ドロペスは、この禍々しい穴倉で起こりえる最悪の事態を想像せずにはいられなかった。





 ことの発端は、前日に届いた一通の手紙だった。

 クロエの元に届いたそれは、何の装飾もないそっけない封筒に、宛名だけ書かれていた。


「ドロペス、これを見てみろよ」


 食事の支度をしていたドロペスは手を止め、手紙を受け取る。


『貴殿に指揮を振って頂きたく手紙をさし上げました。

 予定はこの週末。

 演奏者の名は

 ユアン・ディエゴ

 ユキノ・カルマン 

 参じていただくのはグロリード山の中腹。

 

 どうぞよろしくお願い申し上げます』


「この手紙がどうかしたんです? 日時が曖昧なのが気にはなるけど」


 言いながらドロペスは煮立ったスープを皿に盛ると、パンと一緒に机に運んだ。


「それもそうだが、差出人の名前がない。それに、この二人を僕は知ってる」


 クロエはソファに深々と身を沈め、陰鬱な表情でつぶやいた。


「ユアンは五年前に失踪しているギタリストだ。だけどユキノは、まだ生きてる」


 ドロペスは持っていたグラスを危うく落としそうになったが、寸前のところで受け止め、そっとテーブルに置いた。


「待ってくださいよ。どういうことです? 師匠に指揮を依頼するってことは……」


「ああ、ちょっとまずいな」


「まさか、殺人予告じゃないですか」


「差出人が僕のことをただの指揮者だと思って出したのか。

しかしここに直接持ってきているということは、そうではないだろう。

僕が『葬列の指揮者』だとわかってこの手紙を書いたんだとしたら、そうなるな」


 彼は急に立ち上がり身支度をし始めた。


「行くぞ、ドロペス」


「は?」


「早く化粧をしろ」


「夕飯は? どうすんのさ!」


「帰ってきてから食べる」


「師匠、これはそう簡単に解決しなさそうだよ。腐っちまう」


 クロエは並べられた湯気の立つ料理を目の前に、少し考え、再びソファに腰をかけた。

 できたてのスープで口に火傷を負うが気にせず、「一時間後に出るぞ」とだけ言い、弟子の作った料理をむさぼった。





「師匠、ほんとにこんなんで大丈夫なんでしょか」


 ドロペスは自分の腰に巻かれた細い糸を不安げに見つめた。

 それは黒塗りの車が去った後、二人が目的地にたどり着くための手段として考え、持ってきたものだった。


「仕方ないだろ。この辺の地形からみて、この穴はかなり入り組んでる。迷路と一緒だ。お前が右手を壁に付けたまま歩き続けると、目的地に着くはずだ」


 それは人工的な迷路での脱出方法ではないか。そう思ったが口にはしない。糸というのも心もとない。

 怪しい男たちはやはりユキノを穴の中に置いてきたようで、出てきたときには手ぶらだった。

 予測はしていたが、ドロペスの頭には最悪の事態が浮かぶ。


「ユキノさん、まさかもう」


「それはないだろ。葬列の予定は週末だ。三日後だ。ああ、だけど……」


 クロエは言いかけた後、それを打ち消すようにドロペスの背中を押した。


「うだうだ言ってる間にどうにかなったらお前の所為だぞ。さあ行け」


「はいはい」


 いくつかの大きな岩を身軽なドロペスは軽快に飛び越え、そのあとをクロエが慎重にまたいでいく。

 穴の中は日の光はもちろん、山の空気もその入り口で遮断されているかのように、中は全く違う空間だった。

 この先に人がいるとは到底思えなかった。

 ドロペスは手に懐中電灯を持ち、辺りを照らしながら進んでいく。足場はあまり良くないが、かつて人が踏み入れた痕跡がところどころに残されていた。


「はるか昔に貯蔵庫か何かで使用してたんだろうな。見てみろ」


 クロエが指した壁を照らすと、何か印のようなものが書かれていた。


「ユアンはなかなか良い物件を見つけたな」


 いくつかの行き止まりにぶち当たったが、根気よく歩いて行くと、かすかに風に乗って、心地よい歌声が聞こえてきた。

 クロエはドロペスを止め、明かりを消せと命じる。

 二人は暗闇にまぎれ、聞き耳をたてる。


 それは遠い記憶を呼び起こすような、不思議な旋律の歌だった。

 歌詞はよく聞き取れないが、彼女の持つ、柔らかく、しかし力強い声は、壁をいくつか隔てているのであろう二人の元へも伝わる力を持っていた。

 ギターの弦は錆びているのだろうが、ギターそのものの箱の鳴りが素晴らしく、彼の腕で奏でられるそれはやはり、音楽に説得力があるとすればこれだと確信せざるを得ないものであった。


「これって」


 言いかけるドロペスの口を塞ぎ、クロエは集中しなければ途切れてしまいそうなほどの音を、一つ一つ漏らさずに聴く。

 それは静かにフィーネを迎えると、クロエは高鳴る胸の鼓動を沈め、ドロペスに向かって言った。


「どうだ、ドロペス。素晴らしい音だろう。まさか生で聴けるなんて。ああ、生きていてよかった」


 そんな大袈裟な。

 ドロペスは思いながらも、自分もそう変わらない心境にあることに気づく。

 しかし口には出さず、再び前に進む。


「二人は一緒にいるのだな。ユキノは目覚めたんだ。そしてユアンも生きていたんだ。しかし」


 暗闇に浮かぶ白塗りの顔を眺め、クロエはため息をついた。


「どうして彼女たちの元へたどり着かないんだ」


 歩けども歩けども真っ暗闇。

 腰に巻いた糸は残り僅かだった。よくこんな長い糸を持っていたと感心したが、しかしこの洞窟は平坦ではないので、距離にするとそれ程でもないのかもしれない。

 それよりも、落差の登り下りが厄介であった。


「おかしい。さっきの歌はこんなに遠くはなかったぞ」


 息を切らしながら、クロエは毒付く。

 前を行くピエロは、そんな事は言われなくてもわかっているので、黙々と進んで行く。


 行けども行けども灰色の光景にうんざりしてきた頃、ドロペスは急に立ち止まった。

 糸だけを握り、前を見ずに付いて来ていたクロエは、急なブレーキに気付かず小さな背中にぶつかった。


「いて、こら、急に止まるんじゃないよ」


 見ると今までのゴツゴツした狭い通路ではなく、広々とした空間がそこにあった。

 手を叩くと、ホール並みの反響。

 鳥の羽音が聞こえると思っていたのは、コウモリだった。

 天井が高く、吹き抜けの大ホールのようだった。


「ここにキャンドルを大量にたてて、コンサート開きたいな。ぞくぞくするな」


「師匠、こんなとこで大量の蝋燭なんか焚いたら、酸素不足で観客ともどもぶっ倒れちまうよ」


 横穴は所々にあったが、大量の蝋燭を運ぶのはいったい誰なのだ。


「理想は理想で置いておいてくださいよ」


 ドロペスがそう言った時、事は起こった。


 女性の悲鳴。


 地面に何かがぶつかる鈍い音。


 懐中電灯を照らすと、そこには、泥にまみれた服と傷だらけの体の女性が横たわっていた。



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