飾り気の無い鳥籠
薄暗い部屋の中、今日も1日を過ごすのだろう。サーカス団のみんなと別れて何日たった?別れ際に団長から貰った髪飾りに触れる。ガラスで出来た珠はひんやりと冷たい。団長との別れを思い出す。
「ファレノプシスよ、すまない」
最後の公演を終えて小道具の片付けをしている時に団長から声を掛けられ普段は入らない団長の私室に入った。室内はもうほとんど家具はなく大きな机と数冊の本が残るばかりだった。
「私はただの一般人で、爵位を買うような金もない。つまり…その…お前と一緒にいてやることは出来ないんだ」
鳥籠が死んだ今、自分は仲介人の元へ戻らなければいけない。知ってはいたが考えたこともなかった。
「明日仲介人がお前を迎えに来る…そうしたら多分…いいや、絶対にもう私たちとはもう一生会えない」
「そんなの嫌だ!!」
このサーカスに来たときからみんなに面倒を見てもらってきたんだ。嫌に決まっている。
団長は窓の外を見たままこちらを振り向かない。オレンジ色の柔らかい光が注いでいる。
「わがままを言うんじゃない、ファレノプシス。それがこの国の決まりだ」
「決まりがなんだって言うんだ!!オレはサーカスのみんなと一緒にいたい!それともオレの翼がもっと立派できれいだったら見世物として置いてくれるのか!?」
「馬鹿な事を言うんじゃないっ!!」
思わず体が竦んだ。パフォーマンスに失敗したり、危ない事をするといつもこうやって怒鳴られた。
団長はゆっくりとこちらを振り返った。
泣いているのだ。
サーカス団の解散を鳥籠の跡継ぎから言い渡された時、唯一取り乱す事もせずにみんなの転職先が見つかるまでサーカスを運営させろと凄んだ団長が。
「ファレノプシスわかってくれ。一緒に逃げたとしてもすぐに見つかってしまうだろう。そうしたらどうなる?無理矢理連れていかれてお前が何をされるか何てわからないし、想像したくもない」
団長は静かな声で続ける
「私は酷い目に会うお前を見たくない。大人しく仲介人についていけば、もしかしたら心優しい鳥籠に紹介してくれるかもしれない」
「…」
「わかってくれファレノプシス。私はお前との別れが何より辛いんだ」
団長に強く抱きしめられる。こんなにも抱きしめられたのはいつ以来だろうか?多分された事などなかった。
「団長ぉ…」
視界がガラスのように歪む。
「どんなに離れたとしても私たちはお前を愛しているよ」
その声は震えていた
翌日仲介人が迎えに来た。見送りに来てくれた団長から赤いガラス珠を貰った。幸運のお守りだそうだ。
粗末な馬車に乗せられ住み慣れた場所をあとにする。
おそろしいほど晴れた暖かい日だった。
「おい!鳥!お前の新しい鳥籠が決まるかもしれないぞ!」
「うるせぇ!オレの名前はファレノプシスだ!」
雑用係の声にひどく驚いて声が少し上ずってしまった。雑用係に連れられていつもは絶対に入れないような客間に入る。
そこには1人の姿があった。髪が長く一瞬女かと思ったがそれにしては身長が高い。質素だが上質な布を用いたローブを羽織っている。髪も肌も透き通るようだが、瞳は鮮やかな青色だ。
「さぁさどうぞ!ゆっくりご覧くださいな。離れた街の寂れたサーカス団にいたんですよ!夜鷹なので鳥としての価値は低いですが貴方様の退屈を紛らわせるぐらいなら…」
「君は少し下がってもらってもいいかい?」
その男は雑用係に静かに言った。
「すまないね。私は彼とゆっくり話がしたいんだ」
「え?あっ、わかりました!すぐに…」
雑用係はそそくさと部屋を出ていこうとする。その間際、
「絶対に失礼のないようにしろよ。お前にみたいな醜い鳥は他に貰い手ねぇかもしれないからなぁ」
扉を開けた雑用係の背中を思い切り睨みつける。なんてやつだ
「君がファレノプシス君かな?」
声を掛けられてはっとした。
「お、オレ、じゃないや!僕がファレノプシスです!よろしくお願いします!」
「ふふっ、そんなにかしこまらなくていいんだよ」
「え!?あっ、はい!」
男はにこにこ笑っている。サーカスにいた時に貴族たちからうけた嘲笑ではなく、もっと優しい笑いだ。
「私の名前はアドニス。アドニス・ラフボワーズだ」
手を差しのべられて驚きつつもぎこちない握手をする。大きくてちょっと冷たい手だ。
「問うがファレノプシス、私は君を買ってもいいのかい?」
「え?」
この人は変なことを訊く。
「オレはかまわないけど…」
「そうかい。私が君を買った以上君は自由だ。私の元を去っても良い、このまま私と暮らしてもいい。全部君が決めていい。私から命令することはない」
「…オレは…」
「…」
彼は微笑みながら自分の返答を待ってくれているようだ。もし彼の元を去ったなら団長たちに会えるかもしれない。そうすれば仲間達ともう一度サーカスを続けられるかもしれない。
しかし、本当にいいのか?自分が幸せになれるように送り出してくれた団長を裏切る行為ではないのか?会いに行ったところでもう団長たちはあの街にいないかもしれない。
いたとしても自分の居場所など無いだろう。
もう彼らと生きることは出来ないんだ
「…オレ、あんたについてくよ」
「本当にいいのかい?」
「うん、街に戻ったとしてもオレの居場所は多分ないよ。それに団長はオレをあの街でなくて他の場所で幸せになってほしいと願ったんだ。団長との約束なんだ」
「君がそう言うなら…これからよろしく頼むよ、ファレノプシス」
「こちらこそよろしく」
もう一度握手する。
一度目よりも強く手を握った