呪われた町へ
「やっぱこの辺って歩きにくいよな……」
「ふぉっふぉっ……我慢しなされ、もうすぐじゃ。ほれ、あの岩が密集している場所が見えるじゃろ? あの中心に祠が在る」
じーさんが歩きながら指差す先に、確かに、乾いた岩がやたらと密集している場所が在る。密集というより、ここから見るとちょっとした岩の小山だ。
「ねえねえ勇者さま」
「ん?」
俺とセレンの間をうろちょろしていたリンが、俺のズボンを引っ張りながら呼びかける。
「あそこには何があるの? 次はどこに行くの?」
「お前なあ………………ルーンの話し聞いてたのかよ……? あそこにはな、『砂漠の月』っていう祠があるんだよ。そこを通って今度はエルアーデっつう街に行くんだよ。ウィルたちの街だ」
「へえ……楽しみだね」
答えると、無邪気な笑顔で、また俺とセレンの間をうろちょろし始めた。
「あんまりはしゃぐなよリン」
「はあーい」
火の集落に到着するまでは、このうだるような暑さで完全にバテてたくせに、お子様というのはホントに気楽でいい。そしてその適応力も半端じゃない。俺としちゃ、次の街がどんな風に闇の勢力とやらに蝕まれているのかが気がかりで、リンの言うようには楽しめそうもない。
「どうしたセレン?」
ずっと押し黙っているセレンを振り返ると、彼もまた浮かない表情。俺と同じことを考えているのならいいのだが……。
「お前、どっか調子悪いんじゃねーの? 暑さにやられたか?」
「あ? いや何でもねえよ? ただ妙に身体が軽くてさ、俺も驚いてんのよ」
「ああ、封印ってやつを解いたからか」
……そうだった。こいつの能天気さはリンにも劣らないんだった……。封印を解いて外見が変わったということは、性格以外の中身というのもやはり変化しているのだろう。今までの身体と違う部分を確認して、馴染んでいくのには、やはり多少の時間がかかるのかもしれない。
そんなことを考えながらも、足元に注意して、歩きにくいこの岩場を何とか昇りきる。そうこうしているうちに、俺たちは岩の密集する目的地についていた。
「ほれ、足元に気をつけなされ、もうすぐじゃ。あの窪地に入り口がある」
窪地というのは、岩を積み上げたような小山の頂上付近にある、火山口のように窪んでいる場所。この小山、登るのもしんどいが降りるとなると……
「リン、セレン、気をつけろって……って!」
「きゃあああああっ!」
「うをああっ!」
言った傍から次々に躓いてやがるし……。振り返り様に二人の様子を窺った俺は、躓いてバランスを崩したリンの身体を支え、尚且つセレンの腕を掴んで、何とか二人の転倒を防ぐことには成功した。が。
ごんっ……!
「…………っ!」
「叶恵っ!」
「勇者さまっ」
二人を支えたために自分の足場を踏み外した俺は、勢いに任せて数歩進んだところで、飛び出ていた岩に額を思いっきり打ちつけた。……まともに。岩だぞ岩。痛いなんてもんじゃねえ……マジで星が飛んだよ……。俺はしばらくその場にうずくまって、声さえ出せない状況だった。……みっともねえ。
「ふぉっふぉっふぉ……身を挺して仲間を護るとは……さすがですな、勇者殿」
「……お褒めの言葉をどうも」
かすかに滲んでくる血をグローブでそのまま拭いながら、涙目になって答える。じーさんはというと、とても年寄りとは思えない軽々としたフットワークで、ひょいひょいと岩の上を渡ってくる。
やがて俺たちは、じーさんのいう窪地とやらの底に来ていた。
「何にもねーけど?」
片手を腰に当てて周りを見渡しながら、セレン。
乾いた土が所々に見える他は、擂り鉢状に岩が並んでいる。俺たちはちょうどその真ん中辺りにいるのだが、祠などというものはなさそうだ。
「目に見えるものだけが全てとは限らんよ、若いの。待ちなされ」
言うと、じーさんは立ち並ぶ岩の一つに軽く手をかざし、何やら唱え始めた。セレンたちが戦闘時に使う魔法の呪文詠唱のようなリズム。
やがて、かざしたじーさんの掌から、ちらちらと炎の帯のようなものが現れて岩を覆っていく。炎が完全に岩を覆うと、役目を終えた炎は陽炎のように消え、そのあとには小さな扉のついた石の祠が現れていた。
「……これが『砂漠の月』じゃ。我々炎の術と共鳴する月の魔力が宿っておってな、火の種族でなければ開くことはできん」
「へえ……」
「おじいさんってスゴいのね!」
「これをくぐれば、そのエルアーデとかいう街の近くに行けるんだな?」
小さな扉に手をかける。大きさはちょうどリンが歩いて通れる程度のもので、俺たちは身をかがめなければ通れないようなサイズだ。
「気をつけなされ。向こうではいつ闇の者が襲ってくるか分からんからの」
「ああ。それじゃ」
「案内してくれてありがとな、じいさん。あんたも気をつけろよ? 危ないのはどの地域も同じだろうから」
俺に続いて、セレンもじーさんの手を握る。何故かじーさんは、満足そうに顎鬚を撫でているが、最後にその手をリンの頭に持っていった。
「お嬢ちゃんも、勇者殿をしっかり助けるんじゃよ」
「うんっ! おじいさん、ありがとう!」
ご……ぅん
小さな岩の扉は両開きだ。俺はその扉を重い音とともに開け放つ。奥は何も見えない闇。だが、よく目を凝らして見てみると、深い夜空のような空間に、小さな星屑のような明かりが並んで奥へと続いている。
「行くぞリン、セレン」
「ああ」
「うん」
緊張した声を背中に聞きながら、俺は身をかがめて中に踏み込む。リンが後に続き、最後にセレンが扉をくぐる。やがて扉は閉ざされ、外界とは完全に隔絶された空間になった。俺たちはいきなり夜に踏み込んだような奇妙な感覚に包まれる。さっきまでの灯りで見えていた低い天井も狭い壁も消え、俺たちも普通に立って歩くことが出来る。不思議な経験に、俺たちは言葉少なに星屑の道標を辿っていた。
「不思議なところね、勇者さま」
「ああ、足場もはっきりしねえから……ちょっと気味悪いな」
「話には聞いてたけど、こんなところにあったとはなぁ」
「セレンお前知ってたのか?」
「ん? 俺たち月の集落の開祖って人が作ったらしいぞ、これ。くぐれば歩いて何十日の距離も一瞬だって」
「へえ……お? 出口か?」
足元には俺たちの行く先を記すように、二列になって小さな明かりが並び、進む先に向かって収束していくように見える道。その他には何も見えない夜の闇が広がっているが、視線を少し前に向けると、二列に並んでいた明かりは、門のような姿に変わっていた。小さな星屑のような道標がなければ、上下も左右も分からなくなっていただろう。
星屑の光でできた門の前で一度立ち止まり、片手を真っ直ぐ前に突き出す。……さすがにそのまま歩いて突っ込む気にはなれなかったからだ。突き出した腕は、明かりで縁取りされた暗闇に、吸い込まれるようにして指先から見えなくなっていく。その先に触れる物はなく、このまま出ても何かにぶつかるという間抜けな事態にはならなさそうだ。
「出るぞ」
「おう……」
ほんの少し勇気が必要だったが、ここで立ち止まっても仕方がない。俺は一度振り返って二人の様子を見た後、一気に腕が消えた先へと身体を滑り込ませた。
「……っ」
漆黒の夜の世界から、いきなり陽の差す昼の世界へ。さぞかし眩しい世界が広がっているのかと思いきや……
「うわっ」
「っと……悪い」
思わずその場で立ち止まった俺の後頭部に、リンと手をつないで出てきたセレンが顔面からぶつかった。
「勇者さまぁ……」
「うわ……」
俺の背中越しに目の前の風景を見て、いきなり俺の背中に隠れるリンとセレン。すでにリンは泣きそうだ。
「何だよこれ……」
いや、今までが暗かったから、それに慣れてしまった目には最初こそ眩しいと感じた。だが、あっという間にその目も慣れ、目前に広がる世界を捉えただけのことなんだが……。
「呪われてるよ、これ。絶対。」
俺の感想はこれだ。
俺たちがいる『砂漠の月』の出口があるのは、どうやら小高い丘の上らしい。正面に見える緩やかな丘陵地には街が広がっている。かなり大きな街で、都会的な雰囲気がある。その中央、雲を突き抜けてそびえている建物がまず目を惹いたが、それも含めて街全体がどんよりとした空気に覆われ、何故か空の色までが濁って見えた。
「おい……マジかよ……」
セレンの声も、かなり上ずっている。見なくても分かる。相当顔が引きつっているだろう。
「ウィル、おっさん」
『……はい』
「説明してくんない?」
今まで気配だけで俺たちについて来ていたウンディーネ父娘の気配に向かって半眼になる。その目の前に、何故だか小さく身をかがめた二人が姿を現した。
「……私が散歩に出たときは……いつもと変わらぬ姿でしたのに……」
ウィルは、現状を目の当たりにし、ショックのあまりか絶句してしまった。
「わしがこいつを探しに出たとき見えたあれは……あれが恐らく原因だろうな」
神妙な顔つきで、ウィルの父親がそう言った。
「あれって?」
「あれだ」
と、指差す先に見えるのは、中央の建物にかかっている一際重い色の雲。
「遠き空より向かってくるのが見えたのだ。恐らくは闇の者たちの仕掛けた物だろうが……正体は分からぬ」
「ふうん……で、それのお陰でこんなに陰気臭い街になった、と?」
「うむ」
「ええええ……行くの? 勇者さま……」
未だ俺の背中にしがみついているリンが、小さく震えながら言ってくる。嫌がる気持ちなら俺もセレンも一緒だが、行かないわけにはいかないだろう。
「お前……あの街はウィルの街だぞ? 友達になったんなら、助けてやらなきゃなんねーだろ。……但し慎重にな。かなり嫌な予感がしてるから」
「叶恵の嫌な予感って当たるんだよな……」
「たまには鈍るさ。せっかく封印解いたんだから、実力というものを発揮するチャンスだろ? セレン」
「ま、そりゃそうだ」
俺とセレンは陰気な気分を振り払い、敢えて軽口を叩きながら顔を見合わせて一つ頷くと、後ろにリンとウンディーネの父娘を引き連れて、目前に広がる陰気臭い街へとその一歩を踏み出した。
……『呪われた街』なんて呼び名がこんなにも似合う場所は初めてだ。
『呪われた街』。
……俺が勝手に付けた呼び名だが、まさにここは呪われた街だった。
俺たちは、ウィルとその親父を先頭に、街の中に踏み込んでいた。彼らが街を出たとき、かすかに兆候はあったと言うが、実際にこの街の有様を見たのは初めてだという二人のショックは、相当のものだろう。
太陽と星と空。この世界では大地と水の意味をも併せ持つ三つの宝玉を有するこの街は、大都会の雰囲気を大自然の中に融合させたような美しい街並みだったという。至る所に水路をめぐらせ、緑に溢れて。
「……ひっでえな……」
石畳の湿った道を歩きながらぼやいたのは俺だ。聞いていた情景とまるで異なる街並みに、寒気すら感じる。
水路は、所々に淀んだ水溜りを残すだけの溝と化し、緑はそれがあったことを連想させる枯れ木となって存在しているだけの、枯れた街。街中に敷かれた石畳は、湿った空気で苔むしたまま放置され、通りには人の気配がない。
「ねえ、何で誰もいないの?」
トコトコと俺とセレンの間を歩きながら、リンが能天気な声を出す。ついさっきまで、この街の雰囲気に圧倒されて震えてたくせに……お子様の適応能力というものは、やはり恐ろしい。
「お前ね、こんな不気味極まりない街中で遊んで面白いと思うか?」
俺の代わりに突っ込んだのはセレンだ。こちらも、青ざめていた顔が、少しずつではあるが血色を取り戻してきていた。
「建物の中に気配が幾つかあるみたいだから、全滅したってワケじゃないみたいだな、叶恵」
「ああ……でもこんな環境じゃ、まともな精神状態でいるのは難しいと思うけどな……」
「どうしてこんなことに……」
俺たちの前を歩くウィルが、声を震わせる。彼女にとってみれば、ちょっとした散歩の合間のこの変化だ。誰よりも衝撃は大きいに違いない。……まあその散歩というのに少なからず問題があったことは、今は黙っておこう。
「取り敢えずはおっさん、あんたが言ってたあの雲だな、あの建物まで行こう。ってかあれは何の建物なんだ?」
俺はさっきから気になっていた疑問を改めて問う。この街を見たときから嫌と言うほど目に入ってきていた、雲を貫く程の細長い建物。街中に入ってからも、それはどこにいても見えるほどの高さと存在感がある。
今は、普段見かける雲よりも数段低い位置に、一際重たい色の雲を纏っているが、これがなければどれほどの高さの物なのか……。そして何よりも、何のための建物なのか。……電波飛ばすにしたって高すぎだろ。
「うむ、あれはな……実のところ、我々も良く知らんのだ」
腕組みしながらもったいぶって、無意味にきっぱりとした口調で言い切った。……………………。
「そ……そうか……。だけどよ、なんかのシンボルだとか、普段何に使われてるのか、とかってのあるだろ?」
「う、うむ……そう言われると……」
「お父さまは殆ど行ったことがありませんでしたわね」
と、埒の明かない会話に、気を取り直したのか、ウィルが割って入る。
「あれは確かにこの街のシンボルとして古代からあったものです。下から五階程度までは、資料館として使われていますが……そこから上がどうなっているのかは、今となっては誰も知らないんです。昔は、あの建物と、表面世界が繋がっているとも言われていました」
『へえ……』
ウィルの説明に、俺とセレンが同時に声を出す。納得したような、はぐらかされたような、微妙な気分だ。結局のところ、大した情報は得られていない。
「ん……? 表面世界って、もしかして俺の住んでた世界のことか?」
「ええ、そうです。異世界とも言いますけど、古来よりこの世界の住人は、ここを内面世界、勇者様の世界を表面世界と呼んでいました」
「ふうん……」
セレンが素直に納得したような声を出す。俺としては、あの建物のてっぺんが俺の世界のどこから飛び出してるのか……そんなおかしなことを連想してしまって、納得どころではなかった。実際にはそんなものが地面から飛び出しているわけではないのだが、あの建物を見ていると、俺たちの足元から地面を割って出てきそうなくらいの勢いがあった。
「それにしても……静かだな」
「それは俺が言ったんだろ? こんな不気味な場所が賑わうハズねえってさ」
「いや、俺が言いたいのは賑やかとかそんなんじゃなくてさ」
こんな荒んだ場所が賑わうわけがないのは分かっている。賑やかではなくても人の気配はある。静かに息を潜めているのは間違いない。
……そういうことではない。
「敵の気配がないんだよ」
「あ」
これまでは道を歩いていても、闇の種族という黒ずくめの連中が襲い掛かってきていたのに、その本拠地になりかけているこの街では未だその姿を見かけていないのだ。
「言われてみると……そうだな……。こんだけ『闇』が濃けりゃ、うようよ居てもおかしくないのに」
「二人で怖いこと言わないでよぉ……」
「そ、そうですよ……。この街は、もともと『光』の強い場所ですし……入って来づらいんじゃ……」
震える声で、ウィル。
「いや、『光』が強いとかそういうのはもう問題じゃねえよ。宝玉を奪われて、『光』の中に在りながら『闇』に蝕まれてるって話じゃねえか」
ルーンの話が本当なら、俺が言ってることは正しいはずだ。ただ、『闇』に蝕まれているのが、『光』の中にある種族たちの心の中だけに限られているのなら、例の黒ずくめ連中たちとは遭遇しないのかもしれない。……となると、あの連中との戦闘という危険を冒すことなく事態を収拾させることができるのかも知れない。
……俺のこの安直な考え方、ルーンの話を聞いた後にしては楽観的だった気もするが、実は結構いい線行ってたりする。
「……ん? どうしたリン?」
考え事をしながら歩いていた俺の腰の辺りに、リンがしがみついてきた。リンの震えるちっこい手の感覚に、ふと我に返る。
「あのね、あのね……」
「どうした? お前、顔真っ青だぞ……気分悪いのか?」
「うん……」
「悪い、気付かなかったよ」
この空気に当たったんだろう。今倒れてもおかしくないほどに、リンの顔は今や急速に青ざめてきていた。俺はふらつくリンを抱き上げ、適当な建物の中に皆を誘導する。
「リン、大丈夫か?」
「ん……勇者さま……ごめんね」
「悪いリン、俺も気付かなかったんだ……」
決まり悪く言うのはセレン。男二人でリンの不調に気付かなかったとは……この上ない失態だ……。
「ううん、違うの……」
「ん?」
「何がだ?」
「うん……よく分からないんだけど……急にね、声がしたの」
「声? いやそれよりお前、あんま喋んな」
「ん……」
荷物を枕代わりにして、冷えた床にリンを寝かせる。身体の下には俺のジャケットを敷いてみたんだが、暗くじめじめしたこの室内では気休めにもなったかどうか。
俺たちが休憩場所として入り込んだ建物には、人の気配はおろか、人が住んでいた形跡もないような場所だった。
「納屋か?」
「ええ。食物や道具の保管庫として使っていた小屋ですね」
「お前らは大丈夫なのか?」
水の塊のようになっている二人に問う。俺たちとは身体の構造が全く違うもんだから、顔色がどうとかは分からない。見た目的には繊細なイメージが強いんで、リンのように突然倒れられても困る。
「私たちは今のところ……なんとか大丈夫です……。ちょっと……綺麗な水がないのが辛いですが」
ウンディーネも、この状況は相当辛いだろう。が、今は気丈にも俺たちに負担をかけまいとしているのがよくわかる。……早いとこ決着とやらを付けなければ、こちらが先にまいっちまう。
「そうか、無理すんなよ?」
「はい」
しばらく無言の時間が過ぎる。静かな空間に、リンの小さな寝息が聞こえてきた。……リンが言ってた『違う』の意味が、何となく気になっていたんだが、今は休ませることにしよう。
「なあ叶恵」
「ん?」
「リンが言ってたやつな」
「心当たりあるのか?」
「ん、まあ……リンが言うんだから間違いはないだろうから話すけど」
「だから何だよ?」
「俺にも聞こえてんだよ、声」
「声? 聞こえる?」
セレンが言うには、街の中央に向かうに従って強くなるらしいのだ、その声は。あまり好ましくない響きらしく、恐らくリンはそれに耐えられなかったんだろう。おどろおどろしい声とか言うわけではないが、聞いていて気持ちのいいものではないらしい。
「で? 具体的に言うとどんな声だ?」
話している最中も気分が悪くなってきているようなセレンに、少し酷かとは思ったが、聞いてみた。
「ん……ガキの声」
「ガキ?」
「ああ……胸くそ悪い……性格捻じ曲がった感じのクソガキ。ぜってーいい大人にはならないな」
気分が悪いのか機嫌が悪いのか判断しかねる口調で、半眼になってきっぱりと言い切った。……そんなに嫌な声なのか?
「もしかしてさ、この世界の危機ってさ……」
と、俺。
俺は直感した。
「皆まで言うな……その可能性もあるかもしれないって……今俺も思ってんだから……」
珍しく、俺の言いたいことを正確に悟ったのか、セレンも遠い目をしていた。そしてこの予感は、半ばの意味で的中していた。
「マジで静か過ぎるな……本当にこの街の住人なんているのかよ……気配だけはかろうじてあるんだが……」
ぼやきながら、休んでいる四人を納屋に残し、俺は一人廃墟のような街を歩いていた。響く靴音は湿り気を帯びて陰気臭い。
こんな静かな街に、住人が無事でいるのだろうか……。どっかで全員虫の息、なんてことになってんじゃねえのか?
嫌な予感だけは、遠くから街の風景を眺めたときから続いているが、実際に足を踏み入れると、その予感は確信に近いものだと気がついた。
大通りから裏路地、それを抜けてまた大通り……かなり大きな街だし、建物も多い。一戸建ての民家の数こそ少ないが、それは中心部よりも郊外に多いらしい。
今俺がいるこの地域には比較的大きな建物が目立つ。不思議な材質の建物は、大きなアパートだろうか。通りに面して屋根を連ねているのは商店だろう。少し離れた場所には、かなり大きくて、屋根に見たことのあるようなデザインの飾りを冠したもの、教会だろう。……崇めているのが何であるのかまでは分からないが、どこの世界に行っても、十字架のようなデザインが主流らしい。
俺は僅かに感じる気配を頼りに、教会へと向かった。
……気配といっても、はっきりと何人居るのか、などということは全く分からない。正直、感じているのは気配などではないのかもしれない。この陰気な空気の所為で、俺の集中力もかなり散漫なものになっていた。
「ま、勘だよな、実際」
また一つぼやいて、俺は両開きのドアに触れる。
……いつからだったか、壁一つ隔てた場所の殺気や何かが分かるようになったのは……。
この世界に連れて来られてからというもの、俺の第六感はどんどん逞しくなっているようだ。
ドアに張り付くようにして、中の様子を窺ってみる。……傍から見ると相当怪しいだろうこの格好……そんなことは考えないことにする。
「……取り敢えず……安全……、か」
確認するように一つ呼吸を置いて、両開きの片方をゆっくりと押し開ける。……重い。
その重い扉をゆっくりと開ける。……こう言うと簡単なようだが、実際にはかなり難しい。反動も勢いも付けず、腕の力だけで押す。全身で体重をかけてもいいんだが、それをやってしまうと、万が一の場面で油断が生じる恐れがある。
中は真っ暗だった。ただでさえ薄暗いこの街の空気の中、扉や窓を閉め切ったそこは、決して良い環境とは言えなかった。
「っ……! 何だこの空気……悪すぎ……いろいろと……」
思わず袖口で顔の下半分を覆って、踏み込むのを躊躇する。
閉め切っていた室内には、嫌というほど湿気がこもり、何かが腐ったような、酸っぱい臭いがする。どこまでも淀んだその空気の中で、微かに空気が揺れるのを感じた。揺れるその場所は、俺でなくても気付いただろう。
闇に慣れた目が気配を追っていくと、そこは大きなホールの片隅。キリスト教会でいうなら、牧師が説教を説く壇に当たるのだろう。その奥から空気が流れてくるようだ。
「こっちにも宗教なんてあるのかね……」
固定されたいくつもの長椅子の間を進み、壇の付近まで歩み寄ると、正面にステンドグラスが見えた。光のないこの空間で、どれだけの意味があるのか……。ステンドグラスに描かれたものは、外の光がないために、ただの陰気な壁飾りにしか見えない。ステンドグラスから右方向に視線を移す。壁際に、小さなドアが見えた。
気配と空気の小さな流れは、このドアからだ。
「………………中にいるんだな? 開けるぞ」
敵だろうと味方だろうと、返事を待つ気はなかった。が。
『ま、待って! あなたは誰っ?』
「?」
怯えきった女性の声が、俺の手に待ったをかけた。どうやらこの街の生存者らしい。
「……わ、悪い、ビビらせちまったか? ……俺は、そうだな……『勇者』とかって呼ばれてるんだけど……」
あまりの怯えように俺の方がびびった。若干どもりながら、俺はできるだけ穏やかな声を出してみた。
『ゆう……しゃ、さま……?』
「ああ」
やはり『様』付けで呼ばれたか。だがそれは、この世界の連中には受け入れられたと取っていい。
「開けてくれるか? 助けに来た」
多少白々しいかとは思った台詞。
『あの……証拠を……お持ちですか……?』
「証拠?」
ウィルの親父が言っていた、ルーンから貰った宝剣のことだろうか。
「……月の族長から貰った剣ならある。……それと、月と火の宝玉も、俺が持ってるが」
……きいぃ……
俺の言葉に対する回答の代わりに、甲高く小さな悲鳴を上げて、小さなドアが開いた。
少しの間。
「っ!」
びゅっ!
「何だっ?」
小さく開いたドアの隙間から、銀色に光る何かが飛び出し、反射的に思わず仰け反る。
かんっ
乾いた音を立てて壁に衝突する『何か』。……音につられて後ろを振り向くと、そこには硬い壁に垂直に突き立ったナイフ。
何ごともないだろうとタカをくくっていた。まさか殺気のこもった小さな凶器が飛んでくるとは思わなかった……。
「人質……ってワケね」
飛び退いて、後ろの壁に刺さったナイフをちらりと確認し、再び視線を小さなドアの奥に戻してから、剥き出しにされた殺気と向き合う。
見えたのは、ドアの隙間から顔を覗かせている女性らしい姿と、その奥でぎらつく二つの目。『らしい』と表現したのは、それがウィルたち水の精霊に近いイメージがあったからだ。
『よぉくアレを避けたなぁ……もぅちょっと油断してぇくれてたらぁ、顔面に突き刺さってぇ、面白いぃことになったのにぃ……』
気色の悪い声で、恍惚として喋る男の声。……こいつ……イカれてやがる……。
「そうだな、お前がもうちょっと殺気を抑えていてくれたら、今頃顔面血まみれだ」
腰に下げた剣の柄に手をかけ、俺も似たような調子で言葉を返す。男は、不気味とさえいえる狂気の笑みを浮かべ、もう一本、今度は投げてきた物よりも刃渡りの長いナイフを取り出し、歯の部分をぺろりと舐める。
……沈黙。
そして一瞬。
ぎいんっ!
俺が女の腕を掴んでこちらに引っ張り、男が大きく振りかぶったナイフを俺の顔面めがけて振り下ろす。同時に、鞘から抜き放った勢いで目の前まで引き抜いた宝剣に、男のナイフが直撃する。剣の先端が鞘に残ったままでなければ、奴のナイフの勢いにこちらが負けていたかもしれない。
「下がってろ! できるだけ離れて……っ」
がたあんっ!
「ぐうっ……」
女を助け、それを逃がそうとしていた俺だったが、完全に不意を衝かれた。
掴んでいたはずの女性の腕は、逆に俺の腕に絡み付いていた。とても女性とは思えない馬鹿力で、その変形した腕が俺の身体を宙に持ち上げ、立ち並ぶ長椅子に叩きつける。固定されているはずの長椅子が、椅子の足ごと外れて散乱する。
「う……ぐ……っ」
不自然な格好で、無様に吹っ飛ばされた俺は、もうどこをどうぶつけたのかも分からない程に、全身が痛い。……格好悪。
『…………………………』
「………………そういうこと……か」
何とか体勢を整えて、剣を支えに立ち上がる。
正面に見据えた彼女の目からは、何も読み取れない。完全に、表情と意思を無くしていた。
彼女の形態は、思ったようにウィルと近い種族のようだ。身体そのものは、何となく透明ブルーのゼリーを思わせるが、衣服はそれとは異質のものだ。ウィルたちとは違い、この街の、この種族のものであろう衣服を身に纏っている。ただし、上半身だけ。耳は魚のヒレのように大きく広がり、髪の毛は流れる水か。足というものはなく、それこそ人魚のようだった。絵本で見る人魚よりは遥かに長いし、蛇のようだと言われるとそうも見える。
ウィルと近い種族と言うなら、その目はもっと澄んでいるのだろうが、目の前の彼女を見ると、夢遊病患者を思わせる。焦点は合わず、この暗がりにも濁って見える。
「操ってるのか」
『そぉぅうだぁ』
俺の独白じみた問いかけに、あっさりと首を縦に振る。その顔には、相変わらずの狂気の笑みが満ちている。
男の方はというと、今までに見てきた黒ずくめの連中と似た雰囲気を持っている。が、フードはかぶっていないし、長いローブもマントもない。見た目よりは動きやすいのか、細い身体に何枚も重ね着しているような黒い服。素材までは分からない。至るところが銀色に鈍く光って見えるが、恐らくは全て刃物だろう。……危ない奴。
「……やりづらいな……」
暗がりに慣れてきた目だが、奴の肌の色が浅黒いことに気付く。封印を解いた後のセレンを連想してしまう。……セレンは太陽の種族とのハーフと言っていたが……。
『ひゃはぁっ!』
「ちっ」
ぎいんっ!
奴のナイフ、大きさに似合わず重い。正面から突いてきたナイフを、剣で俺の右側へ受け流す。立ち位置が入れ替わる。体勢を崩したかに思えた男は、驚くほどに身軽な動作で軽くジャンプ、並んだ長椅子の一つに飛び乗る。
「何とかと煙は……って言うけどな」
長椅子に飛び乗った奴を軽く見上げて剣を構え直す。奴は懐に手を入れて、何やら凶器を取り出す仕草。
(あの辺に隠し持つとしたら……リーチの長いものじゃ無理だよな……いや)
ごっ……っ ごがああんっ!
「うあああっ!」
鈍い破壊音とともに撒き上がる長椅子と床の欠片、そして厚く積もっていた埃。それに混じって、俺は大袈裟に叫ぶ。
『ひゃひゃぁひゃひゃあぁっ! あっけないぃっ!』
男は高らかに、気のふれたふうに笑い声を上げる。
「そうか?」
『なっ……っ』
ががんっ!
「油断大敵って言うぞ」
捲き起こる埃の中、俺は立ち上がりざまに両手を支えに床に叩きつけ、両方の足で奴の膝を蹴ったのだ。そのままバランスを崩して長椅子の座面を経由し床に転がり落ちる。
奴が懐から取り出したのは、ヌンチャクのような武器だった。……なるほどこれなら折りたたんで懐に隠し持つこともできる。
大きな動作で振り回したそれは、俺の腰の高さに揃った長椅子の背もたれを破壊し、床を傷つけ埃を巻き上げた。咄嗟にヘッドスライディングの要領で倒れ込んでいなかったら、今の攻撃をまともに受けていたに違いない。積もった埃のお陰で命拾いをした。
『きゃきゃきゃ……やぁるねぇぃ』
むしろ楽しそうに、むっくりと起き上がる男。……動作が、何やらケモノじみている。
「血だらだら流して何言ってんだよ……」
額を切ったのか、顔面の半分以上が流れ出る赤い液体に染まっていた。こんな奴でも血は赤いらしい。
改めて、剣を構える。
『俺がぁコイツを使うとぅ、皆ぁ消えぇちゃうよぉ』
言いながら取り出したのは、黒い、拳程の大きさの塊。
「おい……正気か?」
……いや、ハナから正気じゃない。奴が取り出したのは、恐らく爆弾。
「自爆する気か?」
『あとぅ、五秒くらいかなぁ。俺はぁ、消えないよぉぅ』
ふざけた口調で、男。スプラッタな顔が、さらにおぞましい。
「っ……行くぞ!」
俺は、少し離れた場所から焦点の合わない目で俺達を見ていた女の所まで走り、そのまま彼女にタックルをかけるようにして抱きかかえ、男に背を向けたまま、開け放していた玄関ドア目がけてダッシュした。
陰湿な室内から、陰気臭い屋外へ。これ程短い距離が、随分と長く感じた。直後。
ごがあぁあん……っ!
「うっ……!」
勢いに任せて飛び出したのはいいが、直後の凄まじい爆風にまともに煽られて、女を抱えたままで数メートル転がった。皮膚を熱い風が執拗に舐めていく。
「あいつ……マジかよ……」
建物の外観は、玄関ドアや窓を覗いては、原型をしっかりと留めていた。中にはちらちらと炎が見えるほかは、黒い煙が充満している。見えはしないが、手に持った状態で爆弾を爆破させたんだ……跡形も残ってはいないだろう。……気色の悪い奴だったが、最期までそれを貫くとは。
「おい、大丈夫か?」
未だ腕に抱えていた、水種族(と思われる)の女に声をかける。また襲い掛かってくるんじゃないかと内心冷や汗もんだったが、ぐったりとして動かない。
(ま、あいつが操ってたんなら、もう安心なのかも知れねえけど……)
考えてみるが、やはりいつ襲われるかという不安を抱いたままでいるのは気が進まない。ここは一つ、無理矢理にでも起こしてみるか。
「おい、起きろって」
ぺちぺちと彼女の頬を叩いてみる。……水風船みたいだな。
「おいって!」
『……んん……っ』
妙に色っぽい声を出す。
「起きろ、大丈夫か?」
ゆっくりと目を開ける。その目は、少しぼんやりしているようだったが、さっきまでの濁った色ではなかった。ウィルと同じく、深い水を湛えたような瞳。
『あの……私は……?』
「覚えてねえのか?」
『………………』
彼女は、ゆっくりと俺の腕から身を起こす。長い下半身を蛇のとぐろのように落ち着かせ、辺りを見回し、次いで俺に視線を定めた。
「大丈夫か?」
同じ質問を繰り返す。
『……はい。私は……?』
「俺が聞きてえよ。どこまで覚えてる?」
座り込んで片方の膝を抱え、何故か力が抜けてくる俺。残り少ない煙草に火をつける。俺たちの数メートル後ろには、室内に黒煙と炎をちらつかせた教会。
『貴方……勇者様ですね?』
「……ああ」
『良かった』
くたびれて半眼になりかけている俺に向かって、満面の笑みを浮かべる彼女。どうやら、完璧に自我を取り戻したらしい。
正気に戻った彼女を連れて、俺は一旦、セレンたちのもとに戻ることにした。いくらなんでもここは落ち着かない。……思わず煙草に火をつけてしまった場所だとしても。