セレンの決意と次のステージ
体中が痛くて目が覚めた。
目を開けると綺麗な夜空に月が輝いていた。近くで焚き火がはぜる心地良い音。真っ先に俺に声をかけてくれた男の、妙に甘く聞こえる声が、何故か一番安心感を与えてくれた気がする。
「叶恵、起きたのか? 大丈夫か?」
「………………セレン…………?」
「どーしたんだよ? しっかりしろって」
言って俺の顔を覗き込んでくるのは、澄んだ翡翠色の瞳だった。……不思議な奴だな……。……何となく、ぼんやりとしたままの頭で、俺はそんなことを考えていた。
「……痛ぇ……」
「お前さ、ウィルの親父さんに思いっきり吹っ飛ばされたんだよ。よく生きてたなぁお前」
ようやく身を起こした俺の背中をばんばん叩くセレン。
「いだだだっ! 痛ぇって阿呆っ!」
「あははは、悪い悪い……お前が生きたんでさ、何かこう……安心したってーかさ。あの後いきなり気絶しやがってさぁ」
少しだけ涙目になって、どことなく照れくさそうにセレンが言う。
「何だよそれ……。それより他の連中は?」
俺は辺りを見回す。俺の傍にはセレンしかいなかった。リンもウィルも、そしてあの馬鹿でかいウィルの親父とかいうバケモノも、気配がしない。
「あいつらは泉ん中だ」
「…………は?」
彼の言葉の意味が分からず、俺は間抜けな声を出していた。
セレンの説明によると、ウィルの親父さんの能力で泉の中に簡単な生活スペースを作り出したらしい。
泉を覗き込んでみても、こちらからは何も見えない。相変わらず夜空の月を照らして静かに佇んでいるだけに見える。
「外からは見えねえよ。中に異空間を作り出してるんだからな。リンも一緒に中で休んでる」
覗き込んだ俺と肩を並べるようにしながら、セレンが付け加えた。
「……お前は?」
「ん?」
「何でお前は一緒に行かなかったんだよ?」
セレンだってさっきの戦闘で相当力を使って消耗してるはずだが……。不思議に思ってセレンの顔を覗き込んだんだが、奴は遠い目をしてぼそりと呟くように言った。
「…………俺は見張りだっつって……追い出されたんだよ……」
「……はあっ? ……おいちょっと待てよ、お前はともかく俺は怪我人だぞ? 怪我人外に放っぽって何だよそれ!」
俺はあまりの理不尽さに、身体の痛みを忘れて叫んでいた。
「俺はともかくってそれこそ何だ! 俺だって疲れてんだぞ!」
「だからだったら何でだっ?」
殆ど泣きそうになりながら、俺たちはその場でコトの理不尽さに悲鳴を上げていた。そして最後に、遠い目のセレンが決定的な一言を。
「………………スペースが三人分だからだそうだ。」
「…………………………泣いていいか?」
「思う存分泣け」
かつてこれほどまでに切ない気分になったことがあっただろうか……そんな気分で俺たちは焚き火を見つめて膝を抱えた……。
「なあ」
「ん?」
「あの馬鹿でかいバケモノの力で異空間ってのを作ってるんだろ?」
「それがどうした?」
「それが何で三人分しかスペース作れないんだよ?」
「あの姿は変化したモンだ。実際には俺たちとさほど変わりない大きさだったし……あのウィルの親父だぞ……」
溜め息混じりにセレンが説明する。ウィルの親父って部分を強調したところで、何となく答えが分かってしまう。
「…………能力もその程度なのか……」
「ああ」
『ウンディーネって……』
またしても、俺たちは揃って溜め息。
ここに来る前、あれだけウンディーネ対策なんかを考えていた自分たちが本当に情けない。実際目にしたウンディーネは、散歩の途中で雲から落ちて木に絡まっていただけだったし、俺を豪快に吹っ飛ばしてくれたバケモノは、怪我人を放り出して泉の中に隠れてやがる。そんなウンディーネを天敵と定めている火の連中も、これを知ったらどんな顔をするか……。
これまでまともに敵さんと戦ってるのは俺。リンやウィルをしっかり守ってくれてんのはセレン。そんな俺たちが何故ここまできてこんな目に遭わなきゃなんねーんだよ……?
「ま、考えたって埒明かねーな」
言って俺はその場に仰向けに転がった。疲れてる時は思考回路もマイナスだ。これ以上苛つくのは疲れるだけだ。俺は煙草を取り出して転がったまま火をつけた。それを見て、セレンも俺と同じように寝そべる。
聞こえてくるのは焚き火の音と静かな波の音だけ。時々虫の声が混ざってくる。
見えているのは深い夜の空と、今では高くに昇った輝く月、煙草から立ち上る白い煙。
「月が綺麗だな……」
「ああ」
「……俺さ」
セレンがぼそりと話しかけてくる。
「ん?」
俺も何となく答える。
「俺ってさ……お前の役に立ってるか?」
「……何で?」
「いや……俺ってば戦いに全然参加できてねえような気がしてさ……リンだって参加できてんのに」
「……何言ってんだよ」
「だってよぉ」
「お前が防御に回ってくれてるお陰で、俺は思い切って前線に出れるんだぜ? お前いなかったら今頃俺だって死んでるよ」
いつになく弱気なセレンの声。戦闘で疲れているのか……泣いているわけではないが、今にも泣き出しそうなほど、彼の声は儚く聞こえた。
「セレン……?」
「……叶恵、俺さ」
「ん」
「決めたよ」
「何を?」
セレンはむっくりと起き上がった。何かを決意したように、夜空の月を見上げる。
「ちょっと怖くてさ、今まで踏ん切りつかなかったんだけど……」
「?」
「……封印、解くことにした」
「封印?」
質問には答えずに、セレンはその場に胡坐をかいて座り直す。目を閉じ、両手でいくつかの印を組み合わせ、静かに呼吸を整える。
俺もその場に起き上がって、彼の仕草に見入っていた。
「やったことねえんだけど……多分大丈夫だろ」
独り言とも取れる言葉の意味を理解するより早く。
セレンの口が不思議な旋律を紡ぐ。組んだ両の手が青白く光を帯び、やがて彼自身を包み込む。……一瞬、その光に目がくらんだ。
「………………何だ……?」
青白い光は、やがてセレンの中に吸い込まれるように薄れていき、視界を取り戻した俺が見たのは……
「セレン……? 何だよそれ……」
漆黒の髪は腰に届くほどに長く伸び、肌の色は月明かりの下でも浅黒い。こちらを見たその瞳は、輝きを増した翡翠色。夜の闇にも存在を失わない純白の翼は、一対の大きなものに変わっていた。
「……うをっ? 成功した? どうよ俺?」
「………………………………」
一瞬でも感動した俺が恥ずかしいくらいに、奴のテンションは元に戻っていた。確かに、何をやったかは知らないがセレンの外見は変わったが、中身は変わっていないようだ。
「お前……何やったんだ? 封印って何のことだよ?」
「ああ、言ってなかったよな。俺は月と太陽の種族のハーフなんだよ。今まで月の集落で暮らしてたから、太陽の種族の能力は封印してたんだ。だから、『太陽の種族の力』を解放してみたんだよ」
そんなことができるのか……。
(今は外見だけ)変化したセレンの、太陽の種族の能力というのがどういうものなのか。彼曰く、能力だけを簡潔に説明するならば、これまで防御系魔法専門だったのだが、これに攻撃魔法が加わるらしい。太陽の種族というのは結構戦闘好きらしい。ともかく、これからセレンがどう活躍してくれるのか……中身が能天気な彼のままなだけに不安でもあり、何となく楽しみな展開になってきたことは、今はまだ俺の中だけにしまっておこうと思う。
「おい、起きろ。そろそろ出発するぞ」
消えかけの焚き火を挟んだ向こうに寝転がっていたセレンを起こそうと、俺は重い頭を何とか支えながら声を出した。
ウンディーネ退治という名目でやってきた泉の傍で、結局俺たちは一夜を明かしていた。リンとウンディーネのウィル、そしてその父親という奴の三人は、ウィルの父親が作り出した異空間を利用して、泉の中で休んでいる。俺とセレンはその外で、交代で見張りをしながら夜を明かした。
交代で休む。……こう言えばお互い同じような休息時間をとっているように思うのが当然なのだが……。
「おお……おはよう……」
「おはよう。」
「何だ叶恵……疲れてんな」
「ったり前だっ!」
寝呆けた顔のセレンに思いっきり怒鳴り返す。
……この辺り、夜になると厄介な動物が出没するらしい。牙を剥いて襲い掛かってくるような物騒な奴ではないんだが、やたらと人懐こいとでもいうのか、俺たちを警戒することなく近付いて来てはちょっかいをかけてくる、小っこいサルのような動物。
寝ているセレンの腹の上で何やら遊んでいることもあったんだが、放っておいても危害がないらしく、俺はそれを黙って眺めて時間をつぶした。因みにセレンは、腹にそいつが乗っても微動だにせず熟睡していた。
ところがセレンの奴がそれにビビって何度となく寝に入った俺を起こすもんで、俺は寝不足だった。
「ったく……散々ヒトの休息を邪魔しておいて……呑気だなお前は」
「ああ、いや悪い悪い……俺気持ち悪い系って苦手でさ」
後ろ頭を掻きながら、苦笑して応えるセレン。
「お前攻撃魔法使えるんだろ? それで追い払えばいいじゃんよ……」
ジト目でセレンを睨みつつ、俺が言う。
「いやぁ……あれってば結構派手だからさ、遠慮したのよ? 俺も」
「俺には遠慮なしかよ……」
俺は溜め息を一つついて、煙草を取り出し火をつける。……そろそろ煙草がなくなりそうだ。
「軽くメシ食ったら一旦火の集落まで戻るぞ」
「おう、んじゃ俺中の奴らも起こしてくるな」
「頼むわ」
言ってセレンは泉の中へ。その後姿は、まだ暗かったときに見たままに、大きな一対の白い翼、前よりも長くなった漆黒の髪、そして今までとは正反対の浅黒い肌。どうやら性格までは変わっていないらしいが、彼はその姿になる前に、『封印を解く』と言っていた。
太陽と月の種族のハーフという彼。具体的にどんな能力を持っているのか、そんな話は彼もちらりとしか触れなかったが、いずれ分かることだろう。……ただこの直後、泉の異空間から出てきたリンが、森中に聞こえそうな悲鳴に近い声でしばらく騒ぎ立てたのは言うまでもない。
「あのフレイのおっさんも、見た目通りっつーか何つーか……」
「こんな歩きやすい道あるんなら先に言えっての。しかも何かこっちの方がやたらと近くないか?」
「ああ……昨日の苦労は何だったんだ……」
ひたすらに愚痴りながら、昇り途中の太陽が照らす小道を俺とセレンが並んで歩く。その後ろでは、俺たちと同サイズくらいに変化したウィルの父親とウィル、リンが仲良くお喋りしながらついて来る。
火の集落まではまだ時間がかかる。変化が苦手なウィルに考慮して、ギリギリまでは楽な形態で移動してもらっているわけだ。
「でさ、昨日聞きそびれたんだけど」
歩きながら振り返って、ウンディーネに話しかける。
「はい?」
「あんたらの街ってここから近いのか?」
「ええ……っと……どうだったかしら、お父様?」
「うむ。そう遠くはないはずだ。ただそれは、我々にとって、ということになるがな」
「そっか。こんくらいの速さで歩いてどのくらいかかる?」
「うーむ……難しいことを…………………………」
「…………………………分かった。いいよ」
それほど難しいことを聞いただろうか。考え込んでしまったウンディーネに呆れ、再びセレンと愚痴ろうかと思っていたその時。
「ああああっ!」
『どうしたリンっ?』
いきなり叫んだリンの声に驚いて、同時に振り返る俺とセレン。リンと一緒に歩いていた二人のウンディーネも、弾けるような水音を立てる。
「ルーンさまぁ!」
『え?』
言うなりリンは首に巻いていた真っ黒いスカーフを外してその場に座り込み、スカーフを丁寧に地面に広げる。そして自分の服のありとあらゆる場所をごそごそと探し回って、ようやく見つけ出した小さな玉を、広げたスカーフの上に置いた。
「何やってんだ? リンの奴」
俺は隣のセレンに小声で問う。
「ああ。お前は初めて見るんだったな。ルーン様との交信だよ」
「交信?」
「リンが大声上げたってことは、向こうからの合図だ。あの小さな宝玉を通してルーン様と会話ができるんだよ」
そう言えば、月の集落を出発するときにそんなことを聞いたような気もするが……交信って……電話みたいなもんか?
「ルーンさま?」
『……良かった、ようやく届きましたね、リン』
小さな玉は淡い光を帯び、ルーンの声を届けるたびに小さく波打つ。
「どういう仕掛けだ?」
「お前な、魔法に仕掛けなんかあるかよ」
小声で疑問を投げかけた俺に、苦笑して応えるセレン。彼もまた、リンの傍に歩み寄って小さな玉(セレンは宝玉と呼んでいたが、俺たちが集めているモノとは別モノのようだ)を覗き込む。
「お久し振りです、ルーン様」
『セレン……解いたのですね、封印を』
「あ……はい」
『あまり無茶をしないで下さいね。ところで』
「俺か?」
ルーンが次の言葉を出すより早く、何となく俺に話が回ってきそうだという根拠のない勘で、俺もセレンの隣に陣取る。
『叶恵様、今どこにいらっしゃるのですか? 交信ができるということは少なくとも周囲に危険はないのですね?』
「ああ、今んとこはな。どうした?」
少し焦ったようなルーンの声。俺も思わず周囲を気にしてみるが、今のところ、危険と思われるような雰囲気にはなっていない。
ルーンと会話するのは、月の集落を出てからは初めてだ。だが、今の今まで何も言ってこなかったのに、急にどうしたんだ? これまでだって、比較的平和な時間はあったはずなのに、だ。
『急ぎお伝えしなければならないことがあります』
「やっぱな」
『え?』
「急に状況が変わったんじゃなきゃ、あんたがそんな取り乱したような声出すワケねえもん」
ルーンの性格なんてものはほんのカケラ程度しか知らないんだが、俺は敢えて軽い雰囲気で応えてみた。相手が焦って連絡してきたということは、声のトーンですぐに分かる。が、それにつられてこちらも慌てた様子を見せれば、状況を間違った解釈で受け取りかねない。彼女にどの程度の動揺があるかは不明だが、俺の返答で少し落ち着いてくれればいいんだがな……。
『さすがと言うべきでしょうか……』
一つ溜め息をついて、今度はかなり落ち着いたトーンで一言。
「ってことは、やっぱ何かあったんだな?」
『…………ええ。今お話しても?』
「ああ。丁度いいから休憩にするか」
言って俺たちは、小さな宝玉を中心に、何となく輪になって座り込んだ。リンは前にも増して無邪気な顔、セレンはどことなく複雑な顔。そしてウンディーネの父娘は、澄んだ水がそこに留まるような……まあ、何とも言えない表情だ。
『私が分かっている範囲でしかお教えできませんが、今、宝玉を有する地域が……闇の勢力に飲まれてしまったと……』
『何ッ?』
『な……っ』
いきなりのルーンの言葉に、俺たちはそれぞれ似たような言葉だけを発しただけで、次の言葉が出るまでにかなりの時間を要した。
「それって……つまり」
「それってつまり、私たちの街が支配下に置かれた……闇に飲み込まれたということになりますわっ!」
あきらかに動揺しているウィル。……そりゃそうだろう。自分達の故郷が、しばらく離れているうちに闇に呑まれたとあっちゃ……。
『そうです。五つのうちの三つが闇の支配下に置かれたということになります』
俺の言葉を引き継いで、ルーンが冷ややかともとれる声で言う。……ってことは……
「絶望。……ってことじゃないんだよな? 今は」
「おい叶恵、どういうことだ? 残りの三つが敵の手にあるってのに?」
セレンの焦りの声を隣に聞いて、俺は宝玉の奥に居るであろうルーンを見つめる。
……今はまだ。俺たちはまだ間に合う。
ルーンがあまりに冷ややかに言い放ったことが引っかかった。確かに俺は、ルーンの性格に関しては知らないことの方が多いし、まともに会って話をしたのだって極々わずか。だが彼女の第一印象から察するに、この非常事態にここまで冷静でいられるだろうか。焦りや緊張というより先に、不安や悲しみに襲われるんじゃないか? だからこそ、今彼女が言ったようなことを冷静に俺たちに伝えられるのでは、と。……『まだ間に合う』という希望があるからこそ。
『ええ、その通りです叶恵様。……今ならまだ、間に合うはずです』
「続きを」
短く促す。周りの連中は、息を潜めて俺たちのやりとりを聞いている。能天気そうなウンディーネの父娘も、リンも。
ルーンの話はこうだ。
俺たちが探す宝玉のうち三つ、『月』と『火』以外のものは、隣接した地域にある。隣接といってもほぼ一箇所に集まっているらしく、それぞれを護っている種族たちも、一つの都市を作り上げて生活を共にしているという。
……これまでの平和が保たれているならば何の問題も起こらなかったはずだが、今、彼ら全てを敵視し排除しようと動き出した闇の勢力は、多くの光ある場所に住む者たちの心を惑わせた。
結果、『太陽』、『星』、『空』の宝玉を司る種族たちは、光の中に在りながら闇に蝕まれているという。
「…………なるほどな」
「勇者さまぁ~」
………………………………。……こいつは。
「リンお前なあ、ヒトがせっかく格好つけてんのになんつー間の抜けた声出すんだよ?」
いきなり聞こえた場違いな可愛らしい声に、俺のテンションもいつもの通りにいきなり戻る。
「だあって……ルーンさまのお話し難しくって……良く分かんないんだもん……」
『ごめんなさいね、リン。こうして話ができるのも貴女のお陰ですものね。頑張っているのですね』
「ルーンさまぁ……」
リンの甘えた声に応えるのは、以前にも聞いた優しい声だった。ま、リンがやたらと甘えるもんで、ルーンはしばらくそれに付き合うことになったんだが(ついでにウンディーネの父娘もそれに加わっている)……そのお陰で俺とセレンも考える時間ができた。
「火の宝玉はこれからフレイのおっさんに会って受け取るとして、だ」
「ああ。……それより叶恵、一ついいか?」
「ん?」
俺はこれからの行動について、ざっと道筋を立てようとしていたんだが、セレンが妙に改まって俺の話を遮った。
「俺も状況がよく分かんねーんだけど」
「………………」
半眼になって、セレンの翡翠色の目を見る。……どうやらフザけているわけではなさそうだ。
「いや多分リンほどじゃねえよ? たださ、三つの宝玉が敵に奪われてんのに、まだ間に合うってのはどういうことだ?」
「ああ……そういうことか。……話のまんまだって。宝玉が奪われたって言ってるけどな、それは現状をただ言葉に例えたってだけだ」
「?」
つまり、実際に宝玉が闇の勢力に『持ち去られた』というわけではない。それを守護している種族が、闇の力に呑まれかけているということだ。だから実際にはあるべきところに納まっているという意味なのだが、守護者たる者の心から光が奪われるとなると、宝玉そのものが敵に奪われるのは時間の問題だ。
「なるほどな。ってかお前……冷静だな……さすが『勇者様』ってことか」
「何だよそれ?」
「いや、俺たちだけだったらさ、そんな冷静に対応できねえよ。ルーン様でさえ……なあ」
「そうか? ま、とにかく現状は大体分かっただろ?」
「ああ」
とにかく急がなければならない状況であることは、その場に居た連中にもしっかり伝わっていた。
見ると、リンもウンディーネたちもそれぞれに納得したようだ。
「話は終わったのか?」
「うんっ! あたしもちゃんと分かったよ!」
胸を張って、やたらと元気に応えるリン。ウィルもその親父も、少し神妙な顔つきで頷いた。
『では、これから火の宝玉を受け取りに戻って下さい。私が族長に話を通しておきましょう。そこからすぐにエルアーデに向かって下さい』
「すぐにったって、ウィルたちの故郷だろ? エルアーデって場所まで急いでも俺たちの足じゃ何日かかるか……」
小さな宝玉越しに伝わるルーンの言葉に、俺は少し言葉を濁す。ウィルの親父の話じゃ、ここからかなり離れた場所にあるらしいし、俺たちの移動手段といえば徒歩だ。
『大丈夫ですわ』
静かに応えるルーン。
『火の集落の近くに『砂漠の月』と呼ばれる小さな祠があります。古からの魔法が在る場所で、エルアーデ近くの祠に瞬時にして移動できるはずです』
「へえ……ワープゾーンみたいだな……。分かった、行ってみるよ」
『『砂漠の月』へのルートは、族長が知っているはずです。集落に戻ったらもう一度、確認してみて下さい。……それでは、リン、セレン。それにウンディーネのお二人も、お気をつけて』
「はいっ、ルーンさま! あたし頑張るねっ!」
「ルーン様、そちらも用心して下さい」
「あんたも無茶するなよ?」
『ええ、大丈夫ですわ。叶恵様、皆をお願いします』
言うと、ほんのりと光を発していた宝玉から少しずつ輝きが消えていく。やがてそれは小さな、ただのガラス玉のようになり、ルーンの声の余韻を僅かに残して転がった。
「良かった」
「ん?」
小さな玉をポケットに大事にしまい込み、広げてあったスカーフの埃を払って再び自分の首に巻きつけながら、リンが小さく言った。
「ルーンさまの声、ずっと聞こえなかったから……あたしが通信の仕方忘れてるんじゃないかって心配だったの」
そうか。こいつってばやたらとモノを忘れるんだった……。いつものお子様ちっくな話ばかりでそのことをすっかり忘れていた。……時々しまった場所を忘れて時と場所を考えずに荷物をひっくり返すことはあったんだけど、いつの間にか俺たちにとっては日常のひとコマになってしまっていたようだ。それとも、実際に物忘れの程度は良くなっているのかもしれない。普段なら接することのない人や物に触れているうちに、脳が活発になってきたというか……いや……これじゃあまるっきりボケ老人の話だな…………。
「ああ、良かったな。サンキュな」
「うんっ!」
ぽんぽんとリンの頭を叩く。
「よし、行くぞ」
「おう」
「はーいっ!」
荷物をまとめて気合を入れ直す。森の出口まではもう少しかかるが、ここでウンディーネたちにも姿を変えてもらうことにした。
「無理すんなよ? いきなりバレたら火の連中もパニックだろうから」
「大丈夫です。お父様がいますので……協力し合えばずっと楽に変化していられます」
「……………………そうか?」
かなり疑問の残る俺の言葉も、ふっと見えなくなった彼女たちに届いたかどうか。ウンディーネの父娘は、水蒸気の塊になったかと思うと宙に舞い上がり、その姿すら空気に溶けて、俺たちの視界から完全に消えた。ただ気配というものはそう簡単に消せるものではないらしく、俺たちの頭上に静かに漂っている。
改めて、火の集落へと続く道を辿る。
「…………ふむ」
俺たちの顔を見るなり、やはり偉そうにふんぞり返って呻いたのは、火の族長、フレイ。これまでの状況をルーンや俺たちから一気に聞いて出たのがこの呻き声。……予想していたよりも早かったであろうこと、俺たちが殆ど無傷で(体力もそれほどには消耗していなかったし)帰ってきたこと、そしてついでに俺たちの態度が奴の癇に障ったのだろう。フレイの顔は見ていて面白いくらいに面白くない顔をしていた。
「で、宝玉は? それから……」
「ルーンから聞いておる。おい」
俺の催促の言葉を早い口調で遮って、苛立ったように控えていた老人に短く命じる。奥の部屋に引っ込んだ老人が間も無く持ってきたのは、上等そうな深紅の布に包まれた小さな玉。……宝玉だ。その中で炎の紋章がちらちらと揺れている。
「確かに預かるよ」
受け取りながら、もう一度視線をフレイに戻す。
「『砂漠の月』へは、その者が案内する」
と、宝玉を持ってきた老人を顎で指す。……って、この老人、俺たちをここに案内したあの魔法使いのじーさんだよ……アゴで使われてやんの。
「じーさんか……俺たちを案内するフリして、また奇襲でもかけるつもりかよ?」
「ふぉっふぉっ、元気だの、若いの」
よく見るとちょっと欠けた歯のある口でのんびりと笑うじーさん。やっぱ曲者だ。
「この世界の危機だというのに、そんな阿呆な真似をするはずなかろう! さっさと行って世界を救ってみせいっ!」
「言われなくてもそのつもりだっ!」
いきなり大声を上げるフレイに、こちらも怒鳴り返す。……大声を上げるフレイの顔には、焦りと動揺の色が広がっていた。彼もまた、一つの集落を束ねる族長。その世界を救うべく連れてこられた俺に対して、やはりちょっとは期待があるんだろうけど、どうやら奴の性格上、それを簡単に認めることはプライドが許さないらしい。
ま、俺もこんなおっさんに猫なで声でお願いされるのなんてまっぴらなんで、こんな感じでいいのだろう。お互いの心情というのは語らずとも分かるというものだ。これぞ男心。……………………違うな。
「よし行くぞお前ら。じーさん、頼むわ」
「ふぉっふぉっふぉっ……それでは……」
老人の貫禄とでもいうのか、いやにのんびりと構えた声と態度でフレイに一礼。俺たちもじーさんの後について、族長の屋敷を出る。
フレイの部屋を出る直前、彼の咳払いで俺は振り返った。特に何を話すわけでもなく、一瞬張り詰めたような空気が流れる。俺は軽く手を振りながら彼に背を向け、背中でプレッシャーを受け取った。
「さてと……参りますかの」
やはりゆっくりとした口調で、集落の中心であろう広場を歩く。ふと上空を見上げてみるが、さすがにウンディーネの姿は見えない。気配だけはしっかりとついて来ているようだ。
「おや、どうかされましたかな? 勇者殿?」
「あ、いや……」
「ウンディーネさんたちかい?」
「え?」
じーさんの言葉に驚きの声を上げたのはセレンだ。彼ら火の種族にとっては天敵ともいえる種族たちのことを、事も無げに聞いてきたのだから当然といえば当然か。
「なに、火と水とが相容れぬのは承知じゃが……敵対視することもなかろうて……。ワシらが攻撃でも仕掛けん限りは、友好的な種族じゃよ」
「……そうなんだ?」
俺がセレンの代わりに応える。
「じゃが、姿を消してくれているのは有り難いことよ。この集落の連中は血の気が多いからの。世界の危機を知っているとは言え、それを無視して勝手な戦でも始めかねんからのぅ……」
「ははっ、そりゃ困るわな」
「ふぉっふぉっふぉ」
世の中を悟ったようなじーさんの言葉も、世界の危機なんて非常事態を綺麗に聞き流しているようだったが、何にしろここで火の連中とモメることはなさそうだ。
俺たちはじーさんのゆっくりとした足取りに合わせて、やはりゆっくりと火の集落を後にした。