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“ウンディーネ”

「で? そのウンディーネってのは具体的にはどんな奴なんだ?」

 俺たちにあてがわれた一室で、まず口を開いたのは他ならぬ俺。俺だってその名前くらいは何かの本で読んで知ってはいるが、実物なんぞは勿論見たことはない。

「ウンディーネってのは、いわゆる水の精霊だよ。そいつらは水のある所にしか棲むことは出来ねーんだがな、体が殆ど水みたいなモンで、普通の攻撃、つまり物理的な攻撃じゃ殆どダメージらしいダメージは与えられねえって聞いてる。そこが難点なんだよな……」

 俺の質問に答えてくれたのはセレンの方だ。リンはというと何故だかワクワクしたような顔で俺たち二人の会話を聞いている。

「何だよリン。何がそんなに嬉しいんだ?」

 少しばかり不機嫌になってしまった俺が、対称的に嬉しそうなリンに問いかける。

「だあって勇者様、ウンディーネだよウンディーネ! あたし一回でいいから見てみたかったの! 噂じゃね、すんごいキレイな精霊なんだって!」

「あっそ……」

 リンの調子っ外れな返答に少々頭を抱えてみるが、そんなことをしていてもラチが明かない。まずはそのウンディーネとかいう奴の攻略法を考えなければならないだろう。

「……ってコトはさ、俺の武器じゃ殆どダメージは与えられねえってことだろ? どうやって倒すんだよ?」

 基本的な疑問を口に出す。俺の武器といえばルーンから貰ったあの宝剣。それに俺の拳や蹴りが精一杯。つまりは物理攻撃だ。勿論俺には魔法なんていうシロモノは使えないし、頼みのセレンはというと防御系専門ときてる。リンの場合は戦闘員としてはまず使えないので、この場合は外して考えるのが妥当だろう。

「あ、勇者さま」

「何だ?」

「今あたしのこと問題外みたいに考えてたでしょ?」

 恨みがましい目つきで俺のことを見上げてくるリンに、『そりゃそうだろ』という意味を込めてジト目で彼女を見やる。

「あたしにだってちゃんと勇者さまのお手伝いできるもん!」

「マジかよ……?」

 いまいち納得のいかない俺は、ちらっと横目でセレンを見てみる。彼もそのことを予測していたのか、軽く溜め息の仕草をしていたんだが、渋々のようにリンのことについて話し始めた。

「リンはな、実は防御系ってワケじゃないんだが……サポートに回ると結構できるんだよ、魔法」

「マジで?」

 俺は何度目かの台詞を繰り返した。意外といえばかなり意外な話で、驚かない方が不自然だろう。これまで二回ほど戦闘してきた中でも彼女は守られるだけのお子様だとばかり思ってたんだからな。

「意外なこともあるもんだな……」

 俺は素直に感心しておくことにした。問題は、彼女がどんなサポートをしてくれるかということだ。

「んーと……あたしはね、勇者さまの力を強くすることができるの! 例えばね……勇者さまの剣をパワーアップさせたり」

「つまりそれって、ウンディーネに攻撃できる力をつけることができるってことか?」

「うん!」

「……呪文詠唱さえ間違わなきゃな」

「…………………………」

 リンの自信満々の答えに水をさしたのは、やや冷めた目で半眼になっていたセレンだ。……確かに。俺をこの世界に連れてきた時のことを思い出した俺が、何とも言えない不安にかきたてられたのは言うまでもないだろう。

 リンが提案した魔法というのは、俺の剣に何らかの魔法をかけて、剣自体を魔法攻撃と同じ効果が現れるようにするというものだった。それで、理論的にはウンディーネにもダメージを与えることができるというのだが……。

「でもま、それ以外に方法はないだろうな」

 ふっと軽い溜め息をつきながらセレンが言う。確かに正論だろうが……俺にはどうにも納得がいかないというか何というか……複雑な心境だ。

「防御の方は俺に任せとけ。リンは俺が守る。と言うワケで、特攻隊長はお前に任せた! 頑張れ勇者様!」

 無責任なほどに明るくセレンが俺の背中をどつく。

「何でそういうことになるんですかっ?」

 思わず敬語で突っ込みを入れてみる。

「だってよ、こん中でまともに攻撃できる奴っていったらお前しかいねーじゃねか」

「……そりゃそうだけどもよ……」

 半ば強引に特攻隊長になってしまった俺は、これ以上こいつらに何を言っても無駄だということをようやく悟り、諦めて特攻隊長とやらをやることにしたのだった……。…………やはり複雑だ。

 その日のウンディーネ対策会議はこれで終了。

振舞われた食事を平らげ、各々のベッドに入るや否や寝息を立て始めたのはリンとセレン。よほど疲れていたんだろう。俺はというと、ベッドは勿論壁や床、天井からカーテンに至るまで赤ずくめのこの部屋がどうも不気味で、疲れているのは確かなのだが、なかなか寝付くことができなかった。明日はいよいよ、例のウンディーネ退治だと思うと尚更だ。


 翌朝。真っ赤なカーテンから、これまた眩しい朝日が俺たちを出迎え、俺たち三人は同時に目を覚ました。寝起きの悪い俺は相当ガラの悪い顔をしていたのだろう、リンとセレンはしばらく声をかけてこなかった。

 俺の頭がようやく目覚めて活動を始めた頃、俺たちは例の族長、くそ偉そうなでっぷりとしたおっさんの部屋へと移動していた。そういや、彼の名前を言ってなかったな……確かフレイとかいう、とてつもなく似合わない名前だ。

「さて……これが例の泉までの地図だ。大丈夫だろうな?」

 俺に地図を渡しながらやはり偉そうにおっさん……もとい、族長フレイが言う。

「ま、地図とコンパスもあるし……殆ど一本道だから迷うことはねーだろうな」

「ふっ……頼もしいの、若いの。では頼んだぞ」

「任せとけって。それじゃ行くか」

「おう」

「はあーい!」

 昨日の夜しっかりと装備を確認していた俺たちは、そのまま族長の屋敷を出て、真っ直ぐにウンディーネが棲むという泉へと向かった。


「しっかし……」

 かなり鬱陶しい下草と、これでもかという程顔面を狙ってくる木々の枝を避け、あるいは払い飛ばしながら、俺は何度目かの溜め息をついた。

 火の集落を出てから少し砂漠地帯を進む。すると忽然と森が出現したのだが……。砂漠にあるオアシス、何てモノではない。まさに森だ。そこに足を踏み入れてから歩くことしばし。俺が短気なのもあるが、それにしたって鬱陶しい。熱帯のジャングルのような場所を俺たちは歩いていた。

先頭が俺、真ん中にリンを挟んでセレンが最後尾を歩いている。先頭の俺は目の前を塞ぐ枝を払い、さらに足元、俺の膝丈以上もある下草を薙ぎ払いながらやっとのことで前進している状態だ。因みに、俺が枝や下草を払っているのはあの宝剣では勿論ない。セレンが持っていたかなり大振りのナイフを使っている。そして地図とコンパスはセレンが管理。リンは俺の背中にしっかりと引っ付いているのが精一杯というひどい道のり……一本道とはいえ……こんな場所だとはさすがに想像もしなかった。

「なあ」

「何だ?」

 俺が疲れた声で出した問いかけに、同じようにうんざりとした声で返してきたのはセレンだ。こちらもやはり俺と同じコトを考えているんだろう。

「この道ってよ……」

「ああ……」

「嘘臭いよな」

「ああ。」

 俺が半眼になって言った一言をセレンはきっぱりと肯定した。

 つまり言いたかったのはこういうことで、あの族長のフレイとかいうおっさん。俺たちを試しているのだ。

これまで彼ら一族が使っていた水源に行くにしては道が険しすぎる。普通なら当然、日々の生活に使う道を整備するはずだが、ここは獣道らしいものすらない。そんな道をわざわざ毎日のように使うだろうか。いくら真っ赤で情熱的な種族で怪しかろうと、そこまで不便なことはしないはずだ。

 しかしウンディーネという精霊の存在が確かならば、泉までの道を教えるのに迷うような地図を渡すはずはないだろう。おそらく彼らが普段使っている道は別にあって、ここは道でも何でもない、ただ泉までの最短距離がこの森の中だということだ。

「勇者さまぁ……」

「ん? どうしたリン」

 やや震える声で、俺の背中越しに呟くリン。ぴったりと俺の背中にくっ付いてるもんだから、俺には彼女の顔は見えず、ふわふわした髪の毛だけが見えているのだが……さっきよりもやけに引っ付いてくる。

「だから、何だってんだよ?」

「あのね……あのね……」

「んあ?」

「ぎゃああああっっ!」

「っ! ン何だよセレンっ?」

 いきなり叫んだのは最後尾を歩いていたセレンだ。俺は驚いて叫びざまに思いっきり振り返った。その拍子に背中に引っ付いていたリンも一緒に振り子のように俺の背中で回転した。

「きゃあああっ! きゃああああっ!」

「うわわわわわっ!」

「何だってんだよお前らッ?!」

 今や俺の正面に向かったセレンと背中のリンとを交互に見比べながら声を荒げる。何だってんだよホントにコイツらは……?

「きゃああああっイヤああああ~っ!」

「とにかくちょっと黙ってろリン!」

「ゆうしゃさまぁ……」

 俺の一括に一応少しは声のトーンを落とすリン。セレンも一緒になってやや落ち着いたようだが。

「いいか叶恵。落ち着いて良く聞け」

「てめーらが落ち着け。」

 思わず半眼になる。

「今な、お前の後ろにいるリンの髪の毛の上にな……」

「ん」

「……でっっけえ毛虫が」

「おう」

「潜り込んだ」

「………………………………で?」

『え?』

 俺のリアクションに明らかに動揺しているリンとセレンの声がハモった。……いや別にこんな森の中だし、毛虫の類はうようよしてるだろうことは無論想定の範囲内。そんなにビビることか?

「だっ……だって毛虫だぞ毛虫っ! しかも! こんなにでっけえの!」

 言ってセレンは親指と人差し指とを目いっぱい広げて大きさを強調する。言ってる彼の顔はすでに蒼白。そしてかなり腰が引けている。まあ、気持ち悪さでは毛虫というのは上位にランクインすることは分かるが。

「ったく……そんなことかよ……騒ぐほどのことでもねーだろ。おいリン、一回離れろ、取ってやるから」

「お前……虫とか平気なのかよ……?」

「あ? そりゃお前、これくらいなら何でもねーよ。ってか毛虫ごときで何騒いでんだよ。こんな森の中じゃ出ねー方が不思議だろ。ほら、そこら辺にうようよいるぞ」

 最後に意地悪く言った俺の台詞で、セレンが声にならない声をあげ、一瞬にしてパニックに陥ったようだ。適当に誤魔化すと、セレンはすぐに落ち着いたようだが。

 セレンが落ち着いたのを見て、俺はリンの束ねた髪の毛の中をもそもそと探ってみる。

「お? これか」

 セレンの言った通り、わりと巨大な真っ黒い毛虫がうごうごと髪の毛の中を動いている。まあ、多少の気持ち悪さはあったが、手袋をはめている手で、直接つまみあげてちょっと遠くへ放り投げてやる。

「ほれ、取れたぞ」

「ううう……気持ち悪いよおぅ……」

 半べそをかいて俺にしがみついてくるリン。……まったく世話が焼けるお子様だ。俺はなだめるようにぽんぽんとリンの頭を軽く叩いてやる。

「あたしもうヤダ……帰りたいよう……」

「んなこと言ったってなあ、今さら引き返すことの方が難しいぜ? 地図で見りゃ泉まであと少しだろ」

 セレンの持っている地図を覗き込んで、俺が現在地を確かめる。

「夜になりゃ蛾とか他の気持ち悪い虫も増えるだろうし、何とか進もうぜ」

 夜の森。蛾とかムカデとか、いろんな気持ち悪いモノを想像したのだろう。二人の顔がさっと青ざめる。

 大きな瞳をうるうるさせて、リンは俺の顔をじっと見ている。俺は仕方なく、自分の鞄の中に用意しておいた布切れを出した。何かの役に立つかもしれないと持っていたものだが、俺はそれをリンの頭にかぶせてぐるぐる巻きにしてやった。

因みに鞄は、月の集落を出る時に装備品としてルーンに貰ったものだ。今は旅用の大きな荷物ではなく、俺のこの鞄に全てしまってあるのだ。

「これで髪の毛に入ってくることはねーだろ。もうちょっとの辛抱だから頑張れ」

「…………うん」

 今度はしっかりとリンを負ぶって、俺たちは前進を再開した。


 小一時間ほど進んだ頃だろうか、急に目の前の風景が一変した。森が切れたのだ。切れたというよりは開けた、と言うべきだろうか。泉を中心としてかなり開けた場所だ。その周囲には相も変わらず鬱蒼とした森が茂っていたが、泉を避けるように綺麗に円を描いている。そこだけは、何かで見た砂漠のオアシス然としている。

「うわあ……綺麗な泉」

 俺の背中からぴょんと飛び降りたリンが、泉を見つめて呟いた。確かに、湧き水なのか泉の水はかなり澄んでいて、底にある砂利がくっきりと見えるほどだ。そしてかなり大きい。

「こんなとこにあのウンディーネが棲んでるってのか?」

 同じように泉を眺めながらセレンが誰にともなく呟く。

「ああ……とてもそうは思えねえけどな」

「これもまたあの嫌な族長の罠なんじゃねーのか?」

 きょろきょろと辺りを見回しながら、セレンが気の抜けたような声を出す。今のところ、妙な気配は感じないようだが……。

  ピチャン……ピチャン……

「……何だ?」

 今の今まで湧き水の音さえ静かに聞こえてきていただけの静かな泉に、何かが、そう、水滴がどこからか落ちてくるような不自然な音が俺たちの耳に入ってきた。俺よりも性能がいいと思われるリンとセレンの二人は、その音を聞くや否や俺の背中にえらい素早さでまた回りこんできた。

「…………何だよお前ら」

 半眼になって呻く俺。……ヒトを盾にしやがって……。

「いやだってほら、なあ特攻隊長」

「うん。ね、ねえ、様子見てきてよぅ」

「はあ……」

 二人を背中に庇い、溜め息をつきながらも俺はゆっくりと泉の近くに歩み寄る。あの水音が少しずつ大きく聞こえてきた。が、泉からは嫌な気配は感じられない。喧嘩慣れしている俺は、自慢じゃないが敵意や殺気というものはすぐに分かると自負している。だが泉やその周辺にはそんな気配はカケラも感じ取ることができない。

「な、何かいるか?」

 情けなく俺の背中にくっついているセレンがおどおどしたような声で聞いてくるが、それは無視。敵意や殺気は感じられないが、自分の気持ちを鎮めて辺りを探ると、何かが『いる』ような感じがする。……泉の中ではない。俺は何となく、泉の上に大きな枝を茂らせている木を見上げてみた。

「何だ? 木の上か?」

「ああ……何となく……何かいるような気配があるような……」

「おいおい……はっきりしてくれよぉ」

「うるせえよ、気が散るだろうが」

 そんなやりとりをしている間にも、例の水滴の音は速度を増してきているようだ。やっぱ上か……そう思ってもう一度見上げたその場所に、探していたものであろうものが俺の目に入ってきた。

「なあ、あれじゃねーのか?」

 我ながら緊張感のない声で二人を促す。

『え?』

 俺の言葉に同時に同じ方向に目を向ける二人。

「何だあれ……?」

 俺たちが見た場所にいたのは、何とも不思議な光景だった。

 蔓が絡まった大きな木々の一つに、何やら水の塊のようなモノが引っかかるように、かろうじてぶら下がっていた。全身がまさに水。ゼリーのように見えなくもないが、それよりも柔らかで今にも流れ落ちてきそうなモノだ。よく目を凝らして見てみると、それも水のような素材の、見たこともない服を身に纏っている、生き物であろうモノだ(この場合、『服』というのかどうかは疑問だが)。

「あれがウンディーネってやつじゃねーのか?」

 二人を振り返って、確認するようにぼそりと聞いてみる。

「……多分……そうだろうな」

「でも何であんな所にいるんだろうね……?」

『そこに誰かいるのですか?』

 不意にそのウンディーネらしき生き物が声を出した。その声も、水が流れるように、綺麗な澄んだ声だ。

「ああ。俺達は人間だよ。俺には属性なんてものはねーけど、あとの二人は月の種族のもんだ。俺たちに敵意はないが、あんたの出方次第じゃ敵に回るかもしれねーけどな」

 ここでようやく緊張感を取り戻した俺は、静かにその声に答えた。

『あの……』

「あん?」

『お願いがあるのですが……』

「あ?」

『ここから降ろして頂けないでしょうか……』

「…………は?」

 俺は一瞬絶句した。蚊の泣くようなささやかな声で、何言ってんだコイツは……? 取り敢えず敵意はないようだが……。

『実はあの……その……』

 そのウンディーネは、木の上で蔦に絡まりながら事の成り行きを話しはじめた。

 そいつの話によると、名前はウィル。性別は女だそうだ。俺達が思っていた通り水属性の代表種であるウンディーネなんだが、彼女は種族の中でも変わり者で、特に雨の日の散歩が趣味だったという。雨雲とともに少し遠出をするだけのつもりが、突然の強風に煽られて雲ごとこの地域に吹き飛ばされ、運悪く雲から足を滑らせて落ちたところがこの泉だった、と思ったらその上に茂っていた木の蔓に絡まってしまい、そのまま降りることができずにいるんだそうだ。

「…………お前……アホだろ」

『しくしくしくしく……』

泉に落ちる水滴の音が増えた。さっきから聞こえてきていた音の正体はこれだろう。

はじめの頃は火の集落の連中も時折訪れていたらしいのだが、最近ではめっきり姿を見せなくなり、一人で何とか脱出しようと頑張っては蔦に余計に絡まれる。よほど恐ろしいと思われていたウンディーネが、まさかこんなに間抜けだとはあのフレイも考えなかっただろう。……いくら火の天敵が水だったとしても、だ。

「ま、取り敢えず……」

 一つ溜め息をついて、俺は宝剣を鞘から抜き放った。と、一つ疑問が。

「あのさあ、聞いてもいいか?」

『え? はい……』

「あんた見た目水そのものなんだけどさ」

『ええ』

「自分の形態変えたりして枝からすり抜けるとか考え付かなかったワケ?」

『………………………………』

「……わかった……何も言うな……」

(本物の阿呆だコイツ)

  スパンッ

 宝剣が枝と蔦を小気味良い音とともに切り落とす。同時に、水風船が破裂するような音を立てて、不恰好に木の枝ごと着水。蔦の間をすり抜けたのだろうが、泉の水と殆ど同化してしまっていて良く分からない。

「ありがとうございます……本当に助かりました……」

 泉の表面から上半身を起こし、温泉にでも浸かっているかのような、安心しきった様子のウィルが、やはり流水のような声で礼を言う。

「これで一件落着だな」

「何か気ぃ抜けちまったよ」

 人差し指で顔を掻きながら、セレンがぼやく。あれだけビビってここまで来たのに結果がこれじゃあ、彼の気持ちもよく分かる。火の連中もこの結果にどんな顔をすることやら。

「ねえねえ、ウィルのお友達とかがいっぱいいる場所って遠い?」

 俺たちの呆れた顔を気にすることなく、リンはちゃっかりウィルと『お友達』になったようだ。

 ウンディーネの話が出たときにリンが言っていたのだが、確かに彼女は綺麗だ。生き物とか女性としてではなく、存在として美しいとでも言うのだろうか。改めてよく見てみると、澄みきった水で造った彫刻のような、不思議な感覚を覚える。

「なあ」

「ん?」

「ルーン様とどっちがイイ女だと思う?」

 ぼそりと俺にだけ聞こえる声でセレンが囁く。

「馬鹿。比べんなよ、ルーンに失礼だろ?」

「ははっ……」

 お互いに苦笑する。確かに、見た目だけならウィルの方が綺麗だろう。だが、種族も違う上にあの性分を加えて考えると、いたって自然な答えだと思う。

「さて」

 元の世界から持って来ていた煙草を懐から取り出して火をつけ、一つ煙を吐き出したところで俺がその場を仕切る。

法律違反と分かっていても、一度始めてしまった煙草という魅力に取り付かれていた俺は、いつも持ち歩いているシロモノだ。退屈なとき、考え事をするとき、そして何かをやり終えて一息つくとき。俺にとっては欠かせないものになっていた。見た目も不良だが、中身もしっかり不良だ。勿論、俺には叱ってくれる親はいないし、学校でも教師には絶対に見つからない場所で吸っている。もっとも、学校ではあまり俺に関心を示すものはいないのだが。

「一応任務完了ってことになるんだろうけどもよ」

「戻るんだろ? 火の集落に」

 『何か問題があるのか?』とでも言いたげなセレンの台詞に、俺は煙草をくわえたままで答える。

「そりゃ戻るけど、問題が二つ」

「なになに?」

 リンも話しに加わってきたが、俺は気にかけないことにした。どのみち詳しく説明したところで状況に変わりはない。

 俺は泉に浸かっているウィルの近くに座り込んだ。リンもセレンも同じように腰を下ろす。

「まず一つ目は、もうじき日が暮れる。二つ目は、ウィルを連れて火の集落に戻るべきかどうかってことだが」

「あたしもう疲れたぁ」

「お前は殆ど歩いてねーだろ」

 すでに聞き飽きた台詞に速攻突っ込みを入れてから、セレンに視線を送る。

「それもそうだな……。でもウィル連れてくのは問題ねーんじゃね?」

「へ? 何で?」

 思わず間の抜けた声が出る。水の精霊・ウンディーネと火の種族たちが相反している現状で、その本人たるウィルをあの集落に連れて行ったりしたら大事になるんじゃねーのか……?

「ウィル……だっけ、あんたさ、自分の身体ある程度変形させられるだろ?」

「あ……え、ええ」

 いきなり話を振られたウィルは、かなりどもってはいたが肯定した。自分の能力をすっかり忘れて木の枝やら蔦に絡まれていたことを思い出したのも、返答に焦った証拠であるに違いない。

「へぇ……でもよ、いくら変形させたって限界ってモンがあるんじゃねーの?」

 俺はセレンに聞いてみた。後から思い出してみればこの台詞、ウィルをフォローしているように聞こえなくもない。

「いや、俺が知ってるウンディーネってやつは結構すごくてさ、でっかくなったり小さくなったりするのもかなり自由が利くって」

 と、セレンの話を聞いていたウィルが少しずつ小さくなって見えたのは気のせいだろうか。……にしても、セレンの奴も少しは考えてやったらどーよ……とか思っている俺。

「ええ、仰る通りです。私たちは普段は水そのもののように存在していますから、形態の変化やサイズの拡大・縮小もできます」

「すごいのね、ウンディーネって!」

 何も考えていないだろうリンが口を挟む。そんなリンを優しげな瞳で微笑み返す仕草を見ると、とてもさっきまで木の枝に引っかかっていた阿呆には見えない。

「ですが……それでも私が火の集落へ行くのは……ちょっと……」

 やはりはっきりとしない返答。

「……ま、そりゃそうだろ。無理に一緒に来いとは言わねえけど、俺たちはあんたが属するところの宝玉が欲しいんだ。だからできれば俺たちをそこに案内するか、場所を詳しく教えてほしいんだが」

 何となく話題をすり替えてみる。

「今この世界が直面している事態のことですね?」

「知ってるんだな、当然」

「ええ。私たちの街も、同じように危機感を持っていますからね……って、もしかして貴方がこの世界を救って下さる勇者様なんですか?」

「あ? まあ……一応そういうコトになってるんだが」

 急に目を輝かせて身を乗り出してくるウィル。

「それならば是非とも私に協力させてください! 私たちの街は三種族が集合している大きな街です。それぞれの族長たちは状況を把握しているはずですから、一度に三つを手に入れることが出来るはずです!」

 今までののんびりした口調とは一変して、強い口調。

 どうやら俺はこの世界の危機とやらを少しばかりナメていたようだ。この阿呆がこんなにも真剣になる理由は他にない。

「で、どうすんだ? このまま俺たちと一緒に来るか?」

「勿論です。ただ、私が火の集落へ行くというのは避けた方がいいかと思いますが」

「要は正体がバレなきゃいいんだろ?」

「そうですね。……では私は姿を消して同行させて頂きます」

「え? んなことできんの?」

 いきなりやる気を見せたウィルに、俺はあからさまに驚いた声を出してしまった。

 ウィルが言うには、彼女は身体が全て水のような存在で、水というのは当然、液体、固体、気体へと変化させることができると言う。そこで彼女が出した提案というのが、身体を気体に近い状態に変化させて、他の者に気付かれないように俺たちに同行する、というものだった。

「でもちょっと難点がありまして……」

 言葉を濁らせるウィル。

「変化が苦手なんだろ」

「…………はい」

 またしてもいきなり弱気になるウィル。

「それに……」

「ん?」

「私って、水分が少なくなると体力とかそういうものがかなり減るんですよね……」

 申し訳なさそうに言うが、ここは火の種族が住まう地域。水に属する彼女にとっては、それこそ過酷な状況なのだろう。だが、そこは俺たちがなんとか誤魔化して、フォローしていくしかないか。

 そういうことで、俺たちは水の精霊・ウンディーネのウィルを連れて火の集落へと戻ることになった。

「あと、もう一つの問題なんだがな」

「もうじき日が暮れる、ってやつか?」

「ああ」

 空を見上げると、すでに太陽がかなり傾きかけて、鬱蒼とした森の中に僅かに紅い光を残すのみとなっていた。木々の陰がより一層濃くなってきている。これからあの鬱陶しい森の中を再び歩いて行くにはちょっとばかり危険がある。昼間の件にしたってそうだ。ちょっとくらいデカい毛虫ごときでぎゃあぎゃあ騒がれたんじゃ、夜の森の中を歩くのはかなり危険だ。毛虫くらいで済めばいいのだが、もしかしたら夜行性の猛獣なんかが潜んでいてもおかしくない。

「……よし。今夜はここで野宿にしようぜ。夜の森は危険だろうからな。リンやセレンも昼間の疲れが出てるみてーだし」

 言って二人の様子を窺う。二人とも、俺の言葉にあの毛虫の騒動を思い出したのか、若干青ざめているようだ。幸いなことに、荷物の中には携帯用の食糧が入っている。今夜はここで野宿をして、明朝改めてこの森を抜けることを考えようということで、話はまとまった。

 俺たちは泉のほとりに火を起こし、交代で見張りをしながら夜を明かすことにした。


  ぱちぱちぱち……

 いい音を立てて順調に薪が燃えている。木々の間から少しばかり欠けた月がのぞいている。食糧を腹に収め、四人でまったりと過ごす夜は実に平和そのもののように思えた。……が。

「………………?」

「どうした?」

 俺が急に辺りを見回したもんだから、セレンがやや不安そうな声を出した。リンも眠そうにしていたが、緊張感が含まれたセレンの言葉に、ふっと覚醒したようだ。

「……何かいるぞ……」

 言って俺はその場から立ち上がり、剣の柄に手をかける。

「獣……かしら……」

 ウィルも同じように緊張した声。

「いや……そんなんじゃねえ」

 きっぱりと否定する俺の言葉は確信に近い。獣ならばもっとこう……獰猛さを持っているはずだ。だが俺が感じたものには明らかな『殺意』のようなものがある。身体にいくつかの視線を捕らえ、その数をざっと数えてみる。泉を背に立つ俺たちに向かって、俺たちを囲むように森の中に潜んでいる気配が七つ。

「敵……か?」

 セレンも息を潜めて俺の隣に並ぶ。リンとウィルはくっ付いて、やはり同じように呼吸を抑えているようだ。

 セレンの言う『敵』というのは、月の集落で俺たちを襲ってきたあの黒ずくめの闇の種族とやらを指している。

「多分な」

 息を潜めたままで頷く。剣の柄にかけていた手に力を込めて、いつでも抜き放てるように構える。セレンは口を小さく動かし、呪文の詠唱に入っている。

「リン」

「なっ何っ?」

 いきなり名前を呼ばれて驚いたリンが、それでも小さな声で答える。

「いいチャンスだからよ、お前俺のサポートやってみろよ」

「え? う……うん」

「叶恵」

「あ?」

 呪文詠唱を終えたのか、心なしか気の抜けたような声で俺を呼ぶのは勿論セレンだ。

「お前ってさ、緊張感続かねえのな」

「うるせえ。ヒトのこと言ってる場合かよ? 相手がマジでヤバい奴だったら緊張も続くさ」

「……そうか? ま、いいか」

「リン、準備いいか?」

 ちらっと彼女に目をやると、かなり緊張した様子だが、目を閉じて両手を組み合わせ、何とか間違わずに呪文が完成したのだろう。しっかりと頷いた。それを確認してから、俺は剣を抜き放つ。

「さって……お気付きかとは思いますが……貴方がたの存在はバレバレでございます。闘う意志がございましたならば、是非とも一戦交えようかと存じますが、いかがなモンでございましょう?」

 かなりフザけた台詞を大袈裟に述べてみる。思った通り、連中はガサガサと姿を現した。中にはあからさまに、気配の中に怒りをはらませている奴もいるようだ。ま、それが俺の狙いなんだけど、実はこれが結構裏目に出てしまったりもしたのだが。

  ザザッ……っ

 足音さえ揃えて俺たちの目の前に現れたのは、夜の闇に溶け込みそうな黒装束の連中が七人。背後の森が影になってはいるが、動きのあるその姿は欠けた月明かりに不気味に浮かび上がる。

「よし……行くぞリン」

「うん!」

 セレンはウィルを背に庇い、早くも防御結界の魔法を開放、俺たちを月明かりのヴェールで包み込む。リンの可愛らしい声が俺の剣と融合、銀色の緩やかな光が剣を包む。……かくて、夜の闇が包み込んだ空間での戦闘が幕を開けた。                                                     

  ガキィンッ!

 光を帯びた俺の宝剣と漆黒の刃が交錯する。かなり重い!

「くっ……っらあっ!」

 重さに耐えるので必死だったが、更に気合を入れて何とか相手の刃を弾き返す。すぐさま体勢を立て直し、またも切りかかってくる黒装束の漆黒の刃。速いっ!

「叶恵っ! 何やってんだよっ」

 幾重にも張った光のヴェールの中で、リンとウィルを背中に庇ったセレンがじれったそうに叫んでくるが、俺にはまともに答える余裕がない。

 ……俺たちは思いもよらず苦戦を強いられていた。

 ここで俺たちを襲ってきたのは、月の集落で俺が返り討ちにした連中と似たような黒装束。だがその実力は以前の連中とはケタ違いだった。

とはいえ、その中にも実力差はかなりあるようで、襲ってきた七人のうち四人までは何とか地面に伏してもらっている。切った時に感じたあの感触は、やはり砂袋を切った時のような奇妙な感じだった。問題なのは今俺と切り結んでいる一人と、後ろに控えている二人。その二人は殆ど身動きすらせずに、俺たちの戦闘を傍観している。

三人がかりで襲ってこないことには感謝しつつも、今回は軽口を叩いている余裕がない。

「何なんだよこの重さ……普通じゃねえぞ」

 泉を背に切り結びながら、思わずぼやきが出る。なんとか自分の身体に当たることがないように、半ば祈りながらも俺はその剣を受け止めていた。

相手の刃は相当に切れるようだ。一度ならずとも森の間際まで追い込まれたことがあるが、その時に奴が切ったのは勿論俺ではなく、俺がかろうじてかわしたところの木の枝だ。大人の二の腕ほどもあっただろうか。……あんなものにちょっとでも触れられたら、俺の腕なんぞ小枝のように折れるか、あるいは切り飛ばされるか……。正直なところ、最初は恐怖に襲われて上手いこと身動き取れなかったのかとも思ったが、今感じているのは恐怖ではなかった。

別に大きさの問題ではない。実際奴が携えているのは俺の宝剣と殆ど大きさに変わりはないのだ。そのくせ、繰り出してくるそれは受け止めるのに精一杯、というほどに力強い。

(これ……一撃でも喰らったらアウトだな……。……?)

 一瞬、違和感を覚える。

 俺は相手の隙を衝いてちまちまと攻撃するのを止め、防戦に回った。俺は今まで相手にしていた奴から離れるようにしながら、傍観している二人へと攻撃の対象を変える。

「勇者さまっ、どうしたの?」

「叶恵! 何で攻撃しねえんだよっ」

 戦闘態勢を攻撃から防御に変換し、目標を切り替えて走る俺の背中から、リンとセレンの声が聞こえた。

「うるせえ外野、ちょっと黙ってろ!」

 荒い呼吸の中で一気にそれだけ叫ぶと、漆黒の刃をすり抜けて、その場にただ突っ立っていた二人の黒装束に向かって宝剣を構える!

『……ぬっ?』

 俺の狙いに気付いたか、二人は揃って同じ方向に走り出す。

 狙いに気付いた、ということは、俺の考えが正しかったことの証拠。

「リン! さっきのやつもう一回だっ!」

 ちらりとリンに目をやって、彼女の援護を二人を追って走りながら待つ。

漆黒の刃は俺の後ろを走っているが、その刃先は届かぬ距離。単に走るだけなら俺のほうが速い。今の俺の狙いは二人の黒装束に移っている。

森の影に沿って走る二人を追いかけつつ、俺は一気に間合いを詰める。……そして、リンの声が高らかに響いた!

『ル・フレ・バースト!』

「喰らえっ!」

 リンの言葉で俺の宝剣に《力》が宿った。前を走る二人が思わず振り返る。同時に、銀色に揺れる炎を纏った宝剣を力任せに薙ぎ払う!

  ゴオオウッ!

『ぬぅああああっ!』

 剣の切っ先は届かない範囲だが、剣から放たれた炎が前にいた二人と、俺のすぐ後ろに迫ってきていた黒い影をも確実に捕らえた。銀の炎が巻き起こす爆風が辺りの空気を振動させ、衝撃が俺ごと周辺を包み込んだ! 

「く……っ!」

周囲の木々は悲鳴を上げて木の葉を巻き上げ、泉は高々と波を荒げる。

瞬時にして捲き起こった轟音は、激しく耳を打ったが、それもやがて徐々に遠ざかっていった。

 ……魔法の豪炎と爆風が鎮まった頃には、戦いは終結していた。

目の前にいた黒装束二人と、後ろを追ってきていたもう一人は、跡形も無く大地の影と化したのか、姿は見えなくなっていた。

「はあっはあっ……はあ……」

 乱れた息はなかなか落ち着いてはくれなかったが、ようやく整えるための時間が出来た。俺のかなり後ろで、セレンが結界魔法を解く気配。三人が俺の傍に駆け寄って来るのとほぼ同時に、俺はその場に座り込んだ。

 終わった……。

 思った瞬間、体中から力が抜けて、座っている姿勢すら保てずに、俺は仰向けに寝転んだ。

「叶恵、叶恵っ! 大丈夫かよ?」

「うわぁあんっ、ゆうしゃさまぁ……」

 かなり焦った様子のセレンの声と、リンの涙混じりの声が重なった。

「勇者様……っ」

 ……そう言や、俺のことを『勇者様』と呼ぶ水の精霊の存在を忘れてた……思いっきり炎の術っぽいのをを使ったのだが……大丈夫なのだろうか。

 仰向けに倒れた俺の顔を覗き込む三人の心配顔を交互に見比べる。セレンはまだ不安そうな、安心したような複雑な表情。ウィルも似たようなもんだ。リンは緊張が解けたのか、涙や泥でぐちゃぐちゃだ。

「ああ、大丈夫だよ……心配ねえ……。よく頑張ったな」

 言いながら、俺はリンの頭をぽんぽんと叩く。

「怖かったよぅゆうしゃさまぁ……ひっく……」

「よくやったよホントに……セレンも、サンキュな」

「お……おう」

 ようやく人心地ついた顔のセレンに笑い返しながら、力の抜けた身体を地面から引き離すようにして座り直す。

「はぁ……まさかこんなに苦労するとはな……俺も甘かったな」

「え?」

 ぼそりと独り言のように呟いたつもりが、セレンの耳には届いてしまったようだ。

「甘かったよ」

 繰り返す。……これまでの連中のようにあっさりとケリがつくもんだと楽観していた。こんな奴らが、いやそれ以上の奴らが敵として俺たちを狙ってくる、殺しに来ると思うと、俺もこのままじゃいつかマジで殺されるかもしれない。この世界を守るどころか、リンやセレンを守ってやることすら危ういな……。戦い終わって疲れた心がそうさせるのか、『不安』や『恐怖』といったものが今更ながらに実感される。

 命がけの戦闘。そういうものを嫌でも実感させられる。相手の正体が何であれ、それを消滅させるのだ。……生きるために。とてもではないが、勝って喜んでいられる心境ではなかった。

「叶恵……らしくねーな……」

 俺の自嘲めいた言葉を聞いて、セレンも歯切れ悪くそう言った。リンも一丁前に難しい顔をしている。

「俺だってさ、今までこんな経験したことねーんだよ? ガキ同士の喧嘩とワケが違う。マジで殺し合いだもんよ……気ぃ引き締めねーとな」

 無理矢理気合を入れるフリをしながら、俺は三人の顔を見回した。

「そ、そうだよな……いきなり連れてきて殺し合いやれっつってんだ……無理ねーか……」

「そーだよ。もうちっと配慮してくんなきゃ、へなちょこ勇者様の出来上がりだぜ」

「はっ……よく言うよ」

 ちょっと強がりを言ってみるが、それを知ってセレンも調子を合わせる。苦笑混じりに俺は立ち上がった。右腕がずっしりと重い。

「………………」

「どうしたリン?」

「……ううんっ、なんでもない。ちょっと疲れちゃっただけ」

「そうか? 無理しねーで、何かあったらすぐ言うんだぞ?」

「うん」

 リンもウィルも、さっきの俺の台詞を聞いてかなり動揺していることは、言葉を交わさなくとも分かる。あの能天気なリンでさえ、必死に明るさを装っている。

「さて……ちょっと場所変えようぜ」

 俺は辺りを見回して仕切り直した。戦闘の傷跡が生々しく残っているこの場所に、長居はしたくない。心配だったのは泉への被害だったが、水源は戦闘前と変わらない様子で、清らかな水を湛えて欠けた月明かりを映していた。

 心配といえばウィル。炎の術を派手にやらかしていたんだが、彼女自身には何の被害もなかったようだ。セレンの防御魔法の中にいたお陰で、ウィルを含む三人には何の影響もなかった。爆風の煽りまでは避けられなかったようだが……その爆風に直接煽られたり泥と血と汗にまみれてみたり熱風で顔や腕がちりちりしたりしてるのは、戦ってた俺だけだったらしい。……何か切ない。

「そうだウィル」

「はい」

「あんたが木の上にぶら下がってたときさ、火の集落の連中が何度か来ただろ? そいつらが使ってた道ってどっちだ?」

「あ……えと……泉を挟んだ向こう側です」

「よし。んじゃそっち側回って少し進んだところで……」

 改めてキャンプしようか、と言いかけて俺は不意に言葉を切った。

 ……凄まじく嫌な予感がする。認めたくはなかったが、気のせいなんかじゃない。

「ど、どどどどうしたの? 勇者さま……」

 リンがこれ以上ないっていうほど不安な顔をして俺を見上げた。セレンとウィルの顔も引きつっている。……そういう俺は、こいつらよりももっと引きつった顔をしていたに違いない。

「……嫌なことって……続くな……」

「気のせい……じゃないのか……?」

「そうあって欲しいな。………………走れっ!」

  ズシ……ン……! ガサガサ…… ドォンッ!

『!』

 俺の合図で一斉に走り出す四人の足音を追いかけるように、とてつもなく重い音が森の奥から聞こえてきた。足を伝って地面から全身に響いてくる音。

 木々の不安な悲鳴。

「止まるな走れっ! 急げっ!」

「何なんだよ今度はぁっ?」

「俺が知るかぁっっ!」

「イヤああぁっ!」

「皆さん急いでっ!」

 一気に泉の反対側までダッシュし、覆いかぶさってくる邪魔な枝に構わずに、水の槍のような姿になってウィルが先頭を疾る。その後ろをセレンがリンを抱えて走り、最後は俺が突っ走る。細いが整備されたというべきだろう道を、張り出してくる枝に構わず全力疾走しているのだが、あの地響きのような重い音と、引き込まれそうなほどのプレッシャーは、離れるどころかじりじりと俺たちに迫ってきていた。

「くっ……そぉ……追いつかれるぞっ!」

「どうすりゃいいんだよっ?」

 リンを抱えたまま必死の形相で走るセレンが闇雲に叫ぶ。そうだっ!

「お前ら飛べっ!」

「って、お前はどうすんだよ?」

「俺は俺で何とかするっ、構わず飛べ!」

「勇者さまっ」

「飛べぇっ!」

  ズシィンッ!

  バサバサッ……

 俺の叫び声と後ろからの巨大な音、それに翼の音が連続して夜の森に響き渡った……!

 俺はその場で急ブレーキをかけ、宝剣を抜き放ちつつ百八十度身を転じた。急激に、視界が群青色に染まった。

「叶恵っ!」

  ドゴッ

「っ!」

 上空からセレンの声が届いた瞬間、俺の身体はものの見事に真横に吹っ飛んでいた。そのままいくつかの細い枝を薙ぎ払い、一抱えほどもある木の幹に背中から叩きつけられる!

 凄まじい衝撃が全身を襲い、呼吸が止まる。

「…………っ! かはっ……」」

 声にならない悲鳴を上げ、俺はそのままうつ伏せに地面に落ちた。意識が吹っ飛びかける。まともに意識を失ったほうが何倍も楽なんだが……そうはさせてくれなかった。

 何とか身体を持ち上げ、俺を吹っ飛ばしてくれた奴の正体を確かめようとしたが、俺に見えたのはそいつの馬鹿でかい下半身だろうものだけ。

「何……なんだ……よ……っ」

『………………お主……』

(……喋った……?)

 全身に力が入らない。体中が、鉛の鎖に縛られているように重い。起き上がろうと足掻いてみるが、痛かったんでやめた。俺の視界に一瞬だけ映った群青色のもの……あれがこいつの下半身だとしたら、相手は山なんじゃねーか……? 情けなくも俺はこのとき、人生を諦めていた。こんなバケモン相手に喧嘩なんかやってられっか……ありえねーじゃん……。

「か、叶恵―っ!」

「勇者さまぁっ!」

 木々の上から二人の声が何となく聞こえてくる。人生諦めた投げやりな心境のまま、俺は成り行きを見ていた。

『……お主』

「………………」

 バケモンがまた話しかけてくる。返事すんのも面倒くせー……。

『先程抜いていた宝剣……もしやお主……異世界の勇者か……? ならば』

「……?」

 何だコイツ……。

 俺が動かなくなったのを見てとうとう痺れを切らしたのか、上空に逃げていた三人がゆっくりと降りてきた。……あいつら……そのまま逃げればいいものを……。

「叶恵っ! 返事しろよ!」

 焦りまくったセレンの声。

「勇者さま………………あら?」

『ん?』

 心配そうなウィルの声は、間の抜けた疑問符で終わった。似たような疑問符で声のした方を見上げるバケモン。

(どうした……?)

 思わず俺も、目だけで声を追う。

「お、お父さまっ? こんな所で何をしていらっしゃるのっ?」

『…………………………はい?』

 思わず勢いで起き上がった俺とセレンの声がハモった。…………おとうさま? お父さまっつったか? こいつ?

 恐らく俺はこの時、これまでの人生の中で最も不可思議な顔をしていたと思う……。そんな顔をしたまま、俺の記憶はそこでぷっつりと途絶えてしまったんだが。

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