火の集落
「……何だよこれ」
屋敷に戻った俺に着せられた服は、かなり奇妙なものだった。これまで着ていた制服は、埃と返り血、それにナイフで傷つけられてボロボロだったので、ルーンが着替えを持ってきたのだが……。
いたって普通のTシャツ。これはいい。
が、その上から着せられたのが、あまり見たことのないデザインだった……比較的幅の広い袖口は、動くのに邪魔にならない程度だが、あちこちにベルトや宝石みたいな飾りや、俺には読めない札みたいなものが縫い付けられている。一見ごちゃごちゃしているように見えて、実は結構軽いのだ。右手で剣を使うとき用になのか、袖は折り返しやすいように柔らかくできている。全体を通して、素材は何でできているのか分からないが、かなり丈夫そうなことは、手にした直後から直接伝わってくる。
そして代わりのズボンがまた奇妙なデザインで、素材はジャケットと同じようなしっかりした素材。太い二つの皮製のベルトには、それぞれに先程使った剣を収めるためのものと、小さなウエストバッグのようなものがくっ付いている。ポケットは左右に一つずつと、尻の部分に二つ、そして太腿の辺りにも一つずつついている。
あてがわれた靴とグローブは、かなり丈夫な皮製で、奇妙な紋様(これが月の種族の紋様というやつなのだろうか)があしらってあるしっかりしたもので、まるで始めから俺のサイズに合わせて造ってあったようにジャストフィットしている。
あの剣は、始めから俺が使うように用意してあったものらしく、俺のベルトにしっくりと納まっている。よく見ると、所々に宝石のような石がはめ込まれ、丁寧な装飾が施してある、言わば宝剣だ。
「貴方様のサイズに合わせて造ってあった服ですわ。今までの服とは随分違いがあるでしょうけれど、戦闘用に丈夫にできておりますし、そのうち慣れてきますわ」
「勇者さま、似合ってるよ、それ」
受け取った服を、それでもきっちり着こなしている俺の周りを飛び回りながら、何故か嬉しそうにリンがいう。
「……まぁ仕方ねーか……。俺の制服はボロボロだしな。で? 俺はこれからどうすればいいわけ?」
用意してくれていたというのは有難いが、俺的にはどうにも不似合いな服に何とか自分を納得させて、俺はこれからのことをルーンに聞いた。
「そうですわね……まずこの世界の均衡を保っているといわれている宝玉を集めて下さい。『月』の宝玉は私が保管していますが、それは貴方様にお預けいたしますわ。あとは残りの四つの宝玉を集め、『闇』が『闇』として存在する場所……彼らの本拠地での戦いになるでしょう」
「なるほどね。で、他の宝玉ってのは何処の誰が持ってるんだ?」
俺の問いに答えたのは、ルーンではなく、外の連中を片付けに行って空振りに終わり、戻ってきていたセレンだった。
「ここは俺たち『月』種族が居る場所だからな。こんな風に、一つの集落、族長を中心にして他の種族が集まってる場所がある。一番近いのは『火』の集落だ。ここから南の方角だよ」
「その『火の種族』ってのが『火』の宝玉を持ってるんだな?」
「ああ、宝玉はその集落の族長が持ってるし、今のこの世界の状況と、あんたのことを話せば渡してくれると思うぜ」
「そうですね……」
俺たちの会話の中に、少し遠慮がちにルーンが割って入ってきた。考え込むような素振りを見せ、やや俯き加減なその横顔が妙に色っぽい。
「私からも他の族長に知らせておきますわ。その方が何かと動きやすいでしょうし……」
「ああ、頼むよルーン……さん」
思わず呼び捨てにしそうになったんで、あとから微妙なニュアンスで『さん』付けしておいた。
「それじゃ、早いとこ出かけようよ!」
無意味に飛び回り、場違いなほどにはしゃぎながら、リンが能天気な声を上げた。
「出掛ける……って……お前も行く気かよっ?」
「もっちろん! だって、ルーン様と通信できるの、あたしだけだし」
何故か胸を張り、堂々と言い張るリン。セレンはこのことを予想していたのか、呆れた顔をしているだけだったが、俺は納得できなかった。
「冗っ談じゃねーよ! お前といるとロクなことがねーからな!」
「まあまあ、そう言うな叶恵。コイツの言い分は正しいんだよ。これも運命と思って、犬に噛まれたとでも納得して連れてくしかねーんだ。実際、何かあったときにルーン様に報告できる能力持ってるのもリンだけだからな」
俺を説得するように(だが説得力がない)俺の肩に手を置いて、諦めたような口調でセレンがいう。俺は何も言えないまま、恐らく変えることができないであろうこの状況を恨めしく思った。
「大丈夫だって、俺も行くからさ。どのみち道案内は必要だろうしな」
「それは構わねーけどよ……」
歯切れの悪い俺の言葉をしっかりと肯定と受け止めたのか、メイドからなにやら包みのような荷物を受け取るセレン。
俺はなにやら腑に落ちないままだったが、ルーンとメイドに見送られ、たいして落ち着く間も無く、屋敷を後にすることになった。
ここから南にあるという『火の種族』が営む集落とやらを目指し、俺たち三人は旅路についたのだった。俺の心の準備というヤツは、誰にも待ってもらえなかった……。
「暑っちー……」
「暑いな……」
「暑いよぅー」
『火の種族』が住まうという場所を目指して、徒歩での旅を続けていた俺たちだったが、ルーンたちの集落を後にしてまだ間もない頃からすでにヘバっていた。遠足気分はしばらく前に姿を消し、黙々としたただの行進。
暑い……。容赦なく照らしてくる太陽の光は、遮るものがないことをいいことに、直接俺たちの頭上に出血大サービスだと言わんばかりだ。おまけに、乾いた土の地面や石ころだらけの地面も、それを照り返して暑いことこの上ない。それに加えて、歩きにくい。舗装されているワケではないのだから当然といえば当然だろう。
月の集落を出て、しばらく歩いたときだったろうか、集落独特の雰囲気を抜け出た頃から、急に辺りの気温が上がっている。
俺は暑すぎるジャケットを脱いで、適当に腰の辺りに巻いてみた。……これはこれで腰の辺りがムレるかもしれないが、今はそんなことを考える余裕さえも俺にはなかった。
ふと前を歩いているセレンを見ると、彼も俺と似たような格好になっている。彼は巻いていたバンダナで、背に垂らしていた漆黒の髪を上にぐちゃぐちゃに結い上げ、着ていたジャケットも脱いで肩に掛けている。
リンはというと……
「あっついよぉぅ……あっついよぅ勇者さまぁ……あっついし……あたしもう歩けないよぉ」
……さっきから駄々をこねている。
「少し静かにしてくれよ……俺たちだって暑いのは同じなんだからよ……」
自分で聞いても何ともやる気の無さそうな声で言ってみるが、駄々をこねているリンの耳にはこの言葉は届いていないだろう。まあ、届いていたとしても、状況が変わるとも思えないが。
「ホント暑いな……この辺……」
「ああ、俺たちの集落……というか、集落の周囲はその種族にとって過ごしやすい環境になってるからな。そこを出ちまったら……こんなもんよ……」
説明してくれるセレンの言葉もかなり力ない。
何十キロも歩いてきたわけではないのだが、この気候の所為で体力が奪われているのだろう。
因みに、一度俺がその翼で飛んでいくことを提案したが、この翼、実は走るのと同じくらいの体力を消耗するらしく、あっさりとお断りされたのだ。
「暑いったってなぁ……」
俺も一つ溜め息をついて一度足を止め、周囲を見回す。どこか影になる場所を探して、取り敢えず休めそうな場所を探してみる。
「ん? おいリン、セレン」
「ん~……何だ叶恵?」
俺の言葉に、すでに地面にへたり込んでいるセレンが顔だけ上げてこちらを見る。リンはその彼に背中を預けて、こちらもぐったりしているようだ。
(こいつらって……かなり体力ないのか?)
思ったことは言葉にしないで、セレンの視線を俺と同じ方向に向けさせる。
「お? 木か?」
「ああ、かなりでかいぜ? あそこの影なら三人入っても大丈夫そうだ。それまでもうちっとだから頑張れよ、ほれ」
言ってセレンの腕を掴んで半ば無理矢理に立ち上がらせる。セレンが立ち上がったもんだから、彼に寄りかかっているリンは、そのままポテッ、っと地面に倒れ込んだ。
「おいリン、しっかりしろよ」
まるで兄貴のようにリンのことを気遣うセレンだが、俺にはなにやら違和感があって、彼らの間に割って入った。
「リン……? おいっリンっ!」
「な、どうしたんだよ、叶恵」
言葉の響きにセレンも嫌なものを感じたのか、焦りと不安の混じった顔で俺とリンを交互に見やっている。
「……この暑さの所為だな……多分日射病だろうな。早いとここいつを運ぶんだ」
「あ、ああ」
セレンがおぶってやると言ってくれた好意は有難いが、自分も暑さと体力の限界でふらふらしている。セレンに任せるよりは俺が運んだ方が早い。
俺はリンを背中に負い、ふらふらしているセレンの腕を支えて、そう遠くない巨木を目指して歩いていった。俺の足も、慣れない遠歩きの所為でもうガタガタだった。
「これでしばらく休めば大丈夫だろ」
リンの頭に冷たいタオルを乗せて、セレンに出してもらった冷たい水でリンの身体を冷やしてやる。
「すまねえな」
木陰に吹いてくる心地良い風と冷たい水で、何とか元気を取り戻しつつあるセレンがボソッと言った。
「謝んなくていいって……。俺だって気遣いとかできねーからさ、まさかリンが倒れるとは思ってなかったしな」
寝ているリンを起こさないようにしながら、俺も小声で答える。リンは今は落ち着いているようだが、医者がいないので正直何とも言えない状況だった。日射病とか熱射病とか、言葉は聞いたことはあるんだが、正しい処置の仕方は俺にも分からない。そのことは、一応セレンに伝えてはある。彼も多少不安があるようだったが、今は見守るしかない。
「俺たち『月』の種族ってのはさ、この世界のどの種族よりも体力無いのが多いんだよ。……道案内役買ってついてきて、結果足手まといになってちゃ意味ねえじゃん……」
セレンの最後の言葉は少し自嘲めいて聞こえて、セレンに目をやると、静かに寝息を立て始めていた。
村を出てからもう五時間近く歩きっぱなしで、相当疲れているんだろう。そういう俺も、かなり疲れていた。旅の続きは明日だな。ありがたいことに、陽も傾いてきている。少しずつ弱くなってくる陽射しに感謝しながら、今度は冷えないようにジャケットを腰からほどく。
二人の寝顔を見ているうちに俺にも睡魔が寄ってきたようで、セレンと肩を並べて、今夜はここで野宿することにした。
(寝てる最中に変な連中襲ってこないだろうな……)
そんな不安もないわけではなかったが、眠気の方が今は勝っている。俺は焚き火を作って少し、いやかなり多めに薪をくべた。
だんだんと容赦のない陽の光が優しさを増し、山間に沈んでいく時間。周囲に敵意がないことをもう一度確認して、用心のために装備品はそのままで、俺も眠りについた。
次の朝、昨日とはうって変わって元気すぎるほどに元気なリンが、俺達をたたき起こした。
辺りはまだ朝もやがかかっている早朝。寝起きの悪い俺は、目は覚めていても起き上がる気にはなれず、ややしばらく寝たフリをしていたが、横を向いて寝ていた俺の腹に……つまり横っ腹に乗っかってきたリンに無理矢理起こされてしまった。
「おお……こりゃ美味そうだな」
「わーい! お弁当!」
「頂きます、ルーン様」
昨日出がけにセレンが貰っていた包みには、三人分の弁当がぎっしり詰まっていた。口々に賛辞の言葉を見えない製作者に送りながらも、フォークの動きは止まらなかった。
確かに、美味い。
(あのメイドのばあちゃんもなかなかやるなぁ)
三人しか居ないのにやたらと賑やかな朝食を済ませると、俺たちはすぐに出発の準備を始めた。セレンが昨日貰った包みには、弁当の他にも保存食品や旅に必要そうなものもしっかり備わっていた。さすが年の功、というところだろうか。
「準備たって、何もないぜ?」
荷物をまとめて背中の辺りに括りつけたセレンが怪訝そうに俺の顔を覗き込む。
「いーや、甘い! お前らが暑さに弱い上に体力にも自信がないと知った以上、旅の障害となるものは今のうちに片付けとくべきだ」
俺はきっぱりと言い切って、まず昨日助けてもらったこの巨木に一礼。それからその木を登って、丁度いい具合の枝を一本拝借した。
「まずこれな。日傘の代わりくらいにはなるだろうから」
言ってそれをセレンに渡す。そしてそのままセレンの後ろに回りこんで、まずセレンが背負った荷物を奪う。次に彼の長い髪の毛をいじり始める。昨日のアレではいくらなんでも浮浪者に見える。…………一般的に『不良』と呼ばれている俺でさえも思うのだから、よっぽどタチが悪いと思ってもらえるだろうか。
「わっ、叶恵! 何すんだよっ?」
「いいからじっとしてろって!」
抗議するセレンを無視して、彼の長い髪の毛をポニーテールのように結い上げて、彼のバンダナをその上からさらに巻きつける。
「どうだ! これでちったあスッキリしただろ」
「お、おお……」
自分の頭を触りながら、一応『感嘆』と呼べるであろう声を出すセレン。
「勇者さまぁ、あたしもあたしも!」
「はいはい」
言うなりリンは、すでに後ろ頭を俺に向けてスタンバイ完了。
「お前さあ」
「なに?」
「自分で髪の毛いじったりできるだろ? 女の子なんだしよ?」
「できないんだもん。いつもはルーンさまがやってくれてるし」
「ちっとは覚えろよな……」
俺はぼやきながらもリンのくしゃくしゃの髪の毛を梳かす。……が、こいつがかなりの厄介モンで、まず櫛が通らない。髪の量も多いもんだから時間がかかる。
それでも何とか、リンの髪を一箇所にまとめて結い上げることに成功した。リンが駄々をこねるんで、両耳の前に少しだけ、ウエーブの整った一束をたらすことにした。
「お前ってさ……」
セレンがなにやら感心したような声で俺に言ってきた。
「何だよ?」
「勇者っていうよりは保護者だな、それ」
「うるせぇ」
何だかんだで時間をつぶしたが、俺たちはようやく、昨日歩いてきた場所に到着した。機に寄り道する前に通っていた、『火の集落』へと続くルートの上だ。
「方角は?」
「このまま南に真っ直ぐだ。少しずつ砂漠が増えてくるからな」
「そうか。んじゃ、行くか」
「はーいっ」
リンの元気すぎる返事に、俺たちは顔を見合わせて苦笑。それを合図に歩き出した。
歩きにくい場所が増えてきた。これまで土肌むき出しで、辺りには結構緑もあったんだが、徐々に石や岩がごつごつと主張してきて、木も減ってきた。石や岩が砂利道へと変わり、それもやがて細かくなり、俺たちはとうとう砂漠地帯へと足を踏み入れていた。砂に足を取られて歩きにくい。
「ところでお前ら、大丈夫か?」
最初は何やかやと話しながら歩いてきた二人だが、途中から言葉数が減っている。疲れてきた証拠だろう。
「ん? ああ……俺はまだ大丈夫だぜ?」
「あたしは疲れたぁー……もう歩けない」
いうなりリンはその場に座り込んでしまった。一応小さなリンに合わせるようにゆっくり歩いてきたんだが、やはり彼女にとっては過酷な旅路だ。
「……しょーがねーなぁ……」
俺は仕方なくリンをおぶって、少しペースを落として再び歩き出した。
「いーなぁリン……ゆーしゃさまぁ、俺もおんぶ」
「気色悪いこと言うなっ」
「気色悪いって言うなよ……傷ついちゃうぞ、俺は……」
「うるっ…………しっ、静かに!」
尚も猫撫で声で続けてくるセレンの声を遮って、俺は辺りに注意を向ける。
ゆっくりとリンを背中から下ろしてセレンに預け、二人に『離れてろ』と言い残して自分の気配を絶つように息を潜める。何となくいつもの癖で、反射的に身構えてしまう。目だけで僅かに残っている潅木の陰や張り出した岩の陰に注意を向ける。
「……敵か?」
「ああ。近くに居るな……ざっと五・六人」
俺が言うと、セレンは俺から少し離れた場所へリンを抱えて移動し、なにやら呪文を唱え始めた。俺も自分の腰にあるモノを抜き放つ。
「さあって。バレてんだから隠れても意味ねえよ、出て来い」
ザザザッ
『我らの気配を感じ取るとは……なかなかやるではないか』
「アレで気配消してたってんなら笑っちゃうぜ」
潅木や岩の陰から現れたのは、俺が予想したとおり六人だった。全員が炎のように紅いローブを纏って、顔だけがはっきりと分かる。それぞれに赤い髪と赤い瞳。炎の紋章の入った短い棒のようなものを携えている。
「見た目だけで判断しちゃいけないって言われてるけど……お宅ら『火』の種族の連中だろ?」
『その通り。族長様の命令でお主らの力量を測りに馳せ参じた』
言うと赤ローブたちは口々に呪文を唱え始めた。
(まずい……)
ここに来てから戦ったのはあの黒ずくめ連中だけだ。それにあいつらは魔法というものを使わなかった。だからこそ勝てた相手なんだが……相手が魔法使いである以上、この間と同じようには相手できない。
じわりじわりと間を広げていく連中を見ると、どうやらロングリーチの魔法かなんかで俺を近づけないようにしてくるのだろう。
魔法使いと喧嘩なんぞしたことはないが、相手が間合いを取りたがっているのなら、俺が逆に間を詰めればいい。
「こんなとこでビビってたんじゃ、後で笑いのネタにされちまうな」
苦笑混じりにぼやいて、俺は剣を持ち直し、覚悟を決める。一気に間合いを詰めるべく一番手近に居た一人に狙いを定めた。
相手の間合いに一気に疾り、あと一歩というとき!
ゴウッ!
「うおっ!」
俺が相手の間合いに入る直前、横合いから炎の槍のようなものが俺の目の前をかすめていった。
寸前に勘だけで身を仰け反らせて直撃は避けたが……早い!
だがしかし! 喧嘩で鍛えた俺の体術をナメてもらっちゃ困る。上半身を反らしたそのままで、俺は左手を地面につき、そこを支点に目の前の赤ローブに回し蹴りを放つ! 狙いはその膝!
「おらぁっ!」
げしんっ!
『うをっ……』
俺の回し蹴りをまともに喰らった赤ローブは、そのままバランスを崩して身体が大きく揺らいだ。その間、急いで体勢を立て直した俺のハイキックがそいつの顎を直撃し、そいつは地面に倒れ込んだ。脳震盪でも起こしたんだろう。
それを見ていたほかの赤ローブは、何故か呪文を唱えていた口を動かすのを止め、印を切るような手の動きさえも止めていた。
「……何だよ、もうお仕舞いか?」
自分の殺気を少しずつ消すと、奴らの中の敵意も完全に消えていることがだんだんと分かってくる。
『はじめに言ったであろう……おぬしの力量を見るためだと。……これだけの魔導士を相手に怯むこともなく、うち一人をノックアウトか……。合格じゃ。ついて来なされ。族長様が待っておる』
俺としてはどうにも腑に落ちない部分があったんだが、他に何事もなく族長に会えるというならそれが一番いいだろう。何せこちらには戦闘員が俺以外いないんだからな。おまけに連れの二人は、慣れない旅で疲れ切っている。……旅慣れないというなら俺も同じなんだがなぁ……。
俺は抜き身のまま右手にぶら下げていた剣を鞘に戻すと、セレンとリンのいる場所まで少し戻り、二人に事情を説明した。
「へえぇ……ここが『火』の集落かぁ」
きょろきょろと落ち着きなく周りを見ながら、何故か嬉しそうなリン。……さっきまでの疲れはどこへ行ったんだ……?
「ここでお待ち下され。今族長様を呼びに行かせておりますゆえ」
真っ赤なローブはこの種族の普段着らしい。道行く人々は揃って似通ったローブを着ている。このクソ熱いのに、見ているだけで余計に暑苦しい。
「こいつは……俺たちの集落とは大違いだな」
リンと同じように辺りを眺めながら、今度はセレンが言う。
確かに、火の種族らしいっちゃそれまでなんだけど……どっかの宗教団体とか怪しいグループ活動みたいだぞ、それ。
「お前ここ初めてなのか? セレン」
「ああ。俺たちは他の種族とは殆ど関わらないで生きてるからな。それぞれのエリアは大体知ってるけど」
「ふーん……」
俺たちが案内された場所は、中央に大きな松明が掲げられた広場の一角。造り的には月の集落と大差ないように思えるが、村人たち(この場合、種族たちと言った方が適切かもしれない)の統一感には圧倒される。
松明には炎が点っているが不思議と熱くはない。火というより灯りの役割の方が大きいんだろう。広場にも、その周辺の家にも同じような紋章(つまりこれが炎の紋章なのだろう)が飾られている。
俺たちが呑気に会話していると、赤ローブのじーさんが迎えに来た。
「これから案内するところがワシらの族長様のお屋敷じゃ。かなり怖いと評判の方での、注意されよ、お若いの」
昔はそれさえも赤かったのだろう長い白い髭を撫でながら、嬉しそうに言ってのけるじーさん。……これもかなりの曲者だろう。
じーさんに案内されて広場を抜けると、村の一番奥まった場所に、一際大きな屋敷が見えた。
殆どの色が赤で統一されている。見ていると他の家屋の敷石までもが赤。そして住んでいる人たちの服も、デザインはそれぞれ違うが赤で統一されている。……何に対してそんなに赤く情熱的なのだろうか……。
案内された屋敷の赤い扉を開け、幾つかの部屋を通過する。その奥にやたらと偉そうな、でっぷりとしたおっさんが座っていた。これが『火』の族長だろう。
俺たちは来客用の席に通された。
「お主らか。我輩の送った偵察隊を追い返した若者たちというのは」
「ああ。偵察にしては少し仰々しかったけどな」
「お、おい、叶恵……っ」
おっさんのやたらと偉そうなその態度にむっとして、俺は思わず喧嘩腰になって言葉を返してしまった。横で小さくセレンが小突く。
「はっはっはっ……元気がいいな、若いの。ルーンから話は聞いておるし、この世界の均衡が崩れ出しているのも知っている。我輩が所持している宝玉を必要としていることもな」
「……なら、その宝玉を俺たちに預けていただけませんか?」
今度はセレンが口を挟む。
「うむ。異世界から勇者を招いてここまでやって来たというなら、それが道理じゃろう……だがな」
言って一旦言葉を区切る。でっぷりとした身体を若干乗り出して、意味ありげな表情。
その表情が気色悪かったのか、さっきから黙り込んでいたリンがさらに小さくなってじりっと身を引いた。どうやらこういうタイプのおっさんはリンの苦手なところなのだろう。……俺だってこんなクソ偉そうなオヤジ大嫌いだが。
「タダじゃくれなさそうだな。条件を聞こうか?」
族長のおっさんが口を開く前に、俺が口を開いた。それを聞いて、おっさんはニヤリと笑うと椅子に座り直した。
「察しがいいな。まあワシとしてもこの世界の均衡を元に戻すことを最終目的としておるのだ……勘違いせんでもらいたいのだが……。その条件というのはだな、この集落の近くの泉に棲まうモンスターを倒して欲しいというものだ」
「モンスター?」
「我らは『火』の種族ではあるが、やはり生活には水というものが必要でな。唯一の水源だったその泉に我らの天敵ともいえるモンスターが棲み付きおって困っとるんじゃ」
「『火』の天敵ていや水か……」
族長の話を聞いて考え込んだのはセレンだ。……まあ、火を消すのに水を使うのと同じで、『火』属性の連中には天敵ってわけか。
「左様。どこかから迷い込んできたらしくてな、そのウンディーネが」
『ウンディーネっ?』
声を揃えて叫んだのは、俺じゃない。リンとセレンだ。
俺も物語か何かで聞いたことがある名前だが、ウンディーネっていえば、かなりポピュラーな水の精霊……そいつが強いのかどうかはともかく、俺たちは宝玉を手に入れる前にそいつをどうにかしなきゃならないらしい。
敵さんの情報はあとで二人に聞くことにして、俺は仕方なく、族長の提案を呑むことにした。
(なんか……厄介なことになってきやがったなぁ……)
俺たちの心中などお構い無しで、でっぷりした『火』の族長は満足気に、鷹揚に頷いていた。
かくして、俺たち三人は屋敷内に部屋をあてがわれ、宝玉と交換条件に引き受けてしまった、泉に棲まうウンディーネとかいう精霊退治の準備を始めることになったのだった。