危機と冒険の始まり
「……何からお話しましょうか……」
ルーンは静かにそう言うと、しばらく考え込むような仕草を見せたが、間も無く話を始めた。それは、何故か俺自身に関する内容が殆どだった。
「叶恵様、貴方のご両親様のお名前は、確か様と様、だったと記憶しておりますが……」
「あ、ああ……」
突然両親の名前を挙げられて、俺の声がどもる。確かに俺の父親は恵吾、そして母親は叶要だ。だが何故、このことをルーンが知っている? 俺の怪訝な顔を見て、ルーンが話を続けた。
「ご両親様のお名前を一文字ずつ受け継いでいらっしゃるのですね。私がまず貴方にお教えしておかなくてはならない話は、貴方のご両親様のことです」
「俺の……両親のこと?」
オウム返しに俺が問う。一つ頷いてから、ルーンのおとぎ話のような話が始まった。
俺の両親、恵吾と叶要は、俺が物心ついてすぐに俺の前から姿を消した。そのとき最初に居なくなったのは父親の方だったが、母親はそれについて俺に詳しい事情を言わなかった。
恵吾がいなくなったのには理由があった。そしてその理由というのが、今の俺と全く同じだったのだ。……つまり、この世界が危機に晒されている、そしてそれを救うための勇者として、この世界に招かれたというのだ。
そして数年後、恵吾は母・叶要をこの世界に招き、共に暮らしていくことを選んだという。
俺の父・恵吾が招かれたときの状況。それはどこにでもあるロールプレイングゲームのような、ありきたりでファンタジーそのもののような内容だった。
俺たちのいる世界も含めてこの世には『光』と『闇』が混在する。この世界……地球の裏側というこの世界では、それが顕著に現れているという。例えばルーンやリン、そしてセレンなどが属する種族というのが『光』ならば、この世界を危機に陥れている輩が『闇』なのだそうだ。悪魔とか魔王とか、そういう『悪』のイメージが近いと思ってもらえるといい。
その『闇』に属する種族たちが、こぞって『光』の種族を襲撃、支配して世界の均衡が崩れた。それを元に戻すべく、『闇』が『闇』である場所に戻るべく撃退するように依頼されたのが俺の親父、恵吾だった。
彼はそのときの『光』種族の有志を引き連れて、見事にそれを成し遂げた。……そして、あまりに居心地のいいこの場所に定住することを考え出し、俺に断りもなく母親さえも連れ出してしまった。
「んじゃ、俺の両親もこの世界にいるのかっ?」
あまりに現実離れしたルーンの話に、妙な方向から突っ込みを入れる俺。ルーンは紅茶を一口含んでから、多少気まずそうに頷いた。
「ああ、それなら俺も聞いたことあるぜ? 異世界から来た人間が今でもこの世界に居座ってるって」
俺の質問に答えたのは、ルーンではなくセレンだった。
「マジかよ……? で? 今何処にいんだよ?」
話の矛先をセレンに向けて、俺は両親の居所を聞き出すべく彼に話しかけた。だがセレンは首を振り、代わりにクッキーを一つ口に放り込んだだけだった。
「恵吾様と叶要様は、今は里から離れた場所でひっそりと暮らしていると聞いておりますが……その場所は残念ながら私には分かりません……」
申し訳無さそうに、ルーンが謝る。
「そっか……いや、悪いな、話の腰折っちまって……続けてくれ。俺をここに呼んだ理由ってやつをさ」
「……そうでしたわね……。今回貴方様にここに来て頂いたのは、先程話したように『闇』の勢力が再びよからぬ動きを見せているからですわ」
「そう、それをやっつけるために、勇者様に来てもらったの!」
ルーンが言い終わるや否や声を上げたのは、紅茶やらクッキーやらで口の周りをべとべとに汚していたリンだった。そして俺は何故か、制服に入っていたハンカチで、彼女の汚れをがしがし拭いてしまっていた。……結構……俺ってば面倒見がいいのか……?
「だったら、俺より先にこっちにいる親父にまた頼めばいいじゃんか」
リンの口の周りを乱暴に拭きながら、俺はルーンに向き直った。
「それが……先程も申し上げたようにお二人の居場所が分からないのです。それに、恐らく恵吾様は相手にお顔を知られておりますし、そのことを考慮しても以前のようには戦えない状況なのですわ。それで、今回はお二人のご子息である貴方様にお願いしているのです。今この世界は均衡が崩れ始め、すでにいくつかの集落がその手に落ちたと聞いておりますが……この集落とその周辺の地域は私の力で何とか護っているのです。それでも、この力ももうすぐ限界……。私の力の尽きるその前に、この世界の均衡を保つための五つの宝玉を手に入れて、『闇』の勢力を打ち砕く必要があるのです」
ルーンの言葉には悲痛な響きがあった。思わず真剣に聞き入っていた俺だったが、疑問がないわけでもない。俺の両親はともかくとして、具体的に敵というのはどういう存在で、どんな手を使ってこの世界に侵略してきているのか、そしてその目的。それから、宝玉ってのは一体何のことだろうか……。声に出さなかったその疑問の一つに答えてくれたのは、隣で紅茶をすすっていたセレンだった。
「この世界にはな、いくつかの種族が存在してる。それぞれの種族の証とでもいうのかな、その宝玉ってのは。俺たちの種族は『月』の宝玉だ。これはルーン様が持ってるから、残る主要な宝玉は『太陽』、『星』、『火』、そして『空』の四つだ」
「ちなみにね、大地とか水、風っていうのは『空』に属してるのよ」
セレンの言葉を引き継ぐように、自慢げに言ったのは言うまでもなくリン。またしても訝しげな顔をしていた俺の表情を見たのか、セレンが付け足してくれたが。
「言ったろ? ここは地球の裏側だって。だから、叶恵が大地だと思ってるもんは俺たちにとっては空なんだよ。風船の内側に足をつけて立ってると考えりゃいい。ま、外に出て上見れば分かるよ。空に海が見えるし、天体望遠鏡でも持ってくれば、向こうの町も見えるしな」
「ますますワケ分からん……混乱してきたよ」
俺は一通り話を聞いて、頭をかきながら席を立った。頭の中を整理するにはまだもう少し時間がかかるだろう。それに、『敵』の具体的な姿を見るまでは、実感するまでまた少し時間がかかる問題だ。
それっきり、ルーンは静かに自分の席に座ったままでいたが、俺の答えを待っているのは明らかだった。
俺が答えを出すまでに時間がかかったこともあったが、その前に、もっと時間がかかる出来事が起こった。だが、この出来事が答えを出すために必要な事だったのかも知れない。
不意に、俺の背中を冷たいモノが走った。初めての感覚ではない。いつもの喧嘩で後ろから襲われた時に感じたヤツと似ているが、それよりも得体の知れない感覚だった。
「……何か来るぞ……」
「何?」
緊張感をはらんだ俺の声が、真っ先にセレンを動かした。素早く立ち上がって、窓から慎重に外を窺う。
何かが居る。この村に。複数の、敵意を持った何者かが、確実にこの屋敷に向かって来ている。
喧嘩慣れしている俺にとっては殺気や敵意を感じることに関してかなり自信を持っている。そして、その俺の緊迫した様子に、ただならぬ気配を感じたのか、ルーンもリンも立ち上がり、その場に硬直していた。
すでに俺とセレンは屋敷のドアに向かって走っていた。
「ここはルーンが護ってるんじゃなかったのかよっ?」
「その筈だがな、どんな場合にも例外ってのはあるもんだ!」
二人して口々に叫ぶようにしながら、躊躇うことなく入ってきたドアから外に出た。
「……いるいる……あからさまに怪しいぜ、お宅ら」
ざっと辺りを見回すと、見るからに怪しげなフードで顔全体を覆い、さらに黒いマントか何かで姿を完全に隠した連中がおよそ二十人。実体があるのかないのか、ゆらゆらと宙を漂っているようにもみえる。屋敷の入り口を固めるように、半円形になって綺麗に並んでいる。声は発さず静かだが、敵意はむき出しのままだ。いつ襲い掛かってきてもおかしくないほどに。
と、右端に居た黒覆面が動いた! そこいらの高校生とは当然ながら動きが違う!
「っ!」
すんでのところで身をかわし、そのついで、勢いで体が勝手に動いた。相手の顔面に肘鉄をかます!
『ぶぎゃっ……! くっ……』
その一撃に一瞬ひるんだが、それでもなんとか体勢を立て直す黒覆面。……その手には、なにやら光るモノがちらりと見えた。もう一度周囲の連中を見ると、それぞれに同じような、かなり大振りの凶悪に光るナイフが握られていた。
「マジで殺し合いでもする気かよ……」
にじりっ、と示し合わせたかのように揃って一歩踏み出す黒覆面。俺は構えを整えたまま、つい一歩退がってしまったが、油断はしない。これだけの人数相手に、恐らくは殺人集団ともいえそうなこいつらにどう対処すればいいのだろうか……。
『こいつっ!』
さっき顔面に肘鉄をかました奴が、もう一度、今度はナイフを構えて俺に襲い掛かってきた!
がしんっ……!
『何っ?』
「甘い」
ナイフの刃をかいくぐり、その柄を裏拳で弾き落とす。そして渾身の力を込めて相手の鳩尾目がけて蹴りを放つ!
「うらぁっ!」
めごし……っ!
『……………………っ……』
悲鳴を上げることも叶わず、その場にくず折れる黒覆面。一対一ならば、集中していれば倒せない相手ではなさそうだ。日頃の行いの所為か、一対多数の喧嘩には慣れているのは事実だ。一瞬、他の連中も不意を撃たれたか、あるいは俺のことを甘く見ていたのだろう、たじろいだ様子だったが、すぐにでも立ち直って、今度は一斉に襲い掛かってくるだろう。
(んー……マズイかなぁ……)
我ながら呑気に考える。この程度の人数だったら、これほどの広さがあれば何とかなるだろうが、何しろ相手は武器を持っている。全身黒ずくめで見えないが、もしかしたらその下に強力な防具でも仕込んでいたら、素手で立ち向かうのは無謀だ。
「おい叶恵っ、これ使え!」
考えていた俺の後ろ頭に、セレンの声が届いた。ちらりと振り返るとその手にはなにやら長いものを抱えているようだ。俺に言うと、確認してからそれをこちらに投げてよこす。どうやら剣のようだ。手が空くと、セレンは両手で印を結びながら呪文を唱え出した。
ざざざっ!
足音に振り向くと、辺りを囲んでいた黒覆面たちが一斉に得物を手に襲い掛かってきていた。
俺は迷うことなくその剣を鞘から抜き放ち、構える。なにやら派手に装飾が施されているが、思っていたよりも軽い。刃は両刃になっているようだ。切れ味はわからない。それに剣なんぞというものは使ったことはないが、棒ならばそれなりに使える。
「同じようなモンだろ」
小さく呟いて、俺は正面から応戦する!
きいいんっ……ざじゅっ!
硬く澄んだ音と、『何か』が切れる音。
(……うっ……マジで切れるのか……?)
俺は棒ならばともかく、明らかに殺傷能力のある剣なんぞ、当然使ったことはない。俺が切ったものが何なのか分からないが、相手の身体を切るという感触。剣越しに伝わってくる何ともいえない不快な感触に、思わず一瞬だが吐き気を催してしまった。が、そんなことで立ち止まっているわけにはいかないようだ。
『くっそ……なかなかやるな……小僧』
「言葉が古くさ過ぎんぜ……おっさん」
相手がおっさんかどうか、顔は分からないが声だけで判断して、やや挑戦的に言う。その言葉が癇に障ったのか、相手は構えも定まらないそのままで、またもや無謀にも踊りかかってきた!
ガキンっ!
刃と刃が交錯する。その一瞬を逃さず、俺は間合いに入ってきた相手に、無造作に力いっぱい蹴りを打ち込む! もんどりうって後ろに転がる黒覆面。
その後から後からわらわらと群がってくる黒覆面の集団を、あるいは剣で、あるいは蹴りで、またあるいは空いている方の手で拳を打ち込む。無意識だったが、剣を直接相手に振り下ろすことはできなかった。
もちろん、俺はその場に踏みとどまっていたわけではない。空いたスペースを縫うようにして走り、黒覆面たちを屋敷から離して、その注意を俺に向ける。セレンが何やら唱えていたらしいんだが、『魔法』とかいうやつだろう。そいつに期待して。
そのとき、セレンが唱えていた呪文が完成した。
『月の守護神よ 我らが主を護りたまえ!』
ガカッ……!
雷のような青い光がセレンのかざした掌から上空へと向かって放たれ、青い光が屋敷全体を包み込むようにして覆った。
「攻撃魔法とかないのかよっ?」
思わず突っ込んだ。
次から次へと闇雲に突き出されるナイフをかわし、応戦しつつ俺が怒鳴る。実際、彼が呪文を唱え始めたとき、俺はてっきり援護してくれるものと勝手に思っていたのだが、セレンが唱えたのは防御魔法のようだった。それも、俺ではなく屋敷の中にいるルーンを護るためだろう。
「悪い、俺ってば防御専門だからさ」
光に包まれた屋敷の方に避難しながら、セレンが言う。
「ちっ……」
まあこれで、屋敷の中にいる三人には被害は及ばないだろう。
闇雲に繰り出されたナイフをかわすのは結構危ないものがある。型がしっかりしているものであれば、次の動きを読むことくらいはできるのだが、それができない以上、こちらもその都度応戦しなければならないからだ。
……それでも何分か後には、立っている者は俺たち以外には居なくなっていた。もっともセレンは、屋敷の近くから俺の戦闘を眺めているだけのようだったが。
「はあ……何とか片付いたみてーだな」
累々と横たわる黒ずくめの連中を眺めながら、俺はようやく一息ついた。
「すげーなお前……こんだけの連中相手によく一人で」
「……ったく、よく言うぜ……一人で高みの見物かよ。ちょっとくらい俺の援護に回ってくれてもいいんじゃねーの?」
あの感触が置いていった吐き気だけを隠し、やや半眼になって、呑気な口調で言うセレンに向かって文句をつける。実際、この得体の知れない黒ずくめ連中を全てノックアウトさせたのは俺だ。こいつらが修練された使い手だったなら、こんな簡単にケリはつかなかっただろう。恐らくはこれが、この世界の『闇』の種族。
「悪い悪い……ちょっとばかり、あんたの戦闘力を確認しておこうと思ってさ」
「呑気なヤローだな……ちょっとミスったら死ぬトコだ」
俺はいくつか避け損ねたナイフでできた切り傷から流れ出る血を適当に拭いながら、セレンに文句をつける。
セレンは、相も変わらず呑気な口調で、俺の肩に手をかけ、俺についた埃を無造作に払いながら言う。
「………………………………」
「ん? どうした?」
俺は自分が受け取った剣と、自分の掌の感覚を確かめるように何度も眺めたり握ったりしていたんだが、それにセレンが気付いた。
「いや、別に……」
適当に誤魔化す。……人間を切ったり刺したりした経験なんて俺にはない。せいぜいがぶん殴るか蹴りを入れる程度だった。だが人間(この場合『人間』とは言わないのだろうか)を切るという感触、想像していたものと随分違った。……例えていうなら、砂のぎっしり詰まった布の袋を切り裂いたような感じだった。服には返り血もしっかりついているのだが(それが余計に吐き気に近いものを呼び起こすのだが)……アレは本当に『人間』だったのだろうか……。いやもし本物の人間だったならば俺は間違いなく『大量殺人犯』になってしまう。
やがて、屋敷にかかっていた光のヴェールのようなものがふっと消えた。中から慌てた様子で出てきたのは、リンとルーン。
「こ、これは……」
「ああ、あんたの力とやらを突き破ってここを襲撃に来たみたいだけどな、この通り、返り討ちにしてやったよ」
「すっごぉい勇者さま! 強いんだね、ホントに!」
この有様を見ても動じないどころか、飛び跳ねて喜んでいるのはリンだ。ルーンはそれどころではない様子で、少々顔が青ざめている。
「大丈夫か?」
蒼白になって突っ立っているルーンに声をかける。
「……私の結界もすでに限界が来ているようですわね……急ぎましょう」
「ああ」
言うと、俺たちはセレンを残して再び屋敷へと戻っていった。
因みにこのときだ。なし崩し的に俺が勇者たる役目を果たさなければならないことが決定してしまったのは。
セレンは、周囲の家々に避難していた男連中を集めて、黒ずくめ連中を片付けにかかった。が、不可解なことに、セレンたちが片付ける前に、そいつらは忽然と姿を消していたらしい。地面にはリアルな血痕のようなものだけを残して……。