異世界からの案内人
ごく普通の住宅街。どこにでもありそうな空き地に、高校生くらいの若者が何人か。その内一人が違う制服。その一人を囲んで、今にも喧嘩が始まりそうな乾いた風が、彼らに吹いていた。
「呼び出しってのも久々のような……懐かしいような……」
一人だけ違う制服を着ている者が、他者に聞こえるかどうかという小さな声でぼやく。彼の言う通り、彼はこの他校生に呼び出され、今ここに居るのだ。だから他校生に囲まれる形で立っている。
「俺の何が気に食わないのか……まあ大体の予想はつくが……とっとと始めようか?」
取り囲まれて尚不敵な笑みさえ浮かべ、彼は挑戦的に周りの他校生を見回した。
その言い方が気に入らなかったのだろう。他校生は一斉に武器を取り、彼に向かって今にも襲い掛かろうという体勢に入った。口々に汚い言葉を投げかける。あるいは金属バット、またあるいは長い木片に鉄パイプ。ナイフを持っている者もいる。それでも彼は動じなかった。
「その態度が気に入らねえ……死ねコラ!」
彼の斜め後ろにいた他校生が、長い木片を持って飛び掛かる!
彼はちらりとそれを見ると、ひらりと身体を捻り、あっさりとその男の背部を蹴り飛ばした。飛ばされた男は、無様な格好で地面に激突。
その様子を見て、一瞬たじろぐ他の者。だがすぐにでも気を取り直したのか、その場にいた他校生も一気に襲い掛かってきた。
あるいは避けて生じた隙に蹴りを入れ、あるいは武器そのものを受け止めてぶん取り、その武器で相手を攻撃する。……彼の動きは大したものだ。これが喧嘩慣れというやつだろう。そのことを差し引いて考えても、素人の男子高校生が身につけた動きとしては、常人離れしているといっても過言ではない。
数分で決着は着いていた。ただ、彼は全ての攻撃において、意識しているのかは不明だが、急所を外している。頭を金属バットなんかで力任せに殴れば、最悪相手は死に至るだろう。
……そこまで考えて喧嘩をしている彼は、普段は至って不真面目そうな態度ではあるが、真面目に普通の高校に通う普通の不良高校生だ。名を御調叶恵という。
「自分たちで呼び出しといてあっけないな……次はもっと人数集めた方がいいぞ。…………って、聞いちゃいねえか」
倒れて気絶しているらしい他校生に声をかけると、叶恵は何事もなかったように鞄を持つと、その空き地を出て、どこへ寄り道するでもなく、自宅への道を歩き出した。
その様子を、彼のいる世界とは別の場所で監視する者がいた。
この世界の裏側に位置し、地球と正に表裏一体を成している世界。その中で、祭壇と呼ばれる特殊な場所から、叶恵をずっと見続けているのは、背中に翼を持つ人間ならざる者。
「『適格者』を迎えに出しましょう。彼が私たちの世界を救ってくださる『勇者様』に間違いありません」
「でもあの子に任せて大丈夫ですか?」
「……私も正直……心配ですが……仕方ありませんもの」
落ち着いた雰囲気の女性の頬に、『不安』という文字がありありと見える。
本人をよそに、『こちらの世界』の住人たちは、勝手に話を進めているようだ。
俺はいつものように他校の生徒に呼び出され、ふっかけられた喧嘩を買ってあっさりと勝利をおさめた。多少の物足りなさはあるが、何もない、いつもの退屈な日常から少しばかり離れたことでも一応の刺激にはなる。
空き地を抜けて商店街を通る道。ここを通らなくては、自分の家へは帰ることができない。正直、俺はこういう場所が苦手だ。この下校時間は特に賑やかすぎている上に、怪しげな勧誘が後を絶たない。ティッシュくらいならば貰って損はないだろうが、その他のチラシなんかは家でのゴミが増えるだけだ。
俺はできる限り、不自然にならない程度に早歩きになって、まっすぐに自宅への道を歩いていた。
「……………………?」
ふと何か奇妙な音が聞こえたような気がして足を止める。ぐるりと辺りを見回すが、俺の視界にはいつもと同じ光景しか見えない。俺は再び歩き始める。
だが確実に、その音は近付いてきていた。
「…………声か?」
誰にも聞こえない程度だったが、思わず声を出していた。
そう、その音の正体は紛れもなく人の声だった。それも、普通の会話ではない。……叫んでいるような感じだった。
「どこからだ?」
小さく呟き、もう一度辺りを見回してみるが、やはり何も変わったところはない。と、何気なく上を見上げてみる。
「…………え?」
真っ直ぐ上を見上げた俺の格好もかなり間が抜けていただろうが、それ以上に間抜けな事態に巻き込まれた。
「っきゃああああああっっ!」
「うどえあだああああっ!?」
どべしゃ……!
かなり間抜けな俺の叫び声に続いて、同じように間抜けな音をたて、俺は頭から降ってきた奇妙なモノとまともに顔面からぶつかり、一緒になって仰向けに地面に倒れ込んだ。倒れた場所も悪かった……そこは整備されたコンクリート剥き出しの道路。後ろ頭をまともに打って、あまりの痛みにしばらくそこから動けなかった。
そして顔面に張り付いたままのモノもそのまま、俺と一緒になって呻いていた。
……周囲のざわめきが、あっという間に俺の周りに集結していることが見えずとも分かる。何しろ、人通りの多い、特に噂やお喋り大好きなおばさま方の多いこの商店街。突如として起こったワケの分からないこの事態を見て見ぬフリはできないだろう。
俺は極力周囲を見ないようにしながら(何せ顔面に何かが張り付いているので見えないのだが)、しこたまに打ち付けた後頭部をさすりながら、起き上がる。同時に、顔面に張り付いたモノも一緒にひっべがす。
まだ周囲の状況は変わっては居なかった。つまり、集まった野次馬に囲まれる形で、俺はようやく立ち上がった。背中に走る痛みを堪えながら、周囲の視線に自分でも凶悪とさえ思える視線をめぐらせる。野次馬たちはその目つきに怯えた様子を見せながらも、まだコソコソと話しながら、ゆっくりと野次馬の囲いはほどけていった。
「っててて……」
立ち上がったはいいが、まともに打った頭がまだくらくらする。後ろ頭に手をやると、少し腫れているようだ。血が出ていないのが救いだが、かなり大きなタンコブができるだろうと思われる。顔面からひっぺがしたモノは、野次馬たちに見えないよう、できるだけ自分の手で覆い隠すように持っていた。それ程に、それは小さかったのだ。
「ちっくしょう……何だってんだ?」
毒づきながらも、何事もなかったかのように振舞いつつ歩き出す。
商店街を通り過ぎ、人通りもまばらになってきた頃、先ほどまで自分の顔にへばりついていたモノを確かめるべく、手で覆い隠していたそれを指先でつまみあげた。
指先でつまみあげたそれは、一応ヒトの形をしていた。『一応』と言ったのは、まずその大きさ。全身がぎりぎりで俺の顔と同じくらいしかない。そしてその背中には、小さな、その小さな身体と比べても不釣合いなほど小さな、飾り程度のふわふわとした翼が二対生えている。
飛ぶにしたって小さすぎやしないか、この羽根は……?
何気なく疑問に思ってみたりする。
小さなヒトの形をしたそれは、女の子のようだ。
淡いピンクのふわふわとしたワンピース、その裾からもひらひらとしたスカート(だろう)が覗いている。ペチコートというヤツなのだろうか。ソックスと一体化しているような淡い紫色のブーツ。そして各所にレースがついている。
まさに『女の子』然たる格好だが、少し違和感を覚えたのは、その首に巻かれたスカーフだ。……真っ黒だった。ブーツやソックスにしても、まあ、それがコイツの趣味と言うなら何も言うことはないのだが。
髪の毛は明るい鳶色で、くしゃくしゃに絡まっているだけではないかとも思えるようなボリュームのあるウエーブがかかっており、てっぺんに近い所を左右二か所、赤いリボンで結んでいる。ウエーブが思い思いの方向にばらばらになっているので、結んでいてもあまり意味がないように見える。
「よう」
摘み上げたそれは(まだ『その子』などと呼ぶ気にはならなかった)自分の目の前まで持ち上げると、しっかりと目を開けてこちらを見ていた。半眼になったままで声をかけてみる。
するとそいつはひょいっ、と顔を上げ、ついでに片手を上げて、
「はおっ」
などと間の抜けた挨拶をかましてくれた。やはり女の子らしい、可愛らしい声で。
「……………………何モンだお前」
無感情に問うてみる。
「うーん……とね、……………………あれ、名前、忘れちゃった♡」
「『忘れちゃった♡』じゃねーよっ!」
あまりと言えばあまりの反応に思わず大音響で怒鳴ってしまった。
「きゃああっ! 怒んないでよぉ、忘れちゃったもんは忘れちゃったんだもん、仕方ないじゃないよぉ……」
俺の顔にびびったのか、その声に驚いたのか、あるいはその両方からか、殆ど泣きそうな声で俺の指先でじたばたしている。
喧嘩上等のこの俺に睨まれて、平気でいられる奴はそうはいない。そう自負しているが、こんな小さな(だが得体の知れない)女の子に対してそういう態度を取ること自体、多少大人気なかったかもしれない。
「ああ、悪い悪い……、名前忘れたって、記憶喪失かなんかか?」
今度は多少自分なりに優しい声をつくって聞いてみる。もちろん、持ち上げた場所はそのままで。
「ううん、ちょっと違うの。あたし、記憶力が極端にないのよね。だから自分の名前さえもすぐに忘れちゃうの。それに、自分の名前ったって、親から貰ったものじゃないし……」
「親から貰ったものじゃないって……」
ここで一瞬言葉を詰まらせる。この状況で何を話せばいいのだろうか……?
「でもちゃんと必要なことは覚えてるよ!」
自信ありげにそいつは小さな胸を張った。俺はどう対処したものかと悩んでいたのだが……
「あのね」
と、俺が言葉を詰まらせているときに、不意にそいつが口を開いた。
「ん?」
「あたしは、あなたを迎えに来たの」
「はあ?」
これまた突拍子もない台詞だ。
迎えに来た、だと?
俺が疑問を口にする前に、そいつは話を始めた。どうやら話をするのは苦手なようで、それでもしどろもどろに話を進める。順序が曖昧だし、言っている内容があまり正確には伝わってこなかったが。
そいつの話をなんとか要約すると、こうだ。
彼女は、俺たちが住むこの地球の裏側にあるという世界からやってきた。目的は俺を迎えるため。
今その地球の裏側では、ちょっとした問題が発生しており、それを解決するためには、『選ばれた者』、『勇者』とやらの助けが必要だ、ということなのだそうだ。
あまりに簡潔すぎる感があるが、確かに的を射ている。だが何故、それが俺でなければならないんだ?
「それはね、んーと……向こうに着いてからルーンさまが説明してくれるよ」
言うと彼女は俺の指の間を器用にすり抜けて、俺の周りをくるくると飛び回り始めた。翼は小さいが、小さい彼女を支えるには十分なようだ。
「……おいっ?」
ヴンッ
彼女が飛び回った軌跡に、不思議に光る綺麗な光の帯が続く。その光の帯はぐるりと何周にもわたって俺の周囲を包み込む。
「何だっ?」
ワケも分からず、俺はその光の帯にほぼ完全に包み込まれてしまった。
「一緒に行こうよ、勇者さま」
俺の周りに光の帯を出現させたそいつは、逆さまになって、俺の目の前に止まり、小さな指で何やら印を結んでいく。理解不能な言葉の羅列が聞こえてくる。
その瞬間、抵抗する間も無く俺の意識は暗転した。