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第1章 6 「特別を歌おう」

 第十一春の宮。

 花葬島かそうじまにおける、教会管轄区の一つである。

 花葬島は3つの区画に分かれており、それぞれ春の宮、夏の宮、秋の宮と呼ばれている。その名のとおり、宮の中では季節が巡らない。春の宮は常春の花畑だ。

 その内部を更に十数箇所の拠点で分け、そこに教会関係者が在中し花の管理にあたる。拠点は正殿等を含めたその全体を指して、やしろと呼ばれている。

 そう、花葬島には、四季がない。

 春がくればサクラが咲き、夏がくればヒマワリが咲き、秋がくればコスモスが咲く――この移ろう時の流れは、そのまま花の死を運んでくる。それは今更取り立てて語ることもない常識だ。サクラはヒマワリに出会うことはないし、ヒマワリはコスモスを一目みることも叶わない。あちらで花が咲けば、こちらで別の花が枯れる。それが自然の摂理。

 しかし、女神は。

 時の移ろいにより魂が殺されることを、彼女は望まなかった。

 望んだのは、絶えることのない永遠の救済。

 かつて女神が授けた贈り物のうちのひとつ、最期に行き着く場所。魂が花として咲く島。そこで季節が巡るということは――花が枯れるということは、既に死んでいる存在を、もう一度殺すことを意味する。

 慈悲深い彼女が、そんなことを許すわけはなく。

 故に、ここは1000年以上も前からずっと、季節が固定されたままなのだ。


「ボクが川を好きな理由はね――」

 クリストローゼ様の長い金髪を、左右に分けて赤い組紐で結い上げる。その髪束の根元には、更に銀色の鈴を2つ。これを左右両方に行う。

「それがひとつの真理に繋がるものだと思うからなんだ」

 既に赤いドレスは脱ぎ捨てられている――その真白い体に纏うのは、赤い縫い取りの施された純白の小袖。ゆったりと伸びる袖下を巻き込まないよう気をつけながら、真紅の袴を着付けていく。

「ボクたち人の内面は、あまりに不確かなカタチでしか在り得ない――何かを悟ったかと思えば、今度は別の何かがわからなくなる。その何かをようやく悟ったかと思えば、さっき悟ったはずの何かがあやふやになる。そうやって、澄んでは澱み、澱んでは澄みを繰り返す――水たまりのようなものなんだ。日によってカタチどころか在るか無いかさえも変わるもの。雨が降れば水面は揺れるけどその存在は大きくなり、日が出れば水面は静まるけど徐々に干上がり小さくなる」

 袴の裾は、思い切り短い。ナギの制服である浅葱色の袴は足首まであるが、彼女のそれは太ももの半ばまでの丈だ。露わになった華奢な両脚に、今度は赤い細帯を巻きつける。髪を結った組紐よりも幅広の布で作られた、肌触りの良いそれを、交差させるように左右の脚それぞれに巻いていく。

「でも、川はそうじゃない。高きから低きへ。自然の摂理に乗っ取り運ばれる、途絶えることのない水の流れ。澱みも何もかも内包して、ただひとつの方向へと向かうその在り方に――ボクは憧れるんだ。こんなにも身近で、在り触れた存在である川が――絶対不可侵の領域である時の流れと、同じ形態をしているのだからね。そこに真理をボクは感じるんだよ。世界の土台足りうる大きな理は、実はすぐそこの足元に、とてもシンプルな姿でそこにある、という真理をね」

 左右の脚に巻いた細帯を足首で結び、そこにそれぞれ銀色の鈴を2つ括る。小袖の袖口から覗く手首にも、同じように赤い細帯で銀色の鈴を2つずつ。これで、彼女はその身に計12個の鈴を付けたことになる。

「それにしても、おかしなものだと思わない?この季節の巡らない島の中で、唯一時の流れと同じように、確かな方向性を刻む川。上流から下流へ――今上流を流れるあの水は、今下流を流れるその水とは別物だという、揺るぎない時間経過――その水音が、この島の時を止めた女神の歌声に聴こえるなんて。そう、ボクには聴こえる――女神の歌が。この島で花咲く魂を慰めようと、今も彼女が歌い続けている声が聴こえる。時の無限回廊そのものである女神と、過去と現在と未来を貫く川という存在――回転と直進。円と線。決して交わらないはずの2つの在り方が、歌を主軸に交差する。それはなんて――」

 クリストローゼ様の身支度全てを終えて、私はようやく立ち上がる。ようやく、彼女と目が合う。彼女の鮮やかな紅色の唇が、同様の紅を差した目じりが、白粉で整えられた頬が――哂って、笑って、嗤っているのを、見る。

「なんて特別なことなんだろうね」

 そして彼女はほんの少し背伸びをして、その唇で――私の額に口付けする。正確には、私の額にある目の紋様――角目つのめに。

「さぁ、今日も高らかに特別を歌おう」


 先ほどのクリストローゼ様の一人語り――問わず語りは、言わば儀式のようなものだ。儀式のための儀式、というかなんというか。これから行う本番のために、自分の気持ちを高めようとして語られた言葉なのだ。

 自分のために語るけれど、誰かに聞いていてもらいたい。けれど応えは求めていない。

 そんな我儘で傲慢な、甘えとさえ言える、一人語り。

 本来儀式のための儀式として必要なのは、私の角目に口付けるという行為だけなのだけれど。

 まぁぶっちゃけ、彼女のあの語りが言わんとしていることなんて、私にはさっぱりわからない。何がどうしてそうなった、と筋道立ててその前提条件から詳しく問いただす気力も湧かないほどに、理解できない。まるでわからない。

 それでも、クリストローゼ様が聞いて欲しいというのなら――私はできる限り、この耳を傾け心を寄り添わせたいと思う。彼女の言葉を、精一杯受け止めたい。

 秘書官としてではなく、彼女を慕う者として。仕事だからと割り切って、仕方なく聞くのではなく――自ら望んで聞いていたい。

 我儘でも傲慢でも甘えでも。

 我儘だからこそ傲慢だからこそ甘えだからこそ。


 クリストローゼ様を乗せた輿は、第十一春の宮の社を出て、式殿しきどのへ向かった。

 ヒメオドリコソウの絨毯を抜け、甘やかな春の香りの中を進み、スミレの群生地を通りすぎ木立の中へ。柔らかな新緑の濃淡に囲まれて更に進めば――白木で組まれた高床式の社が見えてくる。大きく反った造りの屋根の下に、四方を支える柱。それに囲まれた舞台に壁はなく、装飾的な手摺が付いているのみ。社の、どちらかと言えば豪勢な造りとはまるで異なる、質素で静謐な空気を纏う式殿。りん、と張り詰めた気配が、式殿を中心にその場を満たしていた。そばには岸辺にスイセンを咲かせた川が、豊かな水をたたえて流れている。

 これが式殿。歌巫女が歌い、舞うための舞台である。

 教会関係者は全て、その式殿に集まっている。ルシルナさんやセドリアスさんは勿論、ナギたちも全員が式殿に詰めかけ、待っている。

 歌巫女が歌い舞い――雨を降らせるその儀式を待っている。

 その場にいないのは――私だけだ。

 社の中央に位置する正殿――その真ん中に、1人。

 私は立ち尽くしている。

 先ほどまでの賑わいが嘘のように静まり返った正殿。板張りの床も、白砂の庭も、渡殿も、坪庭も――音もなく皆黙りこくっている。じっ、と各々が気配を殺しているかのように、空気までもが身じろぎひとつしない。

 ここが、私の今日の仕事場だ。

 秘書官として、歌巫女の声を届けるために、私は1人待っている。クリストローゼ様が――赤の歌巫女が、儀式を始めるのを。ここで1人。

 彼女がその赤く輝く瞳を開いた時――儀式は始まる。

 恵の雨をもたらすその儀式――


恵式めぐみしきを始めます」

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